7、俺はログアウター
最終話まで毎日17時に更新します。全18話。
バタン!
ドアの閉まる音が響く。
そしてそいつがこちらを振り向いた瞬間、俺のすぐ目の前に立っていた。
「なんだ? なんだ? なんだ? なんだ? なんだ?!」
パニックだった。もうどうでもよかった。とにかくこの場から逃げたい。
それだけだった。
俺は体を揺らしどうにか動こうとしたが、全く体が言うことをきかなかった。
『1度だけチャンスをやる』
またあの声が頭に響いてきた。
そうか、やはりこいつの声か。
相変わらずモヤが掛かったように、こいつの顔は口以外は見えない。
不快だ。
不快感しかない。
何がチャンスだ!
俺が戦犯を教育してやろうというのに、これではまるで俺が悪人みたいだろうが!
この理不尽な俺への仕打ちに、怒りがふつふつと心の底から湧いてきた。
だが、ここは謝ることにした。
俺は選ばれた人間だから、そこら辺のくだらない日本人とはレベルが違う。
今回は運が悪かった。
もしくは、これは夢だ。
この悪夢を手っ取り早く終わらせ、また母国のために日本人を教育しなければならない。
そんな強い使命感が、俺にはあるのだ。
俺は下げたくない頭を、こいつに下げた。
「ごめんなさい。ついかっとなった。もうしない」
――どうだ? これで十分だろ?
そもそも俺はあの女を殺してすらいない。
「まぁ……やっぱりこんなもんか」
ん?
今度は、こいつの声が頭にではなく、耳に届いてくる。
こいつは続けた。
「いいか。日本人の優しさを、弱さと捉えるのは勝手だが、それを利用して相手を傷つけるのは、ダメだ」
顔の大半が見えない。
それなのに、こいつからは強烈な圧力を感じ、俺はただ、淡々と話すその声を聞くしかなかった。
「途中まで、お前の中にも罪悪感はあった。その証拠に、お前自身が被害を受けたわけでもないのに、”戦犯”だとか、なんとかで主語の大きな話にすり替えて、自分の心を誤魔化したな」
――何を言うか! 罪悪感だと!
俺は、日本人に償わせてやるため、ここに来たんだ!
そのとき、一瞬だけ男の目が見えた気がした。
そこに見えたのは怒りでも、悲しみでもなく、
――そう……憐れみだった。
「そんな目で、俺を見るな!」
叫んだはずだった。
だが、この叫びも声にはならない。
俺は、深い憐れみの眼差しを全身に浴びながら、こいつの言葉を聞く。
「お前の母国とやらは、自分たちの統治のために――つまり、不満の矛先を逸らすため、日本を利用しているだけだが……それも、本当は……お前、気づいているんだろう?」
違う……。
違う、違う! 違う!!
悪いのは日本だ! 日本人だ!
日本が、俺たちの国を壊した!
「それでいい」
そう言ってこいつは、俺に微笑みかけてきやがった。
次の瞬間、急に体が動くようになり、俺はソファから前のめりに倒れた。
両腕がない俺は、支えることもできず、顔を床に強く打ち付けた。
顔面に強烈な痛みが走るが、すぐさま両足と顔を使い立ち上がると、玄関へ走った。
こんなやつに構ってられるか。
玄関は目前だ、足でドアを開け、外に出れば、大声で助けを呼べる。
頭の中で手順を思い描いた。
背後から、あいつが追ってくる気配はない。
もうすぐだ!
玄関のドアまであと一歩。
最後の一歩を踏み込んだ瞬間、足の裏から甲にかけて激痛が走る。
そしてその場で勢いよく転倒し、ドアに頭を強く打ち付けた。
視界に火花が散ったが、なんとか膝をつくことができた。
俺はあわてて、痛んだ箇所を見る。
――落ちた自分の手が、握っていたナイフだった。
それを踏み抜き、足を貫通し血がとめどなく湧き出していた。
ッ!
痛みと驚きで息が止まる。
後ろを振り返ってみたが、男はソファの前から動かず、ただこちらに視線を向けている。
ドアノブはL字型だ。
鍵は、かかっていない。
このまま頭でノブを下げれば、外に出られる。
俺は足の痛みをこらえ、ナイフが刺さったまま立ち上がると、ドアノブに額を押し当て力を込めた。
ノブが下がる。
よし!
そのまま頭でドアを押した。
ガチッ。
……動かない。
まるで、分厚い壁のようにドアはびくともしなかった。
俺は何度も何度も、頭でドアを押した。
額から血が溢れ出たが、それでもお構い無しに続ける。
しまいには、ナイフが貫通した足でドアを蹴った。
それでも、1ミリたりとも動くことはなかった。
「もう十分だ。話は、まだ終わっていない」
突然、背後に気配が生まれ、あいつの声が聞こえた。
不覚にも、俺は腰を抜かしてしまった。
ドアを背にズルズルと座り込むと、そんな俺を、男は見下ろして言った。
「一度だけチャンスをやると言っただろう」
そんなことなど、どうでもよかった。
「だれ! おまえ! だれ! なぜ、こんなこと、する!」
これが、口をついて出た精一杯の日本語だった。
だが男は答えず、淡々と続けた。
「お前は、何度も今回のように、日本人を傷つけているな。一人も殺してはいないが――その人たちが負った心の傷は、計り知れない」
微かだが、男から怒りを感じた。
俺は、今すぐにでも死んでしまう予感がして、床に頭をこすりつけた。
「すみません。すみません。すみません。」
男の言葉をかき消すように、謝罪の言葉を吐き出し続ける。
おかしい。
気持ちの伴わない言葉を口にするたび、どんどん頭が重くなっていく。
頭痛なんかの例えじゃない。
本当に重い。
ダメだ。
床に頭が沈む。重い……。
頭の重みで鼻がつぶれ、鼻血が吹き出る。
唇が床に押し付けられ、言葉が途切れた瞬間、緩やかに頭の重みが抜けていく。
俺は、男に頭を踏みつけられたのだと思い、恐る恐る顔を上げた。
だが、こいつはただ、そこに立っているだけだった。
「言葉の重みを知れ」
男はそう冷たく言い放つと、這いつくばる俺に目線を合わせるように、ゆっくりとしゃがんだ。
すると男の顔を覆っていたモヤが晴れ、はっきりと顔が見えた。
どこにでもいそうな、日本人の中年の男だった。
強そうでも怖そうでもない。
ヤクザや格闘家、軍人といった、いかにもな面構えでもない。
本当に、どこにでもいそうな中年のオヤジだった。
そいつは俺の目をまっすぐに見つめ、淡々と言った。
「とはいえ、お前は誰も殺してはいない。だから、今すぐログアウトはしない」
ログアウト? 俺はゲームのキャラじゃねぇ!
俺の怒りがわかるかのように、一瞬の間を置き、男は続けた。
「もし、お前がこれまでの行いを反省し、自分がやってきたことを悔い改め、被害者に心から謝罪する気持ちになったのなら――この部屋から出ることもできるだろう」
そう言うと、こいつは立ち上がり、ふたたび顔にモヤがかかる。
男は這いつくばる俺を、一度も見ることなく通り過ぎ、ドアノブに手をかけた。
すると、なんなくドアは開いた。
そしてドアの向こうには、いつもとなんら変わらないマンションの通路が広がっている。
俺は立ち上がり、男の後に続こうとしたが、またしても体が動かなかった。
くそ! なんでだ!
肝心なときに動けない歯がゆさから、激しい怒りが腹の底から一気に込み上げてきた。
俺は這いつくばりながらも、男の背中に向かって叫んだ。
「おまえ! おぼえてろよ! このやろう! 名前おしえろ! あとで絶対に――!」
男は振り向き、俺の言葉を遮るように静かに言った。
「日本の管理者――俺は”ログアウター”」
ログ……アウター……?
日本の……管理者……?
バタン!
ドアの閉まる音が、部屋に響いたと同時に俺は動けるようになった。
がぁぁぁぁ!
叫びながら、俺はドアを蹴った。
蹴って蹴って蹴りまくった。
「絶対に殺す!」
「今朝9時頃、〇〇県〇〇市のマンションの一室で、外国籍とみられる男性が死亡してるのが見つかりました。警察によりますと、男性は発見時、死亡からおよそ1ヶ月が経過していたとみられ、両腕に激しい損傷があったということです。現場の状況から、警察は殺人事件と断定し、近隣住民への聞き込みを進めるとともに、男性の身元と詳しい死因の特定を急ぐ方針です。では、次のニュースです」
俺はスマホでニュースを見ながら、先々月のことを思い出した。
「やはりだめか。被害者の総数は、18人……そうだな。こいつは180年間、日本への入国および再ログイン禁止」
また、言葉にしなくてもいいことを……一人でつぶやいてしまった。
俺はスマホを机の上に置くと、鍵をかけず部屋から出て、いつもの階段を下る。
想像とはいえ、加害者の気持ちを書くのは難しいですね。




