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「おい、何故逃げる。俺を殺さないのか」
通りを抜けて広場に差し掛かったところで、クラーヴァは前方の少女を引き止めた。微かに肩を上下させて俯く少女とは対照的に、男は悠長に構えた恰好だ。きっと鋭い視線を投げつけた少女が、振り返る。
「……ここでなら、剣を振り回せるからだ」
ここでもきっとひと悶着あったのだろう。木々が倒され、焼け焦げた草木が哀れに荒された広場の中央で、アレシアは愛刀を鞘から抜いた。真正面から向き合った少女の表情の色は、機微の疎いクラーヴァにはよくわからない。ただ、一文字に引き結ばれた唇が微かに震えているのは、気のせいだろうか。
「……いいぜ、来いよ」
静かに返すだけで、クラーヴァは剣を抜くこともなく、戦闘態勢に入ることもなかった。ただ、少女の動きを待っている。
「……何故、剣を抜かない。早く、抜け!」
馬鹿にされているのかと、アレシアは胸内でぐちゃぐちゃに暴れる怒りを吐き出す。しかし、目の前の男の緑の双眸は静かに凪いだまま。息が苦しい。きっと、故郷を荒されたときと同じ、草木の焦げた臭いが、灰を含んだ風が、少女の呼吸を奪うからだ。
「どうした? 目の前に、お前の故郷を無茶苦茶にした奴がいるんだぜ?」
「っ!」
挑発に、頭よりも先に身体が動いた。地面を蹴って、今まで何人も敵の命を奪った愛刀を振りかざす。いつも、無念の内に死んでいった一族の者が、この刀に宿って一緒に戦ってくれているのだと思っていた。けれどそれが間違いだとわかったのは、途中でアレシアの右手が愛刀を手放してしまったからだ。白刃が宙に舞う。焦げた地面の上に落ちた刀の行方を、少女の代わりにクラーヴァの視線が追った。
膝をついたアレシアは、刀を手放してしまった右手を信じられないように見下ろしていた。その前に男が一歩踏み出すと、少女の身体が大きく震えた。
「……お前を斬っても、妹は返ってこない」
今更言い訳にもならぬことが、口をついて出る。言ってから、アレシアはそんな言葉を紡いだ自分が信じられなかった。
どれだけ敵を殺したとて、死んだ者は誰一人返って来ない。そんなことはとっくの昔にわかっている。自分で理解していたし、今まで何人もの人間がそう説いてきた。だから、復讐など止めろ、と。それでも復讐を諦めなかったのは、一人生き残った自分が彼らの為に出来ることはそれしか思い浮かばなかったから。突然孤独となった己の心の隙間を埋める為もある。憎しみに身を任せていた方が楽だったし、愛する者達が味わった恐怖と絶望を、相手にも味合わせてやりたかったから。
それだけしかなくて、今まで突き進んできたのに。妹に似たあの少女に精一杯気持ちをぶつけられても尚、この思いが変わることは無かったのに。何故、今頃になって、よりにもよって故郷を直接手にかけた男に対して、こんな真っ当な綺麗事を呟く?
―― これではまるで、この男を殺したくないと言っているようなものではないか。
そんな馬鹿な。すぐに浮かんだ思考をかぶりを振って掻き消そうとする。けれど、ならば何故、愛刀を手放してしまったのか。震える手が、刀を拒絶してしまっているのか。その理由がどうしてもわからない。わかりたくない。
「……だが、お前の気は済むんじゃねーのか。一族の無念も晴らしてやれる」
「! どうして、お前がそんなことを言うんだ! 馬鹿野郎!」
「ば、馬鹿だとぉ?」
心外な暴言に思わず反論しようとするが、再びクラーヴァの口は言葉を失い、貝のようにパクパクさせるのみだった。顔を上げて悪態を吐いた少女の鷲色の瞳は滲み、頬に幾筋も涙が伝っていたからだ。男の脳裏に、船上での記憶が蘇った。
「……どうして……っ、よりにもよってお前がそんなことを言うんだ……」
言って欲しい言葉を。何故、どうして故郷を無茶苦茶にした奴が。
両手を地について、項垂れるようにアレシアは俯いた。ぽたり、と目尻から零れた涙の雫が地面を濡らしていく。
「お前が敵のまま、何も知らずに敵のままだったら……」
何の迷いも無く、一族の遺した宝刀で殺すことが出来たのに。
アレシアはもう、目の前の男を敵としてだけ、見ることが出来なかった。
「う……っ、すまない……皆……っ」
地面に顔を伏せて震える少女が、すまない、すまない、と何度も詫びの言葉を繰り返す。たった一人生き残った少女が彼らの為に出来ることが、なくなってしまった。真っ黒に焼かれた草原を前に、あの日、誓ったというのに。もう二度と、彼らに会わせる顔が無い。
泣いて許しを乞う姿を見下ろしながら、クラーヴァはぽつりと呟いた。
「お前に剣ってのは、似合わねーな……」
優しすぎるのだ。目の前の蹲った少女は。
仇を知ってしまって、憎しみだけの心に別の気持ちが生まれてしまった。仇が、残虐非道な敵だったら、良かっただろう。そうしたら、彼女は躊躇いなく斬ることが出来て、一族の恨みを晴らすことが出来た。だが、もう遅い。アレシアは、クラーヴァという人間を知りすぎてしまった。
残虐非道ではない人間を斬ることが出来ず、けれど、無念のうちに死んでいった一族の思いを裏切ることも出来ず、その狭間で苦しんでいる。
「カシュガ族ってのは、剣舞の民なんだろう……?」
「……ああ……」
「今度それを俺に見せてくれ」
「……は……? な、何を言い出す、貴様……」
「それを、伝える為にお前は生きればいい。復讐なんてより、お前はその方が似合ってるんじゃねーのか」
らしくない台詞だ。
いつもの自分ならば、剣で決着をつけていただろう。今まで、何だって、そうしてきた。一番、自分に合っていると思っていたから。
けれど、目の前の少女にはそうして欲しくなかった。彼女は誰かに剣を向ける度、己を傷つけていた。これ以上、彼女に傷ついてほしくなかった。
こんな気持ちは、初めてだった。
大神殿、白亜の皇城とともに帝都中央に位置する、帝国軍本部施設。ロウティエ帝国の軍事の要であるそこでは、最高司令部長官ゼノンを中心として、作戦会議が連日連夜開かれていた。
帝国軍が誇る三雄の内、聖印騎士団将軍クラーヴァ・ヴィダ・ハンソン、元黒印魔法騎士団将軍ヒユウ・イル・リューシアの、エウノミア派遣。黒印魔法騎士団第一副官のヘテイグもそれに同行し、第二副官であるコッラードも丁度一週間前に起きたケルジャナ砂漠方面での魔物討伐で留守。
僅かな隙をつくような、敵の襲撃に、ゼノンも苦笑するしかなかった。
以前より間者の動きが活発だったが、まさかこれ程内情を把握されているとは思いも寄らなかった。
「第四防壁突破されたか……内部の裏切り者が予想以上に暗躍しているな」
各守備隊からの報告を聞いて、ゼノンは素直な感想を漏らす。
「内偵部隊を直ちに向かわせ、捕縛しておりますが、事前に察知して逃げおおせている者が多数。援軍を要請しておりますが、各地でテロが多発し、その制圧に手一杯の様子です。皇城の奥宮は依然として炎の結界が強固で、中の様子が窺えません」
「わかった、もう下がって良い」
「はっ」
報告に来た騎士が、一礼して執務室より退室した。
単なるクーデター、他国の襲撃だけならば、これほどの動揺は起きなかっただろう。彼ら帝国軍上層部にとって、一番の問題は、皇宮を巣食う謎の結界だった。
「黒印魔法騎士団でも無理か」
部屋の中央にあるソファに腰掛けていた魔法技術研究部最高責任者ノエルに問いかける。
「第二副官コッラード殿が先に起こりましたケルジャナ砂漠方面での魔物討伐で空けているのが痛いですね。主力を温存していたものの、彼らだけでは結界の解呪にもう暫し時間がかかるかと。寄生獣を放ってみましたが、それすらも無効化する結界のようです、……余程、高位の存在の力による結界なのでしょう」
ケルジャナ砂漠の一件により確定したことだが、召喚獣の中には明確なランクがあり、より高位の存在に対しては、魔法の力も効かないようだ。手持ちの寄生獣では、結界を張っている存在に対して思ったほどの威力を発揮せず。ノエルは些か気落ちしていた。
「……そうか。ところでディーン皇太子……否、元とつけた方が良いかな。彼は?」
「ディーン元皇太子一派は帝都の東に拠点を置いて、こちらに攻撃をしかけてきています。皇子の居所の情報はとくにありません」
ディーンが率いる部隊の編成はそれほど脅威ではない。だが、易々と幽閉の身から脱し、この帝都まで攻めあがれたのは、余程強力な後ろ盾が無いと無理だった。あくまで注意を払わねばならないのは、彼らの後ろに控えている存在だ。
「おそらくディーン元皇太子は皇城へ向かうだろう。……彼が生きてさえいれば、ロウティエは滅びない」
「現皇帝は」
ぽつりと漏らしたゼノンの呟きに、ノエルはさして驚くこともなく返す。その口調は尋ねる、というより、確認する、といった方が近い。
「……彼は、皇帝には相応しくない」
「……すなわち、見捨てる、と?」
炎の結界の中で今まさに命の危機に晒されているかもしれない皇帝を。
そう言外に含ませるノエルに、ゼノンは肩を竦めてみせた。
「言い方が悪いな。彼こそが、裏切り者だ。彼にはこの国の民を守る気も力も無い。破滅こそが、目的なのだ。……ゆえにこれも帝国の民を守る為」
「御意」
椅子から立ち上がったゼノンに、ノエルも立ち上がって敬礼した。騎士ではなく研究者である彼が礼を取ることは少ない。自分の認めた相手にしか敬意を表しないノエルの自尊心はとても高いのだ。
「私も皇城へ向かおう。ここに、クラーヴァを呼び戻せ。もうエウノミアより帰還している筈だ」
「それが帰還したとの報告を受けてから、どうも連絡がとれないようですね」
相変わらずの自由奔放さに、ゼノンは深く嘆息した。
「ったく、あの馬鹿が……とにかく早く見つけて呼び戻せ。そして、私のいない間、代わりに総指揮を執って貰う」
「!」
ノエルは僅かに目を見開いた。眼鏡の縁を手で押さえて、ゼノンの内心を探ろうとする。器量、実力から言って、いくら龍を封じられていたとしても、指揮官としてヒユウの方が相応しい。帝国軍部の総指揮ともなれば、余計にだ。クラーヴァを頭に置くには、少し……大分と危なっかしい。個人的にヒユウを敵視しているノエルでさえも、その点においては認めていた。
士官学校時代よりヒユウの才に目をつけ、いずれ己の後継として育てていたゼノンを知っていたため、ノエルは再び尋ねるしか無かった。
「ヒユウ殿ではなく、クラーヴァ殿が総指揮ですか」
ノエルの探るような視線から逸らし、ゼノンは苦渋に満ちた声を漏らした。
「……あの男も、裏切り者だ」
+ + +
「やれやれ……見事に分裂しちゃってまぁ、ぐっちゃぐちゃだねぇ」
そう呟くシェルンの表情はとても嬉しそうだった。あまりに嬉しそうなので、背後に控えていた、基本無口無表情の聖なる手が「嬉しそうですね」と漏らした程だ。
この高さならば、立ち昇る煙も邪魔にならない。彼らは大神殿の上から、真下に広がる帝都の町並みを眺めていた。
「そりゃあそうだ。やっぱり、人間はこうでなくっちゃなぁ。こういう死に差し迫ったときにこそ、人間の本性が、そいつの本質ってもんが、出てくるのさ。いつもとりすました、羊の皮を被った聖人ほど、面白いほどに醜い肉を晒してくれる」
今まで、そういう奴を多く見てきた。と、シェルンは語った。暗く、歪んだ顔で愉悦を浮かべる。暗く陰鬱なものを彼が奥底に抱えているのは明白だった。けれど、と聖なる手は思う。
「……貴方はそれほど人間を憎んでいるようには見えない」
「どういう意味だ?」
聖なる手が、こういった自分の考えや意見というものを口にするのは珍しい。基本的に彼らは、命令だけに反応し、忠実に動くように育てられていたからだ。
大神殿の上であぐらをかいて座っていたシェルンが、横で直立不動の聖なる手を見上げる。生憎、顔半分を覆い隠す仮面のおかげで、表情などは読み取れなかった。
邪魔だから仮面なんて外せ、とシェルンは事ある毎に言ったものだが、この聖なる手は外そうとはしなかった。何故かと理由を訊くと、どうやら『聖なる手』を作ったエルカイルが、彼らに仮面をつけて外さぬように、ときつく言い渡したかららしい。彼らにとって、エルカイルは主人のようなものだという。その感覚がよくわからなくて、シェルンは首をひねったものだ。
「私は、龍の血によって生まれた殺戮人形……。人間だった頃の記憶は殆どありません……だから、よくわからない。感情というものが。しかし、今まで多くの人間を見てきました。ゆえに恐怖や憎悪といったものは大体わかってきました」
聖なる手から逃れられる対象者はいない。誰もがその絶対的な力の差に、最後は恐怖に怯え、泣きながら命を乞う。苦痛と恐怖、絶望に歪む顔。それらを今までどれだけ見てきたことだろう。そして、極稀に、仇討ちにやってくる無謀な人間もいる。復讐に燃える顔。罵倒を吐き出す彼らの表情。憎悪、に歪んだ顔。記憶にある限りのそれを、並べる。それと比較しても、シェルンは何か違うような気がした。
「……だから、俺のは、憎悪ではないと?」
「少なくとも、私はそう思いました」
人形となった『聖なる手』にも、道具として扱い、殺戮の命を繰り返す元老院に対する恨みだけは奥底に残っている。普段は命令の方が強く支配し、奥底に隠されたそれが今まで表面に出てきたことはなかった。目聡く見つけたレヴァインによって、他の『聖なる手』の憎悪が爆発してしまったが。それでも基本的に彼らは命に忠実に動く人形なのだ。自分の望みすら、見つけることが難しいほどに。
「ふ~ん……そういえば、お前の望みは、感情を取り戻すことだったな」
この聖なる手一人だけ、皇帝ではなくシェルンについて来たのは、彼についていった方が、その術を見つけられると判断したからだった。
「ええ……私達『聖なる手』は感情を消された殺戮人形です。しかし、稀に感情を完全に取り戻す人形もいる……私は今まで二人程見てきました。一人目は、先代教皇と姉に同情して逃亡に手を貸した者……その者を殺したのは私です。彼は最期に、とても満ち足りた顔をしていた。そして事切れる寸前に、私に哀しみの表情を向けました……あれを哀しみ、と呼ぶかはわかりません。ただ、死に対する恐怖などは無かった。そして二人目は、つい最近ですね……六年程前に暗殺対象だったとある貴族の嫡子の側近として納まった者……彼は一応死んだことになっているので、私しか知りませんが」
何故彼らが取り戻すことが出来たのか。それを私は知りたいのです、と聖なる手は遥か遠い東の空を眺めていた。
帝都より東に広がるフェニキア領上空には灰色の雲が広がっている。
一雨来そうだ、と主人の留守を預かる老紳士風の男は窓の外を暫し見詰めた。
「きな臭いですねぇ……」
フェニキア領領主ヒユウの代理人として務めるフォマーのするべきことは多い。帝都の異変のせいで、裁くべき書類の束はそれこそ山となって執務室を埋め尽くす勢いだ。裁いても裁いても、次から次へと書類は運び込まれてしまうのだ。フォマーの心中は曇り空どころでなかった。
各地で頻発しているテロが、ここフェニキアにも起こり、やっとその対応に一区切りついたところで、紅茶を口に含んだ。既に、それは冷め切っており、無情な時間の流れに溜息を吐きたくなった頃、ぱたぱたと廊下を走る音が近付いてきた。挨拶もそこそこに現れたのは、歳若い側近の一人だ。
「フォマー様、あの、ヒユウ様より領境を封鎖せよとの命令が、ございました」
「封鎖、ですか」
フォマーの怪訝そうな視線に、歳若い側近は躊躇いつつも、「はい」と返答した。そして言い澱みながらも、報告を続ける。
「しかし、帝都からはすぐさま出兵せよとの援軍要請が。そして他領からも、帝都へ援軍を送る為に領地を通る許可を求める旨の早馬が来ております」
歳若い側近にとっては、戸惑うのも無理はない状況だろう。
何しろ、帝都からの命令と領主からの命令が相反するものだったからだ。しかも常識で考えれば、帝都が危機に陥っている際に、ヒユウの命令は領主として考えられない内容であって。帝都への造反、と捉えられてもおかしくないのだ。
どうしましょう、という迷える子羊の視線を受け止めつつ、フォマーは一つの判断を下した。
「……ヒユウ様の命に従い、封鎖をします」
「えっ、し、しかし……帝都は今反乱が起きていて……援軍を出さなくてもよろしいのですか?」
歳若い側近にとって、フォマーの判断は意外でならなかった。帝都で起きた反乱に彼自身も不安に思い、駆けつけたい思いがあるのだろう。帝国で生まれ、暮らす者ならば、当然の感情だ。
「私達の主はヒユウ様お一人ですよ。きっと、何かお考えがあるのでしょう。さあ行きなさい」
「はっ、はい!」
仕事中だったことを思い出して、青年は慌てて部屋から退出した。ぱたぱたと、相変わらず落ち着きの無い足取りだ。
フォマーは、冷め切った紅茶をもう一口飲んでから、窓の外に視線を投げた。
「……やれやれ、我が主は何を企んでおられるのか。それでも、あの日から、我が主は教皇ではなく、貴方です。……たとえ、貴方が何者であろうと」




