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黄昏人  作者: はるハル
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プロローグ

 あまりに無残な光景に、駆けつけた者は皆一様に息を呑んだ。


 幾重にも厳重に張り巡らされた結界など、あの青年にとって紙を引き裂くようなものなのだろう。

 無尽蔵な破壊によって生じた巨大な穴の中は真っ黒に焼かれ、底のない奈落を思わせた。周囲に積み上げられた瓦礫の山は今にも崩れ落ちそうな、危うい音を轟かせる。埃と熱気を含んだ灰が宙を舞い、辺り一面を暗くさせていた。軍の施設だったその建物はかつての見る影も無く ―― 屋根も、壁すらも地面に埋め尽くす黒く焦げた瓦礫と化していた。

「……何と」

 これを、あの青年がやったのか。

 灰を含んだ熱風が男の頬を撫でた。その生温く不快な感触に顔を顰める。煙があたり一面から巻き起こり、渦となって空に吸い込まれるように立ち昇っていた。その煙の中に青年はいた。ただ、拳を握り締めて立っている。こちらをじっと見据えたまま、その双眸は限りない怒りに満ちていた。

 それは、今まで認識していた彼の印象を一新するには充分すぎるほどだ。

 初見ではそれ以前から伝え聞いていた噂と殆ど変わらず、容姿そのままの怜悧で鋭い印象だった。次第に、表面を繕うのが上手く、時に相手を圧倒させながらそのまま呑み込んでしまう強かさを持っている、という感想が加わったのだが。騎士然とした風貌からはおよそ想像できない、老獪な政治家のごとき手腕に舌を巻いたほどで。それ以外で感じたことは、彼の表情はいつだって同じだということだ。人を食ったような微笑、冷笑を滲ませることもあるが、基本的に無機質な無表情。決して、感情を他人に悟らせるようなことはなかった。それなのに。今は。


 いつもの表情とはまるで違った。爛々と輝く琥珀の双眸、常に滲む涼しげな余裕などどこにも感じられない。青年は溢れ出る怒りを抑えきれずに、一歩踏み出した。瞬間、後ろにいた兵士達に一斉に緊張が走る。殺気が鋭い刃の雨となって降り注ぎ、それに耐えるだけでも疲弊した。


「……わかった」


 低く、押し殺した声が、青年の口から漏れた。


「よく、わかった。貴様の望むままにしてやろう」

 









◇  ◇  ◇







 軍本部の執務室の窓際に立つ壮年の男が、流れる大河をじっと見詰めていた。

 ここ帝都のすぐ背後に流れる大河は、古から豊穣と生命を司り、その流れは悠久を感じさせる。時刻は、夕闇が空を支配する頃。帝都を眩く照らしていた太陽は真っ赤な血の色を纏って、遠い山間へと沈みだした。その色をそのまま映しとった大河の水面には、沈みかけた真っ赤な太陽の輪郭がゆらゆらと、はっきりとしない形のまま、揺れ続けている。

「……熟しすぎて、腐って落ちる果実のようだ」

 男にとって赤という色は身近であり、不吉なものだった。白髪の混じった黒髪、顎先には僅かな無精髭、

黒の双眸は鋭く細められ、軍服に身を包んだその男は若い頃は美丈夫だったのだろうと感じさせる精悍な顔立ちをしている。

 「珍しく感傷的のようだな、ゼノン」

背後で扉の開く荘重な音に重なるように、踵が鳴らす硬質な音。泰然と部屋に入ってきた長身の男が、敬礼をしてそう言った。

「……ヒユウか」

「帝国軍最高司令官ともあろう貴殿が、らしくない。建国五百年を祝う聖祭を前に帝国民は皆浮かれているというのに」

 袖口や襟縁に金の刺繍が施された漆黒の軍服姿の男 ――― ヒユウは、そのまま執務室の奥にある机の前まで進んで、そこでぴたりと歩みを止めた。青みがかった銀髪は肩の位置で緩く括られ、毛先が右肩に垂らされている。揶揄するような口調だが青の双眸は鋭く厳しい。その凍てついた湖面のような眼差しが、彼の精巧な美貌をますます温度のない人形めいたものにしていた。

 窓から視線を外して一つ溜息を吐くと、ゼノンは傍にあった椅子に腰を下ろす。そして書類が積まれた執務机に肘をついて顎先に手を添えた。

「祭りは準備の時が一番楽しいとは言うがな。私にはどうも合わないのだよ……こういった賑わいは。それ以前に、この時期にわざわざ帝都の守りを薄めるような真似をする皇帝の胸中が計り知れん」

「突然の召集はそれか」

 苦虫を潰したような口調から厄介事の知らせだと窺い知れて、このことでわざわざ呼び出されたのだとヒユウは理解した。突然の召集に吉報など無いとわかってはいたが、確認するように言う。

 ゼノンは机を挟んで立つ彼に一瞥をくれてから、机の下へと戻した。

「『元老院』より、皇帝の手を通して送られた報告書がそれだ」

 視線で示された机の上の書類を手にとってざっと目に通すと、ヒユウは柳眉を吊り上げた。


「皇家主宰の夜会だと?」

 書類には、数日後開催される大規模な聖祭についての関連事項が並んでいる。その中に皇家主催の夜会についての詳細が載っていた。皇族や貴族が夜会を開き参加するのは当たり前のことで、今更気に留めるようなことではない。軍人が毎日行う警備などと同じようなものだ。古くからの慣習でもあるが彼らにとっては重要な仕事。人脈を広げ、情報を収集し、そこで軍人とは違う「力」を蓄えるのである。わざわざ、軍人――帝国軍部の騎士の多くは貴族出身であり、ヒユウもゼノンもその一端なのだが――が口出しするようなものではない筈なのだが。

 いつもと違うのは、その夜会が一般公開、つまり、平民をまじえての夜会であることだった。

 この地では皇族貴族と平民の格差は大きい。平民の前に姿を見せることすら厭う彼らがこのような提案をするとは間違いなく、異例のことであった。


「今回の聖祭に合わせて、貴族と平民の確執の緩和、そして交流。皇家を身近に感じてもらう為の一般公開夜会を開くそうだ。民衆の中から皇族の側室として選び迎え入れるとのこと」

「成る程。そろそろ現在の体制に我慢がならなくなったか」

 ゼノンの説明に、ヒユウは先程まで微かに浮かんでいた驚きの色を消し、代わりに冷笑を碧眼に滲ませた。嘲るような、酷薄な笑み。感情表現が豊かでない彼がよく浮かべる表情だった。

「そう。事実上、今の帝国は軍部とエルカイル教会の統制下だ。皇帝の権威は最早あって無しがごとく。平民から側室を選んで、少しでも皇族の印象を上げようと彼らも必死なのだろう。平和とは言いがたい現在の情勢下では下手すれば反発も招くとして、些か短絡的ではあるがな」

「平民を雑草程度の存在にしか見ていない皇族貴族らの、苦肉の策というわけか。愚かな。これ以上、内部での分裂が進めば、ますます他国につけ入る隙を与えるだけではないか」

「然り」

ゼノンは即座に同意し、続ける。

「如何なる時でも、彼らは己の矜持にしがみつくのに必死だ。自国が無くなれば、そんなものなどなんの意味もないというのに。自ら、足場を切り崩していることにすら気が付かない。気付いていても止められない。何故ならばそれが彼らにとっては、アイデンティティーに基づく行為だからだ」

「矛盾こそが、生きる道というわけか」

 ヒユウの言葉にゼノンは口元を歪めただけで、顎先に添えていた手を離した。そのまま机の上で組むと改まったように目の前の男の名を呼ぶ。


「ところで、ヒユウ・イル・リューシア」


その改まった呼びかけは雰囲気をさらに剣呑としたものへと変えるには充分な響きだった。今までの話は単なる前置きに過ぎず、本題はこれからなのだと、言いたいのだろう。


「我が軍が誇る 『 黒印魔法騎士団 』 を率いる知将……“龍”の加護を持つ黒騎士よ。レヴァイン皇子殿下が皇族初のエルカイル教会大司教、すなわち 『元老院 』 の一員に抜擢された時からすでに予想されたことだが、皇族はエルカイル教会の走狗となった。これから帝国の覇権争いが本格化していくだろう」

 間違っても三つ巴にはならぬがな、と渇いた笑みを浮かべてゼノンは話し始めた。

もう、砂上の楼閣の如き平穏は終わった。帝国内の上層部の対立は激化し、いずれは衝突する。エルカイル教会は全力を挙げて軍部の権能を奪いにかかるであろう、と。

 皇族の力は脅威にはならない。ただ、エルカイル教会の陣門に降っただけのことだ。だから三つ巴にはならぬ、と。


「平穏は、終わってしまったよ」

―――貴殿の望んだ安寧が。

 帝国軍の事実上のトップである彼は四十歳を超えてもなお、鍛えぬかれた体躯と同様に威圧を伴う視線の強さにも、一切の衰えを感じさせなかった。何もかも見透かし、まるで戦場に立って対峙しているかのように錯覚させるそれ。そして、どこか試すような意味合いもこめられている。どうしてもそれが気に入らず、ヒユウは目を細めた。


「……何が言いたい、ゼノン・サティス・グローリー」


ぴり、と微弱な電流が流れるように鼓膜を震わす。広い部屋を満たしたのは殺気ともつかない緊張した空気。軍本部施設の奥の部屋、しかもあらかじめ人払いがされていた為に両方が口を閉ざすと、不気味なほどの静けさが降り立った。敵地に潜入するときのように張り詰めた雰囲気の中、ヒユウは不遜な視線を投げつけてきた。

軍内部での上下関係は厳しく徹底されており、上官に対する口答えは勿論、無礼な態度は一切許されていない。礼儀を欠いた態度を取ろうものなら即座に独房入りなどの懲罰が下りる。だが、ゼノンは口の端を上げただけで、ヒユウの無礼な態度を咎めようとはしなかった。それどころかその眼光の鋭さに、懐かしさすら感じていた。

何故ならば。本来の自分達の関係はこうだからだ。上下関係などない。自分達にあるのは、過去、互いの利益を守る為だけに交わされた、血に塗れた約束一つのみ。

そこに騎士の、忠誠だとかそういった一種美しい絆などはない。もっと合理的な、政治の世界での互いを化かし合い、腹を探り合う、隙あらば寝首をかかれる、そういった含みのあるもののみ。


「わかっている筈だろう。崩れかけた砂の楼閣を前に、貴殿はどうするのだと問うている」

 直接、本音を聞き出したい気分だったが、彼が自分に対して言葉でそれを表すことは決して無いだろうと確信していた。今にも喉元に刃を突きつけたい衝動と戦っているのが気配だけでわかる。ただでさえ、最近の彼の纏う雰囲気は憤りが混じって周囲の人間の精神の安全を脅かしていたのだ。その原因が、帝国内での不穏な動きに基づくものだということにゼノンはいち早く気付いていた。

これ以上煽るのは得策ではないと、あえて遠まわしに訊くだけに留めておくと、

「決まりきったことだ。我々軍人は、この地を守る剣。それ以上でも以下でもない。話は終わったな。これで失礼する」

 案の定、銀髪の黒騎士は即答して漆黒の外套を翻した。

 引き留める気もなく黙ってその背を見送ろうとしたゼノンだが、今回の召集に至った主旨を今思い出したかのような素振りで口を開いた。

「ああ、それとな。聖祭の警備の指揮は予定通り、貴殿に任せるつもりだ。一般公開夜会ということでより一層の警戒態勢が要求される。貴殿のことだから心配無いとは思うがな」

「承知した」

 背を向けたまま、その短い返答だけを残して黒騎士は部屋から去った。


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