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空を見つめて  作者: 直弥
5/11

第三話『学校の五不思議』(前)

 ――――2009.12.23 am00:13

 ジャージ高校生三人組が――やはり深夜の高等学校校舎、その二階廊下で――一匹の獣と相対していた(明、空也、由布子の順に、ほぼ一列に並んで立っている)。窓から差し込む月の光が作りだした影だけを見れば、紀州犬そのものであるが、毛の色は紫。更には額に、本来あるはずもない第三の目がはっきりと存在し、見開かれている。更に更に。足も含めて身体中に無数の口が在り、それぞれからど鋭い犬歯も覗いている。異形の怪物。

「うううううぅぅ……」

「落ち着け、どうどう」

 先頭立って怪物を宥めているのは明。いつ飛び掛かって来てもおかしくなさそうな唸り声を上げている怪物に対して、彼はあくまで冷静を保っているように見える。額からは一筋の汗が流れているが。

「おい、大丈夫かよ」明の背中越しに怪物を見つめる空也は、心配そうに訊ねた。「そいつも、あの魔法使いの使い魔じゃねえのか?」

「こいつはあの野郎の使い魔なんかじゃねえ」振り向きもせず。明は、空也の質問を力強く否定する。「こいつは元々こういう生物なんだよ。畸形ってわけでもない」

「元々って、え、だって、どう見ても……」

 怪物。化け物。異形。世界中の動物図鑑を調べたところで見つけることの出来ないほどにおかしな姿をしていながら、しかし畸形でもないという。

「空也君が混乱するのも無理ないよ。ちゃんと説明してあげなきゃ」

 そう言って弟(明)を諭すのは姉(由布子)。空也は数日前まで魔法や魔法使いをお伽噺の産物としか思っていなかった他人なのだから、曖昧ではなく明確な説明が必要である。と。

「だったら姉貴が説明してやってくれよ。その間、俺は何とかこいつを制してみるから」

 やはり振り返る暇もなく言い切った明に無言で応え、由布子は空也の肩をちょいちょいと叩いた。空也は振り返る。

「ええっとね、この犬みたいな動物は、この世界の動物じゃないんだよ」

「この世界の動物じゃない?」

 新たな情報にますます混迷を極める空也の頭。由布子の方は、それを見越していたかのように語調を変えない。淡々とした説明を続ける。

「よくゲームや漫画なんかであるでしょ? 〝召喚魔法〟って。魔界の悪魔だとか、幻想界の霊獣なんかを呼び出す魔法。実際にそんな魔法を扱える魔法使いは――少なくともこの世界には――ほんの一握りしかいないんだけど、その一握りにアイツが含まれていたみたいだね。もっとも、使いこなせてるとは言い難いみたいだけど」

「つまりあの犬(?)は、この世界とは別の世界から召喚された動物ってことですか?」

「そういうこと。『異界渡航』は、この世界に住むすべての魔法使いが目指す究極目的みたいなものなんだけれど、その途上にある魔法の一つが召喚魔法なの。魔人を呼ぶことも召喚って呼んだりするけど、魔人はあくまでこの世界の存在だからまた別物ね」

「はあ……」

 実際のところ。なんのこっちゃとでも言ってやりたいほど理解不能であったが、とりあえず頷いておく空也であった。

 

   0.


 山塙(さんかく)小学校。空見家の次男である空見大地の通うこの小学校に、六時間目の授業終了を告げるチャイムが鳴り響いた。

 ――――六年一組の教室。

「おっと。じゃあ、今日はここまで! 先生は帰りの会の準備持って来るから、ちょっとの間、騒がないで待っておくように」

 四角いレンズの眼鏡を掛けた若い女性教師は、手にしたチョークを置き、児童たちに向かってそう言うと、教室から出て行った。黒板には、分母分子ともに二桁の、分数の掛け算問題が三題書かれている。内一題は〝=〟の後ろが空白のままで、残り二題の同じ個所には正答が書かれ、その周りが赤い丸で囲われていた(正答は、明らかに式と違う筆跡で書かれている)。

『騒がないで待っておくように』

 そんな言いつけを子どもに言ったところで聞いてくれるはずもなく、彼の教師の足音が絶えるよりも早く、教室中が沸き出した。中には席を立って友達のところへ話しに行く者すらいる。こうなればもはや無法地帯である。女王を失った『小さな王国』は見事に崩壊した。その中で、誰と話すでもなく下敷きを団扇代わりにしている児童が一人。

「うああ、暑ぅ」茹だるような暑さに負けて。首筋から汗を流す大地の肩を、彼の後ろに座る児童が叩いた。「あ?」

 大地は下敷きを扇ぐ手を緩めぬまま振り向いた。その結果、

「ぎゃっ!」

 彼の持っていた下敷きの角が、彼の肩を叩いた児童の額に直撃した。

「あ。ごめん、波柴」

「気ぃつけろよ、もう」赤くなった額を擦る児童――男の子――波柴は、気を取り直すように溜息を吐いてから、言葉を続ける。「お前、学校の七不思議って知ってる?」

「音楽室のベートーベンが夜中になると絵から抜け出して、遊びに誘ったトイレの花子さんと一緒に人面犬を散歩させてるとかか?」

「何かごっちゃになってね!? 何か色々、ごっちゃになってね!?」少なくとも。恐ろしさは激減である。不気味と言えば不気味ではあるが。「そんなんじゃなくって、もっとちゃんとしたもんだよ。怪談だよ。うちの学校にもあるんだってさ。但し、七不思議じゃなくって五不思議だけど」

「語呂悪いな! で。あるのは分かったけど。だから?」

「ここまで聞いて『だから』ってことがあるか。折角だから、俺たちでその五不思議が本当かどうか調査してみようぜ。今日の放課後で。どう?」

「別にいいけど。でも、二人だけでやってて、今日の放課後だけで時間足りるかな」

「そこは任せろ。助っ人はちゃんと準備してるから」

 波柴が胸を叩いて宣言したのと同時に、

「テメーら黙ってろって言ったろうが!! もう許さん! 粛清してくれる!」

 女王が帰還した。

「波柴、〝しゅくせい〟って何?」

「この場合は『根性叩き直してやる』ってことだな」


「で、なんでよりにもよってこいつらなんだよ」

「いや、その、片方誘ったら確実に両方付いてくるから、それだけ人数が稼げると思ったんだけど…………悪い、完全に人選ミスった」

 終わりの会の後。六年一組と二組のちょうど中間辺りの廊下で。助っ人と落ち合った空也と波柴は、その助っ人を見て頭を抱えていた。助っ人は二人。バカが二人。二人は、人目も憚らずにいちゃついている。

「もう、イッチーったらあ」

「ユリリンったらあ」

 ――お前らはミッチーとヨシリンか!

 空也と波柴は同時に叫んだ。心の中で。

 イッチーとユリリンのバカップルと言えば、山塙(さんかく)小学校で知らぬ者のない名物である。母親同士が高校時代からの友人同士であり、本人同士も筋金入りの幼なじみという二人は、ちょっと異様が過ぎる仲良しであった。が。問題はそこではない。小学生でも男女の交際をしていて珍しくないと云うこの時勢にあって、たがだか仲が良過ぎる程度で名物になり得ないのである。名物たる所以は、

「あー、もう! 女と女でいつまでもいちゃついてんじゃねえよ!」 

 波柴のこの叫びにすべて集約されている。そう。イッチーとユリリンは二人とも女の子であった。基本的に、どちらが男役ということもない――小学生にしては背の高いイッチーを男役、六年生にしては背の低いユリリンを娘役に当てはめるものもいるが――二人の関係は、有体に言えば百合だった。

「しかしお前ら、オカルトになんか興味あったのか」

 大地からの質問に、イッチー&ユリリンは意味ありげな笑みを浮かべる。そして。

「何を隠そうワタシたち、」「オカルト&ミステリー研究同好会、略して、」

「「オカミスのメンバーなのよ!」」

「ああ、そう。……波柴、ちょっと」大地は波柴を手招きし、彼の耳元で訊ねる。「うちの学校、同好会なんてあったけ?」

「あるわけねえよ。アイツらが二人で勝手にやってるだけだろ?」

 そうだよな。と、頷く大地。イッチーたちを見遣る波柴と大地。飽きる様子もなくじゃれ合い続ける二人。見かねた波柴が強引に本題を切り出す。

「さて。折角四人もいるんだから、早速二手に別れて始めようぜ。グッパで決めるか、って。なんて顔してんだよ」

 この世の終わりみたいな顔をしたオカミスの二人は、波柴たちに食って掛かる。

「どうしてわざわざ、」「グッパで別れる必要があるの?!」「アタシはユリリンと、」「ワタシはイッチーと、」「「君たちは君たちで行けばいいじゃない!」」

「断る!」一喝であった。「お前らを二人で行かせたりしたら、いつまで経っても調査が終わりそうにないからな。どっちかって言うと、お前らを二つに分けるためのグッパだぞ」

「そんな、」「殺生な、」「「空見君からも何か言ってよ」」

 縋るように空見を見る二人であったが。

「女子しか入れないような場所もあるんだから仕方ないだろ」

 現実は無慈悲に振り下ろされた。


   1.


「鬼! 夜叉! 悪魔! 閣下!」

「(閣下?)しつこいな。そこまで言うなら、いっそ調査自体断ればよかったじゃんか」

「いやあ、一度引き受けた以上、こっちの都合だけで断るって言うのは失礼じゃない?」

「意外と常識はあるんだ……」

 感心していいやら呆れるべきやらで、大地はイッチーを見る目を丸くする。当のイッチーはまったく素知らぬ様子。

「それで。ワタシたちが調べる最初の不思議って何なの?」

「(オカルトなんとかなんて同好会やってて知らないのかよ)ちょっと待って。さっき波柴からもらったメモがある。えっとー、なになに? 『ベートーベンとトイレの花子さんがデキてる』……なにこれ? どっかで聞いたような話の気もするけど」

「国籍と歳の差を超えた愛だね」

「そこ重要?」人それぞれ。「それにしたって、こんなのどうやって調べればいいんだ。そもそもこれって怪談とかそう言うもんなのか?」

 一体誰がこんな噂を流し始めたのか。大地の関心はむしろそっちへと向かっていた。真偽などもはや考える必要もないといった風に。しかしイッチ―は。

「とにかくまずベートーベンを見てみようよ。音楽室に飾ってる肖像画のことを言ってるんだよね? 『夜中になったら抜け出す』とかって言う噂がどこの学校でも定番な」

「そりゃ学校のベートーベンって言ったらそれしかないからな。でも放課後なんだから、中に先生でもいない限り、音楽室は閉まってるだろ。どうやって確認するのさ」

「大丈夫。ワタシ、学校中の鍵穴と言う鍵穴を開けられるから」

「ああ、それなら大丈夫だな」

 大丈夫らしく、二人は軽い足取りで音楽室へと向かった。


 果たして音楽室扉の鍵は閉まっていた。中には誰もおらず、灯りも落ちている。イッチーはポケットから長い針金を取り出すと、器用に形を整え、鍵穴に差し込んだ。差し、回し、抜き、形を変え、また差し、回し、抜き……と何度も繰り返す。大地は彼女を隠すような位置に立って辺りを警戒している(音楽室は廊下の突き当たりにあった)。やがて、カチャッという音が鳴った。同時に、イッチーの顔が綻びる。

「開いたよ。さ、入ろう」

 得意満面でそう言いながら先に音楽室の中へと入ったイッチーに随って、大地も中へ。先生にばれることを恐れて電灯を点けぬまま侵入した彼らは、素早い足取りでベートーべンの肖像画の前へ向かう。バッハ、ブラームス、モーツァルト、チャイコフスキー、瀧廉太郎と、歴史に残る音楽家たち(どれもクラシックの作曲家ばかりではあるが)の肖像が並ぶ中に、一際目力の強い男がいた。ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーベン。作曲用のノートとペンを手にし、赤いスカーフを身に着けた、あの有名な肖像画。

「やっぱり、怖い顔してるよね。こりゃ怪談のネタにもされるわけだよ。ベートーベンには悪いけれど、子どもって正直だもん。仕方ないよ」

 妙に納得した風に。うんうんと自分の言葉に頷きながら、イッチーは言う。彼女の言通り、確かに、小さな子どもが見れば泣き出しそうになりかねないような威圧感を湛えたベートーベンの肖像。厳かと怖いの区別もつかないほど幼い子どもからすれば、ただ単に何かを睨みつけているような印象を与えているのも無理はないと、大地も納得する。

「いや、納得してる場合じゃないや。どう? なんか変わったとこある?」

「さあ? こんなもの、いつも注意して見てないもん。とりあえず、ケータイで写真撮っとこう。で、出来れば何日か続けて撮って後で見比べてみればいいんだよ。何の変化もなくったって、とにかく調査っぽくはなるから。自由研究なんてその程度で大丈夫でしょ」

「そうだな。でも僕、ケータイ持ってないから。イッチー、頼む」

「アイアイサー」

 急に気安くなったイッチーは、スカートのポッケからピンク色の携帯電話を取り出し、ベートーベンの肖像をカメラに収めた。一瞬、そのシャッター音に大地とイッチーがびくっとしてしまうが、とかく彼らは目的を達した。

「じゃあ、次は花子さんか。でも花子さんってどうやって呼び出せばいいんだ? 花子さん自体、独立した怪談の一つじゃないの?」

「普通はそうだよねえ……でもまあ、とにかく、花子さんの呼び出し方なんて色々あるから、片っ端からやって見ればいいんだよ。そこはまあ、オカミスのワタシに任せて。花子さんの呼び出し方ぐらい、いっぱい知ってるから。どれひとつ試したことはないけど」

「そう言う奴が一番信用出来ないって知ってる?」

 ………………。

「よしっ。鍵も掛け直したし、次行こう、次」

 ただの針金で平然と鍵を閉めるイッチーを、大地は感心して見つめている。

「すごいなあ、ピッキングなんて――ってちょっと待てえ! なんでお前がそんなワケ分からんスキル持ってるんだよ!?」

「遅っ!」


「まあ、女子トイレなら仕方ないよね」

 三塙小学校三階の女子トイレ。音楽室のある二階には他の人がいた為にここまでやって来たイッチーは、奥から三番目のトイレの前に立っていた。

 トイレの花子さんと言えば学校の怪談における代表格中の代表格。スターと言っても過言ではない存在である。オカルトブームでは随分と恐ろしげに造形された花子さんもあったものだが、古今問わず、一部ではアイドルじみた扱いを受けている節すらある。全国的に知れ渡っているお化けであるが、おかっぱ頭という容姿が共通している以外――たとえば謂れや本名などは、実にバリエーション豊か。呼び出し方にも色々ある。

「さてと。花子さんを呼び出す方法その一は、と」

『奥から三番目の個室をノックし、「花子さん、遊びましょ」と声を掛ける』

「まあ、とりあえずはこれが一番有名どころだよね」早速実行に移そうと、イッチ―は丸めた手の甲で個室の扉を叩こうとした。が。「あ、ダメだこれ」彼女は気付いた。誰も入っていない個室の扉を叩くことなど出来ないことに。

 そう。何故なら、鍵の掛かっていないトイレの個室の扉は常に半開きだから。三塙小学校のトイレの個室につけられた扉にはノブがなく、鍵というのは、所謂引っ掛け式なのだ。フック式。だから、扉が完全に閉まっているという状況は、中に誰かがいて、かつその人物が〝内側から〟(フック)をしているという場合にしか起こり得ない。

 扉をノックするという行為は、ノックしても扉が閉まったままの作りでなければ成立しない。つまり、ノブの付いた扉や引き戸でしか。蝶番で繋いだだけの板と板を引っ掛けで閉める旧いタイプの扉にはノック出来ない。まさしく暖簾に腕押しの形になるから(それでもなおノックしたいのなら、内側にも人を配して鍵を閉めさせるなどといった強引な方法もあろうが)。『トイレと言えばノック』という既成概念に囚われている以上忘れてしまいがちであるが、三塙小学校に限らず、学校という施設には特にこの手のトイレが多いはずである――花子さんの噂が囁かれ始めた時期に存在していた小学校に限定すれば殊更。もっとも。外側に向かって扉が開くような作りならば話は別だが、こと小学校に限ってそんなトイレは殆どない。危ないから。

 ――だけど、それだと色々おかしい気もするけど。

 イッチーの疑問は最もであった。前述通り、トイレの花子さんは有名過ぎる。更に言えば、ノックをして云々などという呼び出し方は余りにもポピュラー。面白半分だろうが悪ふざけ本位だろうが肝試しだろうが、子どもの頃に試したことがあるという人も少なからずいるはず。では何故『ノックがそもそも出来ない』という対抗神話が広まらないのか。答えは分からない。オカルトとは、かくもいい加減なものなのだろうか。

 とにかく。ノックして云々、外側から声を掛けると扉が開いて云々、などと言った花子さんの呼び出し方法の悉くが不可能と分かったイッチーは、次なる手段に出る。即ち、先に個室の中へ入ってから花子さんを呼び出す方法である。個室の中へ入り、鍵を掛けるイッチー。そして。トイレット・ペーパーを十センチ分ほど千切って、それを水洗で流しながら唱える。

「花子さん、花子さん。いらっしゃいましたら、手紙のお返事下さいな」イッチーが唱え終えるのとほぼ同時に、何も書かれていないトイレットペーパーは流れ切った。当然ながら返事は来ない。「ま、こんな苦し紛れのオリジナルじゃ駄目か。大体、白紙だし」

 イッチーは溜息を吐きながら、ゆっくりと個室を出て行った。


「あ、どうだった?」

 一緒に中へ入るわけにもいかず、女子トイレの外で待っていた大地は、どことなく肩を落とした様子で出て来たイッチーの姿を認め、声を掛けた。

「どうもこうも……」

 イッチーは大地に説明した。花子さんの噂を根底から覆すような発見を。イッチーが話している間は黙ったまま聞いていた大地であったが、彼女がすべて話し終えたところでようやく口を開いた。

「ベートーベンと花子さんがデキてるって噂を確かめりゃいいんだから、さっき撮った写真を便所の中にでも見せつけてやりゃよかったのに。運命でも流しながら」

「その発想はなかったわ」


   2.


「なんだってアタシがこんなちんちくりんと二人きりにならなきゃいけないのよ!」

「誰がちんちくちんだ、誰が」果てしなく口の悪い相方を得た波柴は、それでも健気に学校の五不思議を調査すべく行動していた(ちなみに波柴の背は決して低くない。年相応に平均的。ユリリンの背が高いのだ。小学六年生にして、彼女の身長は165cmまであと少しというところであった。というか164cmだった)。「さっさとイッチーに会いたかったら、早いとここっちの担当を終わらせて合流すりゃいいだけだろ。最初は『人面犬と人面猫が実は兄妹』って噂だな」

「……ネコとイヌなのに?」

「小っさい頃さ、『ネコとイヌは同じ動物で、ネコがメスでイヌがオス』って勘違いしたりしてなかったか?」

「してなかった」

「俺もしてなかったな……。いや待て待て。ネコとイヌだからどうだの。種類が違うから何だの。この際、そんなことどうでもいいだろ。ただでさえオカルトの話なのに」

「アンタが先に言い出したんじゃん」

「ええい! とっ、とにかく。人面犬と人面猫、それぞれについて確認しないと。まず人面犬の方だけど、条件が満たされた時、校庭に現れるんだって」

「どんな条件?」

 あくまでも事務的に。ユリリンは訊ねる。早く自分たちの担当を終わらせてイッチーに会いたいという逸りを隠そうともしない。波柴はその態度に少々むっとしながらも、勿体ぶった自分の言い方も反省し、素直に彼女の質問に答えることとする。

「まず、天気は晴れじゃなきゃならない」

「雲一つないね、今は」

 よってクリア。

「次は時間帯。きっちりした決まりはない。放課後ならいつでもオッケー」

「放課後。まさに今ね」

 よってクリア。

「最後に。人面犬を視ることが出来るのは、会いたいと強く願っている女の子だけ」

「へえ……それが目的だったのね」


 人面犬の件をユリリンに委ねた波柴は、当然、人面猫担当である。

 人面猫との遭遇方法。晴れの日に放課後でという条件は人面犬と同じであり、違うのは場所と性別である。現れる場所は中庭で、仮に現れてもその姿を視ることが出来る人間は男のみ。そうユリリンに説明した波柴は、庭にやって来ていた。六時間目が終了してから既に十分が経過していたが、未だ人通りの多い中庭。その隅っこで、誰かを待つような演技をしながら、彼は立っていた。

 ――人面猫どころか、普通の猫っ子一匹いやしない。当たり前だけど。

 当然と言えば当然だと頭では理解しつつも、波柴はカカシのように立ち尽くしている。

 ――ただ十分間こうして過ごすだけなのかな。

 そんな風なことをぼんやりと考えていると、不意に、

「お従兄(にい)ちゃん!」

 背中から声を掛けられて。波柴はびくっと肩を震わせた。そして。声がした方に、恐る恐る振り返る。そこにいたのは、彼よりずっと背の低い、幼稚園児程度にしか見えない幼顔の女の子。自分の背をすっぽりと覆い隠す赤いランドセルを背負い、黄色い帽子を被った彼女は、あからさまに不機嫌な表情を波柴に向けている。ムスっ。

美海(みう)?」

「やっとみつけた! 今日はきょうしつでまってて、って言ったのに!」

 頬を膨らませて抗議する女の子に、波柴は自分の額を叩くジェスチャーを見せる。

「ごめん! 放課後ちょっとやること出来て、忘れてた。今日は先に帰っててくれ」

「やることってなに?」

「ん、それは……」

 言い掛けて、言いよどむ波柴。

 ――そう言えば。こいつ、オバケとか好きだったよなあ。ホントのこと言ったら、一緒にやるとか言い出しそうだな。でも、そうなるとユリリンにこいつを紹介しなきゃならないのか。それはなんか嫌だな。……よし。

「ネコを探してるんだよ」

 極力ウソをつかずに美海を退けようとした波柴の発言は、

「ねこ!?」失敗であった。『ネコ』という単語を聞いた途端、女の子はきらきらと目を輝かせる。「美海もさがす美海もさがす! どんなネコ? なんて名まえ?」

「あー、えっとなあ」――そうだった! こいつ、オバケも好きだけどネコはもっと好きだったんだ!「ごめんごめん、間違えた。ネコじゃなくてイヌだった」

「いぬ!?」

 美海の瞳の輝きは更に増した。

 ――しまった! イヌの方がもっと好きだったんだ! こうなったら……。

「そう、イヌ、イヌを探してるんだよ」

「名まえは?」

「……ろ、ロデム」

「ロデムはヒョウじゃないの?」

「なんでそんなこと知ってんだよ。幾つだよ、お前」――いや、俺も人のこと言えないけど。「と、とにかく。ロデムだよ、ロデム。飼い主があの漫画好きだったんだよ」

「ふうん。かっこいい名まえだからいいけど。で、どんないぬなの? ロデムくんは」

 ――ここだ! 可愛げゼロのイヌにしてやれば、こいつの興味もなくなるはず!

「紫で、目が三つあって、あと、背中にも口があって……」

 思い付く限り化け物じみた特徴づけで美海の興味を削ごうとした波柴の目論見は、

「こわっ! オバケイヌだ! 見てみたい!」

「……そ、そうか」

 大失敗だった。美海の瞳は輝き過ぎて、中に煌めく星が見えそうになっている。

 ――ダメだ。俺、馬鹿かもしんない。

 本気で頭を抱え込む波柴に対して、美海は興奮し切っている。

「ねえねえ、美海もいっしょにさがしていい? いいでしょ?」

「仕方ないな。じゃあ、校庭の方探して来てくれ。見つからなかったらテキトーに帰れ」

「はあい」

 元気よく返事した美海はとてとてと校庭に向かって行った。

「何でもかんでも信じる奴だな……」

 そんな純真な従妹を謀ってしまったことに若干の胸の痛みを覚えつつ。波柴は再び、視線を人面猫探しのためのものに戻した。


 さて。一年生から六年生まで、男女の別も特になく、放課後の校庭は児童たちで溢れていた。ブランコをこぐ者、鉄棒で遊ぶ者、昇り棒を昇る者、ドッジボールをする者、縄跳びをする者……。実に様々。その中に、ユリリンの姿もあった。校庭の隅で、彼女は一人突っ立っている。

 ――なんだろ、この状況。

 気を緩めれば意識は不意に冷静へ返り、溜息混じりに歩みを始めようとしてしまう、などということを彼此五分間続けているユリリンは、しかしそれでも思い直してその場に留まるということを繰り返していた。

 ――波柴との約束は『十分間そこにいて、人面犬が出なかったら下駄箱で合流』か。まあ、それぐらいは守ってあげていいかもね。

 尊大に律義な態度をかましたユリリンは、尚も突っ立ったままで、時間が過ぎるのを待ち続けるのであった。人面犬のことなど忘れそうな勢いで。と。そこへ。

「ん?」

 ランドセルを背負った小さな女の子が現れる。

 きょろきょろと。何かを探すようにして。忙しなく視線を動かしながら歩く童女は、自然の流れとしてユリリンの背中にぶつかった。

「ふぐっ!」とにかく誰かにぶつかったということは分かった美海は、その相手を確かめようと面を上げた。能面のように無表情な少女が、顔だけ振り向いて彼女を見下ろしていた。「わあ、ごっご、ごめんなさい!」自分の母親よりも背の高い少女に気圧されて。目に涙をいっぱい溜めた美海は、上目遣いで謝り続ける。「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」

「ちょっとちょっと、怒ってないからやめて! すっごい見られてるから!」

 実際。校庭中の児童たちが、何事かという視線をユリリンたちに向けていた。

「ぐしゅっ……。ぐすっ。はい」

「……アンタ、一年生? ちゃんと前見て歩かないと危ないよ。誰か探してたの?」

「いぬを、いぬをさがしてたんです」

「犬? どんな? アタシも一緒に探してあげようか?」――どんな犬でも、人面犬なんかよりは見つけやすいだろうし。「アンタの飼い犬? 学校に連れて来ちゃったの?」

「いや、その、お従兄ちゃんのともだちのいぬらしくって……。み……わたしも、見たことはなくって。ええっと、むらさきいろで、目が三つあって、せ中にも口があるって」

 美海の説明通りの生物を想像するユリリン。妖怪誕生。

「……ごめん、それは一緒に探せないわ。っていうか。そんなお化けみたいな犬がいたら今頃大騒ぎになってるよ。騙されてるんじゃない?」

「えー、そうなのかなあ……。んー、わかんないけど、わかんないから、もうちょっとさがしてみます。がっこうの中に入っちゃったのかも。ありがとうごめんなさいました」

 意味不明な言葉を残して。頭をちょこんと下げた美海は、逃げるような小走りでユリリンから離れていった。ユリリンはユリリンで、呼び止めることもなくそれを見送り、溜息を吐いた。

 ――あんな小さな子を騙して遊ぶなんてサイテーね。犯人を見つけたら一言言ってやらないと。


 そして五分後。

「アタシの方は駄目。犬一匹鼠一匹いなかった。そっちはどうだった?」

「同じく」

 十分振りに。下駄箱前で合流した波柴とユリリンは、互いの成果を報告し合っていた。成果がなかったという成果を。

「やっぱり人面犬なんて、どこにでもある定番ってだけみたいね。口裂け女とか、トイレの花子さんと同じ。人面猫と兄妹だなんていうのは、それに誰かがちょっとしたアレンジを加えたってだけなんじゃない? 普通だと面白くないからって」

 よくある話。都市伝説の定番。肥大化、誇大化。

「そうかもな。第一、本当に人面猫や人面犬がいたとしても、たがだか十分棒立ちしてるぐらいで会えるようじゃ、目撃談がもっと溢れ返ってるはずだもんな」

「そうそう。結局、踊らされてたってわけよ、きっと。この分じゃあ、次の怪談も期待出来そうにないな。一応、最後まで付き合うけどね」

「なんだ、てっきり『嫌気が差したからもういい』とでも言われると思ったのに」

「『約束したことは最後まで守れる人』が、イッチーのタイプだからね」


   ?.


「ロデムー、ロデムー?」健気にも。波柴がでっちあげただけの犬の名前を呼び続けながら、校舎内を徘徊する美海。とうに帰ってしまった同学年の友達を頼ることも出来ず、ただ一人で。そんな彼女が廊下の角を曲った瞬間、その目に飛び込んできたのは――犬ではなく、鼠だった。六本足の、灰色の鼠。「あ」出し抜けに現れた鼠を踏み付けそうになった美海は、それを回避しようとして尻もちをついた。どっしりと。「いったたたああ……」腰と尻の間を擦りながら、自分が踏んでしまいそうになった鼠を見る美海。見ようとする美海。しかし。そこに鼠はもういなかった。「あれえ?」尻もちを吐いたまま首を振り瞳を動かし、辺りに視線を配らせた美海であったが、やはり鼠はどこにも見当たらなかった。その代わり、四足の獣が――。

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