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黄昏人  作者: はるハル
Lost Sheep
9/93

8


「あ、大神殿の方、凄い人の列……これから“潔斎”が始まるのね」


 皇族の一員として礼儀作法やら歴史やらの勉強時間の合間を利用して、メイリンはフィリアを連れて城の中庭を散策していた。小高い丘の上でそう呟く彼女の視線を辿ると、大神殿の入り口には人だかりが出来ている。


「一週間、司祭様方が聖堂に篭もってお祈りを捧げるのですよね。そして、聖祭の最終日に教皇様が“龍の託宣”を下される……」

 “龍の託宣”――龍託とも云われる――それはこの世界の守護神『龍』の声を聞くことが出来る教皇の、教皇たる所以。今までも多くの龍宣を行い、国策にも多大な影響を及ぼしてきた。

 本来の聖祭の主旨はこの“龍託”なのである。いつもはもっと厳かに行われるのだが、建国五百年の祝いも兼ねてということで、今回は大陸あげての規模となったのだ。これから街の方でも、眠らず夜通し宴会のような賑わいが続くのだろう。皇宮内も、皇族貴族、女官関わりなく聖祭を楽しみ、活気に溢れている。



 メイリンはう~ん、と手を伸ばし、悪戯っぽい表情で城下町の方を見下ろしている。

「これからがお祭りの本番だってのに、お城の中に閉じ込められるのって辛いわ~。抜け出しちゃおっかなぁ」

「メ、メイリンさんっ」

 慌てるフィリアの声に満足したように笑って、ドレスの裾を掴んでみせる。

「冗談よ。こんなドレスじゃ脱走なんて無理だしね。最初くらいは大人しくしとくわ」

 最初くらいはって……。

 正直気が気ではなかったが、彼女を止める術を持たない彼女はがっくりと肩を落とすだけだった。メイリンは自分をからかうことを趣味としている節がある。これは初めて会ったときから今までずっと続いているものだ。そんなに自分は面白い反応をするのだろうか……とフィリアは常に悩んでいた。その真面目に悩む姿が余計、メイリンの悪戯心をくすぐっているとは知らずに。


「聖祭の最終前夜には盛大な舞踏会が開かれるらしいわ、楽しみね」

「そうですね、頑張って下さいね、メイリンさん」

 最終前夜の舞踏会では皇族が全員出席するらしい。皇帝陛下、皇太子殿下、皇子殿下方、そしてそれぞれの正室、側室勢揃いの盛大な夜会だ。そして事実上、それがメイリンのお披露目式となるのは明らかだった。

 皇宮に入って少しだが皇族貴族と平民の確執を肌で感じ、不安に駆られたフィリアだが、だからこそしっかりしないと、と自分を叱咤していた。それに自分より大変なのは間違いなく、メイリンの方だ。たくさんいるというレヴァイン殿下の側室に苛められやしないだろうか。それだけが気がかりだった。


「もっちろんよ。フィリアも苛められたら、すぐに私に言うのよ! 黙って耐えるなんてことしちゃ駄目だからね!」

「い、いえ、私のことより、メイリンさんこそ。その、他の側室の方とか……」


 言おうとしていた台詞を奪われて、少しどもりながら聞き返してみると、

「ああ、あんなの、なんともないわ」

「え……? ま、まさか」

 途端に青ざめた自分とは対照的に、メイリンは至って涼しい顔でのたまった。

「うん、昨日、早速嫌がらせされたわ。フィリアが初のお仕事している間ね、私は礼儀作法とか習っていたのだけれど。まあ、わざわざ見にきて『下賎の身でありながら殿下をたぶらかそうだなんてホホホ』とか『まあ、なんて下品な踊り』とか色んなこと言われたけど」

「ええっ、だ、大丈夫ですか!?」

 そ、そんな暢気な。

 咄嗟に何も物理的攻撃はされてないのかとメイリンの肩を掴んで全身くまなく観察する。が、とくにそういった痕跡は見当たらなくて、フィリアはほうと胸を撫で下ろした。その間、メイリンはぽかんとして、されるがままになっていたのだが。

「あ、うん……大丈夫。鼻で思いっきり笑ってやったから」

 メイリンらしい返答に思わず噴出しそうになったが、すぐにそんな気分は泡になって消えてしまった。暗い思いが頭を重くさせて「そうですか……」と、フィリアは俯いた。笑い話にしてる場合ではないと思うのだ。

 想像以上にしょげてしまったフィリアに、何か思い当たる節があったのかメイリンも硬い表情になった。


「フィリア……何か、言われた?」

 神妙な響きに目を見開いた。疑問形だったが断定した口調。なんでわかったんだろう……と顔を上げると、苦笑したメイリンが映る。

「お願い、話して。フィリア」

 有無を言わさないような声色。こんなことを話してもただ心配をかけてしまうだけだろうと、目を泳がした。けれど、ちくちくと刺す視線に耐えられず、フィリアは溜息を吐いて話し出した。メイリンが一度決めたらてこでも動かない性格だとは嫌というほど知っているのだ。

「大したことではないんです……ただ、今までの自分の認識の甘さに、落ち込んでしまっただけで」

「なぁに、認識の甘さって」

「貴族と、平民……身分の差ってこれほど大切な、日常で大きな影響を及ぼすものだと思わなかったんです。貴族の方たちは平民だというだけで、話し掛けられるのも酷く誇りに傷が付いてしまうものなのですね。目を合わすのも不愉快で。今まで、どれだけ自分が平穏な場所にいたのかを思い知ったというか」

 はあ、と歩きつかれた年寄りのような溜息をついて、ぽつりぽつりと呟いた。

 これほど、自分が世間知らずとは思わなかったのだ。身分の差というものを肌で感じたのも初めてで、何もしていないのにあんなにも、まるで憎悪に近い眼差しを向けられるとは思いもしなかったのだ。身分とか階級とか、自分ではどうしようもない次元なだけに、やるせなさというかショックを受けたというか。

 メイリンはそういったことはちゃんとわかっているのだろう。だからこそ、ああやって軽く受け流せるのだ。吃驚して、ただ落ち込んでいるだけの自分とは違う。またもや精神の差を見せ付けられたような気がして、肩を落とした。


「……そうね。この国の階級差は歴然としているわ。お互い相容れない、別の種族だとさえ思っている……でもそうじゃない人もいるって思うけどね。現に帝国軍は平民の受け入れを実現したわけだし。平民が騎士になれるのって、昔は考えられなかったことよ。きっと、これから良くなっていくと思うわ」


「そうですね……」

 帝国軍、と聞いてフィリアは鼓動が跳ね上がった。脳裏に浮かんだ姿を必死で振り払う。それをまだ何か隠していると思ったメイリンがずずいと近寄ってきた。

「それで、他には何もされなかった?」

「だ、大丈夫です。それどころか、助けて頂けましたし」

「えっ! 助けてもらったって誰に? まさか、貴族に?」

「あ……! いっ、いえ……っ」

 しまったと思った時は遅かった。頬を紅潮させたフィリアを、勘の鋭いメイリンが見逃す筈はない。目を輝かせて、逃さないようフィリアの腕を掴んできた。これでこの場から走って逃げ出すということも出来なくなって、観念したフィリアは昨日の出来事を話し出す。見る見るうちに目を丸くしたメイリンが、大きく息を吸い込むように口を開けた。


「えええ!! 黒騎士様に会ったの!?」

「メイリンさん、声が大きい!」


 二人の声と、フィリアがメイリンの口を塞いだのはほぼ同時だった。

 小高い丘の上ではしゃぐ二人。女官長であるマライアが見た日には、額に青筋を立ててはしたないだの下品だの小一時間は説教されることだろう。けれど真昼間の、こんな皇宮から離れた中庭の丘の周りには誰もいない。おかげで思う存分お喋りに興じることができたのだった。


「あらまあ、あらまあ……私より先にだなんてずるいわ。しかも助けてもらっただなんて! ねね、それでどういうお方だったの? 外見は? 声は? 性格は? どう思った?」

「ど、どうって……ええと、銀髪で、背が高くて綺麗な方でした……声は低くて……せ、性格は少ししかお話できなかったので、わかりませんが、優しい方だと思います……」


 矢継ぎ早に質問を投げられてたじたじになりつつも、メイリンの異様な迫力に押されて律儀に答えていった。この迫力と勢いならば、集団で陰口を叩く女官達など平気であしらうことが出来るかもと頭の隅でこっそり考えながら。

「ふふ~ん、優しい、か。……ね、フィリアはレヴァイン殿下とどっちが綺麗だと思った?」

 メイリンは何故かにっこりと嬉しそうに笑っている。そんなに黒騎士に興味があったのか、と半ば感嘆しつつも、昨日感じた印象を頭の中で素直に整理した。

「レヴァイン殿下とはまた違ったタイプだと思います……殿下を綺麗と称するなら黒騎士様は格好良いという言葉が似合うでしょうか……」

 確かに顔の造り自体はどちらも同じくらい整っているのだが、それぞれが放つ空気というのが真逆だと思った。受ける印象が全然違うということだ。レヴァインが太陽ならヒユウは月といったところだろうか。彼らの職業がよく表れているといっていいのかもしれない――皇子と騎士――皇子を職業と呼んでいいのか不明だが。


「……ふぅ~ん、 綺麗でなくて “ 格好良い ” ね」


「……何でそんなに嬉しそうな顔をするんですか?」

 「別にぃ~」とわざとらしく視線を逸らしたメイリンの横顔は凄く上機嫌だった。噂通りだとわかって嬉しいのだろうか、とフィリアは自分を納得させてそれ以上触れないようにしようと思った。何故だか、そうした方が自分の為だと思ったのだ。

「それよりびっくりしてしまって、お礼を言うのを忘れてしまったんです。それどころか、名前を聞伺うことすら出来なくて……」

「あらら」

 一連の出来事を聞いて、フィリアの動揺する姿が容易く想像できてしまったメイリンは思わず噴出してしまった。むっとしたフィリアの視線に気付いて「ごめんごめん」と謝ったが、すぐににやりとした笑顔を浮かべる。

「ふふん、それでフィリアちゃんは黒騎士様が気になって夜も眠れないと?」

「なっ! ね、眠れてます!」

 途端に顔を真っ赤にして強く主張し出したフィリアにとうとう笑い声を上げてしまった。


「んもー! フィリアってどうしてそんなに反応が素直なのかしら! あはははっ」

「~~~っ、メッ、メイリンさん~!」

 腹を抱えて笑い出すメイリンを恨めしそうに見詰めた。顔が熱い。きっと耳朶まで真っ赤で、瞳も潤んでいるだろう。そんな自分を見てさらに嬉しそうに笑うメイリン。暫くは、これをネタにしてからかわれる日々が続きそうだと確信して、うなだれた。

 確かに気にはなっている。意識しているかもしれない。たった一度会っただけなのに。否、それだけではないのだ。一度だけではないように思う。


「そんなんじゃなくて……一度だけではないような気がするんです」


 突然、神妙な呟きを漏らしたフィリアに、笑いを止めた。

「どういう意味?」

「以前にもどこかで会ったような……懐かしいような気が、しました」

 そう、なんだか懐かしいような、既視感を覚えたのだ。

「ええ? 昔見かけたことがあったの……?」

 首を傾げて尋ねるが、フィリアは首を横に振って否定する。じゃあ、どういうことだろう……と考える内にフィリアの言いたいことがわかって、はっとする。

「もしかして……記憶を失う前に……?」

 会ったことがあるということだろうか?

 メイリンの言葉に、フィリアは困ったような微笑を浮かべた。

「そう……かもしれないかな、って……」

 そこまで確実なことは言えないけれど。もしかしたら、失った記憶を取り戻す糸口になるかもしれない。


「そっか……でもそれを確かめようにもね……二人っきりで話す機会はなぁ。……誰かに見つかった日にはそれこそ今の嫌がらせの比じゃないわよ。ここ数日で、女官達の噂話の筆頭だもの。やれ、今日も素敵だとか、目が合った気がするきゃーだの…」


 聖祭の警備の指揮を彼が執っていることも要因の一つだった。女官や貴族の娘達は皆浮き足だっている。皇宮内に情報網が敷かれたみたいに、今どこそこで見かけただの、これから謁見の間に向かうだのそんなことがメイリンの耳にも入ってくるほどだ。

 そういう女の集団を敵に回すことの恐ろしさを、メイリンはよく知っている。女の嫉妬や僻みほど、陰湿で性悪なものはない。到底、フィリアが立ち向かえる相手ではない。というか、立ち向かうことすらしないだろう、この少女は。それは臆病、小心者といった意味ではなく。他人の欲しがる者には決して手を出そうとしない少女なのだ。シスターとして育った影響も多分にあるが。

「もう一度、お礼が言えればそれでいいんですけれど……」

 そう言って遠くを見詰めるフィリアに、メイリンは目を細めた。



「また、厄介な相手に惚れちゃったものだわ……」

 メイリンはフィリアに聞かれないように、小さく呟いた。







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