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黄昏人  作者: はるハル
最後の歌
40/93

2



 ぐねぐねと曲がりくねった地下の廊下を辿った先には、城でいうバルコニーのような場所があった。そこにはダフネの姿があって、彼は今、フィリア達からは背を向けている。前方に向かって、何か演説をしているようだ。テイルに手をひかれるまま、フィリアとアレシアは彼へと近づき、そうして、彼が誰に向かって話しているか見てとれるようになった。

 一段と天井の高くあけた、広場のような場所。そこには大勢の人が集まって、ダフネを仰ぎ見ている。ダフネのいる場所からは広場をすべて見渡せることが出来て、少なくとも、そこに集まった人々は数千人を軽く超えるだろう。一様に皆の視線は真摯であり、ダフネの一言一句漏らすまいといった熱心さで空気は満ちている。

 ダフネの傍にいたシェルンがフィリア達に気付き、彼に耳打ちをする。そして、シェルンはフィリアに向かって、おいでおいでの仕草をした。ぱちくり、とフィリアは瞠目する。

「えっ、と」

「おねーちゃん、行っておいで」

 迷っていると、隣のテイルが軽い調子でそんなことを言ってくる。アレシアを見ると、彼女もテイルの台詞に同意するかのように、頷いた。

 躊躇したが、周囲に促されてフィリアは仕方なく、ダフネの少し斜め後ろまで歩を進めた。まさか、あんなにも大勢の人間の前に出なくてはいけないのだろうか。そんな嫌な予感に苛まれながら、フィリアはシェルンへと視線を移すと、ぐいっと手首を引っ張られて、強引に広場にいる大勢の人たちの前に姿を現すこととなった。

「あ……っ」

 眼窩に集まる大勢人々はその真摯な視線をダフネから、突如現れた一人の少女へと注いだ。その大量さに、視線の強さに、フィリアは慄いた。想像以上の熱気と、大勢の人間の注目に突然晒されてしまったショックで、フィリアは反射的に後ずさった。けれど、手首を掴んだシェルンがそれを許さない。

 生来、目立つという行為が苦手なのだ。心の準備無しに、これほどの大量の視線をいきなり浴びるだなんて、きっと寿命が何年か縮まってしまったに違いない。それほど、フィリアの心臓はばくばくと大きな音をたてて騒いでいた。

 広場に集まった人々はフィリアを見、ざわざわとざわつき始める。

 色んな人間がいた。男も女も子供も老人も、髪の色も瞳の色も肌の色も様々で、まるで人類の縮図を見ているようだ。胡乱げな視線、怪訝そうな視線、何かを期待するような視線、様々な視線が一斉に向けられ、極度の緊張状態に陥ったフィリアの身体は一瞬にして固まり、今にも意識を失って倒れそうだった。それを隣のシェルンがいつもの軽薄な笑みを浮かべながら、支えている。

 隣に並び立つダフネはフィリアを見遣り、そしてまた視線を下の広場へと移して、言った。


「今まで我らは多くの同志を失った……。居場所を奪われ、故郷を奪われ、それを取り返すべく、何度も立ち上がり、その度に我らは喪失と屈辱を味わうだけであった。多くの血と涙は、希望と命を流し、しかし憎しみだけは流れない。尊い血を失い、掲げる旗を失った我らには、ただこのまま、絶望だけが支配する最後の戦いを覚悟する道しか残されていなかった」


 ダフネが話し出すと、ざわついていた広場がしん、と波を打ったように静まり返った。


「だが、やはり神は我々を見捨てなかった。祝福は、ここに! 我々とともにある! 彼女は我らがとうの昔に失ってしまった、純粋な黄昏人の血を持つ、最後の希望だ。我らを勝利へと導き、永遠の楽土への鍵を持つ者だ!!」


 途端、人々の歓声はより一層の激しさを増し、それは怒涛のようにこの空間を揺れ動かした。あまりの大歓声に鼓膜がどっかいってしまったような錯覚に陥る。大歓声……いや、もう咆哮と呼べるものだ。空気を震わし、人々の興奮が肌に突き刺さって、フィリアはただ固まることしかできず、意識を保つのに必死だった。人々のこの異常な興奮が、ただ恐ろしい。


「今こそ、傲慢な人間に真の神の裁きを! 本当の神の祝福がどちらにあるのか、それを全土に示す時である!」


 どおん、どおん、とまるで巨人の足音のような轟音が砂漠の地下を揺らしている。最初、巨人のような魔物が訪れたのかと身構えたフィリアだったが、どうやら信じられないことに、これは広場の大勢の人達の歓声と興奮が奏で上げた巨大な協奏曲だったのだ。

 それからもダフネは両手を広げ、演説を続けていたが、あまりの人々の熱気にあてられたフィリアはあまり覚えていない。気がついたら、広場に集まっていた人々は散り、フィリアもまたシェルンとテイルに引っ張られて、とある一室の椅子に座っていた。

「やっぱ、初心者にありゃー、刺激が強ぇよなぁ」

 珍しくシェルンがフィリアを慮ったような台詞を吐いたが、ぼうっとしていた少女の耳を素通りしただけだった。そんな少女の横にちょこんと座ったテイルが、手に持っていたコップを差し出してきた。

「おねーちゃん、これ飲んで。喉渇いてるでしょ?」

「あ、ありがとうございます……」

 言われるがままにフィリアはそれを受け取り、口をつけた。確かに喉が渇いていた。同じように渇いていた唇も水分を欲していたようだった。

 冷えた水が唇を潤し、喉を通っていく。熱気にあてられた頭も冷やされ、段々とフィリアの思考も平静になってきた。と、同時に、事の重大さがずしりとフィリアの頭上にのしかかってきて、少女の顔は真っ青になってしまう。

 とんでもないことになってしまった。

 いつのまにか、フィリアは彼らの旗印となってしまった。まだろくに現状もわからぬまま、フィリアはまた周囲の都合の良いように、立場を作られてしまった。同時に、それは周囲を巻き込んでしまったことを意味する。フィリアを巻き込んだ彼らは、今度は否応なくフィリアに巻き込まれるのだ。

 これから帝国との戦いが始まる、その度は彼らはフィリアを旗印として、剣を頭上へ掲げ、戦いへと赴くだろう。

 フィリアは愕然とした。

 まだ、まだ、自分は何も決めていない。何も知らないまま、また、同じことを繰り返してしまう。


 かちゃり、と扉の開く音とともに、ダフネが部屋へと入ってきた。がたりと、フィリアがその場で立ち上がる。今まで魂の抜けたようにぼんやりとしていた少女の突然の行動に驚いたのはシェルンとテイルだった。

「ダフネ様、これはどういうことですか! 私はまだ何も聞いていません! なのに!」

「彼らには希望が必要なのだ……私は、少しでも早く彼らに希望の光を与えたかった。しかし、そのためにあなたの意思を少し無視しすぎていたようだ……申し訳ない」

「……そ、そんなの……」

 そんな風に頭を下げられると、フィリアは途端に何も言えなくなってしまう。先程まで抱えていた怒りも、ダフネの神妙な表情によってすっかり勢いを削がれてしまった。フィリアはこの憤りのやり場を失ってしまい、喉にいやなものが詰まるだけだった。


「……貴女に、来て頂きたい場所がある」

 頭を上げたダフネに連れられ、フィリアは随分と長く廊下を歩くこととなった。ここでは見慣れた苔のこびりついた魔物の亡骸の内臓の壁。住居区を通り過ぎ、その先をずっと辿っていくと、途中で魔物の内臓の壁が途切れてしまう。どうやら巨大な魔物の亡骸の先端らしい。亡骸からまた道は続いており、そこには遺跡のような建物が続いていた。

 赤茶けた石柱や露台に続く石の階段は原型を微かに留める程度で、崩れ落ちて荒れ果てていた。

「ここは……」

「かつて……ロウティエ帝国建国より以前に、この地で栄えた都市のようだ。五百年前に帝国に敗れ、今ではこのように砂に埋まっているが。帝都と同じくらいの栄華を誇っていたといわれている」

 ほとんど砂化している遺跡の中を潜りながら、時に倒れ落ちている石柱を何本も跨ぎながら、ダフネは説明してくれた。そうして朽ち果てた遺跡群を進み、最奥にある一際大きな建物の入り口へと足を踏み入れる。

 五百年前に滅びた都……。

 フィリアにとって途方もない遥か昔に、ここには大勢の人達が暮らしていたのだ。白亜の帝都と同じくらいの栄華を誇っていたという、都。それが今では見る影もなく、荒れ果てている。すっかり砂と同化して、惨めに崩れ落ちている建物達を見ると、なんともいえない無常感が身を包む。あの、死者の森を徘徊したときの、物悲しい気持ち。それに似ている。人の生活感の感じられない建物というのは、こんなにも侘しい思いにさせるものなのだろうか。そんな感想を抱きながら、フィリアは最奥の建物を仰ぎ見た。他の遺跡よりも、一目見て別格の造り、広さだとわかる。これほどの年月を経ても尚、荘厳さは失われていないようだった。きっと、五百年前は、帝都の大神殿に負けないくらいの迫力だったに違いないだろう。

 入り口へと続く階段を昇り、中へ入ると、ひやっとした空気が流れていた。

「ここは、人の出入りを許されてはいない場所だ」

 石柱が規則正しく並び立つ廊下を歩きながら、ダフネは言った。

「……何故、私を?」

「かつて奪われた鍵を取り返すため、多くの尊い血が流れた……何度も戦いを繰り返し、多くの血を流し、憎しみは積もった。鍵は戻ってきたときには、既にそれを持つことのできる者は残っていなかった。絶望だけが、取り残された」

「鍵?」

「貴方は、その鍵を持つことのできる唯一の者だ……だから権利がある。そして、知っていて欲しい。この地の秘密を」

 建物の奥には祭壇が祭られていた。五百年前に滅んだこの都も龍を信仰していたのだろうか。朽ち果てており、それは確かめようが無かった。目的地はこの場所かと思ったが、どうやら違うらしく、祭壇の奥の壁が隠し扉となっていて、さらに道が続いていたのだった。

 おそらく、非常時などで使用されたのだろう。フィリアは四足歩行の動物のように手足をついて、その小さな隠し扉をくぐった。そして、顔を上げたとき、先にくぐったダフネの姿を認め、その先にあるものを視界にいれたとき、あまりの光景に、フィリアは声を失ってしまった。

 小さな隠し扉を潜ると、出たのは天井があけた広場のような場所。天井高くに空洞があいており、そこから太陽の光を受けた黄金の砂がさらさらと落ち続けている。その落ちる先には巨大な、この空間の半分を占めるほどの大きな身体を横たわせている生き物が、いた。

 巨大な、鱗。巨大な爪を持つ手足。その爪の半径だけでもフィリアの身長よりずっと大きいだろう。硬い鱗は全身におよび、長く太い首の輪郭は緩い弧を描いて、動物が眠るときにするような、巨体を少しでも小さく見せるような体勢で彼はそこにいた。長い尾もまた、身体を包むようにしてあった。

 それは――



「りゅ、龍……――っ!!?」



 確かに、目の前に横たわる巨大な生物は“龍”であった。フィリアは実物を見たのは初めてだ。彼女にとって、彼女だけでなくこの大地に暮らす人々にとっては幻の、それこそ神と同等の存在である。

 教会にある彫像でなら、フィリアは毎日のようにそれを見ていた。大神殿の入り口にも、彼らは帝都を見守るようにして、その双眸に鋭い琥珀の色を宿らせながら、威風堂々と坐していた。皇宮の壁画でも多くの著名な画家によって彼らは緻密に、神聖な彩りを添えて描かれていたのだ。だから、目の前の巨大な生き物が何であるかは、一瞬で認識することができた。しかし、認識はできても、あまりにも信じられぬ光景すぎて、フィリアの頭は理解を拒否していた。

 それでも、混乱と精一杯戦いながら、言葉を紡ぐ。

「……ま、さか、彼は……生きて……っ?!」

「いいや……残念ながら、彼の命はとうの昔に光を失っている」

 ダフネは目を伏せながら、至極残念そうな声色でそう言った。

 龍の死骸。

 そう告げられ、少し平静を取り戻したフィリアは目の前の巨大な龍の姿を観察する。かなり古い昔に彼は息絶えたのだろう……苔が彼の身体を覆っていて、そこから小さな植物までもが顔を出している。

「これが、この砂漠の原因。命の光がなくとも、彼らの骸はそれだけで強大な神気をもつ。その強大なエーテルをくみ上げて我々はここに砂漠の結界を張っている。我らを帝国軍から守ってくれている」

「エーテル……」

 龍が、この地を帝国から守っている。ということは、人間から、黄昏人を守っているということなのだろうか? 龍を信仰しているのは、帝国である筈なのに。

 だんだん、フィリアはわけがわからなくなってきた。それにダフネの口から出たエーテルという言葉も、初めて聞いたものだ。

「貴女に必要なのは、今は知識でしょうな。あまりにも、知らなさ過ぎる。きっとこれまで、大事に守られていたのだろう」

「……」

 何故だか、罪悪感が喉の奥からせり上がってきた。自分には記憶がない。けれど、三年前から最近まで、本当に自分は穏やかに優しい綿に包まれて過ごしてきたのだ。

「魔法に必要なのは、実在化するための源であるエーテル……、それを組み替え補う為に必要な魔力と、そして言霊」

 ダフネは魔法理論をフィリアに話し始めた。

 普通に暮らす庶民にとっては、不要な情報。別に知らなくても暮らしていける、というより知識があっても扱えぬ者が圧倒的多数であって。庶民が通う学校でも、魔法について教えられることはない。英才教育を施される上流貴族、もしくは召喚士を目指す者達が学術院、そしてそれに関係する機関などでしか、得られぬものだ。

 けれど、黄昏人であるフィリアにとっては、必要、というより知らねばならぬ知識だろう。少女は老人の話に耳をじっと澄ませた。

「エーテルとは第五元素……視覚で認知できぬものだ。全ての物質の源で、“泥”とも云われる。創世神話にて神は“泥”をこねて人間を創り、そこに息を吹き込み、命が生まれたと云われるが、その泥のことを指している。魔力は人間ならば大抵のものが生まれた内から持っている体内に満ちたエーテルのこと。外部のエーテルと少し構造も違う。個々によって量も質も違うが、人間のそれはより肉体を作る為の泥に近いのだ。召喚士になれる者となれない者の大きな違いはこの体内エーテル量の違いだろう。何故ならば、召喚獣と呼ばれる多くはこのエーテルに惹かれて、そして彼らの望みである、肉体を与えてもらうために、たとえその肉体が一時的であろうとも、本物の肉体には及ばないにしても、呼ばれるのであるからな」

「肉体?」

「彼らは、人間の持つ肉体に、焦がれている。これは、神の恩寵であるからだ……我々からすると、脆くすぐに死んでしまう人間の肉体などより、不死に近い彼らの方が羨ましいものと思うがな」

「……」

 肉体が、神の恩寵?

 だから、肉体を持たぬ精霊などは、人間に惹かれ、人間の持つ体内エーテルによって肉体を与えてもらう為に召喚に応じるのか。

 今まで、どうして強大な力を持つ精霊が人に力を貸すのか、召喚獣となって人に従うのかが不思議であった。しかし、彼らにとっては不思議でもなく、ちゃんとした等価交換によって召喚は為されているのだ。

 だが肝心の魔力は、それでも多くの人間は召喚にすら足りないらしい。だから、複雑な印や、魔方陣によってその足りないものを補っているという。

「エーテルは世界中に満ちている。そして“泥”に近い魔力も、人間はもっている。しかし、彼らは魔法を扱えないのは、それを精製するための、言霊をもっていないからだ。言霊とは、“息吹”のことだ。神が“泥”をこねて人間を創り、そこに“息吹”を吹き込むことで命は創られた。その息吹のことだ。そして貴方達はそれをもっている。だからこそ、貴女は魔法が使える。人間は召喚して、そして召喚獣の紡ぐ言霊によってでしか――間接的にしか、魔法を使えない」

「え……じゃあ、黄昏人が魔法を使えるのは、言霊があるからですか?」

「そうだ。それ以外は、人間も黄昏人も変わらない……けれど、この言霊こそが決定的な違いなのだ。だからこそ、人間は黄昏人を恐れ、そして排除しようとする」

「……」

「昔は、古い時代は、人間にも言霊は存在していた……しかし……、今の彼らには無い。この意味がわかるかね?」

「っ!?」

 フィリアは驚愕した。

 人間も、黄昏人と同じように、昔は言霊を持っていたということか。すなわち、彼らも魔法が使えていたことになる。なのに、今は使えない……ということは、彼らは言霊を失ってしまったという結論になる。


「人間は認めたくないのだ……とうの昔に人間は神の祝福の証である言霊を奪われた。それが、黄昏人にはいまだ残っている。

 何故だ? 何故、自分達にはない言霊が、彼らにはあるのだ――!? と。違う、自分達は神に見捨てられたわけではない。彼らが祝福された存在なのだと認めたくない。だから、貴女方を忌まわしき邪悪な力を持つ一族として迫害し、滅ぼそうとするのだ。自分達が見捨てられたという証拠を、消すために。だから、貴女は立ち上がらねばならない。今まで無念の内に死んでいった同胞の為に、戦わねばならない、貴女はその為にいるのだ」










◇  ◇  ◇











 ダフネから聞いた話は、唐突すぎて衝撃的すぎて、すぐに信じることなど出来なかった。フィリアは自分に与えられた部屋の寝具の上でぼうっと腰掛けていた。

 しかし、なんとなく憂鬱な気分がとれなくて、何より窓の無いこの部屋にいると本当に滅入ってしまいそうで、フィリアは億劫ながらも部屋の外に出た。住居区では色んな人が住んでいる。このケルジャナには黄昏人も人間もいると聞いた。けれど黄昏人は外見上は普通の人間と変わらないので、全然区別がつかない。

 そろそろ夕飯の支度なのだろうか。良い匂いが漂ってきた。住居区の中央にある炊事場で、女性達が雑談をしながらこの地に暮らす人々の食事の用意をしていた。

 自分は手伝わなくても良いのだろうか、とフィリアは思った。とりあえず今夜にでもアレシアに聞いてみようと思った。

 そして散策していると鼓膜に飛び込んできたのは、剣戟の音だった。見ると、多くの男達が訓練に明け暮れていた。傍には鍛冶場が見え、そこには額に汗を幾筋も伝わせながら、武器を鍛えている男達がいる。

 戦の準備が刻々と、されているのだ。

 ぴりぴりと、肌に伝わる空気が、フィリアに戦争が近いのだということを知らせていた。ここにいる者は男女関係無く、武器をとって戦おうとしている。女も、子供も ―― 当然、フィリアも。何よりフィリアは旗を持って戦陣に並ばねばならぬ存在だろう。

 戦う……。

 ぶるり、とフィリアは身を震わした。

 自分は、戦う術を知らない。剣も、召喚も、何もない。けれど、自分は黄昏人なのだ。力を持っていることだけは確かだ。彼らは自分に期待しているし、フィリアが戦うということを当然のように思っているのだろう。朝の広場で、それは決定されたようなものだ。

 ダフネに言われた言葉を思い返す。驚愕の事実ばかりで、どこから考えていいかわからないほどだった。

 死した龍の守る、この乾いた砂の大地。

 魔法に必要なのは、エーテルと、魔力と、言霊。

――神は泥をこねて人間をつくり、息を吹き込むことで、命は生まれた。

 これはフィリアも知っている。エルカイル教会の聖書に記された、一文だ。その泥はエーテルのことを指し、より創世神話の泥に近いエーテルが魔力……そして、その泥に吹き込んで命を生み出す息吹が言霊だという。

 その言霊を持たない人間は、だから魔法を使えない。

 黄昏人は言霊を持つがゆえに、魔法を使える。だから、恐れられている。

 けれど、人間もかつて言霊を持ち、魔法を使えていた。それなのに、言霊を失ってしまい、使えなくなってしまったから、黄昏人を排除しようとするなんて……いや、だからこそ、魔法の強大さを知っていたからこそ、より恐れて排除しようとするのだろう。

 人間は黄昏人を滅ぼそうとして、そして黄昏人もそれに反抗している。もう、戦いは止められぬのだろうか。戦争は、起こってしまうのだろうか。

 戦う、ということは誰かを傷つけるということ。

 それは、聖職者が最も犯してはならぬ罪だ。ハデス司祭の教えに、反する。それを教えてくれたハデスはもういないけれど……。途端に、フィリアの背筋になんともいえない悪寒が走る。そして、胸の奥底から、何かが沸き起こってくる。それが何かはわからない。わからないまま、蓋をして閉じ込める。

 それ以上に、フィリアは嫌だった。戦争だなんて。皆、死んでしまうだけではないか。傷つくだけではないか。どうしてそんなものをするのかがわからない。そう、でも、誰も好きで戦うわけではない。そうせざるを得ないからだ。

 でも、嫌だった。怖い、恐ろしい。しかも、よりにもよって、旗印になるなんて。

 旗印になるということは、戦争を起こした張本人――象徴になるということではないか。


「私が……戦争を、起こすの……?」


 多くの人々が殺され、殺すという戦争を、自分が起こすというのか……――










 とぼとぼと歩いていたフィリアだが、突然、はたと立ち止まった。

「ここは……」

 辺りを見ると、住居区からは離れ、より自然の洞窟っぽいところにいた。

 またしても、いつのまにかわからぬ場所へと出てしまっていた。ちょっと考え事しながら歩くと、すぐこれなのだ。ほとほと、フィリアは自分の情けなさに俯いて嘆息した。

 そのまま地面を見ると、苔だけでなく、そこから小さな植物が群生していて、蝶まで舞っていた。なんとも、フィリアの心とは裏腹に平和な景色である。それにしても、これが巨大な魔物の中というのだから、驚きだ。体内だけでこんなにも巨大なのである。存命時、彼は一体どれほどの巨大な魔物であったのだろう。こんな魔物がいただなんて、普通の人間にとっては脅威以外の何物でもないだろうな、とフィリアは思った。

 とりあえず、戻ろうかとしたとき、

「オレはー、どウしようもない臆病者ダー……でも……コワイ、コワイのは、ヤダよナーオレ」

「?」

 洞窟っぽい場所の奥から男の声が聞こえてきて、フィリアは耳を澄ました。

「死ぬのはヤダ、よー。でも、戻るのもっと、コワイ。イヤだ、よ。……ここから飛び降りタラ、オレ、楽になれル? よし、オレ、頑張ル?」

 ぶつぶつとした呟き。独り言だろう、そんなことより台詞の内容の不穏さにフィリアはびっくりして、声のした方へ駆けていった。ぱたぱたと、段々と狭くなる通路を抜けていくと、その先にある少し開けたところ――崖のような場所に立っている一人の男が、今にも下の湖のようなところへ飛び降りようとしていたところだった。 

 フィリアは思わず叫んだ。


「だ、駄目……!!」

「へッ……? ウオッ?!」


 突然声をかけられた男は吃驚したのか、体勢を崩してしまったようだ。

 ぐらり、と傾く身体。フィリアは叫びながら、落ちかけている彼を引っ張って助けようとした――しかし。


「死んじゃ、駄目ーーー! ―― って、きゃあああああっっ!!?」

「うワぁあアアアアァアッ!!」


 

 勢い余って、引っ張って助けるどころか男に突撃してしまい、そのまま二人は水の中へ、大きな水音と悲鳴を上げながら落ちていった。


 







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