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黄昏人  作者: はるハル
風中の燭
31/93

7



 一夜明けた帝国は、ますます騒々しい雰囲気に支配されていた。


 それもその筈、帝国貴族の第一位の爵位である公爵位を冠するリューシア家当主にして、帝国軍『黒印魔法騎士団』を率いる将軍、ヒユウ・イル・リューシアが国賊に加担した罪で、その地位と名誉を失墜させたのである。ただ、白亜の城の外と内では、伝えられた情報の中身は大きく異なっていたのだが。

 とにかく、龍の寵愛を受けた騎士という誉れを与えられた男は、将軍の座を失い、英雄から罪人へとその立場を変えた。




「ヒユウ様が、まさか黄昏人に操られてしまうだなんて……」

 まるで戦時下のような、否もっとひどい物々しさに包まれた城の中。普段ならば、庭園で噂話に花を咲かせる貴族の姫君達や休憩中に賭け事に興じる兵士、熱い議論を交わす文官達の姿が見られるというのに。城内の日常風景であるそれらが、今日は一度として見られない。日常の光景が失われた城内は、まるで初めて訪れた場所のように感じられて警備中の兵士の一人は違和感と居心地の悪さを感じていた。その思いを、相方であろうもう一人の兵士に向かってぶつけてみたのだが。

「……帝国民にはそのように伝えられたようだが、実際にその場面にいた兵士の話によると、どうやら違うらしいぜ」

「どういうことだ?」

 暫し逡巡してから、相方の兵士は言い辛そうに眉間に皺を寄せる。それを兵士は怪訝そうに見詰めた。

「ヒユウ様自らの意思で、帝国を裏切ったそうだ……」

「! それこそ、有り得ない話だ!」

「俺も、そう思いたい。だが、実際に対峙して……そして事切れる瞬間に、そんな嘘を言う騎士がいるものか!」

 相方の苦渋に満ちた声に兵士はただ押し黙るしかできなかった。視線をそらして、俯く。

 昨夜から暗い風がこの帝国に入り込み、草花を萎えさせ、枯らしていっているような、そんな思いが拭えなかった。城下の帝国民も動揺しているが、それでもまだここに比べればましだ。帝国民には、ヒユウは黄昏人に操られて謀反を起こしたと伝えられているのだから。だが昨夜の事情を知る者は違う。彼が、自らの意思で裏切りを起こしたと知っている。それでも大半の兵士達はそれを信じられないでいた。ここにいる彼らのように。

「ヒユウ様は今どちらに……」

「……牢でその身を拘束されているらしい」

 再び、気まずい沈黙が落ちる。

「だが……黄昏人は逃げたというのだろう? ならば、やはりヒユウ様は操られていたのではないだろうか?」

 何度考えても、深く思いを巡らしても、多くの兵士達に英雄視された騎士は、乱心したとしか思えなかった。疑問、というよりはそうであって欲しいという願望、切望を含んだ言葉に相方は神妙に頷いた。

「……俺も、そうであって欲しい」








「思っていた通り……いやそれよりも遥かに黒騎士殿の影響は強かったようですね」

 どこか感慨深そうにノエルは呟いた。場所は帝国軍部施設、その中にあるゼノンの執務室である。いつもの皺一つない白衣を着た彼は、優雅に紅茶を啜りながら、遠くで起きた出来事を語るかのようにのんびりと語った。

「……帝国民もそうだが、兵士達の動揺は殊更大きい。信じることが出来ない者が大半だ。現在、事実を確認する声が相次いでおり、各騎士団、各隊の指揮官らの収拾能力に期待している状態だ」

「まあ、すぐに信じろというのが無理な事態ですからね……」

 く、とどこか愉悦の混じったノエルの声をゼノンは視界の端に留めながら、扉の傍で突っ立っている男――クラーヴァを見た。

 彼は珍しく何かを深刻に考えるように目を伏せている。眉間に寄せられた皺は普段よりもくっきりと、刻まれていた。何かを言いたいのをそれを口にするのは躊躇われる、そんな様子がありありと出ている彼は滅多に見られるものではなく、ノエルは興味深そうに観察していた。

「……おい……、何かの間違いだろう。まさか、あいつが……あのヒユウの野郎が裏切るなんてよ。その黄昏人の娘がまんまと逃げおおせたってことは、やっぱり術かなんかをかけられてたんじゃねぇのか?」

 おもむろに顔を上げたクラーヴァは、多くの兵士達同様、自分もいまだに信じられないと主張した。

「その気持ちはわかりますが、彼が自分の意志で裏切ったのは事実ですよ。まあ信じられないというなら、本人に直接聞くと良いでしょう」

「……わかった。確かに、それが早ぇな」

 そのまま、クラーヴァは身を翻して部屋から立ち去った。




 一人の騎士の裏切りは多くの波紋を投げた。

 投獄された黄昏人の娘を連れ出し、止めようとする軍部の騎士団に対して容赦なく龍の力をもって、多くの被害を出したのだ。少ないながらも、死者まで出てしまった。

 そしてそれだけでなく、脅威の存在である黄昏人を帝都の外へ逃してしまった。

 当然、元老院をはじめとする帝国の重臣達は怒り狂い、皇帝にヒユウの極刑を求めた。しかし、帝国貴族の中でも公爵位を有し、大きな権力を持つゼノン、クラーヴァ、そして皇帝の姪であるユリアーナ、サラ達の尽力もあり、極刑だけは免れることとなったのだった。

 朝からそれらのことで奔走していたクラーヴァはずしりと、疲労という名の大きな石が両肩に乗っかっているのを感じた。

 前々から、帝国軍部を目の上のたんこぶのように敵視している元老院の人間は、ことあるごとにこちら側の失態を暴き出そうと躍起になっている。ミスとは言えないようなものまで引っ張り出してきて、あたかも重大な失態だと大袈裟に主張して重要な会議の時間を無駄にすることも多い。

 それも全て、急激に力をつけた帝国軍部が気に入らないのだろう。

 ゼノンによる軍部改革、それによって帝国民の強大な支持を受け、それだけでなく最近増え続けているという魔物に対峙する軍事力として最早この国には必要不可欠な存在なのだ。彼らも無視は出来ない、――どころか、軍部の力を頼りにするしかない場面にも多々出会う。ますます苛立ちは積もるばかりなのだろう。

 軍部改革を遂げ、帝国軍のトップに立つゼノン、彼のカリスマを邪魔と思う人間は多い。そして。

 唯一、龍の召喚を成功させた男――ヒユウ・イル・リューシアの存在ほど、元老院の人間の神経を逆撫でするものはいないのではないかと思う。

 元老院。それは、エルカイル教会の中枢である大神殿の奥で、帝国の法を決定する、皇帝の権力すら及ばない最高立法機関。最早、彼らがほとんどこの帝国の政治を操っているといってもいい。皇帝すら及ばぬ権力を持てるようになったのは、そもそもエルカイル教会が、この地に住む人間の崇める龍と交信できる者――すなわち、“教皇”を頂に置いているからだ。

 この地での龍の存在は崇め敬うべき、何よりも絶対的な存在。

 永遠に繰り返す戦いの呪いをかけられたかのような、この血塗られた大地を平和に導いた、強大な力をもつ者。彼らの恩恵を受けなければ、再び、この地は戦いと血に染まる、そういった強迫観念が人々の心の奥底に染み付いて離れない。だから、人間は彼らに縋り、平伏す。崇め、敬う――信仰となって、彼らの生活に息衝く。

 とにかく、そういった背景によって、龍の声を聞くことができるという教皇が神格化されるのは至極当然だろう。同時に、龍を召喚できる騎士が、人々から神聖視、英雄視されるのも深く考えるまでもない、自然のことだった。そして、そのヒユウの存在に元老院が危機感を抱くのものもごく自然のなりゆきであり。そんな彼らにとって、今回の出来事は狂喜乱舞する事態だったに違いない。

 だから、自分達だけでは、極刑を防ぐことは出来なかっただろう。けれど、免れることとなったのは――

 ヒユウの処遇を決定する朝議でのことを思い出して、クラーヴァは苦虫を潰したような顔をした。『聖印騎士団』を率いる将軍である彼もヒユウ同様、帝国軍の最高幹部の一人であり、政治に参加できる立場の人間である。もっとも、今までは政に興味がなく、しかも元老院連中を唾棄するまでに嫌っているので、サボってばかりいたのだが。

 今回ばかりはクラーヴァの表情からもいつもの大雑把さが抜けており、神妙な表情で重臣達の集う朝議の場所へと足を向けた。

 そこで繰り広げられたのはヒユウをはじめとする軍部の管理能力に対する痛烈な批判、非難、中傷、侮蔑の嵐であった。何度立ち上がって、口だけ三歩先に生まれたような喧しい輩を殴ってやろうかと思ったか――その度に隣にいるゼノンの強い一瞥に制され、拳の熱を鎮めていたクラーヴァだが。けれどそれも限界だと思ったそのとき。

 どより、とざわめきが広がった。

 いよいよ、ヒユウの処遇が決定されようとするそのときに。驚愕したことに、彼と犬猿の仲とされるレヴァイン皇子が、

「彼を失うことは、他国にとっては利益につながり、帝国にとって損害を被る結果となるでしょう」

 と進言したのだ。



―― あの胡散臭ぇ皇子が。何を考えているのやら……。

 元々、ああいった、何を考えているのかわからない、本心を出さず、本気も出さずにのらりくらりと生きているような人間は苦手なのだ。ただ、彼がヒユウと嫌い合っているようなことは他人の心の機微に疎いクラーヴァでも知っていた。以前に部下から、偶然廊下で対峙した二人の辺り一面には吹雪の嵐が荒れ狂っていたと真っ青な顔で言われたからだ。

 そんな奴が、わざわざ嫌っている相手を庇うような発言をするだろうか?

 腑に落ちない思い、というより不吉な予感ばかりが襲ってきてクラーヴァの眉間の皺を深くさせた。

 結局、彼のその一言は重く、ヒユウの処遇を決める際の決定的な言葉となったのだ。勿論、龍の力をなくしたという事実も大きいが、それでも何か釈然としない。何か良くないことが起きる前触れだ。

 予言とか前触れとか迷信めいたことが嫌いなクラーヴァでさえ、ついそう思ってしまうほど、信じられない展開だった。しかしすぐにそういった思考も、面倒臭い、という至って彼らしい判断の元、切り捨てられた。



 龍の力、多くの権限とともに『黒印魔法騎士団』将軍の地位を剥奪されたヒユウは、暫く牢に監視されることとなった。指揮官を失った『黒印魔法騎士団』はというと、ゼノンの管轄下に戻ることとなるらしい(ヒユウが就任する前は、ゼノンが将軍であった)。帝国軍部は今後、今回の失態を挽回するために、逃げた黄昏人の行方を絶対に掴まねばならなくなった。

――別に、黄昏人なんざどうなろうがどうでもいい。元々、敵だ。

 敵は、滅ぼす。

 そのことに何の躊躇もない。しかも、ヒユウを操るほどの力の持ち主だ。強い相手と戦うことを何よりの楽しみとしているクラーヴァにとっては、むしろ歓迎できる事態だった。厄介な相手だとは思うが、ヒユウが負けた以上、自分が負けるわけにはいかないのだ。静かに燃え始める己の闘志を感じながら、クラーヴァは暗い牢の中へと足を踏み入れた。

 昨晩、瀕死の重傷を負ったヒユウだが、今は軍部の治療班によって回復に向かっているという。龍の力を失って大怪我を負っても尚、厳重な檻の中で拘束されるほど、彼は大きな危険を孕んだ存在だと周囲から認識されているのだろう。それはクラーヴァにも何となくわかる。何も、ヒユウがあれほど元老院やらから危険視されているのは、龍の力を持つだけではない。むしろ、彼の性格や言動や行動……そういったものが元凶だと思うのだ。他人の弱みを握らなくとも、彼ならば威圧感だけで人を脅かすことも出来そうな雰囲気を漂わせている。実際に彼に弱みを握られて脅されている貴族や皇族はいるらしいのだが……。そういった腹に一物も二物も含んでいそうなところは、レヴァインと共通していた。


 かつかつ、と軍靴の踵が鳴る音。それが、奥にある牢の前でぴたりと止まる。薄暗い闇の中でも、美しく映える銀髪を持つ黒騎士は奥の壁に凭れ、片膝を立ててその膝の上に腕をだるそうに乗っけていた。俯いているためか、銀髪に隠されて表情は窺えない。昨晩見たあれほどの重傷も、傍目からは嘘のように掻き消えている。

 一瞬、寝ているのかと思ったが、それはないだろう、とクラーヴァはすぐにかぶりを振った。気配を少しも殺すことなく、これだけ堂々とやってきたのだ。鋭敏なこの男が気付かない筈が無い。



「……ヒユウ。お前は本当に……俺達を裏切ったのか」


 予想はしたが、ヒユウからの返事はない。素直に答えることはないだろうと思ったが、顔を上げるどころか身じろぎ一つしない黒騎士に、気の短いクラーヴァは少しかちんとくる。それでも、彼にしては辛抱強く、言葉を続けた。


「相手が黄昏人というなら、仕方ない。操られていたんだろう? それならば、また将軍の座に戻る可能性も充分にある。俺も協力してやっからよ」

 言いながら、なんて自分らしくない台詞だとは思った。しかし、口には出さないが、クラーヴァはヒユウの実力をよく知る一人であり、彼が将軍に相応しい器だと認めていたのだ。

 途端に、牢の奥から、くつくつと低い笑いが響いてくる。壁に凭れたままの男の肩が微かに揺れていた。笑いを、堪えているのだろう。そうして顔を上げたヒユウの表情は、歪んだ笑いを含んだそれだった。銀色の髪から覗く、青い双眸。そこに宿る光は、以前に彼がよくした不敵な笑みと似ているようで違う、妙な色気を孕んでいた。一瞬、クラーヴァはそれに呑まれた。


「面白いほどに殊勝だな、クラーヴァ。あれほど私を嫌っていたお前が、協力とは。……そうだな、お前の言う通りだな。私は、この国を裏切ってはいない」


「! ……やはり!」

 

「元々、私はこの帝国に忠誠を誓った覚えはない。裏切るも何も、最初から何の絆もないものをどうやって裏切れと?」


「――!! 貴様……っ!」


 激昂したクラーヴァが鉄格子に手をかけた瞬間に、ばちりと大きな衝撃音が走った。その衝撃によって、沸点に達した怒りが一気に霧散した。目を剥いて掌を見ると、どうやら火傷しているようだ。

「ああ、触れない方がいい。龍を封じられ、魔法を失った私に一体何を恐れているのか、何重にも強力な結界を奴らはかけていったからな」

「……」

 他人事のように軽く笑うヒユウと、ひりひりと痛みを訴える掌を交互に見遣ったクラーヴァは忌々しそうに舌打ちをした。

「成る程、そうかよ……じゃあ、まんまと黄昏人に操られた腑抜けの代わりに、俺がその黄昏人の小娘をとっ捕まえて、殺してやるさ」

「―― お前に出来るのならば」

 一層冷えた青い一瞥とともに挑発的な言葉を投げられたクラーヴァはもう一度舌打ちしてから、踵を返した。










「牢の中にいる気分はどうだ」


 クラーヴァが去って、幾許か経ったあとにやってきたのはゼノンであった。気だるそうにヒユウは顔を上げて、鉄格子の前に姿勢良く立つ壮年の男を見て口の端を上げる。


「貴様に飼い殺しにされていた今までよりは気分がすっきりしている」

「……心外だな。お前を今までの不自由な身を幾分に軽くしてやったというのに。龍の力を封じ、お前の将軍の座を奪うことで、エルカイル教会はお前への警戒を減らした。“聖なる手”による監視も、大分少なくなった。英雄などという肩の凝る身分からも解放してやったのだ。まったく、感謝してもらいたいものだ」

 大仰な素振りで肩を竦めたゼノンはいけしゃあしゃあとそんなことを言い放った。悪気などは一切なく、心外そうに目を見開かせる。その仕草が、いちいちヒユウの癪に障った。

「……確かに、不自由さは幾らか消えた。だが、龍の力の代わりになど、私は聞いていない」

「……それはお前が、心底扱いにくいからだよ、ヒユウ。もう少し、愚鈍ならば、こんな手荒な方法をとりはしなかった。それにな、お前は少し調子に乗りすぎだ。おかげで、ノエルのようにお前への反発が強い存在まで出てきてしまったではないか。中立の立場の私としては、こうするしかなかったのだよ」

「……」

 苛立ちをぶつけても、ゼノンは暢気な口調で、仕方ないことなのだと返してきた。


「さて、当初の予定通り、お前の身を軽くしてやったぞ。少しは私の役にも立ってもらおうか」

「……龍の力をなくしては、私とて『聖なる手』の相手は出来んぞ」

「ふん、らしくない弱気な発言を。以前からお前がこそこそ隠れて裏で手勢を集めていたことは知っているぞ」

 ゼノンは口角を上げてヒユウを見下ろしたまま、そう言った。

「まあ、どちらにせよ『聖なる手』は今はいい。あちらも今すぐに手を出してはこないだろう。それよりも、黄昏人らをどうかすることが鍵だ。それが、後々、重要になってくる」

「……それも、困難だ。あちらは人間を八つ裂きにしたいほど、憎んでいる」

 ヒユウが眉をしかめると、正論だと、ゼノンは頷いた。

「無論、そんなことは百も承知している。我々が永い時をかけて彼らに対してした仕打ちを考えれば、当然だ。だが、もう血で血を洗う歴史は終わりにしたい。この、腐敗した帝国の中枢とともに。私達この地を守る剣が、憎しみの……負の連鎖を絶つべきだろう」

「……それに関しては、異存ない。だが、それにしては貴様のやり方は、更に奴らの怒りを煽ることとなるぞ。帝国民の黄昏人に対する怒りも同様に。これではいつかの『黄昏人狩り』と同じではないか。再び、繰り返すつもりか」

 既に上層部内だけで秘密裏に処理できるものではなくなっている。英雄とされているヒユウが黄昏人によって将軍位剥奪、投獄の事態にまで落ちてしまったのである。このままでは、さらに民衆の黄昏人への憎しみの心は膨れるばかりだろう。

「……彼らより先手を打つ必要がどうしてもあってな。それに三年前より彼らの動きは不気味なほど静かだ。水面下でこそこそとやられるよりは、正面切って対峙した方がこちらとしては有利に運べるということだ」

「それで、憎しみの連鎖を断つことができるとでも」

「堂々と対峙することがまずその第一歩だと思うのだよ」

「……そこまで言うのなら、お前の好きにするがいいさ」

 この調子では堂々巡りになりそうだ、と焦れたヒユウはどうでも良いというように問答を中断させた。それを静かに受け入れ、何か含みのある視線をよこすゼノンに気付き、ヒユウは訝しげな視線で問う。言いたいことがあるならはっきりと言え、そういう視線だ。

「……黄昏人、彼らは公然とわれらに敵対している、憎しみをぶつけてくる。私はそういった輩は嫌いではないよ。私にとってまこと恐ろしいのは獅子身中の虫だからな」

 獅子身中の虫――それは表面上味方のふりをした、内部の敵。

 強大な一族である黄昏人よりも、ゼノンは危惧するのはそれなのだと言う。ヒユウは目を細めて、ゼノンを見返した。

「エルカイル教会の人間も私達と公然と対立している、ということはお前が恐れているのは軍部内にいるらしい虫か」

 その返答に、ゼノンはゆるくかぶりを振った。

「我ら、というのは帝国軍という意味ではなく、もっと広い。この、帝国、という意味だ」

「それではエルカイル教会も皇族貴族も帝国軍も、民衆すら入るということか。お前は黄昏人を誘き出して、内部の虫を一匹ずつ炙り出して潰すつもりなのか」

 ゼノンの目的がいまいち掴めず、ヒユウは詰問するように口調を尖らせた。

「……ただ、私はこの帝国を守る剣であり。私の目的はそれ以外、ない。……お前こそ」

 そこで言葉を切り、じっと見透かすような強い視線がヒユウに向けられた。黒い双眸は鋭く研ぎ澄まされた刃のように容赦ない光で、ヒユウを射る。

「私はお前こそ、その目的が知れない。……お前は今、あの小娘の行く先でも心配しているのか――本当にそうならば、安心していいがな。“聖なる手”が急襲したが、あの側近のおかげで小娘の行方は掴めなくなったという。おそらくは森の中で彷徨っているだろうが、お前のことだ、それも予想済みだろうな。密かに手勢を呼んで、待機させてあるのだろう」

「……」

 ヒユウの沈黙を肯定ととったのか、ゼノンは理解できないというように眉間に皺を寄せた。


「……それにしても、私にはどうしてもお前が、ただ一人の小娘ごときに執心し、全てを投げ出すような、そんな情に厚い男には到底見えないのだよ。お前はもっと、打算的で、狡猾だ。くさい芝居にしか見えん」

 それは以前からあった疑問だった。三年前の、黄昏人として露呈した少女の扱いに対して激情を顕にした青年に、ゼノンも驚きを隠すことができなかった。今でも、信じ難い。まるで掌中の珠を盗られて怒り狂った龍。まるで、囚われの姫を救いにでもやってきた騎士のようだ。

 目の前の男はそんな清廉潔白な、騎士の鏡のような人間だっただろうか。

 否、それは違う。

 大勢の人間は今でもそう信じているが、それは表面しか知らないからだ。英雄として担ぎ、広告塔として利用している自分のせいでもあるが。

「お前はあの少女を守るふりをして、利用しているだけだろう。目的はまだようとして知れぬが……」

「……ほう、先程の獅子身中の虫とやらは私のことを言っていたのか」

「そう殺気立つな。私のこの立場は辛いものなのだ。周りの全てを、疑わねばならん。私に近づく者全て、なんらかの含みをもった人間として捉えねばならん……とても、辛い立場なのだよ。お前も似たような立場だから、わかるだろう?」

 そう言って、壮年の男は苦笑を残してきびすを返した。

 再び、薄暗い牢内に静寂が落ちる。






―― お前がただ一人の小娘ごときに執心し、全てを投げ出すような、そんな情に厚い男には到底見えないのだよ。


「……なかなかに、鋭い」

 大国の軍事のトップに立つ男の観察眼は、やはりその立場に相応しいほどのものだった。ヒユウは口元を歪めてゼノンの立ち去った方を見据え、そして右手の掌に視線を落とす。



「……所詮、俺の意志が介在する場所など、最初からこの世のどこにもありはしない。別段、ここにいる俺が俺でなくとも構わないということだ」


 たとえ、自分でなくとも他の誰でも、同じように時は流れる。

 自分の代わりなど、いくらでもいる。そしてこれは、誰でもなれるものだ。

 龍の力も、ただそれだけの為に与えられたのであって、決して、自分の力ではない。

 そもそも、自分のものなど最初から存在しない。これからもずっと、何も自分のものにはならない。



「……ならば、最初から俺は存在しないのと同じではないのか?」











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