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黄昏人  作者: はるハル
Lost Sheep
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6


「帝国を統べる皇帝陛下の執政城であられるここでは、女官といえども多くの知識と高い能力が必要とされます。不相応ながらも、陛下直々でのご指名とあらばそれに応え、満足にこなしてみせるのが我ら帝国民の務め。その名に恥じぬよう、務めに励みなさいますよう。良いですね、フィリア」

 こんな説教が始まって、既にどれだけ時間が流れただろうか。水色の膝丈のスカート――女官の制服に着替えさせられ、直立したままフィリアはマライアの話に耳を傾けていた。新人の女官がいきなり皇子の住む宮で務める、ということは殆どありえない。大抵はもっと年数をかけないと城の奥には上がれないのだ。有力な縁故があればまた別だが。

 そのせいか、興味深げにフィリアを見にくる者は多かった。わざわざ、仕事を抜け出して見にくる女官までいた。きっと昨晩の夜会でのことは皇宮中に知れ渡っていることもおおいに関係あるのだろう。平民出の側室と女官、と胡乱げな視線を容赦無く浴びせてくる。それだけでなく「あれが噂の歌姫ってやつ?」「ふーん、大したことないじゃない」やら色々な囁き声が聞こえる。おかげでフィリアは珍獣気分を味わうことが出来た。もっともそれもマライアが一睨みしたおかげで、蜘蛛の子を散らすようにいなくなり、少しの間のことだったが。

「まずは城内の案内をしましょう。部屋の場所を覚えねば何も出来ませんからね」

「は、はい」

 また颯爽と歩き出したマライアのあとを追いかけた。







+ + +





 この地でのエルカイル教会の力は強い。それにはこの国の成り立ちによって民衆から崇拝を受ける『龍族』を信仰しているというのもあるが、それ以外にも大きな理由がニつある。

 一つは、神格化された教皇の存在、そしてもう一つは数名の大司教によって構成される『元老院』の存在である。『元老院』とはこの国の最高諮問・立法機関であり、重要な国策の最終的な決議は全てここでされていた。


 エルカイル教会の中枢である、大神殿。

 正面から長く続く廊下は天井が高く、白い柱が規則正しく並び立ち、龍の彫像がこちらを見下ろすように立っている。いつものことながら、見張られているような心地に襲われて、レヴァインはあまりこの空間が好きではなかった。

 かつんと自分の靴底が鳴らす硬質な音だけが響く。一般に公開しているのは正面入り口からすぐにある聖堂のみで、そこから奥へ続くこの廊下には誰の気配もない。人々の喧騒も結界で遮断されてしまったかのように掻き消えていた。

 ここから先を許されたのは限られた聖職者――大司教のみだ。

 最奥に大聖堂があり、そこで『元老院』議会が開かれる。そしてそのさらに奥には、神格化された教皇が誰にも姿を見せることなく、静謐とともに坐している。教皇に目通りが叶う者はこの帝国でも両手で足りるほどだ。当然、大司教となって幾許かの自分がお目にかかれたことは一度もなかった。


 林立する柱に囲まれると、まるで深い森にわけいったような気分になる。振り仰げば天井ははるかに高く、高みにうがたれた大きな窓から光が零れ落ちている。自分がちっぽけな存在に思えて仕方なくなるほど、この大神殿は巨大だった。

 そのまま廊下を抜けると、まず天井高い窓に嵌められたステンドグラスの神々しい輝きが洗礼のように全身に降り注ぐ。大聖堂の天井はアーチ型で、円形の大窓である薔薇窓を中心にして左右に12枚のステンドグラスの窓が高くに配列されている。磨かれた床石には長椅子が数十列に渡って整然と並べられており、その手すり一つ一つに入念な彫刻が施されている。奥の祭壇には天を仰ぐ龍の彫像が祀られていた。

 それを静かに見上げる老人。大聖堂にいたのはその老人ただ一人だった。何事か思案するその横顔には、幾星霜を感じさせる皺がよりくっきりと刻まれている。レヴァインは彼の五歩ほど離れたところで立ち止まり、同じようにエルカイル教の信仰対象であるその彫像を見上げた。


「卿らの仰る通りに致しましたよ」

「……ご苦労であった、レヴァイン皇子殿下」

 微動だにせず、しわがれた声で返す老人にレヴァインは苦笑する。

「やだなぁ、ここでは第二皇子ではなく、あなた方と同じ元老院の一員ですよ、私は。しかもまだまだ経験が浅い未熟者。どうぞ敬称など略して下さい」

「ふむ、そうだな。そなたに大司教の位を授ける時に身分を忘れろ、と言ったのは私であったな」

 胸元まで届く白い髭を撫でながら、その老人は振り返った。引き摺るほどの長い法衣は白を基調として、肩には元老院の証である赤の肩掛けがかけられている。レヴァインも同様にかけているが、老人のようにきっちりと胸元で紐を結んでいるわけでもなく、少々着崩していた。それがだらしない姿だと老人の目には映ったのか少し気色ばむ。それには気付かない振りをしてレヴァインは口を開いた。


「ところで、アース卿。本当に彼女がそうなのですか? 信じられませんね。見たところ、至って普通の娘で、拍子抜けしたくらいですよ」


「……だからこそ、厄介なのだよ、レヴァイン。かの一族は我らと容姿は何ら変わらぬ。特筆すべき点がないのだ」

 肩を竦めたレヴァインに一瞥をくれてから、老人――アース卿はまた視線を彫像に戻した。

「あの真紅の瞳は? 珍しい色だとは思いましたが」

「いや、全員瞳が赤というわけではない。髪の色も瞳の色も肌の色も我々と同じく多種多様だ」

「擬態のようなものですかね。……確かに、相手の警戒心を無意識に解く雰囲気を感じはしたかな」

 言いながら、レヴァインは脳裏に少女の姿を描いた。記憶の中にある少女は本当に素朴なただの少女だ。真紅の瞳には少し興味が惹かれたが、それ以外でのあまりの平凡さに、肩をすかされた思いを味わったくらいで。


「……して、あ奴は?」

 僅かに強張った声色。横目でこちらの反応を窺いながら、尋ねてくる。おそらくこれが本題なのだろう。

「今のところ、後手にまわっていますね。しかしこれも信じられないな。たかがこのくらいで、わざわざあの男自ら動くだなんて。従順な軍の狗が」

「……少なくとも、狗の振りをした、鋭い牙を持つ獅子だということだ。従順に見えてあ奴はいつでも喉笛を噛み千切る機会を窺っておる。必ずや、こちらの誘いに応じてくるだろう」

 まだ半信半疑なレヴァインに向かって、アース卿は低く笑った。

「ああ見えて、なかなか激情家なのだよ」












「何故止めなかった、ツヴェルフ!」

 足早に歩を進める男の背中を見ながら、予想通りの機嫌の悪さにツヴェルフは首を竦ませた。

「仕方ないだろう、まさかフィリアが夜会に出るとは思いもしなかったし、強制的に参加解除をしようとしたんだが、先手を打たれて間に合わなかったんだよ。……まあ殿下がフィリアに手を出そうとしたのは寸前で止められたが」

 昨夜、ヒユウの名を使ってレヴァインをフィリアから引き離させたのはツヴェルフだった。テラスでフィリアと一緒にいるのを見つけた時は、おおいに焦ったものだ。

「肝心のお前は掴まらないわで……お前こそこんな大事な時にどこへ行ってたんだよ?」

 だから一方的に責められるのは理不尽だ、とツヴェルフは口を尖らせた。

 すると唐突にヒユウはその場で立ち止まる。ツヴェルフは逆鱗に触れてしまったのかと、どっと冷や汗を流して様子を窺ったが、主の声色から機嫌の悪さは消えており、代わりに悔いるような色が混じっていた。

「……司祭の行方を掴めたという情報が入ってな。それを追っていた」

「わかったのか?」

 途端にヒユウは渋面を作る。

「いや、デマだった。私を城から離れさせるための虚報だ。小癪な真似を……」

「どうする。今の緊迫状態だと、大きな動きは出来ないぞ」

 現在、帝国の上層部は大きく分けて二分されている。

 エルカイル教会と帝国軍。

 皇家はエルカイル教会側につき、貴族達もそれぞれどちらかの下についている。あるいは、どちら側についたら有利なのかを見極める為に情勢を見守っている。

 単純に武力で解決できる問題でもなく――下手をすれば五百年前の暗黒時代に逆戻りだからだ―― 、互いに牽制し合いながら勢力を集めているという状態だ。しかも、二分といっても、一枚岩の組織とは程遠い為、同じ組織内でも対立が激しい。迂闊に動けば、一気に周りに叩かれる危険がある為、水面下で奔走しなければならなかった。


「……薮蛇は御免だ。暫く城に留まって様子を見るしかあるまい」

 ツヴェルフはその忌々しげな呟きを聞いて、「こいつのこれほど感情の高ぶった声は久しぶりだなぁ」と密かに思っていた。こういった愚痴のような言葉を吐くのも珍しいことだった。それだけ非常事態ということなのだろう。そんなことを考えていると、ヒユウは瞬時に浮かんでいたその感情の色をさっと消した。そして、いつもの怜悧で無機質な雰囲気が、彼を纏う。いつものことながら、この変わり身の早さには感心せずにいられなかった。

(この猫かぶりの術を見習いたいもんだ……)

 視線の先を辿ると、その先には金髪の美貌の皇子がこちらに気付いて近付いてくるところだった。


「やあ、久しぶりだねぇ」

 胡散臭い笑顔だ、と無礼なことを心中で呟いて、ツヴェルフはその場で跪いて頭を垂れる。ヒユウも胸に手を当てて敬礼した。

「そんな堅苦しい挨拶はやめてって前も言ったのになぁ。私は、心にもない敬礼は嫌いなんだよ。わかるだろう?」

「そういうわけにも参りません、殿下。それぞれ、立場というものがあります故」

 当てこするような台詞をあっけらかんと言い放つレヴァインにもツヴェルフはぎょっとしたが、それ以上に否定もせずに淡々と、仕方なく頭を下げてやってるんだというようなヒユウの物言いに慄いた。

(仮にも、皇子殿下にその態度って……。……本当に慇懃無礼な奴……)

 自分の主は相当な怖いもの知らずと言えよう。いくら皇家の権威が落ちたとはいえ、皇族がそれを認めていない手前、この国は皇帝の統制下なのである。それに古くから続く尊い血筋であり、その存在感は容易く無視できるものではなく、表向き、皇帝は神格化された教皇と肩を並べるほどの敬意を表されていた。


「ふふ、相変わらずだねぇ。そういえば君はハデス司祭とは旧知の仲であったそうじゃないか。帰途の際に行方不明とは、この都も物騒になったものだよ」

 どこか挑発するような声色を隠しもせずに、レヴァインは口元を歪ませる。彼の愉悦の混じった笑顔を見て、毒花のような美貌だと感じた。感覚を麻痺させてそのまま腐敗へ引き摺りこむような、傾国の美。ある種の人間を強烈に惹き込むカリスマを持っている。それは自分の主であるヒユウにも通じるもので。

「いくら広大な帝都とはいえ、司祭の行方不明には不可解な点が多すぎるかと。意図的に隠されているといって良いでしょう」

「……おや、それはますます物騒なことだね。たかが一介の司祭を拉致して行方を隠して一体誰が、何の利点を得られるというのか。不思議でならないよ」

 レヴァインの妖艶さとは対照的な、冷たい美貌でヒユウは低く笑った。無慈悲で、酷烈な笑みを口元で象りながらも、青の瞳は笑っていない。

「それは、本人に訊かねばわからぬことでしょう。……それにしても、そのたかが一介の司祭の行方不明のことまでご存知とは、まるで“耳”が多数あるような聡さではないですか。さすがは、第二皇子にして皇族初の大司教という異例の抜擢を受けた御方だ」

「ふふ、君に褒めて貰える日がくるなんて驚きだねぇ……でも、帝国軍の要である君に比べたら全然だと思うよ?」

「恐縮の至りです」


(……うげぇ。頼むから、それ以上不機嫌を煽ってくれるなよ、皇子さんよぉ……)

 刺々しい応酬に囲まれながら、ツヴェルフは片膝をついたまま地面を見詰めた。じっと身を潜めるようにしても、背筋に冷や汗が伝る。寿命がどんどん吸い取られていくような気がして、ここから逃げ出す方法、そればかりを必死に考えていた。こんな肌を突き刺すような凍りついた空気を心底楽しんでいるレヴァインの気がしれない。頼むから、早く終わって欲しい。しかしそんな切実な願いも虚しく、レヴァインは話を続けた。



「ああ、そういえば、昨夜にね。ようやっと……花の香りを知ることが出来たのだよ」


 その言葉にヒユウがぴくりと反応するのがツヴェルフにも感じ取れた。当然、レヴァインにも伝わってしまっただろう。くすりとした愉悦を唇にのせた。

「まだ花開く前の蕾なんだけれどね。これがとても良い芳香をもっているんだ。甘い、極上の蜜を持っていることも知っている。多くの人間がこぞってこれを奪おうとするだろうね。私は誰にもとられたくないんだ。出来れば、花開くまで待ってあげたいんだけどね」

 肘を曲げて軽く片手を上げる。人差し指と親指で何かをつまむようにして、そのままそれをねじるような仕草をした。何かを追うように、視線は地面に落ちて。それが、花を手折った仕草だとはすぐに気が付いた。


「どうやら、その時間もないようなんだ」

 押し黙るヒユウに視線を戻して、「それにね」と付け加える。

「固く閉じられた蕾を無理やり開かせてみるというのも、また嗜好の一つだとは思わないかい?」


「……生憎、武骨な軍人である私に花を愛でる趣味などありませぬ」


 ヒユウは微かに目を伏せただけで、終始慇懃な態度を崩すことはなかった。あくまで淡々としたその様子にレヴァインは一瞬、双眸に暗い炎を宿らせたが、二人ともそれに気付くことはなく。


「ふ……、今まで多くの花々に囲まれていた君になら、何か良い意見を聞けると思ったんだけれどね、残念だ。では、そろそろ失礼するよ」



 踵を返したレヴァインの姿が見えなくなるのを待って、漸くツヴェルフは息を大きく吐き出した。無意識に肩に力を入れていたらしく――肩だけでなく全身緊張していたが、揉んで解きほぐす。そんなツヴェルフを見て、ヒユウは呆れたような顔をした。

「緊張しすぎだ、ツヴェルフ」

「あの場で緊張するなっつー方が無理だっつの!」

 そもそも元凶の半分はお前だろうが。

 そう胸中で毒づきながら、至って平然としている主を睨んだ。


「……それにしても、殿下に何か恨まれるようなことをしたのかと疑いたくなったぞ。なんだ、あの応酬は」

 レヴァインのヒユウに対する執着は高い。それはなんとなく知っていたが、まさかあんな恐ろしいやりとりを交わすとは思わず、知っていたら即座に姿を消したのに……とヒユウに対する愚痴で一杯だった。


「……私が存在するというだけで恨む理由は充分にある人間は多いさ。特にエルカイル教会はな」

「まあ、な。……お前は『龍』を召喚できる唯一の人間だからな」

 史上初の『龍』の召喚に成功したヒユウは、それ故に異例の早さで帝国軍の最高幹部入りを果たした。それまでは『龍』という存在はエルカイル教会の特権のようなものだったのだ。幻の種族『龍』と交信できるのは教皇だけ。『龍』の託宣を受ける教皇――神格化され、民の崇拝を一身に受けて、エルカイル教会は突出した権力を維持できているのである。

 しかしヒユウによる『龍』の召喚は大陸を揺るがした。帝国軍の権威はまさに昇龍のごとく。今日ではとうとうエルカイル教会と同等に民の支持を受けている。それ故にエルカイル教会の彼を危険視する声は大きい。

 けれど。そのことを考慮しても、レヴァインの態度は腑に落ちなかった。そもそも、あちこちで浮名を流す彼はこういった帝国の覇権争いにはあまり興を抱かないように思えたのに。大司教の座を受け賜ったということは、やはり彼も皇家の権威の失墜に不満を抱いていたということを指しているのだろうか。


「……そういやお前ってどうして殿下の前だと、あんななんだ? ゼノンの前だと割と本性丸出しなのに。いや、あれも本性といやそうだし、それ以前に殿下の方もやたらと素っぽいが……」

 指示代名詞ばかりでまともな文章になってなかったが、意味は通じたようでヒユウは僅かに柳眉を吊り上げたあと、ああと相槌を打つ。

「殿下はどうやら私を煽って激昂させたくて仕方ないらしいからな」

「……あ~、だから意地でも素知らぬ振りでかわしてるってわけか。お前もいい性格してるよ、ほんと」

 嘲笑を浮かべる主を見て、合点がいった。相手を煽って激昂させたいのは、どうやらヒユウも同じのようで。しかも彼の口振りからすると、会う度にあのようなやりとりをお互い交わしているということだ。考えただけでも恐ろしい。近寄りたくない。思わず渇いた笑いを漏らしたのだが。


「ツヴェルフ。お前そんなに前線へ送って欲しいのか?」

 にっこりと笑顔で怖い台詞を吐く主に頬を引き攣らせながら、「あ、俺まだ任務残ってたな~、じゃこの辺で!」と慌ててその場から姿を消した。



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