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完璧な作品

作者: 斎藤一之助

 ボロアパートの一室で、青年はキャンバスに向かって一心に絵筆を振るっていた。

 作者の都合である。

 創作を始める前に青年は、やれ駄洒落オチとは趣味が悪いだの、パンの耳ばかり食わせるなだの、労働と賃金は等価でなくてはならないだのと、さんざん文句を並べて作者を困らせた。

言うことはいちいちもっともだが、ここは掌編小説の世界なのである。読者を退屈させないためにも、手際よく話を進めなければならない。

 といったわけで、絵は完成に近づいていた。溶いた卵黄で顔料と油とを混ぜて描く、伝統的なテンペラ画である。部屋は散らかり、服は粉と油にまみれていたが、青年はまったくおかまいなしであった。諸般の事情により、創作の世界に没頭する性格となったからである。

 筆が進んで、作品が完成した。調子よく画商もやってきた。

「今までにない作品だそうだが、それは君の最高傑作と見なしていいんだね?」

 作品の完成に心血を注いできた青年の耳には、ことのほか挑戦的な言葉に聞こえたはずである。

 駄洒落オチで喜劇的な結末を迎えるためには、画商は芸術を理解せず、ただ青年の絵に難癖をつけて月々の援助を値切り倒そうとする、ケチな守銭奴でなくてはならないのであった。

 青年は無言で、絵に被せてあったベールを取った。

 キャンバスには、食べ物が描かれていた。ふんわりとした雲のような物体から、エビらしき赤いシッポがのぞいている。小麦粉と卵を混ぜ合わせた色合いと食用油の匂いから、正体は容易に想像できるものであった。

「どうです、完璧な作品でしょう。天ぷらのテンペラ画! 今までなんびとたりとも挑戦しなかった新境地を、私が今切り開いたのです」

「う、うむ」

「どうやら、感動のあまり言葉を失ったようですね。実を言いますと、空腹のあまり、天ぷらうどんを食べる夢を見たときにひらめいたのです。どうです、この斬新過ぎる着想力は! しかもパン屋さんのご好意のおかげで材料代がほとんどかかっていませんので、あなたの利益も大きいですよ」

 作者は考えた。作品は完結した。しかし、駄洒落オチをほのめかしておきながら何のひねりもなく終わったのでは、せっかくここまで読んでくれた読者に失礼ではなかろうか。

 作者は悩んだ。すでに加筆部分は書き終えている。しかし、駄洒落オチをほのめかしておきながら違う結末で終わったのでは、読者を裏切ったことになりはしないか。

 この作品は、瞳を欠いた竜であるべきか、あるいは、足を加えた蛇であるべきか。

 作者は結論を読者に委ねることにした。

先ほどの結末に不満をお持ちの方だけ、以下の文章を読み進めていただきたい。






   ※ ※ ※






 絶句していた画商は、気をとり戻して青年に詰め寄った。

「き、き、君は、芸術を侮辱してはいないかね? よりによって、先人が苦労しつつ描きあげてきた名作の数々を、くだらぬ駄洒落などで穢そうなどとは」

「だまれ、下郎! 芸術は多数決で決まるものではない! 新しき芸術とは陳腐な常識を破壊してきたところから生まれるのだ! そんなことすらわからんのか!」

 作品をけなされた青年は空腹にもかかわらず、我を忘れたかのような大声を出していた。

「そもそも、私がパン屋ふぜいに慈悲を請わねばならなくなったのは、貴様がケチな能無しだからだろうが!」

「な、なんだと」

「商才がなさ過ぎる! 私にもっと金をよこせば、高価な絵具をふんだんに使え、もっと多くの、より優れた作品を世に送り出せるのだ! わかったらさっさとこの世紀の傑作を画廊に持ち帰って売りに行かんか!」

 画商の青ざめていた顔が、次第に赤みを帯びてきた。

 怒りはもっともであろう。ケチな奴だと、と画商仲間たちから嘲られても、交際費などを節約してまで援助をしてきたわけだし、芸術的なセンスがない、と家族から罵られても青年の才能を信じ続けてきたのである。情愛を注いできたぶんだけ、期待を裏切られたという憤激で満ちるのは当然だった。生みの親より育ての親という言葉もある。

 それでも画商は怒鳴り返したい気持ちをかろうじてこらえ、散らかった部屋をなめるように見回した。

 この作品はなにからなにまで、全ての面で失敗作であると断言し、画商にとって決して洒落にならない悲劇(、、、、、、、、、)に幕を下すためには、青年はあまりにも興奮しすぎていた。

 絶縁を宣告するためには、ひとまず増長しきった頭と心とに冷水を浴びせ、のびまくった鼻を根元からへし折ってやらねばならなかったのである。

 やがて画商は、下書きを消すのに使ったであろう、炭粉にまみれたあるものをつまみあげて言った。

「パンくずを使ったのであれば、フライじゃないのかね?」


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