百合の花の咲く丘で 2 ~スパイと天然、邂逅す~
というか、何なのだこの子は。
会って二日目だというのになんていうところまで踏み込んでくるのだろう。心の玄関を蹴破って、土足で部屋の中を歩き回って、――何をするわけでもない。ただただ、部屋の中に土足の跡をこれでもかと残していくだけ。最後にふっ、と鼻で笑う。そんな感じ。
遠慮ってモノを知らないらしい。
でも、なんだかデジャヴを覚えるやり取り……。
そんな風に考えていると、ふと、あることに気付く。あれだけ私をコケにしておきながら、未冬ちゃんの視線はある一点から動かない。
私の左隣にいる少女。
夏耶だった。
夏耶を見つめる未冬ちゃんの双眸は爛々と輝いており、頬をわずかに上気させ、鼻からは今にも蒸気が漏れそうなほどに膨らんでいる。
「あははっ。お前らの絡みなかなか面白いな。
未冬なんかちゃんとオチをもってくるし、くくく……」
「……あっ、ありがたき幸せっ」
そう言って、大仰に胸を張った未冬ちゃんはビシッと敬礼を決める。
……うーん、昨日も思ったけど、未冬ちゃんの夏耶を見る目つきは何だかおかしい。キミ達は同じ学年のクラスメイトなんだよ? 上官と部下みたいになってるじゃんか。
鼻からは完全に蒸気が噴き出ているし……。
夏耶に送る羨望のまなざし。
ああ、そうか。さっき感じたデジャヴの理由がわかった。
私と夏耶が繰り広げる、全く遠慮のないやり取りになんとなく似ている。
そんな気がし――。
「種蒔さんじゃないんですか?」
は?
「え、えーと、どう言う意味? 秋帆ちゃん」
「で、ですから、村井さん……なんですよね?」
瞬間、秋帆ちゃんの周囲が凍てついた空気へと変換される。そしてそれは、私達を取り込み、教室、廊下、学校全体にまで及び次の瞬間――
世界が凍結した。
…………。
あ、いやいやいやいや、危ない危ない、こんな厨二病的なセリフを並べている場合ではなかった。
世界の凍結を、そして秋帆ちゃんの誤解を解かなくてはいけない。
「いや、私は種蒔だよ? 秋帆ちゃん」
んー、と顎に手を当てて何かを考え込み始める。
「え、と、……おーい……」
「あ、わかりました」
秋帆ちゃんて、結構自分の世界に入っちゃうタイプなんだろうか?
私の声が届かない。
「すぱい、なんですね?」
世界はやはり凍結されていた!
ぽかんとしているのは私だけではない。
夏耶も、未冬ちゃんもだった。
二人とも、ネット上を徘徊していたら絶対に行き当たりそうな、(゜д゜)←こんな感じの表情になってしまっている。
「正体不明の誰かに追われているスパイ。だから……、だから本当の名前を隠しているんですよね。わかります」
うん、わかってないね。
秋帆ちゃん、君は本当に何もわかっていないよ……。
彼女の瞳を見れば誰だってわかるはずだ、彼女が言っているのは冗談やボケの類ではないのだ。
心からそう思っている。
そして、そんな秋帆ちゃんは先ほどの未冬ちゃんの様に頬を上気させ、またもや鼻から蒸気を――。
つか、最近の女子高生の間ではこんな行動が流行なのか?
私、乗り遅れてるの?
いや、そんな波には乗りたくなかった。
――ふふふ、だけどね秋帆ちゃん。
君がそこまで言うのだったら、私、やっちゃうよ?
今まで散々いじられたのだ、私も何か今日という日に爪痕を残したい。
「お、おい、つ、月白さん、いくらなんでもそれはないだ――」
ミト、と呼び捨てにしているくせに何故か秋帆ちゃんには遠慮がちな夏耶は可愛らしい。
そんないつの間にか未冬ちゃんの頭を撫でていた(正確には撫でさせられていた、らしい)夏耶が訂正しようとしたときだった。
「知っていたのか……。隠していたつもりだったのに」
えっ? と戸惑う夏耶。
緞帳がゆっくりと上がっていく。
主役は私、世界を股に駆けるスパイ、そして美しきヒロインは秋帆ちゃん。
「はっ……、や、やっぱり……」
「そうなんだ、実は本当にとある国から追われているんだ。だから種蒔、
なんてコードネームでそれを隠している、ってわけ」
私はあくまで芝居だけど、秋帆ちゃんは大真面目だった。
勝手に手に汗を握っている……。
だけど乗る。トラックを逆走して走り出したら見つけた船。乗りかかった、どころではない。私はもう船に乗ってしまっているのだ。泥舟かどうかなんて確かめる術はなかった。
「だから、絶対に私の名前を誰にも言わないで欲しい」
「は、はい……。私、言いませんっ、絶対に言いませんっ」
ぶんぶんと首を左右に振りながら、約束してくれる秋帆ちゃん。
おまえコノヤロウ、可愛いですね。
「……え、と、馬鹿が二人もいますよ」
「喋るな、未冬。友達だと思われる」
まーた、夏耶と未冬ちゃんが好き勝手に言ってくれてる。
だけどだけど、今は秋帆ちゃんとのやり取りを優先しなくてはならない。
舞台はすでに動き出している。時間は止まってはくれないのだ。
「うーん……。悪いな、出会ったばかりの君を私はそう簡単に信じることなんて、……できないよ」
たっぷりとタメを作って否定してみる。
落胆したように肩を落とし、大きなため息をつく。
「え、そんな……。じ、じゃぁっ、どうしたら信じてくれますか?」
どうしてそんなに悲しそうな、泣きそうな顔をするのだ。
せっかく盛り上がってきたコント――もとい、芝居を中断して抱きしめてしまいたい!
「そうだなぁ……」
その衝動を私は断腸の思いで断ち切る。
そして仰々しく教室の窓から大空を眺め……。
ここだ、クライマックスを持ってくるなら、ここしかないっ――。