死んで花実が咲くものか 40
喫茶店から出て治子と別れた美佳とtama。
治子が美佳の自殺予定日にも力を貸してくれることになったので、tamaは美佳も確実に助かると思い、無邪気に喜び、彼女にもよかったねと興奮気味に語った。
美佳も喜びはしたが、昨晩の父との会話の最中からの自身の変わり様を思い返してみて、内心、やや動揺していた。
幽霊が彼女に働きかけて、彼女に見せていた世界の余韻を彼女はまだ引き摺っていた。それはなんとも言えない、不思議な世界だった。五感を通じて得られる情報それ自体は常と変わらないのだが、そこに毛ほどの感動も生じない。寒風吹きすさぶ外に出ても寒いと思うことはなく、日没に寂しさを感じたり、誰かと話していて楽しい、つまらないと感じることもない。会話は未来を見失った言葉の応酬であり、物はただそこにあるだけの物として以上の意味を持たず、音楽からはリズムとメロディが消えた。同様に、死への恐怖も……。
心の内にある重大事といえばこの世界に別れを告げる予定だけ。
そのほかのあらゆる事象がどうでもよくなっていた。まるで呼吸のように、心臓が拍動するように、習慣に基づき機械的に食事や睡眠を済ませるばかり。
そんな世界を歩きながら、彼女は今晩、tamaと治子の両名と会っていた。治子の笑みもtamaの真剣な表情も、仮面のように無機的なものに見えた。
感動はなくなったが意識がなくなったわけではない。そのときの彼女は、そんな世界の見え方を自分の気持ちが変化した結果だと解釈していたから、気の持ち様で世界の見え方は本当に変わるのだな……、程度にしか考えていなかった。
「タマ、私、まだ怖いよ。」
一昨日と同じくロータリー前のベンチに腰掛けてお喋りする2人。
美佳はほんの10数分前までの世界を忘れようとして、周囲の日常的な風景を見つめていた。ロータリー沿いにあるパン屋だったり、スーパーだったり、ロータリーをぐるっと回るタクシーとか、喫煙所で煙草を吹かすサラリーマン、足早に改札から出てくる人の群れ。
夜空を見上げた。
月も星も見えない。
少し残念に思ったが、自分が星空を期待していたことに気付くと、彼女は安堵した。
特に興味関心を惹かないモノにもそれぞれの印象がある。その発見は特に愉快なものではなかったが、自分が元の世界に戻って来れたのだという感慨はあった。
彼女は弱音を吐くことで、強気になっているamaに肩くらいは抱いてほしいと思っていた。彼の温もり、強気のお裾分けが欲しかった。だが、彼は言葉では元気付けてくれても、ボディタッチは一切しなかった。
タマのクセに……と彼女は思った。
タマって名前のくせに、本当に玉付いてんのかよ、と。
「タマのくせに。」
なにも伝わらないと分かっていたが、ボソっと呟いた。
「え? なにが?」
極々ふつうの反応。彼女は彼に
「別に~。」
とぶっきらぼうに言って、ブルっと肩を震わせた。
「う~、今日は冷えるねぇ。」
自分の肩を抱いて身を縮込ませると、彼が
「マフラー貸してやるよ。」
と言って、彼女の首に掛けたので、お? と思い、彼女は彼を見て、
「ありがと。でも、タマが寒くなるんじゃない?」
と尋ねた。
「いや、オレは大丈夫……へ、へ、え~っくしょん! くっそぉ!」
大丈夫と言ったそばからクシャミして、しかもそのあとになんか言ってるし……。
「ほら! もう! おっさんみたいに。」
「は? ミヤちゃんもときどきおばさんみたいによっこいしょとか言ってんじゃん。」
「は? よっこいしょはみんな言うでしょ?」
言いながら、彼女はマフラーの端を彼の方に差し出した。
「ほら、片側はそっちが巻きなよ。」
「ありがとう。なんか、なかなか恰好付かないな。」
「タマは付いてんのにね。」
「え?」
彼が彼女の下ネタに目を丸くしていると、彼女は彼にぐっと身を寄せて、彼の手からマフラーを取り上げるとそれを彼の首に巻いて、それから彼に寄り添った。
「うん、暖かくなった。」
彼の肩に頭を付けて、そのがっしりとした肩に頼もしさを感じながら、彼女は改めて言った。
「タマ? ありがとね。いまは、さっきよりは怖くなくなったよ。」