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黄昏人  作者: はるハル
哭ぶ獣
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1

―― まったく、最近ろくでもないことばかり起きやがる。


 鼻にこびりつくような臭いにクラーヴァは毒づいた。苛々が積もって、ここ暫くは眉間の皺が固定されてしまっている。それに周りの人間が慄いて、びくびくしながら接してくる、その態度が余計彼を苛立たせていた。

 こんなむしゃくしゃしたときは、剣の鍛練に限る。余計なことを考えずに、ただ剣を振るうことに集中することで多少は気が晴れるのだ。だが、最近は徹夜続きの仕事ばかりで、そんな時間さえとれなかった。

(龍託による、軍備縮小命令の次は、これかよ……)

 悪いことは重なるものだと、うんざりしながら足元に転がったものを見下ろす。



 いびつな形をしたそれは、もはや人を象るものではなかった。


 黒く変色してしまった血溜まりの中の肉塊。かろうじて人間だとわかるそれは食いちぎられ、細切れにされて四方八方に飛び散っていた。

 騎士という職業柄、死体を見ることには慣れていた彼とて、ここまで容赦なく嬲られ惨殺されたとわかるものを目にすれば、やはり気分が悪くなるものだ。連れてきた騎士の中に新人がいなくてよかったと思う。実地の経験を積んでない若輩がこれを見れば、まず吐き気を催して(場合によってはその場で吐くだろう)、数日の間は肉など食う気にならないだろう。

 いくら渋ったところで無駄な時間が過ぎるだけなので、クラーヴァは眉を顰めながら検分した。

 歯型から見るとおそらく、大型の魔物に襲われたのだろう。


 この世界には獰猛な獣は少なからずいる。積極的に人間を襲うものは魔物と呼ばれ、人間の天敵として恐れられていた。国民を魔物から守るのは帝国軍の主な仕事の一つだ。しかし、魔物に惨殺された程度で聖印騎士団将軍であるクラーヴァがわざわざ現場に出向くことはあまりない。

 今回、彼が出向くことになったのは、惨殺された場所が帝都から遠くない林道、商人などがよく使用する道のすぐ傍だということ。そして殺された数がニ、三ではなく、五十近かったからだ。

 殺されたのはそこそこ名のある豪商。用心につけた護衛の兵士も、役には立たなかったようだ。


「ちっ、またか……」

 そして、このような惨殺の被害にあったのは今回が初めてではなかった。

「クラーヴァ様、被害にあったのは夕方から深夜未明の間。林道近くに野営を張ったあとに襲われたようですね。まず護衛の兵士が襲われ、騒ぎに気付いて慌てて天幕から飛び出した商人らが次に殺された、というところでしょう」

 報告にやってきたギルベルトにクラーヴァは、そうかと返した。

「大型の魔物……魔法を使ったあとも。しかし足跡を見ても、それほど数は多いとは思えません……多くて五匹以下。ここが不思議なところなのですが。食欲を満たすため、というより……」

「そうだな、これほど意地汚く食い散らかす魔物は知らねぇ。よっぽど人間に敵意を持っているのかがわかる殺し方だ」

「可能性として ――」

 ギルベルトはいくつかの、魔物の名をあげていったが、クラーヴァは首を横に振った。

「いや、これは今までにない魔物の仕業だな。相当危険なものだ。帝都近くで暴れるなんて、いい度胸をしてやがる」

 緑の双眸には、好戦的な光が宿っていた。









「聞いた、聞いた? 帝都のすぐ近くで商人が魔物に襲われたそうよ! しかも五十人近くいたのに一人残らずですって!」

 軽い悲鳴が他の女官から上がる。

「また? この頃帝都の近くで魔物がよく出るようになったわよね……今までは辺境とか大陸の端の森深くとかだったのに……」

「まさか、街中にまで来ないわよね……?」

 女官の一人がおずおずと怯えたように言ったが、他の女官は笑った。

「まさかぁ! それにここには帝国軍の騎士団がいるもの」

「そうね、言ってみればこの城がこの国で一番安全よね」

 不安を濁すために、わざと軽い口調で女官たちは笑い合っていた。

 このように帝都近くで魔物が人を襲う事件が多発しているという話題で、帝都はもちきりだった。経済の中心地でもある為に、とくに商人達は頭を抱えているらしい。



 魔物……。

 聞きなれない不穏な言葉に、フィリアは思わず立ち止まった。

 少女が住んでいた街は帝都からも遠く、はっきりいって田舎だった。周りは穏やかな自然がいっぱいだったが、魔物が出没するような危険な場所ではなかった。だから、人づてでその単語を聞いても、少女はいまいちぴんとこなかった。

 今日一日の仕事を済まして、今まで働いていた宮から、渡り廊下を歩いて少し離れた建物に入る。そこは女官達が寝泊りする建物だった。皇族が住まう本殿とは格段に質は下がるものの、それでも一般の貴族並の豪華さだ。女官には貴族出身が多いので当然といえば当然の待遇なのだろう。

 柔らかな絨毯のひかれた廊下を通って、二階の奥の部屋の扉を開ける。

 普通ならば、二、三人で部屋割りが組まれるのだが、フィリアは一人で部屋を使用していた。おそらく、フィリアが女官になるというのは急遽決まったからだろう。平民出身の女官の寝室にしては広すぎて、最初は戸惑ったものだ。高い天井に大きな寝台。調度品も一通り揃っている。

 フィリアは今すぐ寝台に飛び込んでそのまま寝たかったが、なんとか女官の制服を脱いで寝間着に着替えた。ここにきた当初は豪華すぎて寝つけなかった寝台にも、ようやく慣れてきた。

 ばふ、と音をたてて上等なシーツに身体を埋める。今の少女にとって、一日の中で、気が休まるのはこのときぐらいだった。


「なんだか色々ありすぎて……」

 最近では帝都の周りで神出鬼没の魔物の噂でもちきりだった。怖いなと思いつつも、フィリアの心中は正直それどころではなかった。  最精鋭集団である二大騎士団『黒印魔法騎士団』と『聖印騎士団』が常駐する帝国軍本部が隣にあり、最も安全とも言われるこの城に勤める女官たちにとって、いくら口で恐ろしいと言っていても、帝都の外で起こることなど対岸の火事と同じだ。

 だから現在、帝国民を不安に陥れているその噂よりも、聖祭から数日たったというのに最終日のあの夜会での出来事がもっぱら女官達の興味の矛先になっていた。

「レヴァイン殿下は、本当にすごい人気なんだなぁ……」

 改めて思い知ったその事実。

 側室が何人もいても、皇統を継ぐわけでもない第二皇子でも、彼の人気は凄かった。大司教の座を持っている為に政の場での発言力も大きく、類稀な美貌をもつ皇子、確かに女性ならば憧れの対象だろう。しかも彼は女性に対しては、女官だろうが姫君だろうが紳士として振舞うし、振りまく笑顔も絶やさない。皇宮に勤める女官達にとっては癒しになっているようだった。

 その癒しである彼と一見親しげな女官 ――フィリアとしては、まったくもって誤解なのだが―― 、しかもそれが平民だとくれば嫌がらせの対象になるのも、仕方のないことかもしれない。

 


 こんな風に、なんとか自分を納得させようと、現状に対応させるために導いた結論であっても、心の疲労は取れやしないし、全て受け止める余裕など端からない。


「ハデス様に会いたいなぁ」

 口にすると、どっと寂しさが押し寄せてきた。

 疲れてるのに眠れない。

 先輩の女官に目に見えてわかるほど仕事を押し付けられて、嫌味を言われて、心身ともに疲労していてちょっと身体を動かすだけでも億劫なのに、目は冴えてしまっていた。眠らなきゃ明日はもたないとわかっているのに、シーツに全身を預けているというのに眠れない。

 こんな風に、眠りたいのに眠れない夜はフィリアにとって珍しい夜ではなかった。

 ハデス司祭と教会で暮らしていた頃、時折こういう風に不安で鼓動が高鳴って眠れなくなる日がよくあった。

 そんな日は決まって、フィリアはハデス司祭の下へ訪れていた。幼い子供のようで恥ずかしかったけれど、でもどうしてもハデス司祭の顔を見たくてたまらなくなった。

 薄暗い闇の中、自分の存在だけが浮かび上がって、まるで世界に独りっきりになってしまうような感覚が襲ってくるのだ。そんな不安と恐怖を追い払ってくれるのはいつもハデス司祭だった。


 まるで、子守唄みたいに。



「本当に……。もう、何処にいるんだろう……」

 自然と言葉は溢れて、フィリアはまた暗い思考へいきかけた心を、両手で口を抑えることで止めた。

 愚痴愚痴思い悩んだところで何も変わらないのだ。自分にできることを精一杯しなければならない。俯いても、地面しか見えない。道の先は見えない。

 ヒユウの言葉を思い出す。

 そして、大丈夫、と自分に言い聞かす。彼は必ず見つけるって約束してくれた。命綱みたいに、その約束にフィリアは縋った。それでも今すぐハデス司祭に会いたい、顔を見たいという感情を抑えるのは難しかった。気持ちが不安定になっているからだろう。すぐに気持ちがぐらぐらと振り子のように揺れる自分が、フィリアは嫌いだった。そしてどうしてもその原因を、記憶喪失に結び付けてしまうことにも。

 記憶がないから、自分の輪郭はこんなにもあやふやなのだろうか。三年より前の自分は、一体どんな自分だったのだろう。どんな風に笑って、どういう考えを持ちながら、生きていたのだろう。


『――そもそも君の記憶喪失の元凶は、あの男……ヒユウ・イル・リューシアだからだ』


 あの夜会での、レヴァインの言葉は何度も甦る。幾度頭を振っても、振り払いきれない。それでも、フィリアはそれ以上の思考をすることは出来なかった。だって、考えれば考えるほどわけがわからない。元凶とはどういうことだろう。自分はヒユウと何か関係があったのだろうか。知りたいとは思いつつも、あのヒユウを前にして問う勇気も度胸も今のフィリアには持ち合わせていなかった。

 それに、今はなんだか会いたくない……。

 夜会での、ユリアーナと寄り添う姿があまりにも似合いすぎて、素敵すぎて、フィリアは思い出すのが嫌だった。きっとヒユウを見れば、より鮮明に思い出すに違いない。そう色々と思い巡らす内にこの気持ちが嫉妬なのだと気付いて、フィリアはますます気が滅入ってしまった。


 ああ、もう。この城に来てから、疲れることばかりだ……。







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