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空を見つめて  作者: 直弥
10/11

第五話『空を見つめて』

 ――――2009.12.23 am01:27

 冬の夜道を歩く、ジャージ姿の高校生三人組。

 空見空也。魔法など一切使えない人間の彼は、頭を包帯でぐるぐる巻きにしていた。

 竹河由布子。世界の使者レッドフィールドの魔法使いである彼女は、両手計十本の指をすべて、やはり包帯で覆っていた。

 竹河明。由布子の弟で、同じくレッドフィールドの魔法使いである彼には――少なくとも顔や手といった露出部に――目立った傷が見られない。そんな彼は、腕の中に何かを抱きかかえている。それは、白いシーツに包まれた異形の獣。三つの目、無数の口を持つ犬らしき生物――は、全身に痛ましい傷を負い、瞼を閉じ、ぐってりとしていた。勿論、身体のそここに包帯が巻かれている。

「ほんと、明は動物が好きなんだから。これ以上使い魔やペットが増えたら動物園みたいになっちゃうよ、うち。ただでさえもう水族館みたいになってるのに」

「そんなこと言ったって、放っとけないじゃんか。ただでさえ異世界から無理やり拉致されたようなもんなのに。エサは俺が確保するから、頼むよ」

「エサ……って、何食うんだ? そいつ」

 端から見れば。怪我した野生動物を介抱した後、という風にしか見えない三人。

 事実としては。町一つ巻き込んで私欲を満たそうとした魔法使いの陰謀を阻止した帰りという三人は、とてもそうとは思えないほどに和やかな談笑を交えながら歩いていた。しかし。空也が不意に立ち止まると、後の二人もそれに倣った。

「どうかしたの?」

 不安げな面持ちで空也の顔を覗き込む由布子。だが空也はかぶりを振って微笑みを浮かべる。

「別にどうも。ただ、終わったな、と思っただけです」

「そうだな」と、明。「終わったんだ」

「うん」と由布子。「終わったね」

 ひとつの大きな戦いを終えた三人は、達成感と虚脱感と安堵とが入り混じった表情を浮かべて空を見つめた。ふたご座がよく見える、澄んだ星空を。


   1.


 扇風機が左右に首を振り続けている空見家の居間で、七つ歳の離れた兄弟が暇を持て余していた。丸いちゃぶ台を挟み、二人とも寝転がっている。兄は、右肘をついて右掌に頭を乗せる格好。弟は、腕を組み、ちょうど両腕が交差している辺りに顎を乗せる格好。二人はまるで興味のなさそうな態度で、ただ二十六V型薄型テレビの枠の中に映った夕方のニュースを眺めていたが、不意に、

「兄ちゃん」弟の方が口を開いた。「ラーメンって、何でラーメンって言うか知ってる?」

「はあん?」何の脈絡もなくぶつけられた質問に、空也は姿勢も変えぬまま頓狂声を出した。「ラーメン、なあ。ラーのメン。ラーさんが作ったラーメンだからラーメンとか?」

「真面目に答える気ないでしょ」

「だって全然分かんねえし。正解は?」

「いや、僕も知らないから聞いてみたんだけど」

「なんだそりゃ。そういうことは俺じゃなくて学校の先生とかナッちゃんに聞け」

「ちぃ姉ちゃんには昨日聞いたけど、知らない、って」

「じゃあ先生に聞け。ナッちゃんが知らないことを俺が知ってるわけないだろ」

「それはどうなの?」

 兄として。面目を保とうとする素振りさえ見せない空也に、大地は呆れる。そこへ。

「お兄ちゃん、宿題終わったよ」

 千夏が現れた。

「お、そうか」妹の登場に。むくりと身を起こした空也は、時計を見遣る。時刻は午後五時二十二分。「流石に飯にはまだ早えな。先に七夕済ませるか」

「『七夕を済ませる』って、また新しい表現だな、兄ちゃん。織姫さんと彦星さんが聞いたら泣いちまうかもしれないぞ」


 ――――空也の願い『毎日、会心の味噌汁を作れるようになりたい』

「……兄ちゃん、ホントにこれでいいの?」

「何か不満でもあるのか?」

「不満はないけど。ちぃ姉ちゃんはどう思う?」

「お兄ちゃん、味噌って漢字で書けるんだ!」

「ダメだこりゃ」

 と、大地が諦めたところで。

 ――――千夏の願い『素直になりたい』

「なれねえよ!」

「ええ!? ひどいよ、お兄ちゃん!」

「いや、なれないのは俺であって。お前はむしろなってるよ!」

「もうなにがなんだか」

 と、大地が呆れたところで。

 ――――大地の願い『兄ちゃんと姉ちゃんたちの願いがかないますように』

「大地!」「大ちゃん!」

 感激した兄と姉に抱きつかれた大地は、まさか冗談で書いた願い事――本当の願い事を書いた短冊は別にある――とは言い出せず、しばらくの間身体を預けることにした。

 ――うわっちゃあ……。

 大地が背中の後ろに隠している短冊には『兄ちゃんと姉ちゃんたちがもっとマトモになりますように』と書かれていた。

 

 一分後。

「とにかく。これで三人の願い事は揃ったな。じゃ、そろそろ飯の準備始めるとするか。ナッちゃん、今日はロールキャベツだぞ」

「やったあ! ロールキャベツ大好き!」

 無邪気に喜ぶ千夏とは対照的に、

「ええー」大地は不満たらたらな声色。「僕、キャベツあんまり好きじゃないのに。兄ちゃんさあ、ちぃ姉ちゃんのことばっかり贔屓してない?」

「まあそう言うな。明日はハンバーグにするから」

「ホント? じゃあいいや」

 まるで欲のない弟たちを、どこか微笑ましく思いつつ、エプロンを身に着けた空也は台所へ向かった。


   2.


 日没前。額の目だけを閉じて、紫色の犬を装っている――それでも十分目立つ――タロウを従え、竹河明は帰路を歩いていた。彼の右手にはケージが提げられており、その中では一匹、灰色のネズミが忙しく動き回っている。

「勢いで連れて来ちまったけど。どうしよう」

 玄関前まで辿り着いて。そこでそのまま立ち止まり、明は途方に暮れていた。赤地、竹河の二世帯住宅は、既にペットショップが開けるほどの動物王国となっている。しかもそれらの動物の八割方は明が連れて来たもの。これ以上は、と躊躇っていたが、やがて。

 ――よし。

 意を決して、扉を開いた。やたら広い玄関で靴を脱いだ明と、雑巾で足を拭いたタロウとは、ホテルの通路のように幾つもの扉が並ぶ廊下を歩き、突き当りの扉を開いた。

「あ、おかえり」

「ただいま――って、あれ? 姉貴しかいねえの?」

「だからこんな格好してるんじゃないの」

「ああ、そうかい」

 内閣を集めてパーティーでも開けそうな、広く洗練されたダイニングキッチンでは、明の姉由布子が一人、タンクトップにホットパンツだけという素晴らしくだらしのない格好で寛ぎまくっていた。長い髪をポニーテイルに束ねた彼女は、三人掛けのソファに横たわり、一人で占領している。

「大学はとっくに終わってたはずなのに、こんな時間まで外でぶらぶらしてくるなんて珍しいじゃない。何してたの?」

「子どもたちの夢を守ってた」

「……ヒーローショーのバイトでもしてたの?」

「いや、違うけど。でも、似たようなもんかも。それよか、父さんたちは?」

「ロンドン」

「はあ!? ロンドンって、え、LONDON!?」

「他にどんなロンドンがあるのよ。LONDONよ」

「なんでまた急に」

「宗家から呼び出し。二、三ヶ月は行ったきりだって。またしばらく二人で留守番だね」

「うわあ……」

「なに、その嫌そうな顔」

「だって嫌だから」

「ワウー」

「タロウまで!?」さしもの由布子も身体を起こして言い返そうとする。が。言葉が出るより先に、ネズミの入れられたケージが、彼女の目に入った。「ちょっと、そろそろいい加減にしてよ」そう言って。由布子は頭を抱えながら嘆息する。「鼠だけで今何匹この家にいると思ってるの?」

「そりゃ分かってるけど、あと一匹だけだから。頼むよ」

「そうやってあと一匹あと一匹で随分増えたよね」

「さあ? 十を超えてからは数えてないから」

「いや、格好つけて言うことじゃないから」まったくもって。「どうせ無駄だろうけど、一応言っとくよ。これが最後だからね」

「やった! ありがとう、ちょろい姉貴!」

「明一人追い出したら鼠何匹分になるかな」

 こめかみに血管を浮き立たせた由布子は表面上だけの笑顔で告げた。直後。

 ――ピリリリ。ピリリ。ピーリー。

 電子音。サスペンスチックなメロディの電子音が、部屋の中に響き渡る。その音は、明が自分のズボンのポケットから取り出した携帯電話を開くことで収まった。

「電話?」

「いや、この音はメールだ」

 言って。明は受信箱を開き、最新のメールをチェックする。差出人の表示位置には、名前ではなくアドレスが表示されている。つまりは、登録していない人物からのメール。しかし明は『Hanako@Toilet_3.com』というアドレスが気になり、特に警戒をすることもなしに開いた。     

 本文は以下の通り。

『ありがとう』

 明は小さく笑いながら携帯電話を閉じた。


   3.

 

 さて。再び空見家。夕食を終えてからしばらくの間各々で時間を潰した兄弟は、夜の帳が下りて空が暗くなってから、再び集結していた。昼間には由布子と並んで座っていた縁側に、今空也は、弟と妹に挟まれる形で腰を掛けている。兄弟の傍らには、彼ら三人の願いを託された短冊を飾り付けられた笹。

「わあ……」晴れた夜空にかかる見事な星の川に、千夏は感嘆の溜息を洩らす。「こんなに綺麗な天の川が見られたのって初めてかも」

「去年も一昨年も、七夕の日にはまだ梅雨明けしてなかったからなあ」

「今年もギリギリセーフだったけどね。ところでちぃ姉ちゃん。織姫と彦星ってどれ?」

「えーっとねえ、天の川を挟んで右に見える白くて大きいのが――」

 満天の星空を見つめる、兄弟たちのゆったりとした時間が流れる。空也は今まさに、平和という瞬間を噛みしめていた。と、彼らの背後から電話の音が響いた。

「んん?」空也はすっくと立ち上がり、据え置き電話の受話器を取った。「はい。おう。うん。ああ。え? ああ。わかった。じゃあ、気を付けて」

 五秒未満で通話を終えて受話器を戻した空也は、また元の位置に戻って座り込んだ。

「誰から?」

 次男が訊ねると、

「姉貴だ。明日、朝から帰って来るって」

 満天の星空を見つめながら長男が答え、

「お姉ちゃんも今頃空見てるのかな」

 次女は想いを馳せていた。

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