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黄昏人  作者: はるハル
最後の歌
41/93

3


 顔面から水面へと落ちたからだろう。冷たさを感じるより先に頬やら額やらに平手打ちを食らったような痛みが襲ってきた。次にやってきたのは急激に水分を含んだ衣服の重さで、それがますます、フィリアを混乱の極みまで押し沈めた。

 そういえば、自分は泳いだことがない。

 せいぜい、小さな川辺で足先をぱしゃぱしゃとさせる程度の水遊びしかしたことが無かった。水中など未知の世界だ。それでも、どんどん沈んでいく身体をどうにか水面にまで押し上げようとがむしゃらに手足を動かすが、なかなかうまくいかず、下降の速さを緩めるのが精一杯だった。しかも、水面に打ち付けたときに肺の中の酸素を外へと出してしまったのだろう。既に息苦しく、すぐにフィリアの意識は朦朧となってきた。やばい、と思った瞬間、ぐん、と首根っこを掴まれて引っ張られる。

「げほ……っ! はっ、あ……っ、……はぁっ!」

 水面に顔を出してすぐ目の前にあった岸に続く岩肌にしがみついた。そして、肺の中に酸素を送り込む。暫し呼吸を整えるのに必死になっていたフィリアのすぐ隣から、怒声が降り注いだ。

「オオ、おイ、お前! ナンで、オレ突き落とす! もう少しでオレ死ぬ、とこ!! 謝れ!! すぐお前、謝ル! オレに!」

「ぁっ、あの、ごめ、ごめんなさい……でも、あの」

 呼吸が定まらなくて上手く言葉を紡げない、というのもあったが、フィリアは隣で同じく息を乱している男の勢いに気圧されて、条件反射的に謝罪を口にしていた。が、すぐに、自分はこの男の自殺を止めようとしていたことを思い出す。誤解を解こうと口を開きかけたが、必死な形相で捲し立てる男に、フィリアは再度口を閉じるしかなかった。

「お前、オレ殺す! オレ、お前助けタ! オレいいヤツ! お前、ひどいヤツ!! オレ、怒ル、よー、悪く無イ。お前ガいっぱい悪イ!!」

「わ、私、あなたが、自殺……するかと思って。急ぎすぎて、助けるつもりが……ごめんなさい……」

 自分で理由を話しながら、だんだんと情けなくなってきて自然と尻つぼみな口調となってしまった。

 そうだ。男が怒るのも無理はない。いくら本気で自殺しようとしたとしても、その覚悟を横から見ず知らずの他人の突撃によって滅茶苦茶にされるのは腹が立つだろう。それ以前に、助けようとしたのに逆に危ない目に遭わせて、そのあげくに助けてもらうとは……目も当てられない、とはまさにこのことだ。

「自殺……? オレ? オレ、自殺……、……ァあー……そウだっター」

 首を傾げた男は項垂れているフィリアから視線を外し、正面を向きながらぶつぶつと呟き続けている。突然のこの出来事で、先程まで自分が自殺しようとしていたことをすっかり忘れていたようだった。そのことにも驚いたが、それよりもフィリアは、目の前の男の様子があっけらかんとしたものだということに驚いていた。

 とても、今さっき自殺をするような切羽詰った人には見えない。

 ぽかんと見詰めているフィリアをよそに、男はぶつぶつと呟きを漏らしながら、水面から地面へと上がった。今まで、二人とも肩まで水に浸からせながら、話していたのである。このままでは風邪を引いてしまう、とフィリアも慌てて岸へと上がった。

 魔物の死骸の中から、このような地下水脈が続いているらしい。

 衣服に含んだ水分を苔の上に搾り出しながらフィリアは隣の男を盗み見た。

 ぶるぶると、犬のように全身を震わせて全身の水分を外へと放出している男の外見は、ひょろっと細長い。顔も同じように細長く、顔立ちは、なんというか、薄い印象だった。帝都で見た人々が皆、彫りが深く繊細で精巧な貌だったからだろうか。そういった顔立ちに慣れていた為に、フィリアはそんな第一印象を持ってしまった。彫りが浅く、一重で眉毛も薄く、全体的にすっきりとした顔立ちだった。しかし黒目は小さな真ん丸い形で、怒っていてもどこか愛嬌のある幼い表情になる。それでも、フィリアより年齢は上だろうが。水分を含み額に張り付いた髪は青みの含んだ黒髪で、襟足が肩よりも少し長い、という程度。声色も通常の成人男性のそれより高く、片言のような独特な喋り方も相俟って、ひどく耳に残った。

 男がちょこんと岸辺に腰を下ろしたので、フィリアもそれに習う。

「……お前、もしかしテ、オレ、助けようとシタ?」

 男が、真ん丸い小さな目をますます真ん丸くさせながら片言で問う姿は、何故だか子犬を連想させる。フィリアは戸惑いながらも、頷いた。

「そうカ、お前、いいヤツだったんだナー!」

「……」

 あっさりと納得してしまった男に、フィリアは喉まで出かけた言葉を飲み込んだ。代わりに胸に抱いていた疑問を口にする。

「ところで、どうしてあんなところで自殺しようとしていたのですか……?」

「あッ! そうだっタ! オレ、早く逃げなキャ!!」

「えっ! ど、どこへ?」

 岸辺で並んで座って話していたが、男が突然立ち上がって叫びだし、吃驚したフィリアも同じように声を上げた。男は両手を宙にぶんぶんと振り回しながら、騒ぎ出す。その大仰な挙動で、彼は精一杯己の感情を伝えようとしているのだろう。

「ここ以外ナラ、どこへモ! ここにいたら、オレ、コワイ!! 自殺、よりもっとコワイことがある、ヨー!」

「自殺より、もっと怖い……? ここで?」

 ここは、帝国に虐げられた人にとっては最も安全で、楽園までいかないとしても、居心地の良い場所ではないのだろうか?

 けれど、目の前の男は本気で怯えているらしい。今にも、再び水面に飛び込んで自殺を図りそうな様子に思わず彼の腕を掴んだ。すると、誤魔化しようのないほどの強い震えが伝わってくる。さきほど水中に飛び込んだせいかとも一瞬思ったが、それは違う。この地下は温かく、同じように全身濡れているフィリアは冷たさなど微塵も感じなかったからである。むしろ、このままここにいれば自然に乾燥できそうなほどの温度、湿度に保たれていた。

 しかし、彼の震えは一向に止まらない。

「だ、大丈夫ですか? 何が、怖いのですか?」

「俺は、臆病者なん、ダー……でも、やっぱり、コワいのはヤダよー。だから、逃げるしかナイ、のだ。よし、逃げる。俺、逃げル?」

「ど、どこへ?」

 逃げる、と言っても、この魔物の亡骸から外へ出る方法もわからないフィリアは尋ね返した。しかし、男はこちらの話など聞いていなくて、逃げる、の言葉を繰り返し、ふらふらと頼りない足取りでどこかへ歩きだした。どこへ行くのかと男の後姿を目で追いかけたフィリアは、慌てて立ち上がって彼に背中に抱きついた。

「だ、駄目っ、そっちへ行ったら、また水の中へ沈んじゃいますよ!」

 またもや崖へと向かった男の後ろから羽交い絞めにして叫ぶ。フィリアより年上だろう男は、年甲斐もなく、駄々をこねるようにわめいた。

「このままじゃ、アイつらー、きちゃウう。俺、また逆戻り? 俺じゃなくなる? いやだ、怖いィー、はなセー!」

「落ち着いてください、と、とりあえず、こっちへ……!」

 このまま放っておけば、また男が飛び降りてしまいそうなので、とりあえず、フィリアは自分の部屋にでも連れて、そこで落ち着いて話を聞こうと思った。男の口から発せられた内容はどれも不穏で、現在この場にいるフィリアの不安も煽るような要素も幾分含まれていたが、それを問い質すには男の平静さが足りなさ過ぎる。

 本当にまったく、会話にならないのだ。

 男の腕を掴んで、フィリアは来た道を戻ろうとした。しかし、男は「コワいー」を繰り返して、歩みはちっともはかどらない。

「そっち、行くとー、オレ、コワいー、死ヌ!!」

「え? 死ぬって、で……でも」

「行きたくナイ! いやダー!」

 にっちもさっちもいかない現状にほとほと困ってしまったフィリアは男を仰ぎ見た。やはり、男の双眸から怯えの色は消えない。それどころか、先程よりも強くなっている。

「……ここから出る方法、知っていますか?」

 ここまで怯えられては、ゆっくりとフィリアの部屋へ連れて行ってる場合ではないような気がした。とすれば、彼の希望を叶えるしかなく、だがしかし、彼の希望である「逃げる」という選択肢をとったとて、次の瞬間からどうすれば良いのかフィリアにはさっぱりわからないのだ。彼の反応を待つが、男はぶつぶつ呟いて、視線すら合わないままだった。


「僕、知ってるよ」


「!? テイルさん……!」

 フィリアが男を捕まえたまま、振り返ると背後には七分丈の簡素な上着とズボンをはいたテイルが立っていた。目をぱちくりさせているフィリアににっこりと笑いかけてから、白髪の少年は男の正面までまわりこんで、彼の顔を覗き込んだ。

「ここから、逃げたいの? レムングスさん」

「……逃げたイ……」

 ぽつり、と男の口から零れ落ちた一言に、テイルは笑顔を止めて、頷いて言った。

「……仕方ないね、じゃあ僕が連れて行ってあげる」

「え、一体、どこへ……?」

「外だよ。おねーちゃんも、一緒に来てみる? 出口までの秘密の抜け穴。僕知ってるんだ」

 至って無邪気にのたまう少年。フィリアはふらふらと落ち着きのない男の手首を掴み、半ば引っ張るようにして、テイルのあとをついていった。



 秘密の抜け穴とやらは、地下水脈の流れているすぐ横にあった。狭いずいどうのような道だ。頭上の苔から生えた蔓草がフィリアの頬や額にかかる度に、少女はそれを虫の類と勘違いして小さな悲鳴を上げながら手で振り払っていた。それをおかしそうに笑うテイル。男も、時折、フィリアをからかうような言葉を呟きにのせた。

「外へ出て……どこへ行くのですか?」

 このケルジャナの地下から出て、砂漠に出ても、普通の人が過ごせるようなところではない。たとえ強大な力を持つと云われ恐れられている黄昏人だとて、それは魔法に関してのみで、他の身体機能や体力が人間と比べて秀でているわけではないのだ。照りつける太陽の下では、人間と同じように干からびてしまう。

 かといって、砂漠の外は今や帝国軍がこちらを警戒しているだろう。迂闊に出れば、余計危ないのではないか。やはり、ここに留まるべきなのでは。とフィリアは道すがら暗に訴えてみた。横では相変わらず、ひょろりと細長い男 ―― テイルによると、レムングスという名らしい ―― が「こわイー、コワいイー」と呟いている。しかし、それも途中から軽快な鼻歌混じりになってきて、思わずフィリアは掴んだ腕を放そうかと思った。

「大丈夫だよ、ケルジャナはね、この地下だけじゃなくてね、普通の街もあるから」

「え?」

「砂漠にね、オアシスの街があるの。ここからちょっと行ったとこにね」

「そうなんですか……!」

 てっきり、砂漠には魔物の巣しかなく、帝国に虐げられた人や黄昏人たちも全て、この地下に埋まった魔物の亡骸の中で暮らしていると思い込んでいたフィリアは素直に驚きを顕にした。

「……レムングスさん、そこに行けば……安心ですか?」

「うん、そだねー、だってそれはね。そこにはね、ここの人達とはあんまり意見の合わない人達がね、住んでるからだよー。アレシアいわく、“おんけんは”っていうやつだって。僕達が戦うの、嫌がってるみたい」

「安心ー、オレ、アンシンー」

 フィリアに手をひかれるがまま歩いているレムングスが歌うように言う。

「おんけんは……」

 穏健派、のことだろう。やはり、一枚岩の組織というものはないのだろう。人が増えれば、その分、価値観も考え方も多種多様になる。だから、同じ境遇にいても、意見はまっぷたつに分かたれてしまうのだ。

「そこのね、イエジ様は優しいからね、きっと、レムングスさんを助けてくれるよ。レムングスさんみたいに戦うの嫌な人、イエジ様のとこに行くんだ」

「そう、なんですか……。レムングスさん、戦うのが嫌だからだったんですね。でも、だからといって自殺まですることはないのでは……」

 言いつつもフィリアは少し安堵した。

 やはり、戦いを嫌う人がいるということ。そして、それを受け入れてくれる人がいるということに。戦う決意をした人と戦わない決意をした人の優劣を決める気はない。どちらも、きっと大変な覚悟がいることだと思う。けれど、戦いたくない人まで、無理やり戦わせるのは、違うと思うのだ。これは、戦争を体験したことのないフィリアだから、簡単に思えることかもしれないけれど。

 それにしても解せない。自殺するほど、追い詰められるなんて……やはり、戦わないという決断は、まるで自分が嫌なことから逃げるという選択をしたという罪悪感が残るのだろうか。だから、彼はあんなにも怯えていたのだろうか。でも、それだけでは、彼の怯えは説明できないようにも思えた。彼の怯えは、まるで用意された処刑台の目の前から逃げ出し、罪を背負いながら追われている咎人のようだったからだ。

「どうして、彼はこんなにも怯えているのですか? まるで、今にも囚われて殺されてしまいそうに切羽詰っていて……」

 まるで、帝国と戦うことに怯えるというわけではなく、ここにいる誰かをひどく恐れているようだ。

 そう思いながら隣を歩く彼を見ると、宙に視線を彷徨わせているレムングスの横顔が見える。猫背なので、首から頭が身体よりも前に突き出ている。細長い鼻は横から見ると思ったよりも高かった。薄い唇がもごもごと動いているが、何を呟いているのかまでフィリアの耳には届いてこない。額にはりついた黒髪から水滴が顎先まで滴り、雫となって衣服に染みを作っていく。青白い表情からは冷たさしか感じないが、掴んだ手首からは確かな温もりが伝わってきた。

 なかなかテイルからの返答がなく、訝しんだフィリアは斜め前方を歩く少年を見詰めた。彼にしては珍しく、言い淀んでいた。

「……それは」

 ちょうどそのとき、テイルいわく秘密の抜け穴の出口が見え、その先へ一歩踏み出すとそこは黄金の砂漠地帯が広がっていた。思わずフィリアの五感も意識もそちらに奪われてしまう。

「うわぁ……やっぱり、綺麗ですね。きらきら、まるで宝石みたい……暑いですけれど」

 久しぶりの直射日光に目を細めて笑う少女を見上げ、テイルも彼女の視線を追った。目の前には永遠に続くかと思われるほどの黄金の平原が、視界一面を支配している。少年にとっては見慣れた、最早当たり前の風景。だが、この少女のように満面の笑顔で語られると、やはり嬉しくなる。

「うん、昼はね、太陽の光を反射してきらきら金色に輝いて綺麗だけど、夜もね、月の光に青白く光るんだ。昼よりきらきら度は少ないけどね。綺麗だよ」

「そうなんですか、見てみたいですね」

「うん、今度一緒に見ようよ」

「はい」

 そんな和やかな会話を交わしたあと、テイルはグルンレスタを脱出したときに乗った飛獣を懐から取り出した。飛獣は今まで眠っていたようで、緩慢に動作で瞬きを繰り返してから、のびをし始めた。

「懐から……」

「こいつら、すみっことか服の中とか、隠れられる場所大好きなんだ。一緒に寝てるといつのまにか、ズボンの中に入ってることあるんだよ」

 フィリアが思わず噴出すと、テイルも嬉しそうに笑う。そして、変化を終えた飛獣に乗り、穏健派の住む街へと砂漠の上を走らせた。まだ飛獣の傷は完全に癒えてはいないらしく、充分に飛ぶことが出来ないらしい。

 



 半刻もたたない内に辿り着いたオアシスの街 ―― そこは、ジェーンストーンというらしい。

 反帝国組織に属する者がほとんどで、その多くが、“穏健派”だ。だとすると、地下にいる人達は“強硬派”というところだろうか。とにかく、戦いを進めようとする彼らに、ここの街の人間は、賛同していないらしい。あくまで、賛同していない、というレベルであって、表立って反対している、というわけでもない。今はまだそのとき(戦うべきとき)ではない、という慎重論を唱える者もここには少なくないという。意見の違いは多少あるものの、やはり彼らは共通して帝国を敵とみなしているのは確かだ。

 見かけは普通の街だった。さすがに帝都のような荘厳で緻密な造りの建築物は一切見当たらず、茶色い煉瓦を長方形に積み上げただけの簡素な建物が目立つ。細かいレリーフや壁画などあっても、すぐに砂嵐に襲われて意味をなくすからだろう。ただ、思っていた以上に街は活気に満ちていた。道行く人の恰好は、砂の含んだ風、そして直射日光から身を守る為に外套で身を包み、頭も額が隠れる長さまで布で何重にも巻かれていた。砂漠のど真ん中とは思えないほどの緑に溢れ、傍にあるオアシスは、地下水脈と繋がっているらしい。

「ここにはね、黄昏人の混血も結構いるんだって。イエジ様もそうらしいよ。イエジ様はね、施設で、親のいない子供たちを養ってるんだ」

「混血……」

 黄昏人と人間の混血児。純血はもはや、自分しかいないのだと、フィリアはダフネより聞いた。純血はとうの昔の戦いで、滅びてしまったのだという。だから、自分は、立ち上がらねばならぬ、旗印にならねばならぬ存在なのだと。

――でも、そんなの私は望んでいない。

 戦争など、誰が起こしたいものか。

「……おねーちゃん?」

「……ぁ、……え?」

「大丈夫? 久しぶりの直射日光で立眩みでもしちゃった? そっちの木陰で休もっか?」

「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」

 ぼうっとしていたフィリアを、太陽の熱のせいだと思ったのだろう。気遣うテイルに慌ててフィリアは首を横に振り、レムングスをイエジ様と呼ばれる人のところまで連れていこうと先を急いだ。

「とにかく、早くイエジ様のところに、レムングスさんを……」


「それはなぁ、困るんだわ」


「――っ、シェルンさん!」

「お嬢ちゃん、余計なことはしないでくれよ? テイルもな。お前も悪戯が過ぎるぞ。ダフネ様に尻でも引っ叩いてもらわなきゃなぁ」

「うわっ、なんでお前がここにいるんだよっ!」

 前方には先回りしたシェルンがいつものように軽薄そうな笑みを象ったまま、佇んでいた。乾いた風が彼の一つに括られた長い青髪を揺らす。

 フィリアは思わずレムングスを背に庇い、テイルは少女の前に立って、負けじと抗議の声を上げた。するとシェルンが、まるで退屈な舞台を目の前に、囃したてるかのように口笛を鳴らす。

「へーぇ……、お嬢ちゃんさぁ、誰をどうしようとしてるか、ちゃんとわかってるのか?」

「……え?」

「シェルン!」

「ガキは黙ってな」

 フィリアの前にいたテイルがシェルンの言葉を遮るように名を呼ぶが、それはシェルンの鋭い一瞥によってあっさりと封じられる。そして、すぐにこちらに向かって愉悦を含んだ視線を投げてくるシェルンを、フィリアは不愉快に感じた。


「……その男はな、親も兄も弟も帝国の奴らにぶっ殺されたくせに、自分はまだ戦うのが怖い怖いと逃げ出そうとしてる、最低の臆病者なんだよ」


「……!」


「しかも黄昏人と、人間の混血だ。純血には敵わないまでも、普通の召喚士よりも強い潜在能力を持つ、それなのに、戦うのがやだと尻尾巻いて逃げ出す腰抜けヤローをな。今更、逃がすわけにゃぁいかないんだ」


 思いきり侮蔑と嘲笑を乗せてぶつけてくるシェルン。少女の後ろにいるレムングスは相変わらず「オおオレ、オレ、俺ハー……」と、不明瞭な呟きを繰り返している。ただ、それは悲しげな声色だった。

「……戦うのを厭うことが、臆病なわけじゃありません」

 きっぱりとフィリアはそう返すと、はっとシェルンは笑った。そして再び向けられた視線には、少女に対する明確な侮蔑の色がある。

「……それは、自己弁護かい?」

「なっ!」

「お嬢ちゃんも、ここに逃げたいんだろ? ったく、テイルの野郎、余計なコト教えやがって。こうなるから、俺達は、教えなかったってんだ!」

 びくりとテイルは肩を震わしたが、それを押し隠すように少年はきっとシェルンを睨み返す。それを受けても相手はますます楽しげに肩を揺らすだけであった。つくづく、相手の怒りを煽るのが上手い人だと、変なところで感心してしまうほどだった。

「まあ、そのことはいい。とりあえず、それを返して貰う……貴重な力だからな」

 首の後ろに手をやり、半ば面倒くさそうな仕草でシェルンは言う。その瞬間、フィリアの背後で大きな悲鳴が上がった。

「ウワーーーッ!!! ヤメロ! はなセっ! いやだ、コワいイーー!!」

「レムングスさん……っ!! シェルンさん、お願い、やめて下さい! こんなに嫌がってるのに、無理に戦わせるなんて……!」

 背後に匿っていた筈のレムングスはいつのまにか数人の男に捕えられていた。ずるずると無理やり引き摺られ、元の、地下への道へと連れて行かれていく。精一杯の抵抗の叫びを上げながら暴れていたが、それは容易く封じられ、無駄な抵抗としかならなかった。フィリアは彼を助けようと踵を蹴るが、一瞬でシェルンに後ろ手で捕捉されてしまう。

「痛っ、は、なして……っ!」

「さーて、散歩は終わり、な? お嬢ちゃんも一緒に帰ろうぜ」

 ぎり、と強く締め上げられ苦痛の悲鳴を上げる少女の背後から、シェルンはそっと囁いてきた。耳朶を優しく打つような囁きと首筋にかかる吐息。ぞくりとした悪寒が背筋を走る。それを敏感に察したシェルンはくつくつと笑いを深めて、ますます少女の怒りを煽った。けれど、どんどん小さくなる悲しげな悲鳴が彼女の怒りを鎮め、代わりに口から出たのは、彼の解放を望む言葉であった。

「シェルンさん、お願い、レムングスさんを放して!」

「……だーかーらー、無理だって。ダフネ様が決めたことだからな」

 何度も懇願したが、シェルンはそれを飄々と受け流すのみで、全て徒労に終わってしまう。そしてシェルンに拘束されたまま、フィリアもまた、地下に埋もれた魔物の亡骸の中へと連れ戻されてしまった。








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