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空を見つめて  作者: 直弥
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第二話『チュウ学生日記』(後)

   ?.


 ある日の、ある中学校でのことである。終礼直後の一年二組の教室では、皆が帰り支度やクラブの支度を始めていた。そんな中。当時一年生の浜谷少年が、一人の男子生徒に頼まれごとをしていた。

「ええ? 保健委員?」

「ああ。本当なら今日の放課後当番は俺と、四組の空見だったんだけど。どうしても外せない用事が出来てさ。代わりに行ってくれないか?」

「空見って、あの空見さんか? この前の中間で全教科満点だったとかいう……」

「そう、その空見! なあ、頼むよ。四時から安里(あさと)安子(あんこ)が出る生放送の番組があってさ。録画はしてんだけど、どうせなら生で見たくて」

 安里安子。すなわち期待の女子中学生(当時)アスリート。空手家。

「何だよ、それ。そんなものの為に委員をサボる気か?」

「そんなものだと!? お前、安里を馬鹿にすんなよ! 当て身の女王なんだぞ! じゃなくて。なあ、一生のお願いだ、克己! この埋め合わせは、いつか必ずするから!」

「わかった、わかったよ。もう。でも、こういうことは今度からもっと早く言えよな」

「悪い、悪い。俺も今になって今日が当番だって思い出してさ。じゃ、頼んだぜ!」

 言うが早いか。男子生徒は足早に教室から走り去って行った。残された浜谷は肩を竦めて溜息を吐き、とにかく約束した以上はそれを果たすため、保健室に向かう決意をした。


 果たして。保健室の真ん前までやって来た浜谷は、大きく深呼吸してから扉を叩く。

「すみません、入っても大丈夫ですか」

「はい、どうぞ」

 中から、特徴的なイントネーションの女性の声。浜谷は、失礼します、と言って引き戸を引いた。中へ入った彼の眼にまず飛び込んできたのは、『火山』と書かれたプレートを胸に付けた、白衣の若い女性。いわゆる保健室の先生である。

「どないしたん? どっか怪我でもしたんか?」

「いや、そうじゃないんですけど。保健委員の宮間の代理で」

「ああ、宮間君の。しゃあないなあ、あの子も。今日は私もずっとここにおるし、別に、無理に残らんと帰ってくれてもええよ? どうせ押しつけられたんやろ?」

「それはまあ、そうなんですけど。でも。一応、約束したからには手伝います」

「へえ、偉いなあ。感心やわあ。じゃあ、そやなあ……、机の上に束ねてるカルテ、学年ごとに分けてちょうだい。それ終わったら、後はクラブ中に怪我した子とかが来た時に、応対の手伝いしてくれるだけでええから」

「はい、分かりました。あ、そう言えば、今日の当番は宮間と空見さんだって聞いたんですけど、空見はまだ来てないんですか?」

「千夏ちゃんやったら、そこにおるよ」

 言って。火山が指差した先はベッド。その上には、耳をよく澄まさねば聞こえないほど小さな寝息を立てて眠る千夏がいた。

「空見さん、具合悪いんですか?」

 保健室で眠っているのだから、それはもう質問と言うより確認に近しい問いかけであったのだが、火山はくすりと笑って、手首の動きで否定の意を示した。

「ちゃうちゃう。この子はいっつもこうなんや。ほんま、寝るために保健委員なったんちゃうか、って言いたくなるぐらいの眠りっぷりやろ? 起きてる時はちゃんと仕事してくれるんやけどなあ」

「はあ……」

 なんとも気の抜けた返事をして、浜谷は千夏の寝顔を見た。無防備に無邪気に無遠慮に眠り続ける少女。よほど楽しい夢でも見ているのか。その寝顔は至福そのものであった。化け物じみた才女として学年のみならず学校中でその名を知らぬ者はいない、空見千夏。噂でしか知らなかった彼女の実際を見たこの瞬間、浜谷は彼女に対する印象を大きく改めることとなった。


   4.


「う、ううん……」

 僅かに一年前のことながら懐かしい夢から目覚めた浜谷がゆっくり瞼を開けると、真白い天井と優しげな淡い電灯の光とが、彼の目に入った。続いて消毒液のあの独特な臭いが鼻をつく。自分の身体がベッドに横たわっていることに気付いた彼は、首を横に動かしてみる。隣のベッドに腰掛けた誰かが舟を漕いでいるのが目に留まった。眼鏡をかけていない近眼の目では輪郭からしてぼやけている。しかし浜谷にはそれが誰なのかすぐに分かった。

「空見!?」

「ふゃっ! あ、は、浜谷君、目が覚めたの? よかった」

 目を覚ましたのはむしろお前だろ。という突っ込みを入れたい衝動をぐっと抑え、浜谷は笑って千夏に応える。応えてからハッとする。

「あれ? 今、何時?」

「そうね。だいたいね……」

「いや、だいたいじゃなくて。時計、あるだろ」

「うん、あるね」机の上に置時計。「今は、一時五十分だね」

「そうか一時五十分か。五十分か。五十分だって? ちょっと待って、じゃあ今って授業中じゃないのか!?」

「うん、そうだよ」

「そうだよ、って。授業中ならどうして空見まで保健室にいるんだよ」

「先生に頭痛いって言ってね、仮病使っちゃった」 

「仮病って……」千夏の告白に、浜谷は驚愕をもって目を見開いた。仮病を使ったということはつまり、ウソをついたということなのだから。なるほど、素直が売りな千夏であるから、そのウソを疑う者など誰一人いなかったであろうことは容易に想像がつく。「どうしてそんな、いや、そうじゃないな。ごめん、僕なんかのせいで」

「そんな! 私の方こそごめんね。私、ネズミが大の苦手で。『ネズミ』って言葉を聞いただけでパニック起こして、ワケ分かんなくなっちゃうの。ハムスターとかもダメで」

「そ、そうなんだ」

 ――これから空見の前で『ネズミ』は禁句だな……。

 浜谷は心に強く戒めた。そして。

「とにかく。僕はもう大丈夫だから、そろそろ教室へ戻ろう。一緒に帰るとさすがに怪しまれるだろうから、別々に」

「うーん。でも、浜谷君はともかく、私がこんなにすぐに教室へ戻ったら、それこそ怪しまれるんじゃないかな。頭が痛いって言って来てるわけだし」

「ん、確かに。……そう言えば、保健の先生は?」

火山(ひやま)先生なら、薬の注文をし忘れたとかで、直接買い付けに行ってるよ」

「ああ、そう」

 ――って。病人を置き去りにしたまま出て行くか? 普通。あの人にだけはばれてるんじゃないのか? まあ、それはともかく。

「とりあえず、僕は先に教室へ戻るよ。空見は、とりあえず、この時間だけでもここにいたままの方がいいんじゃないかな」

「うん、そうしようかな」

「決まりだな。えっと、僕の眼鏡は?」ベッドから立ち上がりながら言う浜谷。

「ええっと……あ、私、持ったまんまだった」ぺろっと舌を出して、眼鏡を差し出す千夏。

 ――なんだって空見は僕の眼鏡持ったまま寝てたんだ?

 との疑問は口に出さず、「ありがとう」とだけ言って、浜谷は彼女から眼鏡を受け取り、掛けた。部分部分が油で汚れ、白くぼやけた視界になる。気にならないわけもないが、浜谷は決してその場でレンズを拭こうとはせず、そのまま千夏に向き直り、質問する。

「そう言えば。ずっと疑問だったんだけど、空見はどうして二年から急に図書委員になったんだ? このタイミングで聞くのもどうかとは思うけど、気になって」

「ん? んーとねえ。まず、保健委員を辞めたのは、火山先生に『幾ら起きてる時はちゃんとしてても、寝てる時間の方が長かったら意味ない』って叱られたのが大きな理由。ベッドがあると普段以上の睡魔に襲われるから。その後で図書委員を選んだのは、やっぱり好きだったからかなあ、本が」

 千夏は、満面の笑顔で浜谷に答えた。


「じゃあ、お先に」

 言って。保健室から出てきた浜谷を見つめる、出歯亀魔女と鼠ちゃん。鼠アモールはやはり、魔女ユウナの肩に乗っかっている。相変わらず姿を消したまま、扉のすぐ傍に張っていた彼女らは、どこか浮ついた足取りで歩いて行く浜谷の背を見送った。

「なんだろうね、この感じ。結局、何にも進展しなかったよ」

「他人の色恋沙汰に干渉したってそんなものだろう。第三者が後押ししなければ成就しない仲など、もとより脆いもの。進展するかしないかは、やはり当人同士に任せるべきだ」

「あらやだ。知った風な口を聞くもんだねえ。トレンディドラマやラブコメの大半を全否定するようなお言葉じゃないか。もしかして、経験上のものかい?」

「う、五月蠅いぞ! 余計な詮索をするんじゃない! ……しかし。保健室の中にまで入ろうとはしなかったな。どういう風の吹き回しだ?」

「やだねえ、流石のワタシもそこまで無粋な真似はしないよ」

「貴様の持つ倫理観の基準はよく分からんな」自分勝手な魔女に、もはや呆れ果て、アモールは大きな溜息を吐いた。「この後はどうするんだ? まだ何かしようと言うのか?」

「うんにゃ。もういいや。そろそろ帰って、由布香(娘)と一緒に夕食も作らないと」

「そうか。ならば、ここでお別れだな」

 当たり前のようにそう言うアモールに、

「何言ってんだい。アンタも一緒に帰るんだよ」

 これまた当たり前のように返すユウナ。

「な! いやしかしそれは……。貴様の家には、()の姉弟もおるのだろう?」

「由布子と明のことかい? 大丈夫だよ、あの子たちは。アンタに恨みがあるわけじゃないんだから。それとも本当は花ちゃんを怖がっているのかい?」

「花ちゃん? ……ああ、あの使い魔のことか。奴には恐怖以上にそれなりの恨みもあるのだがな。何せ同腹たちを喰われてしまったのだから。逃げてしまった手前には本来言えた義理の言葉ではないが」

「それ」

「あ?」

「それだね。アンタのその、世捨て人ならぬ世捨て鼠じみた雰囲気の原因は。罪悪感を覚え過ぎている。野生の動物が何よりも自己の生命を存続することを最優先とするのを当然としている中、使い魔となり理性を得てしまったアンタは、兄弟を見捨てて自分だけ生き延びてしまったことを罪過として引き摺っている」

「それは、仕方ないだろう。逃げたのは事実だ。事実は事実として受け止めねば」

「だけどねえ。はっきり言って、花ちゃんとアンタとじゃあ闘い手の使い魔としては格が違い過ぎるよ。立ち向かったところでどうにもならなかったと思うがね」

 アモールと花ちゃん。両者はまさにウサギとライオン。

「だが。それがイコール逃げてもいいということにはならんだろう。手前の主と貴様の孫たちにも、魔法使いとしては大きな格差があった。確かに手前と花ちゃんほど絶望的なものではなかったかもしれん。だが。それを加味したとしても。自ら立ち向かっていった彼らと、尻尾を巻いて逃げ出した手前とでは、あまりにも……」

「あー、もう! 男がいつまでもうじうじしてんじゃないよ、まったく! アンタに比べりゃ浜谷君の方がまだマシだね。矯正が必要だったのはアンタの方だったよ! さあ、その根性叩き直してあげるから連いて来な!」

「キュウ!?」

 有無を言わさずとはこのことであろう。肩に乗っかっていたアモールの胴を鷲掴みにしたユウナは、そのまますたすたと歩き去っていく。歩き去りながら、心の中で呟いている。

 ――余計なお節介。だったのかねえ、結局。浜谷君にとっても……千夏ちゃんにとっても。


 さて。同じ頃。

「すみません、遅れました」

 軽く頭を下げながら、二年三組の教室に入って来る浜谷に、

「ああ、ワケは空見に聞いてるから、入って来なさい」

 チョークを手にして黒板に向かう、ややメタボリックな中年の男性教諭が応える。浜谷は改めて会釈しながら、遠慮がちな足取りで自分の席へと向かった。

「しかしな、浜谷」浜谷が席に着いたことを認めた教諭は、口角を吊り上げて笑いながら言葉を紡ぐ。「具合の悪い女の子に絞められて気絶するたぁ、もやしっ子にもほどがあるぞ」

 豪快に笑いながらそんな言葉を吐く教諭に、一人の女子生徒が言う。

「先生は絞められても絶対に気絶しませんもんね」

 一瞬間の沈黙。その後、教室中の生徒たちが一斉に笑い始めた。笑いの渦の中には、夕七の姿もあった。


 さてさて。やっぱり同じ頃。保健室の中。一人となった千夏は、ベッドに横たわることもせず、右手で胸を押さえ、落ち着きもなく視線をあちらこちらに動かしていると、日めくりのカレンダーを見つけた。ど真ん中に大きく書かれた〝7〟の真下に、『七夕』の表記。

 ――あ、そうだ。短冊に書く願い事、考えとかなきゃいけないんだっけ。そうだな、何か一つって言えばやっぱり……『素直になりたい』かなあ。

 千夏は、直前まで浜谷が眠っていたベッドを眺め、さっと顔を赤らめた。


   5.


「キュウウ、ま、待て待て! 息が詰まる!」

「お? ああ、力を入れ過ぎてたかな?」

 学校を出てからしばらく歩き、ユウナはようやくアモールを掴む手を緩めた。アモールは小さな身体をぶるぶると震わせながら激しく呼吸し、二度咳き込んだ。

「まったく、少しは加減してくれ。肺で呼吸しているところは、ただのネズミだった頃と変わらないのだぞ? あのままでは死んでいた」

「ごめんごめん」

 本当に悪びれているのか。なんとも呑気な様子で笑いながら謝るユウナに、アモールはもう何度目か分からない溜息を吐いた。

「……折角、今し方思い出した大事な情報を伝えてやろうかと思っていたのに。徐々にその気も薄れてきたぞ。貴様の役に立ちたいとまるで思えない」

「えー、そう言わないでおくれよ。気になるじゃないか」

「――まあ、隠しておいて手前が得をするというわけでもないし、構わんだろう。実は、あの日生き延びた鼠は手前だけではないのだ」

「なんだって?」ユウナの眼つきが変わる。表情が弛緩する。「どういうことだい?」

「貴様の孫たちと手前の元主とが戦ったあの日。貴様の孫が有していた件の使い魔によってほとんどの鼠が呑み込まれた。それを逃げ延びたのが手前だが、そもそもあの日あの場に欠席していた鼠が一匹いるのだ。別件のためにな」

「別件?」

「そうだ。その別件とやらの正体が何だったのかは詳しく知らんが、とにかく、そいつはまだどこかで生きている可能性がある。捨て置いていいものではないぞ。手前のようにただ理性を獲得しただけの鼠ではないのだから」

「と言うと?」

「奴は魔法を使う」

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