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黄昏人  作者: はるハル
Lost Sheep
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 “ 龍の飛来し大地 ” 。

 あるいは龍王のお膝元、龍に護られた地――など、その大国を指す言葉は数多くあった。世界最大の版図、軍事力、経済力を有し、誰もがその繁栄を龍の加護によるものだと信じている。ただ、それと同時にその地の歴史を見て、

――悪血の呪いにかけられた大地、と、皮肉をこめて呟く者も少なからずいることは確かだ。



 古来よりこの広大で豊かな大地を持つ大陸では小国が乱立しては滅び、戦は絶え間なく続いたという。所謂、興亡常無しと呼ばれた暗黒時代である。多くの者が自らを“覇王”と称して大陸統一の旗を揚げたが、その全てが野望を果たすことなく大地の上で散っていった。あまりに永い戦いに人々の疲弊と絶望は深く、大陸の中央を走る大河はそれらの嘆きと血を吸い取って“滅びの河”と呼ばれるようになった。かつての豊穣と生命の源は死と腐敗で埋め尽くされて見る影もなく、滅びを司る終焉の地となってしまったのである。

 それを見て憂えたのがこの世界の守護神であり、幻の種族とされる龍族だった。彼らは戦いの終止符を打たんが為にかの地に降り立ち、平和へと人々を導いたとされている。有史以来、彼らが人々に直接干渉したのはこれが初めてのことであったらしい ―― 少なくとも記録に残っている限りでは。

それが現在、世界最大の支配力を誇るロウティエ帝国の成り立ちであり、人々が龍の加護を信じる根拠であった。




 ロウティエ帝国 ・ 帝都ベルツグ。

 建国五百年という一つの歴史の区切りとして、帝都では大規模な聖祭が開催されることになった。大陸のほぼ中央に位置したその都に、現皇帝カーリヤ ・ グリフ ・ ロウティエの執政城が存在し、その背後には “ 滅びの河 ” ――呼称は改められ、現在ではレテ河と呼ばれている―― が滾滾と流れている。城郭都市であり、高い城壁と背後に流れるその大河が天然の濠として、都を守っていた。

帝都には皇城だけでなく帝国軍本部施設とエルカイル教会の大神殿が聳え立っており、その荘厳で、ある種の選民的で近寄りがたい雰囲気がまず、初めて訪れる者を圧迫していた。

 だがそれでも経済の中心地でもあり、多くの人間がこの地に集う。

今では、聖祭を前にして平時とは比べ物にならないほどの人や馬車が列を作っていた。関所や街の門に配置された役人、軍人は一時も気の休まる間もなさそうである。

そんな彼らを馬車の中から気遣うように見ていたフィリアだったが、凱旋門をくぐり抜けて広がった目の前の光景に、一瞬で目を奪われた。


都の中心部から放射線状に広がる道とそれらをつなぐ環状の道、そしてその道に沿って並んだ瀟洒な家々。元々この辺りは山だったそうだ。それを切り崩して街を築いたために中心部にいけばいくほど土地は高くなっている。だから街のどこからでも中心部に聳え立つ白亜の城を眺めることが出来た。すぐ隣に建つ大神殿の尖塔の先にある鐘が、陽光によって黄金に輝き、その清冽な音が人々に時を知らしめる。街の随所に緑が散りばめられ、隅々まで計算され尽くしたような、鑑賞者を意識した造りであった。


 「うわー、凄い人ですね、ハデス様」

 門から続く大通りは勿論のこと、入ってすぐ広がる馬車停でも、石畳が見えないくらい人と馬車が溢れかえっている。

 フィリアはこんな賑わいを目にしたことがなかったので、つい馬車の窓から身を乗り出した。すぐに危ないと諭されて椅子の上に戻されたが、それでも興奮は止まらない。馬車亭につくと、落ち着きの無い幼子のように外に飛び出した。真紅の瞳を輝かせて、初老の男の方に振り返る。男は聖衣の上から外套を羽織り直し、少女の嬉しそうな様子に目の皺を深めた。

「うむ、私も何度か帝都には来たことがあるが、これほどの人混みは見たことがない。フィリアは帝都は初めてだったな、さぞかし驚いたろう?」

「はい。去年一年間で見た人の数よりずっと多いです、きっと」

 はは、と微笑を深めて、ハデスは少女を促し大通りへと足を踏み入れた。


既に齢六十を越しているハデスだが、あまり老いを感じさせない。

フィリアはハデスとはぐれないよう、後をついて行きながらそう思った。背筋を伸ばして悠々と歩く姿は貴族然としていて、せいぜい四十代くらいに見える。それより人混みの中を上手くすり抜けて歩くさまに、フィリアは心の底から感心した。

「ハデス様、あれが大神殿ですか?」

 高い城壁に囲まれた白亜の城の横には神殿らしき建物があった。こんな遠くからでも繊細な幾何学的模様のレリーフが壁面に施されているのがわかる。何より大きくて、真っ白。ここから見上げるとちょうど太陽が神殿に遮られて、後光がさしているような、まるで神殿自体が光を持って人々を導いているような、そんな神聖な気分になるのだ。

「ああ、そうだよ。聖祭の行事は全てあそこで催される。あとで連れて行ってあげよう」

「いいのですか!? 大神殿の出入りは、一般人はともかく私のような見習いシスターも禁止されているのでは……」

「聖祭の間は特別に一般公開しているんだよ。といっても一部の区域だけだがね」

 一部でもなんでも行ってみたい、と思いながらフィリアは嬉しそうに返事をした。

 そんな風にたわいのない会話をしながら大通りを歩いた。出店が立ち並び、客寄せが賑やかに行われている。しかしフィリアはシスターの服装をしていた為、強引な勧誘にあうことはなかった。この地ではエルカイル教は民の間にも広く伝わり、信仰が篤い。そのおかげで至って平穏な帝都入りを果たすことが出来たのだ。


 各地の野菜、果物などの素材から、色とりどりの衣装や装飾品、時には愛玩用としての小動物があちこちの出店で並べられている。見るもの全てが目新しく、フィリアは目に入る全てにいちいち感嘆の声を漏らしていた。圧倒的な種類の豊富さに驚きながらも、人々の活気と笑顔に自然と心が弾んで足取りも軽くなる。

 きょろきょろと物珍しげに辺りを見回す少女に司祭は優しい微笑みを浮かべて見守りながら、半刻ほど歩いたところで足を止めた。どうやら、目的地は一軒の宿だったようで木の扉を押し開けると広間、奥に受付が見える。大通りに面したそこは、旅人や平民より貴族や聖職者が好むような格式の高そうなところで、床には板の上に絨毯が敷かれていた。あらかじめ予約していたのか、それともハデスがエルカイル教会の司祭を務めているからなのか、すんなりと部屋まで辿り着くことが出来た。



「ハデス様、お出かけですか?」

「ああ、フィリアはここで待っていなさい」

 着いて早々、いそいそとまた何処かへ出掛ける様子のハデスに留守番を言い渡されてフィリアは心なしかがっかりした。せっかくの帝都だから、色々ついて見て回りたかったなと思ったが、本来の目的を思い出してフィリアははい、と素直に返事をした。二人は今回の聖祭に遊びに来たのではない。ハデスは司祭として聖祭の手伝いに来たのであって、フィリアはそれにお供として来させてもらっただけだ。出来るなら、エルカイル教のシスターとして何か手伝いたかったのだが、シスター見習いに出来る仕事は今回は無いそうだ。それでもハデスは連れて来てくれた。きっとろくに街から出たことのないフィリアを不憫に思ったのだろう。孤児だったフィリアを引き取って育ててくれただけでも大感謝なのに、それでも尚自分を思いやってくれるハデス司祭にはいつも頭が下がる思いばかりで。だから、せめてこれ以上彼の負担になるようなことは絶対にしてはいけなかった。これはフィリアにとって最重要事項だった。

 そんなフィリアを看破することなど容易いハデスは、困ったように笑う。

「なに、明日からが本祭だ。ゆっくり帝都を見る時間はまだたくさんある。今日は長時間の馬車での移動で疲れただろう? 身体を休めて明日に備えなさい」

「はい、ありがとうございます。ハデス様、お気をつけて」

「今日中に戻るが、遅くなるかもしれん。夕食は先に食べていなさい」

 ハデスはもう一度、絶対に一人で出てはいけないよ、絶対にフィリアは迷子になるからね、と言い含めて出て行った。



「そんなに顔に出ていたのかなぁ。外に出たいって」

 頬をぺたぺたと触りながら、少し反省した。窓の近くの寝台に腰掛ける。窓を開けると渇いた春風が、うなじから緩く波打つ亜麻色の髪を弄んだ。ここからは皇城がよく見える。生まれて初めて見る美しい白亜の城にフィリアはまたうずうずする気持ちを抑えられなかった。

「……方向音痴でなくって、帝都の地理に詳しかったら一人でも大丈夫だってハデス様も思ってくれるんだろうなぁ……」

 十八にもなって迷子の心配をされるのは、少々情けなかった。しかし、事実フィリアは方向感覚がないので反論できない。それにしても少し過保護だと思う。心配されるのは嬉しいけれど、申し訳ない気持ちの方が強かった。

 暫くの間そんなことを思いながら、フィリアは窓枠に頬杖をついて美しい帝都を眺めていた。











 春になったとはいえ、まだまだ肌寒く外套が必要だった。全体的にこの大陸の気候は冷涼で湿気も少ない。そのせいか太陽の光がとても眩しかったりする。おそらく湿気がない分日光が大気中で吸収されず直接地表まで届くからだろう。

 その陽光を余すことなく吸い取って青々と繁る芝生にハデスは足を踏み入れ、辺りを見回した。聖祭の間は一部を一般公開している為に平常時なら人の少ない場所にも大勢が集まっていたが、ここは大神殿の裏庭で関係者以外は入ることが許されなかった。内部からも柱列の影で死角になっていて、まさに密談のためにあるような場所だ。

ハデスは視線を巡らし、目的の人物を見つけると僅かに安堵の息を漏らした。彼もちょうど庭園の反対側から芝生に足を踏み入れたところで、ゆっくりとこちらに向かってくる。

 黒衣を纏った騎士 ―― 帝国軍の要である『黒印魔法騎士団』の将軍を務め、周囲からは「黒騎士」と呼ばれ畏れられている人物だ。端正な容貌なのだが、鋭い視線と全身を覆う威圧感のせいで、綺麗というより畏怖の念を植え付けさせる。それが安易に人を寄せ付けない要因になっているのだろう。


「ヒユウ ・イル ・ リューシア殿。直接お目にかかるのは久方ぶりだ。多忙の最中にも関わらずの目通りが叶い、恐悦の至りに存ずる」

「……畏まらずとも周りに目はない、ハデス司祭」


 胸に手をあてて挨拶を交わすハデスにヒユウは肩を竦めた。こんな裏庭の端で貴族の挨拶も何も無い、時間の無駄だと暗に示唆するヒユウにハデスは微苦笑を漏らした。堅苦しいことを厭い、合理さを重んじるのは昔から変わっていない、と思った。

 帝国軍最高幹部とエルカイル教司祭。一見何の関連も無さそうな二人は旧知の間柄であり、そのことを知る者はあまりいない。軍部とエルカイル教会の対立という背景がある以上、このような密談状態になってしまうのはやむをえないこととはいえ、不便に感じた。


 人々の喧騒が遠く、さわさわと木の葉がこすれる音が近く。暫しの沈黙が降りて、自分から呼び出したくせに一向に口を開こうとしないハデスをヒユウは訝しんだ。

「……司祭、どういうつもりだ」

「先程、伝令は届けた筈だが」

「あのようなたった数行の文では仔細までは掴めん。何故、連れて来た」

 傍から見れば詰問するような語気だったが、普段から人を突き放したような素っ気無い口調が多い彼にとってはこれが普通だった。微かに非難を交えた視線で、ハデスの真意を掴もうと真っ直ぐ見据える。それを受けてハデスは素直に謝った。

「私の独断で勝手な真似をしてすまない。確かに君の意思に反した行為だった。だが、どうしても今のままでいいとは思えぬのだ」

「……司祭には感謝している、それに信用もしている。だが私は自身の選択が誤りだとは思わないし、今更変えるつもりもない」 

 ハデスの真意を感じ取ったヒユウの声色は僅かに硬さを帯びた。何かを訴えたげな視線を振り払うように、強く主張する。

「私も、君の選択を間違いとは思っていない。三年前のあの時はそれしかなかった。けれど、選択肢が常に一つのままとは限らない、未来は絶えず変わり続けている」

 ハデスはそう言って、一つ息を吐くと裏庭に芽吹く木々を見遣る。庭師に手入れされた美しい庭は、この陰鬱な気分を癒してくれる。そこに咲く一輪の白い花が、脳裏に少女の姿を描かせた。聖職者として接することが多かったせいか彼女は敬虔なシスターらしく、慎ましやかで控えめな少女に育った。その胸に多くの不安と葛藤を隠しながら。


「フィリア……あの子が自身の記憶を失ってから、もう三年だ……」

 ハデスは重そうな溜息とともに、口を開いた。

「自身の記憶喪失に疑念と不安を抱いて、苦しんでいる。……それでもまだ、許せないというのか」

顔色を窺うハデスにヒユウは不快そうに眉を顰める。

「……まだ、たった三年ではないか。ハデス司祭」

彼の憂鬱な思考をばっさり切り捨てるように言うと、ハデスは寂しそうに目を伏せて、「そうか」と答えた。すぐに気を取り直したように顔を上げる。

「聖祭の間は宿にいる、いつでも会いに来てくれ。様子を見に来るだけでもいい。今日は直接そのことを伝えたくて来た」

「……気遣いには感謝するが、何より身の安全が重要だ。ただでさえ今の帝都の治安は完全とは言い難い。後ほど護衛を遣わせる」

そう提案したヒユウにハデスは「すまない、頼む」と返した。そのままこの場を立ち去ろうとしたので、ヒユウは司祭にも護衛をつけさせようと申し出たのだが、ハデスは首を横に振った。

「いや、私はいい。これから神殿の方へも本祭のことで呼び出しが出ておるからな」

「そうか。では、くれぐれも御身には気をつけられよ」

 その忠告にハデスは一礼してから、身を翻した。



「……三年ぶりの再会だというのに相変わらずそっけない奴だね、お前は」

「ツヴェルフ」

がさり、と木の葉が擦れる音とともに、ヒユウの背後に一人の男が現れた。短い毛先が逆立った水色の髪を持ち、体躯は暗い色合いのコートで包まれている。悪戯めいた黒目がちな瞳が印象に残る童顔で、十代後半ほどにしか見えない。軽い口調がさらにそれを助長させていた。

「護衛を数名、遣わせろ。ただし、本人には気付かれぬように」

「了解、っと。……おい、本当にこれでお前はいいのか?」

「……お前まで何を言っている」

そのまま再度、姿を消すと思った側近が思いもよらぬ言葉をかけてきたのでヒユウは瞠目した。主に対する不遜な口調はいつものことなので今更咎めはしないが、彼の言いたいことがわかって眉間に皺を寄せる。その鋭い視線にツヴェルフは僅かに顎を引いた。



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