いかれたリチュアル 1 ~蒼深夏耶、世界を釣る~
新しいクラスでの生活を始める前に必ず催される儀式がある。
慣れない空気の中、自らの名前を告げ、誰かとシンクロするかもしれないと淡い期待を抱きつつ自らの趣味や嗜好を暴露する。ある者はその空気を変えてやろう、掌握してやろうと勇み足でもって驚くほどに笑えないネタを撒き散らし、その事後処理に長い長い時間を費やしてしまう。かと思えば、意図していない発言が思いもよらない笑いを巻き起こし――その種類は様々だが――その人物の後々のクラスにおける立ち位置まで決定してしまうことがある。
人はそれを自己紹介と呼ぶ。
暇な私は、大層大げさに自己紹介のことを脳内モノローグ。
これほどに大げさな表現が必要なものではないけれど、でも後々の自分の立ち位置が決まってしまうって言うのはあながち間違ってもいないわけで、目立ちすぎるのも考え物なのだ。
朝のHRが終わって、1時間目は数学の時間。
のはずなのだが、丁度担任の先生が受け持つ授業と言うことで昨日行われなかった自己紹介を行おうということになった。
まだ、馴染みきっていない――入学したてなのだから当たり前なのだけれど――生徒たちの気持ちを少しでも和らげようとしている先生も引きつった笑みを浮かべながら場を取り持つ。先生はとても美人だった。
というかさ、この学校異様に可愛かったり、綺麗だったりする人が多くない?
面接する先生方の審美眼に深く感心するとともに、設けられている選考基準を俄かに知りたくなってしまう。
それよりも、私を面接官に任命してくれないだろうか。県内随一の美人が集まる学校として絶対に世に売り出せるくらいのレベルに引き上げてあげる。その自信があります。
マニフェストのように言い切った私だったけれど――どうでもいいか……ははは。
私達の担任も私達と同様、なんだか慣れない感じだった。
正直、入学式直前にクラスから席を外していた私にはその名前すら定かではなかったのだけれど……。
しかし、そんな私の事情などお構いなしに先生は事を進めていこうとする。
「はい、それではこれからみんなには自己紹介をしてもらおうと思います。本来なら昨日行うべきだったんですが、……まあ、昨日は色々と、そのぉ、た、立て込んでいましたので……」
ちらちらと、しかし確かな熱視線をこちらに向けてはなってくる。
それなのに、なぜ言葉では思いっきりお茶を濁そうとしているのだろうか。
そんな熱視線と言動の不一致にクラス中が気づいて静かな笑いが広がり始める。
く、くそぉ、私が悪いんだけどさぁ、なんだか、なんだか癪に障るよ! 先生!
私が悪いんだけどさぁ……!
「あ、そっか。立て込んでたので、もしかして種薪さんは私の事知らない、です?」
おお、気づいてもらえた。なんだか妙な日本語だったけど。
そんなわけで、私はコクリとうなずく。
このまま、名無しの権兵衛先生で話を進めていくというのはさすがの私も気が引けるというものだった。
「じゃあ、改めまして。私は笠置美織と言います。担当教科は数学です。担任としてクラスを受け持つのは初めてで……、その、色々と至らない点があるとは思いますが、よ、よろしくお願いしますっ」
そう言って、少しだけ慌てながら深々と礼をする。ぱちぱちぱち、と拍手が流れる。
美織先生はさっきも言った通り、とてもキレイな先生だった。肩の辺りで切りそろえられた髪の毛にはゆるくパーマがかかっていて、近くにいたら間違いなく先生が放つ芳しい香りの中に吸い込まれていきそうな気がした。年の頃は25,6歳と言ったところだろうか。なんだか、物腰は柔らかいしみんなが守ってあげなきゃいけないような気にさせる。
しかも、メガネっ子とは、レベル高いっすな。
そんな私の評論はどこ吹く風、自己紹介が始まる。
普段は気の進まないこの儀式だったが、今日は何故かいきなり拳を握ってしまう。
「じゃあ、蒼深さんからね……」
1番目が夏耶だったからだ。
あらぁ……。
自己紹介なんて、態度はでかいけど肝は小さい、そして大の人見知りの夏耶にとっては耐え難い仕打ちのはずだ。
しかも高校生活初めての自己紹介で、1番最初で――。
さっき、繰り広げられた私と秋帆ちゃんの痴態を眺めていたとき以上に顔を真っ赤にしていた。
というかすでに茹っているなこれは。
「あ、あの……」
そんな風に切り出したのは、先生だった。
なぜなら、夏耶が椅子を立ち上がってから既に1分以上が無言のまま経過していたからだ。
恐るべし、照れ屋さん。机の下でぐっと拳を握った、私のニヤつきは止まらない。
「蒼深、さん……?」
なかなか話し出さない夏耶の様子に先生も不安を感じながら尋ねる。
私はこのまま顔が赤色に染まったままになってしまうんじゃないかと不安になる。
もしそうなったら名前もいっそのこと赤深さんにしてしまおうか。ねえ? 夏耶?
そんな時、こちらに顔を向けた夏耶と視線が交錯する。
「私はっ……私は赤深じゃない!……そんな、ま、マグロみたいな……っ!」
え? …………な、何で心の声が聞こえてるのーーーーーっ!?
親友だとは言え、お互いの思っていることがなんとなくわかるとは言え、それはやりすぎだ。
一瞬だけキッと引き締まった顔はすぐに俯けられ、視線は机の上に移動してしまう。
「私はマグロじゃ、ないんだ……」
あ、当たり前だろーがっ! わかってる、わかってるからそれくらい。そんなしみじみ言わないでほしい。なんだか本当に切ない。
っていうか、夏耶、ちょっとそれ以上の発言は色々とまずいって。
話の流れがわかっているのは私だけなんだから。
その発言だけ聞いた人たちからしたら、なぜ自らを魚類に例えているのだろう、更にはもっと発展させて――。
……ああ、いやいや、それ以上の発言は控えておこう。なぜお前はそんなことを知っている、なんて問われたら私の沽券にも関わる。私は純真無垢私は純真無垢……。
そして、この場に囃し立てるような男子がいなかった事を本当に幸運に思う。
それよりも、早く夏耶を助けてあげないと彼女は魚類として高校生活のデビューを飾ることになってしまう。
どうしたらよいだろう……。
私の頭は高速に思案を始めた。