カフェ ~告白
彩は、大樹のタブレットを示す指が綺麗だなと見入った。小指の指輪、可愛いなとか。
「注文何にする? 俺コーヒーね。最近ブラックの良さがわかったんだあ」
「あ、だ・・・」
大樹と言いかける。いつもと違う場所と雰囲気につられそうになる。心の中で呼んでいるだけで、会社の他の人のように大樹と下の名前で呼んだ事はない。
「・・・佐藤くんと同じもので」
聞いた事があるようなクラシックの曲が流れていた。
「ねぇ・・・」
タブレットから視線を上げる。正面から視線がぶつかって、思わずそらす。大きな瞳。光を含んでやわらかく揺れているのに、目が合った瞬間、逃げ場を塞がれるみたいに引き込まれる。
笑っているはずなのに、どこか底が見えなくて。優しさの奥に、じわりと熱を含んだ色が滲んでいる。見てはいけないものを見ている気がして、息が詰まる。
このまま見つめられたら、きっと何を言われても頷いてしまう。
そんなに鈍くはない。何を言われるかわからないほど鈍感ではないつもりだ。
大樹はいつものスーツと違って、シャツのボタンは上まできっちり留めていない。喉元から鎖骨にかけてのラインが、さりげなく視界に入り込んでくる。意図していないはずなのに、目に入れた瞬間どきりとした。慌ててそこから視線を外す。
大樹のハーフアップの毛先がぴょこぴょこはねているのが、ちょっと可愛い。整った顔立ちとのアンバランスが妙に目を引いて、さっき逸らしたはずの視線が、またそっちに引き戻される。光を含んだ髪がやわらかく揺れるたび、華やかさが同時に滲んでいて、無防備に近づいてはいけない距離だと胸の奥で小さく警鐘が鳴った。
「彩さん、この髪型、好きだよねぇ」
また目線が合う。大樹は猫みたいに笑った。
見透かされている。断然、場数が違うのだろう。男性と向かい合わせて座るなんて、仕事以外でいつ以来? 多分赤面しているだろう自覚はある。
「だから、今日この髪型にしてきたんだよねえ」
「・・・はい」
「お待たせしました」
店員さんがコーヒーを2つテーブルに置いた。
「ありがとうございます」
大樹は自然な感じで言う。
彩はその対応が素敵だなって思った。客先でも普段から丁寧な感じだけれど。
大樹はミルクピッチャーを摘まんで、そっと戻して、コーヒーカップを持ち上げた。一口飲む。
その口元にも、つい視線を合わせてしまう。きゅっと口角があがっていて、若いっていいなあ。3歳違うだけだけど。たった3歳? それとも3歳も?
「単刀直入に聞いちゃうけど、今日、来てくれたって事は、俺と付き合ってもいいって事だよね」
いいって言いたい。
正直、格好いい人だと思う。待ち合わせ場所に立っていた大樹の立ち姿も綺麗だった。こうやって座っていても、時々他の席の女性がちらっと見ている。目立つ髪色のせいもあるだろうけれど。
細身でバランスがいいのだと思う。顔とか肩幅とか・・・自分より小さい気もする。
お願いしますって言いたい。
男性としては低めの身長の大樹が、女としては大きい自分にこんな事を言うのも凄く勇気が必要だったと思う。並んだら、確実に自分の方が大きい・・・。ヒールのせいだと思いたいけれど、それだけじゃない。
付き合ってほしい。何も考えずに、ただそれだけを言えたらどれだけ楽だろう。
でも、言葉は喉の奥で止まったまま出てこない。
自分は3歳年上。たった3年・・・そう言えたらいいのに。それくらいの差は気にしないと言われればそうだが。
未来を思い描いた瞬間、その差は急に現実になる。
結婚もしたい。子供も欲しい。親世代と違って、最近はまだ大丈夫というかもしれないけど、それでも限界はある。もう3歳若かったらな、って。
今から付き合い始めて、数年付き合って結婚って何年後?
もし途中で終わって・・・別の誰かと出会って。数年付き合って・・・結婚できる? 子供は?
現実。
それに大樹は、誰とでも自然に距離を詰める。肩に触れる手も、名前の呼び方も、それが当たり前みたいに。男友達も女友達も。その輪の中で笑う彼は、軽やかで、少し遠い。離れて見ている自分とは温度が違う。
友達が多い事のどこが悪いのって言う人もいるだろうけど。その近さが、自分とはあまりにも違う。同じ距離でいられる自信はない。
「・・・あの、そう言ってもらえてすごく嬉しいです」
彩は自分の脈拍が早くなっているのを感じた。こんな風に言われたのは、人生初。恋人だって、学生時代のおままごとみたいなのを除けば、いた事はない。あとは・・・記憶の奥底に沈めた黒歴史くらい。自分の経験値の低さに苦笑する。
すごく嬉しい。
「じゃあ」
大樹は満面の笑みを浮かべた。
「でもっ」
彩は声をあげた。実際に出たのは自分でも驚くほど小さい声。
「嬉しいですけどっ。価値観が違うからっ、お互い嫌な思いをすると思う」
言葉がこぼれる。早口だった。止めようとしても、もう止まらない。
「何それ?」
初めて聞く、大樹の低い声。初めて聞く温度に、心臓が強く跳ねる。
大樹の目を見られない。見られないのに、逃げきれずに、ゆっくりと視線を上げてしまう。
大樹のにやりと笑った口元。
無邪気に見えるその笑みが、ほんの僅かに歪んで、奥に別の温度を覗かせる。優しいはずの表情なのに、逃がさないと告げられているみたいで、ぞくりと背筋が粟立った。
こんな顔を引き出しているのが、自分だと嫌でもわかってしまう。
喉がひりつく。
でもここで、止めるわけにはいかない。
ここまで言った。言ったなら、最後まできちんと言わないとダメだ。きちんと振られよう。そうじゃないと、引きずる。ああ言えばよかった、こう言った方がよかった、もっと違う言い方があったはずって、後々まで何度も思い出す。
絶対。
明日から、会社で顔を合わすのは気まずくなるかもしれないけど。元々、自分は会社でプライベートを持ち込まないし。個人的な飲み会も行かない方だから、大丈夫。
大丈夫。
「恋人がいるのに、女友達と2人でゴハンいったり、買い物に行ったりは嫌です」
はっきり言い切る。
大樹の友達が多いのは知っている。男友達だけじゃなく女友達も。スノボやキャンプに行った話。想定より遅くなって真夜中に帰ってきた話。泊りで温泉に行った話。・・・会社での何気ない会話の中で聞いていた。全く何もありませんでした、を素直に信じられる程若くない。
「それだけ?」
軽く返される。
「・・・それから、女の子もいて、何人かで遊びに行くのはいいけど。そこで女の子と手を繋いでいたり・・・」
「こんな風に?」
言い終わる前に、手首を取られた。
いつの間にか握りしめていた指を、大樹が両手でほどく。そのまま、逃がさないみたいに指を絡められる。恋人みたいに。
心臓が、跳ねる。絶対、顔に出てる。
それでも、逸らさない。
「・・・肩寄せてくっついていたり、ハグしたり・・・そういうのも嫌です」
インスタに上がっていた写真。笑いながら距離を詰めている姿を、思い出してしまう。実際見た事もある。
「佐藤くん」
大樹と言いそうになって、飲み込む。今度は大丈夫。普段呼んでいる苗字呼びにちゃんとなってる。気づかれてる? 気づかれてない。まだ大丈夫。
「佐藤くん。そういう風に友達と距離が近い人でしょう」
言い切った。
大丈夫。
逃げないと決めて、目線を上げる。
大樹は泣き笑いのような、作り笑顔を浮かべていた。明るいはずのその表情に、かすかな歪みが混じる。
「それ、しなかったら。・・・彼女になってくれる?」
大樹の絡めた指に、ぐっと力がこもる。指先が熱を帯びて、逃げ道を塞ぐみたいに絡みつく。試すみたいに。それでいて置いていかれるのを嫌がる子供みたいに、どこか無防備に縋ってくる。
笑っているはずの目が、僅かに揺れているのがわかった。軽やかなはずの彼の奥に、踏み込んではいけない深さが覗く。
一瞬だけ、迷いがよぎる。このまま流されてしまえば、どれだけ楽だろう。
でも。
「普段している行動を我慢してまで、付き合うのは違うと思う」
静かに、そっと手を引く。
絡められていた指は案外素直に離れる。
彩はぬるくなったコーヒーを一口飲んだ。
読んでくださってありがとうございます(*_ _)
ポイントを入れてもらえると、嬉しいです。




