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黄昏人  作者: はるハル
Lost Sheep
6/93

5



 帝都に入ってからというもの、フィリアの周りの環境は目まぐるしく変わってしまった。色んなことが次から次へと起こって、何が何だかわからないまま流されている自分がいる。流されているというか、どう反応すればいいのかわからなくて、迷っているうちに周りが目まぐるしく変化している、といった方が良さそうだ。

 己の順応の遅さに、長い溜息を吐いた。

 ハデス司祭は行方不明となってしまうし、城のパーティーにドレスを着て参加することになるし、その上皇族や貴族の前で歌を披露するしで、今までの穏かな生活が信じられないくらいの出来事ばかりが襲ってくる。そしてあげくの果てには ―-―



 再び、この白亜の城に足を踏み入れることになるとは思いもしなかった。しかも昨夜と違って、フィリアが向かう先は謁見の間、皇帝陛下の元である。

 うう、ど、どうしてこんなことに……。

 数人の近衛騎士に囲まれ、半ば連行されているような心地で足取りは重かった。


「……大丈夫? 顔色が悪いわ」

 隣を歩いていたメイリンが済まなそうに顔を覗き込んできた。フィリアは慌てて首を横に振る。

「大丈夫です。あの、……どうして私まで連れて来られたのかな、と」

 昨夜、宿に戻ると疲労のためかぐっすりと眠ってしまった。今日は起きたらすぐにハデス司祭を探そうと軍部の方へ行こうと外に出たのだが、なんと宿の前には皇家直属の騎士団が馬車を率いて自分を待ち構えていたのだ。「皇帝陛下がお待ちです」と言われた時は一気に血の気が引いた。拒否することなど考えられない雰囲気で、硬直したまま馬車に乗って城まで来てしまった。

 謁見の間へと続くこの廊下は、処刑場へと向かう罪人の気分を味あわせる。それほど冷たく、事事しい。周りの騎士達も感情が読めない無表情なので、余計そう思った。正反対に、メイリンは明るい表情をしていたが。

「私にもわからないわ。でも、良い知らせだと思うわよ」

 心なしか彼女は浮き足立っていた。それはそうだろう。彼女はなんと昨夜に皇族の側室になることが決定したからだ。しかも、相手は第二皇子である。その報せを聞いたときは本当にびっくりしたのだが、同時に納得もした。昨夜、皇帝から直々に声をかけられたのは彼女一人だけだそうだ。やはり彼女は誰が見ても魅力的なのだろう。まるで自分の見る目が評価されたような気がしてフィリアは嬉しかった。何より、彼女の願いが叶って嬉しい。

 きっと今日彼女が呼び出された理由はそのことについて改めて皇帝陛下からお言葉が贈られるからだろう。それは容易に想像できる。けれど。


 ――― どうして、私が?


 何も悪いことをした覚えは無い。といっても三年前からしか記憶はないのだが。もしかして昨夜知らないうちに誰かに無礼を働いてしまったのかもしれない。段々と悪い思考に陥ってきて、フィリアは泣きたくなった。







「面を上げよ」


 低くしわがれた声が謁見の間に響いた。玉座下には少なくない重鎮が並び立ち、こちらを注視している。多くの視線に気圧されながら顔を上げると、フィリアはぎょっと目を見開いた。

 皇帝の坐す玉座の横には昨夜テラスで話した金髪の男性が立っていたのだ。目が合うとにっこりと微笑まれた。

「……建国五百年たった今でも帝国内での階級差は歴然たるもの。他国からの侵略に備える為にも帝国は今一つに纏まらねばならぬ。メイリン・アクアよ。そなたが皇族と平民の架け橋となれるよう尽力せよ」

「はい。このような大任を受け賜わり、身に余る光栄で御座います。全ては陛下の御心のままに」

「うむ。―― して」

 皇帝の視線がメイリンの後ろに跪いていたフィリアへと移る。



「歌姫よ、そなたには女官としてメイリンに仕えて貰いたい」



「!」


―― 女官。

 予期せぬ言葉に、フィリアは声も出なかった。ただ玉座の上を呆然と見詰めることしか出来ず、それを肯定と取ったのか年老いた皇帝は話を続ける。

「メイリン一人では何かと宮廷内で窮屈に感じるかもしれぬ。友人たるそなたが傍で支えてやるが良い」

「へ、陛下。私なら心配には及びません。彼女はエルカイル教会のシスターで御座います。神に仕えるシスターには他にすべき仕事があります」

 このような事態になるとはメイリンも思ってなかったのだろう。無礼を承知で、躊躇いがちに進言した。

 その言動に気分を害したのは皇帝ではなく、それまでフィリア達を値踏みするように注視していた重臣の一人だった。「無礼であるぞ」と声を上げて、睥睨の視線を投げつける。明らかな敵意の眼差しに、少女は昨夜のことを思い出した。平民を蔑んだ視線を隠しもせず、投げかけてくる。おめでたい宴の席だったので表立って罵倒されることはなかったが、扇子で口を隠しながらひそひそと陰口を囁く姿なんて少なくなかった。彼もそんな階級意識の高い多くの貴族の一人なのだろう。


「そういえば、彼女の保護者であるハデス司祭は行方不明だそうだね? ……しかもこの帝都で、だそうじゃないか」


 優美な声で遮ったのは、今まで黙って皇帝の隣に立っていた金髪の男だった。彼は片手を上げてそれ以上の重臣の苦言を制する。重臣はまだ何か言いたげな様子ではあったが、それっきり素直に口を閉ざしてしまった。立ち位置からも、彼が皇帝に準ずる権力を持つことは明らかであった。

 何者だろう、どうしてハデス司祭のことまで知っているのだろうか、とフィリアは不思議そうに玉座を見上げる。

「レヴァイン殿下……」

 前にいるメイリンが微かに当惑して、身じろぎした。金髪の男はメイリンの方に視線をやって、心配はいらないよ、とでも言うようににっこりと穏かな笑顔を浮かべる。それにメイリンが微かに顔を赤らめた。


「寄る辺の無い彼女をこのまま放って置くのも忍びないと思ってね。どうだい、フィリア。我々はハデス司祭の捜索に力を尽くそう。君とてこのまま彼を放って帰るのは嫌だろう。暫くはこの城で身を置いてみないかい?」


「……で、殿下……?」


 メイリンの呟きをフィリアは聞き逃さなかった。もしかして、とは思っていたが、やはりこの人がこの帝国の第二皇子、すなわちメイリンを側室にした人物なのか。信じられないというような少女の視線にくすり、と笑って。


「そういえば自己紹介がまだだったね。私の名はレヴァイン ・ メイリー ・ ロウティエ。この帝国の第二皇子だ」


 皇帝陛下と第二皇子にまでそう言われては、一介のシスター如きが断れるわけもなく、フィリアはその提案を受け入れるしかなかった。


「ごめんね、フィリア。こんなことになるだなんて……」

 謁見の間から出て城内の一室に促され、二人っきりになった途端にメイリンは俯いて、口篭もった。いつもはきはきと喋る彼女からは想像つかない意気消沈ぶりだ。

「いいえ、びっくりしましたけれど、よかったとも思っています」

 「え?」と顔を上げて驚きの表情を浮かべるメイリンにフィリアは苦笑する。

「ハデス様の行方がわかるまでは帝都を離れたくはありませんでしたから。あのままでは街に戻るはめになっていたでしょうし、それに城の中だと情報も早く入ってくるでしょうし……それより」

 そこで言葉を切って、フィリアは躊躇う。今更訊いていいものかどうか判断がつかず。だがメイリンは「それより? 何?」と小首を傾げて先を促してきた。


「メイリンさんは、その……側室で本当にいいのですか?」


 皇族ともなれば、何十人も側室がいたりする。それは血脈を守る為に必要なことであって、貴族世界では常識だ。でも、理屈と感情は別の生き物だ。自分の好きな人が他の女のところへ通うのに耐えられるのだろうか。メイリンの場合は、恋愛しているわけではないから、また違うかもしれないけれど。

 メイリンは僅かに目を伏せた。

「……うん、最初はね。昔から成り上がってやろうっていう気持ちが強かったの。こういう世界に憧れてたのもあるけど。なんていうか、どこまで自分の力が通用するかなってそういう気持ちが強かったの。自分の踊りをさ、お偉方に見せつけて惹き付けてやりたかったの。側室っていうのも、別に恋愛するわけじゃないから、構わないと思ってたの。……というか、正直言っちゃうと、あんまりこの先のことを考えてなかったんだわ」

「え」

 楽観的な少女の言葉に、ぽかんとした声が出てしまう。顔を上げたメイリンが、「だって、正直こんなに上手くいくとは思ってなかったんだもの」と照れたように舌を出した。その仕草はとても可愛かったが、そんな可愛く振舞ってる場合ではなかろう、とも思った。

「でも、そうね……う~ん。今のところはわからないけれど。でも、まだ正室になれない、と決まったわけじゃないのよ」

「そうなんですか?」

「レヴァイン殿下にはまだ正室はいらっしゃらないの。側室はいっぱいいるんだけどね」

 それは初耳だった。側室がいっぱいいるというのに釈然としない思いがあったが、いくら第一位の皇位継承権を持たぬとはいえ、大国の皇子、しかも二十四という年齢でいまだ決まった相手がいないというのはとても珍しいことなのだ。正室がいない、ということは少しは希望になるのかもしれない、少なくとも彼女にとっては。メイリンの表情を見ながら、そう納得させることにした。

「花々の間を舞う蝶のようなお方だけれど、頑張れば正室になれるかもしれないし」

 うん、と一人頷くメイリン。まるで自分に言い聞かせているような呟きに、フィリアはぴんときてしまった。

「メイリンさん、ひょっとしてレヴァイン殿下のことを……」

「えっ」

 瞬時にぽっとメイリンの頬が赤く染まった。慌てて頬に両手をあてて、言い繕う。

「え……っとね、あの晩にね、目の前で跪かれて手の甲のキスをされながらね、『これからはその舞を私に一人占めさせて欲しい』って耳元で囁かれちゃって……不覚だったわ。まさかあんなに綺麗な人がいるなんて」

 確かに、レヴァイン皇子殿下は飛び抜けた美貌の持ち主だった。フィリアも初めて目にしたときは、なんて綺麗な女性なんだろうと思ってしまったし、至近距離で見詰められると圧倒されて上手く喋れなくなる。

 しかし、そんなことよりも目の前のメイリンの表情が信じられなかった。いつもの余裕の感じられる笑顔とは程遠い。上気した頬、うっとりと潤んだ瞳、落ち着きのない視線。頬を両手で包んで照れたように話す少女は、歳相応で、限りなく――

 可愛い……。

 恋する乙女、そのままである。常に人の上手を行く彼女の様子からは想像つかないあどけなさを感じて、フィリアは頬が緩まるのを止められなかった。


「よかった……メイリンさんが嬉しいなら、いいんです。頑張って下さいね、応援してますから」

 そう言うと、花が綻んだような笑顔を浮かべたメイリンが「ありがとう!」と飛びついてきた。あまりに勢い良く抱きしめられたので、ぐえと蛙の潰れたような声が漏れてしまった。

「よおし、こうなったからには私が城の中でいい男を見繕ってあげるから安心してね! うん、そうよ、城の中にも騎士様や貴族はいっぱいいるもの! 任せといて!」

「え、あ、あのメイリンさん、見繕うって……、それは結構ですから!」

「安心なさいな、フィリア! 私男を見る目だけはあるんだから!」

 興奮気味のまま握り拳を作って叫ぶメイリンに、残念ながらフィリアの言葉が届くことはなかった。


「……メイリン様、少しよろしいでしょうか」

「っ!?」


 ソファに座って騒いでいて、人が部屋に入ってきたことに気づかなかった二人は、びくりと肩を大きく震わした。扉の傍で中年の女の人が立ってこちらを見ている。見ているというか、少し睨んでいるといっても過言ではない。

「な、何かしら?」

 慌てて取り繕ったおかげで、いつもの妖艶な笑顔からほど遠く、頬を引き攣らせたままメイリンはそう返した。後ろで一つに髪を纏めたその女性は無表情のまま、頭を下げて、

「この度、フィリアの指導に当たらせて頂くことになりました女官長のマライアと申します。以後、お見知りおきを。着いて早々ではありますが、メイリン様。フィリアをお借りしても宜しいでしょうか。女官として覚えるべきことは山ほどにありますから」

 慇懃無礼、といったかんじで話を続ける。こちらの返答はどうでもいいかのような態度で、二人とも面食らってしまった。

「メイリン様、あなた様にも殿下のご側室として覚えるべきことはたくさんあります。ご精進なされませ。まずは、あなた様のお部屋にご案内させましょう」

 後ろから女官が数人入ってきて、畏まった礼をする。

「わかったわ。……フィリア、ごめんね、頑張って」

 メイリンは女官達に促されるままに部屋を出て行ってしまった。

 残されたのはフィリアとマライアのみ。

 微妙な空気の中での沈黙にたじろいだが、フィリアは自分の挨拶がまだだったと気付き、頭を下げる。

「は、初めまして、マライア様。フィリアと申します。よろしくお願いします。……って、あっ」

 挨拶を待たず、すたすたと部屋から出ていってしまったマライアの後を追いかけながら、フィリアは前途多難であろうこれからの生活に思いを巡らした。

 


 

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