1
砂漠の地下のごつごつとした岩肌には苔がところどころこびりついており、それが太陽の光に照らされて黄金の砂と同じように輝いている。この苔には保光性という、太陽の光を吸収して自ら発光体となる性質があるらしい。いわゆる、自然の照明である。
ケルジャナを束ねるという白髪の老人、フィリアを「古の一族の、純血の少女」と称し、歓迎の意を表した彼の名はダフネと言った。アレシアの持つ白刃に“祝福”を与え、それが召喚獣も頑強な街門すら一刀の元、斬り捨てた。アレシアいわく、彼はここに住む者達を束ねる立場に立っていて、多くの崇敬を集めているという存在だ。
見かけは、普通の、温厚そうな印象を与える老人だ。ハデス司祭よりも身長は低く、ふっくらと体つき、年齢はハデスより上に見える。しかし、フィリアは彼の印象に馴染み深いものを感じた。きっと、彼の纏う空気は、ハデス司祭をはじめとする聖職者の持つ敬虔なそれに近いからだろう。
「貴方が、ダフネ、様……。……あ、私はフィリアと申します」
慌てて名乗ったフィリアに優しい微笑みを浮かべながら、ダフネは少女の名前を舌の上で転がした。
「フィリア……佳い響きだ。かの一族の純血を持つに相応しい」
「あの、純血って……」
出会った時から、ダフネという老人はフィリアに向かって何度も純血ということを繰り返している。そしてその双眸には隠すことのない歓喜の色に満ちている。先程の歓迎の言葉は嘘ではないだろう、と断言できるほど、確かに彼はフィリアの訪れを待ちわびていた。
それを不思議に思うフィリアの問いにダフネは目を細めて、視線を上へと移す。
「……この地では既に喪され、“鍵”の持つ手は最早永遠に失われかたに思われた。しかし、その憂いは杞憂に過ぎなかった……貴女が、いたからだ。……アレシア、彼女を部屋へと案内してやりなさい」
旅の疲れを癒すのが先だ、とダフネは付け加え、そのまま彼はどこかへ行ってしまった。シェルンも片手を上げてダフネの後に続き、フィリア達と別れた。
そういえば。自分達を運んでくれた砂の中を泳ぐ魚はどこにいったのだろう、ときょろきょろしていると、頭上高くにふよふよと浮いていた。まるで水中を漂うがごとく長細い胴を波打たせている。彼らはこのように空を飛ぶことも出来るが、天敵がいるらしく身を隠す為に砂中にいるのが基本らしい。
そして、地下かと思ったここは、巨大な魔物の腹の中だというのだから、フィリアは目を大きく見開いて驚いた。ごつごつとした岩肌だと思っていたのは彼の内臓の壁らしい。天高くのびた柱は、彼の骨の一部らしい。けれど、現在も生きているわけではなく、とうの昔に彼は息絶えたという。その死骸の中に、アレシア達をはじめとする多くの人間が、暮らしているというのだ。
フィリアはアレシアに促されるまま、砂漠の地下――そこに埋れた巨大な亡骸――の中を歩く。
大きな廊下(といっても魔物の体内であって、内臓のどこかなのだろう)を通るとその奥には、薄茶色の石壁で出来た住居区が広がっていた。先ほどまでまばらだった人影が途端に多くなって、フィリアはそちらに注意を奪われていた。彼らの少女にぶつける視線がひどく胡乱げだったからだ。
「アレシアさん……」
「ここが、お前の部屋だ」
話しかけようとする前に遮られ、フィリアは言われるがまま視線で指し示された空間を見渡した。
石壁に囲まれた四角い部屋。
普通と違うのは、窓が無いということだろうか。寝具の他には小さなテーブルと椅子くらいしかなかったが、過ごすのに何ら支障はない。むしろ、皇宮で暮らしていた頃のあの馬鹿広く豪奢な調度品で彩られた部屋より、フィリアにとって居心地の良さそうなところといえるだろう。けれど、窓一つ無いというだけで随分と違和感が残った。密室のような、閉所恐怖症ではないが、好きなときに空を見れないというのは思ったよりも人の心を不安にさせるようだ。それは地下牢に閉じ込められたときに痛いほど知ったことだった。そのときの記憶が不意に蘇り、フィリアは部屋から出ようとするアレシアに話しかけることで引き留めた。
「……アレシアさんは、どちらへ?」
「もう、部屋に戻る。お前ももう休め、お前にとって強行軍だったろう」
確かに彼女の言う通り、フィリアの心と身体に積もった疲労は最早自分でもわからぬほどだった。けれど、だからこそこんな状況で、まだ何の説明も無いまま、一人取り残されるのはますますフィリアの心を不安定にさせるような気がした。けれど、アレシアも同様に疲れているであろうし、理由も言えぬまま彼女をここに留めることは出来ない。フィリアは素直にわかりました、と応えた。それに頷いて出て行こうとしたアレシアだったが、出口のところで赤い三つ編みを揺らして振り返った。鷲色の強い眼差しがフィリアを射る。いつだって、彼女の視線は痛いほどまっすぐで、それが彼女の気性と、口調にそのまま繋がっているようだ。
「……一つ、忠告しておく」
「え?」
「ここでは、お前はエルカイル教会のシスターであったことを悟られるな」
「な、何故ですか?」
「ややこしい問題が増える、それだけだ」
そう言って、アレシアは部屋から出て行った。取り残されたのは、疑問符ばかりを頭上に浮かべたフィリアだけ。
彼女はいつもこうだ。
気になる言葉だけ残して、フィリアを不安にさせる。単に無愛想で言葉が足りないとも言えるかもしれない。シェルンの投げかける言葉もフィリアにとっては同じようなものだ。けれど、彼はこちらの反応を逐一楽しんで観察しているのがありありとわかって、彼という人間の性質が透けて見えているわけだから、フィリアにとってはよかった。アレシアは無口だし表情も豊かではないので、よくわからない。そこらへんは、ヒユウと似ているかもしれない。
フィリアはもそもそと寝台の中へその身を潜り込ませた。逃亡の旅で溜まった疲弊のせいで、動作はいちいち緩慢になってしまっている。旅の間は宿をとれず、野宿も多かった。昼夜問わず追っ手の襲撃に怯えながら、膝を抱きかかえるように小さく丸まって眠っていたから、身体のあちこちが硬くなっている。だから、こうやって手足をのばして眠れるのが少し嬉しい。それに、身体を包む毛布の感触も久しぶりで、快い。
何より、帝国の追っ手から逃れてここまで辿り着けたことにフィリアは安堵した。まさか、ここまでは彼らも追ってはこれないだろう。魔物の巣であるケルジャナ砂漠、そしてこの地下には、魔物の力を借りないとやってはこれない。それを身をもって経験したフィリアはそう確信した。だから、もう追っ手の襲撃に怯える必要はないのだ。
追われる旅、というのは緊張と不安と恐怖の連続だった。その度にこれは夢だと、何度思っただろう。何度、夢であってほしいと思っただろう。けれど眠る前、決まって皇宮での出来事が頭の中を過ぎる。華やかな夜会が一瞬にして恐怖と悲鳴の色に変わったあの瞬間。天井近くの窓硝子の砕け落ちる音。魔物に突き刺さる幾つもの槍。魔物の血に塗れた槍先が今度は自分の喉元に。牢獄の闇の中に灯る蝋燭の光。臭い。立ち並ぶ騎士達の鋭い目。真っ白な閃光と、苦悶の表情を浮かべるヒユウ。断片的な映像が、何の予告も無く突然にやってくる。同時にあのときの心臓を鷲掴みにされる恐怖と不安が蘇る。ぶるりと震える身体、焚き火の炎の熱では到底癒されない悪寒がフィリアの頭のてっぺんから足のつま先まで襲うのだ。その感覚が、嫌でもこれは現実なのだとフィリアに思い知らせる。そしてこれからの未来に対する明確な不安が沸き起こって、ろくに眠れた夜はない。
これから、どうなってしまうんだろうか。
帝国は自分を処刑しようとした。黄昏人であるならば、当然の処置だろう。けれど、寸でのところで救われ、この地までやってきた。ここの人たちはフィリアを必要としているらしい ―― 何の為に?
どちらにせよ、もうあの穏やかな暮らしに戻れはしない。その資格も、権利も失われた。自分は、ここに辿り着くまでに、どれほどの人たちを巻き込んでしまったのだろうか。これからも、ただ自分は、周りを巻き込んでいってしまうだけなのだろうか。
そうして、答えの出ぬ疑問を抱えながら、今日もまたフィリアは浅い眠りの淵へと足先を沈ませていった。
まるで、霧がかったような周りの景色。
それでも、鼻をくすぐる芳香はよく知っているもので、すぐに周囲の景色が手に取るようにわかった。これは薔薇の、香り。きっと、周りには美しい薔薇がたくさん咲いているのだろう。
手で目を擦る。すると、周りの景色がはっきりと目に飛び込んできた。どうやら自分の視界が滲んでいたせいで、周りの景色がぼやけていただけだったようだ。やはり想像した通り、自分を囲むようにして薔薇、それだけでなく色んな花々が美しく咲き誇っていた。どこかの庭園だろうか。その中央を走る石畳の道の先にはアーチ型の門があって、そこにも薔薇の蔓が巻きついている。ふと擦った自分の手の甲を見下ろすと、涙のあとがついていた。
泣いていたのだろうか。
自分が、どうして?
「―― さまだって、わたしのことなんか忘れちゃった」
そんな疑問を抱いているフィリアの意思とは無関係に、勝手に口が動き出して、吃驚してしまった。たどたどしい、まるで幼子のような口調。そういえば、視点の位置も低い。先程見下ろした自分の手も随分と小さい。もしかして、今の自分は小さな子供になっているのだろうか。驚いていると、傍にいたらしい人の、苦笑するような気配が降ってくる。
「そんなことないよ」
ハデス様……。
優しく、宥めるような声色。懐かしい、フィリアが今何より欲しているもの。現実のフィリアであったら、泣いて喜んで彼の胸に飛び込んでいただろう。けれど夢の中のフィリアは拗ねたようにそっぽを向きながら、寂しさと不満と不安で一杯な己の胸中をハデスに訴えているだけであった。
「だって、もう何ヶ月もきてくれないもん。そばにいたくないから……わたしをここに置いていったんだもん。ハデスさまだって」
「違うよ、―― は今は忙しくて時間がとれないんだ。フィリアを私に預けたのも、危険から遠ざけるためだよ。フィリアを思ってのことだ。私も、いつもフィリアを思っている」
そうハデスが優しく諭すように言うと、夢の中の小さいフィリアは、押し黙った。
「フィリアはいつも我慢ばかりをするからね。ほら、もっと、今みたいに言ってごらん。―― にも。きっと、彼も喜ぶ」
「よろこぶ……? どうして?」
不思議そうに、見上げる。フィリアを覗き込むように屈んでいたハデスは、ようやく目を合わせてくれた少女に安堵したように、柔らかな笑顔を浮かべた。
「……ハデスさま……」
ぽつりと零れ落ちた言葉が、夢の終わりの合図だった。
「夢……」
ハデス司祭と、昔の……おそらく記憶を失う前の自分。失われた記憶の断片が、夢の中で現れたのだろうか。とにかく、ひどく懐かしい夢だった。たとえ夢の中でもハデス司祭に会えたことに喜び、同時にもう夢でしか会えないのかという現実にフィリアは打ちのめされた。けれどすぐに、落ち込んでいる場合ではないと叱咤して、フィリアは起き上がった。
そして身支度をして部屋から出ようとすると、まるで見計らったかのようにアレシアがやってきた。いつものように真っ赤に燃える炎の色の髪を三つ編みにして後ろに流し、紫色の下地に細かい刺繍が施された衣服に、髪と同じ緋色の帯を腰より高い位置で巻いている。スリットのあるスカートは膝下までの長さ、すらりと長い両脚は膝より上まで長いブーツに包まれている。あまり見たことがない服装で、どこかの民族衣装なのかな、とフィリアは思った。
「起きたのか」
「はい、おはようございます、アレシアさん」
アレシアも挨拶を返しながら、フィリアの全身を見る。準備万端な少女の様子に「早いな」とぽつりと漏らした。
「ああ、……だがその恰好ではまずいな」
フィリアが「え?」と疑問の声をあげる間に、アレシアの後ろに控えていた中年の女性数人がフィリアの部屋へと入ってくる。彼女達はフィリアを囲むと「失礼致します」と一言声をかけるなり、フィリアの服を脱がし始めた。
「あっ、ひえっあの、あの……!?」
「着替えて欲しい」
さらりとアレシアは一言返し、ただ扉の前に立っているだけだった。真っ赤に頬を紅潮させながら慌てふためくフィリアの訴えを無視して次々と衣服を剥がしたあと、女性達は白いさらさらとした絹に近い手触りの生地で出来た衣装をかぶせてきた。
「わ……っぷ……ひ、一人で着られます!」
周りの女性はフィリアをまるで物みたいにくるくると回転させて強引に衣装を身に着けさせていった。その強引さにさすがのフィリアの声も強くなる。けれど、またたくまに着させられてしまい、いつのまにかぼさぼさだった髪も櫛で梳かれていた。
「……よし、準備できたな。では、行こう。ダフネ様がお呼びだ」
フィリアの身支度を整えると周囲の女性はすっと速やかに退出していった。残ったのは、白い膝下まであるドレスを着て、整えられたフィリア。皇宮の女官並の手際の良さに感心したが、これほど自分の訴えを無視して事を進められるのはもう勘弁して欲しいなと思った。しかし、今はそんなちょっとしたことで問答するのは時間の無駄だ、それに目の前のアレシアに言っても、無意味なような気がして、フィリアは渋々従うことにした。
「……わかりました……でも、どちらに?」
「これから朝の祝福の時間だからな、中央の聖堂に行く」
「祝福……」
“祝福”という言葉に、フィリアは前方を歩くアレシアの腰に下げられた剣 ―― 騎士が持つ剣とは形状が少し違い、刀身部分の輪郭が優美な弧を描く、いわゆる刀というものらしい――を見詰めた。彼女の持つ刀は普通と違っていて、鍔が無かった。女性用に軽く作られているらしいそれが、召喚獣と頑強な街門を斬っただなんて、たとえその瞬間をこの目で見たフィリアにとっても信じ難い出来事だ。それが“祝福”のおかげだと言うアレシアの表情は誇らしげだったのを思い出し、フィリアは“祝福”とは一体どんなものなのだろうか、と大きな関心が頭を支配し始めた。
そういえば、祝福という言葉はフィリアにとって身近なものでもあった。あくまでエルカイル教会のシスターであるフィリアとして。
祝福。エルカイル教会の聖職者はその言葉をよく口にする。当然、ハデス司祭も。けれど、アレシア達の言うそんな大それた効果のあるものではない。教会に祈りに、あるいは懺悔に訪れた信者に向かって、ハデス司祭はよく、「貴方に、神の祝福が降りました」という言葉で締めくくっていた。一種の決まり文句、信者や聖職者の間で交わされる挨拶のようなものだった。だから、また別のものだとは思うが、それでもフィリアは怪訝に思った。
「アレシアさん、昨日言ったこと……私が、エルカイル教会の人間だということを悟られるなって……」
途端にアレシアが振り返って、「何だ?」とその先を促す。
「それは、ここにいる人達が、エルカイル教会を厭っているからですか。原因は、以前にアレシアさんが少し話してくれた、“教化政策”にも関係あるのですか?」
意を決して、ひとつひとつ慎重に言葉を選んで話すフィリアに、アレシアの表情は固まった。進めていた足を止めて、正面からフィリアと向かい合う。
「……思ったほど、鈍くはないんだな。最初は、頭も動きも鈍そうな娘だと思ったが」
頭も動きも鈍い、とはこれまた失礼な言葉だ。けれど悲しいことに他人が持つフィリアの第一印象はそういった類が殆どであるし、あながち外れてもいないという自覚もあるので、少女は苦笑いを浮かべることしか出来なかった。
「お前の言う通りだ。帝国とエルカイル教会による、教化政策によって迫害された者がここには多い。彼らは当然、エルカイル教会を憎んでいる。末端のシスター見習いであるお前にも、その憎しみの欠片は投げつけられるだろう……だから、悟られない方が身のためだ」
「でも……それでは、どうして」
そこまではわかる。“教化政策”の実態がどれほどまでに酷いものであったのかは知らない。けれど、人間である彼らが黄昏人のいるこの地へと逃れ、帝国を恨み、叛くなど、並大抵の状況でなければ、起こる筈が無いのだ。きっと彼らは筆舌に尽くしがたいほどの、恐ろしい迫害を受けたのであろう。故郷を追いやられ、この地まで逃れなければならぬほどに。
だから、彼らがエルカイル教会を憎むのはわかる。同時に、シスター見習いであるフィリアを厭うのもわかる。アレシアがそれを憂い、忠告してくれたのもわかる。けれども、フィリアには腑に落ちないことがあった。
エルカイル教会を憎んでいる彼らが、どうしてダフネを崇敬の対象として見れるのだろうか。
「ダフネ様は……彼も、エルカイル教会の人ではないのですか? 祝福、という言葉も、それはエルカイル教会でよく使われる文句なのに……」
「……」
そう、ダフネを纏う空気はどう見ても、聖職者の持つそれに酷似しており、敬虔な聖職者であるハデス司祭の傍らで同じように従事してきたフィリアにはすぐにぴんとくるものがあった。職業、というのは、少なからずその人物の持つ空気というか、所作や言動の端々に表れるものである。今まで出会ったきた人達――メイリンやヒユウ、レヴァインなども例に漏れず、それぞれの地位や身分、職業の色が濃く出ていた。
アレシアは僅かに目を伏せて、やれやれと言ったように肩を竦ませた。
「そこまでわかったのか……まあ、いつかは知ることだが、これほど早くに察するとは思わなんだ」
アレシアは素直に驚き、そして微かな感心の色を乗せて、返答した。肯定を意味するその答えに、フィリアは思わず疑問を繰り返す。
「では、どうして……どうして、彼はあれほどまでに」
アレシアの崇敬の対象となれるのか。彼がエルカイル教会の人間ならば、どうしてエルカイル教会を憎む人間の多いこの地を束ねることが出来るのかがわからない。
「それは……確かに、ダフネ様はエルカイル教会側であった。しかし、それはもう過去のこと。今や、彼ほど、エルカイル教会の存在を疑問に、厭っている者はいないからだ」
「え……?」
それはどういう、と言葉を続けようとしたとき、アレシアの後方から「おーい」という子供の声が聞こえた。思わず明るい少年の声色のした方へと視線を向けると、小柄で短い白髪を持つ少年がこちらへと走ってくるところだった。
アレシアとフィリアの間に割り込むようにして少年は駆けてきて、無邪気に話しかけてきた。
「遅いよ、アレシア。ダフネが待ってるよ」
「……テイル。お前、様をつけろと言っているだろう」
「あ~、はいはい、ダフネ様ダフネ様」
小うるさい説教を聞くかのごとく、テイルと呼ばれた白髪の少年は耳を抑える素振りをする。「テイル……」と眉間に皺を寄せてより一層声色を低くさせたアレシアだが、白髪の少年はすぐに視線をフィリアに移して、にっこりと笑顔を向けてきた。
「あ、あのときの黄昏人のおねーちゃんか。久しぶり、無事ここに辿りつけてよかったね」
「え? あのとき?」
急に話を振られ、戸惑ったフィリアはこちらを真っ直ぐに見上げる少年の顔をじっと見詰める。白髪という珍しい色素を持つ少年の双眸は黒色、年齢は十代前半だろうか。可愛いといえる顔立ちと小柄な体格、珍しい髪なので、一回会ったら覚えていそうなものである。以前にどこかで会ったのだろうか、と彼の口ぶりから思ってフィリアは己の記憶を探るが、どうにも一致するものがいなくて、困ってしまった。
「ほら、あの死者の森の中でさ。僕がいなければ、アレシアもシェルンもおねーちゃんも、迷ったあげく帝国の奴らに捕まって殺されてたじゃん、感謝してね」
「あ……っ、あの白い男の子!?」
「そう、その白い男の子~」
けらけらとおかしそうに笑う少年は、あのときと違い、ごくごく普通の少年にしか見えない。思わず手で触って生身かどうか確かめたくなる衝動を抑えながら、フィリアは驚愕の声を上げた。
本当に幽霊じゃなかったのか……。
「あ、今、僕が幽霊じゃなくて、驚いてるでしょ?」
「えっ、あ、あの、そんなことは……」
まるで心を読んだかのような少年の台詞にフィリアはあわあわと焦った。
「いいよ、別に。はじめての人は皆そう思うからね」
「ごめんなさい」
「いいっていいって、じゃ、行こっか。そろそろ行かないとダフネ様が待ちくたびれてるからね」
朗らかに笑いながら、テイルはフィリアの手をとって、苔のこびりついた廊下の奥へと辿り始めた。




