その部屋、俺が施工してます
その部屋、俺が施工してます
1.金持ちの友人
「……朔也」
「ん?」
「……もうちょっと右」
「これくらい?」
「……あと五センチ」
「細けえなぁ」
俺はソファの脚に敷いた保護材を確認しながら、ゆっくりと家具を動かした。
「……そこ」
「はいよ。どう?」
「……いい」
「おっけー」
立ち上がり、部屋全体を見回す。
窓から差し込む午後の日差し。壁際に置かれた大きな本棚。向かい合うソファとローテーブル。
うん。
悪くない。
「これなら動線も確保できるし、テレビも見やすい。前よりずっといいと思うぞ」
「……ん」
「しかし、お前んち本当に広いよな」
俺――榊原朔也は、改めてリビングを見回した。
二階建ての一軒家。
庭付き、駐車場付き。
しかも、大学から電車で二駅という好立地。
白峰澪という女は、どうやら俺とは住んでいる世界が違うらしい。
「なあ、白峰」
「……ん」
「一人暮らしでこの広さって、持て余さないの?」
「……別に」
「俺なんか六畳一間だぞ。ここ、リビングだけで何倍あるんだよ」
「……引っ越す?」
「どこに?」
「……ここ」
「いやいや、冗談きついって」
「……そう」
白峰は、眠たげな青い瞳をこちらに向けたまま、小さく頷いた。
こいつは無口だ。
とにかく無口。
大学で知り合って一年以上経つが、長々と喋っているところを見たことがない。
別に人見知りというわけでもないらしく、他の友人に対してもこんな調子だ。
まあ、俺としては付き合いやすい。
無理に会話を続ける必要もないし、言いたいことはちゃんと言ってくれる。
何より、かなり気前がいい。
「……お茶」
「お、ありがと」
差し出された麦茶を受け取る。
白峰は俺の隣に座った。
銀白色の長い髪が、ソファの背もたれに広がる。
顔立ちは整っている。
青い瞳も綺麗だ。
普通にしていれば、どこか近寄りがたい雰囲気さえある。
もっとも、本人はそんなことを気にする様子もない。
「それにしても、また模様替えか」
「……うん」
「先月もやったよな?」
「……やった」
「その前も」
「……うん」
「もしかして、模様替えが趣味?」
「……そんな感じ」
「へえ」
変わった趣味だ。
まあ、人のことは言えない。
俺だって、休日に建築模型を作っていると平気で数時間が経っている。
将来の夢は、一級建築士になること。
大学では建築を学び、休みの日には知り合いの内装業者でアルバイトをしている。
設計だけでなく、実際に物を作るのも好きなのだ。
だから、白峰から最初に模様替えを頼まれたときも、喜んで引き受けた。
家具の配置は馬鹿にできない。
動線や採光、使い勝手を考えるいい練習になる。
「まあ、俺としては助かってるけどな。こういうのも勉強になるし」
「……そう?」
「ああ。ありがとな、白峰」
「……ん」
白峰が、ほんの少し微笑んだ。
こいつは滅多に表情を変えない。
だから、こういう顔を見ると何となく嬉しくなる。
「……ねえ」
「ん?」
「……次、二階もお願いしていい?」
「二階?」
「……うん」
「何か動かすの?」
「……違う」
白峰は麦茶を一口飲んだ。
それから、いつもと変わらない声で言った。
「……部屋、改装したい」
「へえ、改装……」
……。
「改装!?」
「……うん」
「マジで!?」
思わず立ち上がった俺を、白峰は不思議そうに見上げた。
「……だめ?」
「いや、全然! むしろやりたい!」
「……そっか」
「でも、どの程度だ? 壁紙の張り替えとか?」
「……一部屋、全部」
「おお……!」
これはすごい。
もちろん、学生の俺が一人でできる工事には限界がある。
専門業者や資格を持った人に任せる部分も出てくるだろう。
それでも、実際の住宅改装に関われるなら願ってもない機会だ。
「いいのか? 結構な金かかるぞ?」
「……大丈夫」
「いや、お前んち金持ちなのは知ってるけど」
「……朔也の練習になるなら」
白峰は俺を見た。
「……いいよ」
……。
何だよ、こいつ。
めちゃくちゃいいやつじゃん。
「ありがとう! 絶対いい部屋にしてやる!」
「……ん」
白峰は少しだけ笑った。
俺も笑った。
このとき俺は、本気でいい友人を持ったと思っていた。
実際、それは間違っていない。
少なくとも、白峰澪が俺に好意的なのは確かだった。
ただ。
その好意がどの程度のものなのかまでは、まったく知らなかった。
*
(……好き)
白峰澪は、榊原朔也が好きだった。
顔が好き。
性格も好き。
喋り方も好き。
たまに後ろ向きにかぶっているキャップも好き。
建築について話すとき、少し早口になるところも好き。
(……好き)
最初は顔だった。
大学一年生の春。
共通の一般教養科目で見かけた、深緑色の髪と赤い瞳の青年。
(……いい顔)
そう思った。
それから何度か話してみた。
性格もよかった。
気さくで、親切で、好きなことに一生懸命。
特に、建築の話をしているときの朔也は楽しそうだった。
だから、応援したくなった。
ちょうど自分には家がある。
家具もある。
お金もある。
(……使おう)
まずは模様替えを頼んだ。
朔也は喜んで来てくれた。
嬉しかった。
また頼んだ。
また来てくれた。
嬉しかった。
そのうち、もっと一緒にいたくなった。
毎日会いたい。
朝も、昼も、夜も。
できれば、ずっと。
(……結婚したい)
ただ、まだ告白はしていない。
断られる可能性があるからだ。
それは困る。
(……じゃあ)
澪は考えた。
それなら、ずっと一緒にいられる環境を先に作ればいい。
幸い、家はある。
改装を手伝ってくれる人もいる。
しかも、その人は自分の好きな人だ。
(……ちょうどいい)
澪は静かに微笑んだ。
恋愛については、少しばかり発想が極端な女だった。
2.理想の部屋
「防音室?」
「……うん」
翌週。
俺は白峰の家の二階に案内されていた。
廊下の突き当たりにある、六畳ほどの部屋。
現在はほとんど物が置かれていない。
「楽器でも始めるの?」
「……そんな感じ」
「へえ。何の楽器?」
「……まだ、決めてない」
「なるほど」
楽器を決める前に防音室を作るとは。
順番が逆な気もするが、まあ、金持ちの考えることはよく分からない。
「で、希望は?」
「……できるだけ静か」
「防音性能重視ってことな」
「……うん」
「他には?」
「……ベッド」
「寝室兼用?」
「……そう」
「なるほど。だったら快適性も重要だな」
俺はメモ帳を開いた。
「収納は?」
「……欲しい」
「机は?」
「……いる」
「テレビは?」
「……いらない」
「オッケー」
次々に要望を書き込む。
防音室兼寝室。
ベッド、机、収納。
長時間過ごしても快適な空間。
「……あと」
「ん?」
「……扉」
「扉?」
「……頑丈なのがいい」
「そりゃ防音室なら扉も重要だな」
「……鍵も」
「鍵付きね。了解」
白峰は頷いた。
「……外から、かけられるやつ」
「外から?」
「……うん」
「ああ、外側にも鍵穴があるタイプか。まあ、用途に合った製品を探すよ」
「……お願い」
俺はメモを書き足した。
そこまで特殊な要望ではない。
住宅の個室に鍵をつけること自体は珍しくないし、防音室なら機密性……じゃない、気密性も重要になる。
「ちなみに予算は?」
「……気にしない」
「いや、気にしろよ」
「……なんで?」
「なんでって、お前……」
思わず頭を抱える。
こいつは本当に金銭感覚が違う。
「普通、予算決めてから計画するんだよ」
「……じゃあ、いくら?」
「仕様にもよるけど、数百万円規模になる可能性もあるぞ?」
「……それくらい?」
「それくらいって!」
「……足りる?」
「足りる足りないじゃなくて、まず無駄遣いすんな!」
「……そっか」
白峰は素直に頷いた。
まあ、話を聞いてくれるだけありがたい。
「とにかく、専門業者にも相談しよう。俺一人で全部できるわけじゃないし」
「……うん」
「使いやすくて快適な部屋にしたいな。もちろん、安全面にもちゃんと配慮するから」
「……任せる」
白峰は、ほんの少し微笑んだ。
その顔を見て、俺はますます張り切った。
*
改装は、思っていた以上に本格的なものになった。
防音関係の工事は専門業者が担当することになり、俺は打ち合わせに同席させてもらった。
大学ではまだ学んでいないことも多い。
質問すれば職人さんたちは丁寧に教えてくれる。
正直、めちゃくちゃ楽しかった。
「お前、いい経験させてもらってんな」
アルバイト先の親方にも、そう言われた。
「はい! 本当にありがたいです!」
「ちゃんと依頼主に感謝しろよ」
「もちろんです!」
白峰には足を向けて寝られない。
本気でそう思っていた。
ちなみに、白峰は工事が始まってからもほとんど口を出さなかった。
「この壁紙、どう?」
「……いい」
「収納はこの位置でいいか?」
「……うん」
「照明、もう少し柔らかい感じにする?」
「……任せる」
こんな調子である。
こだわりがないわけではない。
最初に出した条件は意外と細かかったし、寝具や家具は自分で選んでいた。
ただ、専門的なことについては、基本的にこちらに任せてくれる。
ありがたい施主だ。
そしてある日。
「……朔也」
「ん?」
「……これ、どう?」
白峰がスマートフォンを差し出してきた。
画面には、ベッドの写真。
「お、いいじゃん。シンプルだし、部屋にも合いそう」
「……二人用」
「でかいな」
「……うん」
「六畳なら、配置はちゃんと考えないとな。収納との兼ね合いもあるし」
「……置ける?」
「まあ、置けると思うぞ」
「……じゃあ、これ」
白峰が購入ボタンを押した。
「早っ!」
「……何が?」
「いや、もっと悩まないの?」
「……朔也がいいって言ったから」
「使うのはお前だろ!」
「……うん」
本当に不思議なやつだ。
まあ、気に入っているならいいか。
それにしても、二人用のベッドか。
一人暮らしなのに。
……。
いや、別におかしくはないか。
寝相が悪い人だっているだろうし。
「お前、寝るとき結構動くタイプ?」
「……別に」
「じゃあ何で二人用?」
「……広いから」
「なるほど」
広いベッドで寝たい。
分かる。
俺だって金があったらそうする。
*
(……二人用)
澪は、購入したベッドの写真を見ていた。
大きい。
二人で寝られる。
(……いい)
朔也も気に入ってくれた。
嬉しい。
(……一緒に寝たい)
そのうち、きっとそうなる。
いや。
そうする。
澪は注文履歴を閉じた。
そして、机の上に置いてあるメモ帳を開く。
そこには、完成後に必要になるものが書かれていた。
衣服。
生活用品。
食料。
建築関係の専門書。
模型製作用の道具。
パソコン。
(……こんなものかな)
少し考えて、もう一つ書き足す。
大学の課題。
朔也は勉強熱心だ。
きっと部屋の中でも勉強したがる。
必要なものは用意してあげたい。
(……夢は大事)
一級建築士になってほしい。
将来の夢を諦めさせるつもりはない。
ただ、できれば自分のそばにいてほしい。
(……ずっと)
それだけだ。
澪は、静かにメモ帳を閉じた。
*
3.完成
工事が終わったのは、それからしばらく経った休日だった。
「よっしゃあ!」
思わず声が出た。
完成した部屋は、予想以上の仕上がりだった。
落ち着いた色合いの壁。
丁寧に仕上げられた床。
防音性能の高い扉。
快適な空調。
それから、俺が仕上げを担当した収納棚と机。
ベッドも無事に収まった。
素晴らしい。
実に素晴らしい。
「どうよ、白峰!」
「……すごい」
「だろ!」
「……綺麗」
「ははっ、ありがと!」
専門業者の仕事を見て学べたことも多い。
俺が担当した部分についても、親方から合格点をもらえた。
今回の経験は、間違いなく将来の役に立つだろう。
「いやー、本当にありがとな。こんな経験、普通はなかなかできねえよ」
「……ん」
「お前のおかげだ」
「……そう?」
「ああ!」
白峰は少しだけ微笑んだ。
「……よかった」
「こっちこそだよ」
俺は改めて部屋を見回した。
いい部屋だ。
俺が住みたいくらい。
「正直、この部屋、俺のアパートより快適だわ」
「……そう?」
「ああ。防音もしっかりしてるし、設備もいいし」
「……住む?」
「ははっ、だからそういう冗談やめろって」
「……そう」
白峰は小さく頷いた。
いつもと同じ、眠たげな表情。
……しかし。
こいつ、前にも似たようなこと言ってたな。
もしかして、ルームシェアに興味でもあるんだろうか。
まあ、こんだけ広い家なら、誰かと一緒に暮らすのも悪くないかもしれない。
俺は工具箱を持ち上げた。
「じゃ、そろそろ片付けるか」
「……待って」
「ん?」
「……最後に、確認」
「おう。どこ?」
「……扉」
「扉?」
「……うん」
白峰は入口の横に立った。
「……中、入って」
「了解」
俺は部屋に入った。
外からの音がほとんど聞こえない。
なるほど。
いい出来だ。
さすが専門業者。
防音性能については何度か確認しているが、こうして完成した状態で体感すると、やはり感動する。
「……朔也」
「んー?」
「……ちょっと、待ってて」
「おう」
扉が閉まった。
重厚な音。
続いて、鍵のかかる音がした。
ガチャリ。
*
(……完成)
澪は扉を見つめた。
ついに、この日が来た。
最初は家具の移動だけだった。
それから壁紙を変えた。
棚も作ってもらった。
今度は、部屋そのものを改装してもらった。
長かった。
けれど、全部楽しかった。
朔也はいつも楽しそうだった。
今日も喜んでくれた。
(……よかった)
そして今。
その朔也は、部屋の中にいる。
鍵は閉めた。
防音性能も十分。
必要なものは全て揃っている。
(……完璧)
澪は静かに息を吐いた。
これで、朔也は自分のものだ。
明日からは毎日一緒にいられる。
朝起きて。
ご飯を食べて。
勉強して。
夜になったら、一緒に寝る。
(……幸せ)
少しだけ、口元が緩む。
心臓は、いつもより速く動いていた。
顔には出さない。
いつもどおり、静かにしている。
朔也が落ち着くまで待とう。
きっと最初は驚く。
怒るかもしれない。
でも、少しずつ慣れてくれるはずだ。
(……大丈夫)
何せ、この部屋は朔也自身が作ったのだから。
本人も気に入ってくれている。
こんなに素晴らしい部屋なら、きっと快適に過ごせる。
(……好き)
澪は扉を見つめた。
その向こうには、大好きな人がいる。
もう帰らない。
もう帰れない。
ずっと。
ずっと、一緒。
(……ふふ)
そのときだった。
ガチャ。
「おーい、白峰」
「…………」
扉が開いた。
朔也が出てきた。
「何の確認だ、これ?」
「…………」
澪は朔也を見た。
それから扉を見た。
もう一度、朔也を見た。
「……なんで?」
「ん?」
「……鍵」
「ああ、かかってたな」
「……うん」
「それが?」
「……出てきた」
「そりゃ出るだろ」
「…………」
澪は黙った。
そして、扉を閉めた。
ガチャリ。
もう一度、鍵をかける。
今度はちゃんと確認した。
閉まっている。
確かに閉まっている。
(……よし)
ガチャ。
「いや、何してんだ?」
朔也が、また出てきた。
「…………」
澪は鍵を見た。
次に、朔也を見た。
「……開くの?」
「開くぞ?」
「……鍵、かかってるのに」
「いや、中からは開く仕様だからな」
「…………」
「閉じ込められたら危ねえだろ?」
「……そう」
澪は考えた。
それは確かに、危ない。
怪我をしてほしくない。
苦しんでほしくない。
安全は大事。
(……でも)
(……出られる)
それは困る。
「……朔也」
「ん?」
「……鍵、壊れてない?」
「は?」
「……開いちゃう」
「いや、正常だぞ」
「…………」
「外から施錠しても、室内側からは解錠できるようになってるんだ」
「……そうなの?」
「そうだよ。防音室だからこそ、安全性も大事だろ?」
「……うん」
澪は小さく頷いた。
なるほど。
ちゃんと考えて作ってくれていたらしい。
(……すごい)
本当に、すごい。
大好きな人は、やっぱり優秀だった。
ただ。
(……困る)
澪は扉を見つめた。
そして、しばらく考えた。
「……朔也」
「ん?」
「……ちょっと、ここにいて」
「おう」
澪は部屋の中に入った。
朔也には外にいてもらう。
そして扉を閉めた。
ガチャリ。
今度は、自分が内側にいる。
澪は扉のハンドルを動かした。
ガチャ。
開いた。
「ほらな?」
朔也が得意げに笑った。
「ちゃんと出られるだろ?」
「…………」
「こういうのは大事なんだよ。どんなに防音性能がよくても、閉じ込められるような部屋じゃ困るからな」
「……うん」
「施工した側としても、その辺は妥協できねえし」
「…………」
澪は扉を見た。
頑丈な扉。
立派な鍵。
丁寧な仕上げ。
何一つ文句はない。
ただ、中から開く。
(…………)
(……これ)
(……だめでは?)
澪は少し考えた。
そして、ぽつりと言った。
「……施工不良」
「は?」
朔也が固まった。
「……これ」
「いや、待て待て。どこが?」
「……鍵」
「鍵?」
「……開く」
「そりゃ開くだろ!」
「……だめ」
「何が!?」
「……出られる」
「いや、だから!」
朔也は扉を指さした。
真剣な顔だった。
建築の話になると、いつもこうなる。
澪は、その顔も好きだった。
「出られなかったら施工不良なんだよ!!」
「…………」
澪は、朔也を見た。
それから扉を見た。
もう一度、朔也を見た。
(……そうなんだ)
(……じゃあ)
(…………)
(……なんで?)
――完。




