2、そして俺の物語は終わった
最終話まで毎日17時に更新します。全18話。
視界が管理者と同じ、淡い光に包まれる。
「っ……!」
息が止まる。
すさまじい量の情報が、一気に頭の中へと流れ込んできた。
俺は耐えきれず、頭を抱えうずくまった。
今日、うずくまるのはこれで2回目だ。
だがこの感覚は、苦しくともどこか心地さがあった。
管理者は、うずくまる俺の前で膝をつき、静かに言う。
「言葉での説明は不要です。概要は、あなたに送信しました。あとは、それを感じ取り、選択しなさい」
混乱した頭の中で、俺は1つだけ、どうしても気になっていたことを質問した。
「……俺の、買い物袋はどこですか?」
次の瞬間、管理者にそっと抱きしめられた気がして、体に暖かさを感じた。
そしてそのまま、意識が遠のいていった。
「買い物袋……」
目を覚ました俺は、起き上がろうとしたが、体中がひどく痛み、動くことすらできなかった。
首は固定され、手足には包帯やギプスが巻かれているようだった。
視界の隅には、繋がれた管が見える。
目だけをキョロキョロと動かし、かろうじてここが病院のベッドであるということがわかった。
「死んでなかったのか……」
俺はなぜか、がっかりしていた。
「がっかり……?」
そして、そこで初めて気づいた。
いや――気づかないようにしていたのだ。
こんな国で、地面をはいずり回り、
踏みにじられながら生きていくほうが、
死ぬよりも、辛いことを。
ほどなくして看護師が病室に入ってきた。
俺の意識が戻ったことを確認すると、彼女はすぐに病室を出ていった。
そしてそれと入れ替わるように、今度は警察官がベッドの脇に立った。
身分証明書などを持ち合わせていなかったため、身元の確認が行われたあと、加害者の証言が聞かされた。
「相手は、あなたが突然道路に飛び出してきたため、避けられなかったと言っています。間違いありませんか?」
そう尋ねられたが、首が動かないので、口を開こうとしてあごに激痛が走る。
それでも、なんとか俺は声を出した。
「……はい」
警察官は俺をいちべつすると、「そうですか」とだけ言い、軽く会釈をして立ち去ろうとした。
俺はあわてて喉の奥から、必死に声を絞り出す。
「相手……は誰……ですか……」
警察官は振り返ると無表情のまま、冷たく言った。
「相手は外国籍の男性としか……」
それだけだった。
警察官はそのまま、一度も俺を振り返ることなく病室から出ていった。
俺はその一言で察した。
そして、ニュースで何度も見た光景が、頭に浮かぶ。
道路標識や制限速度を無視して、日本人が何人も殺されたやつだ。
俺は誰に言うでもなくつぶやいた。
「なぜ、中途半端に生かしたんだ。やるならひとおもいに……」
そのとき、誰かが病室のドアをノックした。
俺の恨み言は強制的に中断され、視線だけがドアのほうへ向く。
ふたたび、医師と看護師が入ってきて、医師は笑顔で、奇跡だと言った。
しかし俺は、それをまるで他人事のように聞き流していた。
説明によると、どうやら俺は1週間ほど昏睡状態だったらしく、打撲と骨折の状態から考えて、植物人間になる可能性のほうが高かったらしい。
だが俺は、そんな話より医療費の心配をしていた。
今の時点で借金は確定だ。
これからここに1日いるごとに借金が増えるとなると、それこそ生きた心地がしなかった。
もちろん健康保険は払っているが、生活するのが精一杯の俺が何日も、もしかすると何ヶ月も入院するなど、許されなかった。
しかも相手が外国籍となると、入院費の支払いなど期待できない。
その上、誰なのかさえも知らされないだろう。
不起訴にされる可能性だって、十分にありえる。
考えれば考えるほど、不安と絶望が頭の中を埋め尽くしていった。
数日後、少しだけ体が動かせるようになったが、立つことは相変わらずできない。
あの日持っていたスマホは、事故の衝撃で粉々になりデータの復元は不可能だった。
そのため、数少ない友人とは連絡が取れなくなった。
だが、かろうじて遠くに住む家族には、警察を通じて連絡が行ったそうだ。
看護師の話だと、母は高齢で面会には来れず、弟も忙しくそんな暇はないとのことだった。
昔なら、がっかりしたのかもしれないが、今となっては「そんなもんだよな」というのが素直な気持ちだ。
それから俺は毎日、体の回復とともに”管理者”のことを思い出す。
あれが夢だったのか、何だったのかはわからないが、とにかく最初は体の痛みが激しく、思い出すどころではなかったのだ。
ただ、記憶は確かにある。”管理者の概要”というやつだ。
この記憶は薄れていくどころか、脳をしっかりとグリップしていてどんなことをしても忘れられそうになかった。
そこで腕も動くようになったことだし、看護師から紙とペンをもらい箇条書きにしてみる。
それはとてもシンプルなものだった。
1,地球には国の数だけ管理者が存在し、その権限は各国民の運命に影響を及ぼす場合がある。
2,基本的に国民の自由意志に任せる。
3,交代制度有り。だが、交代を希望する際には次の候補者の選定を各自行うこと。
何度見返してみても、変な気分だ。
管理者に包まれるような感覚を、いまだにはっきりと覚えていたため、ただの夢とは切り捨てられなかった。
それから退院までの2ヶ月間、俺はその紙に少しずつ希望を見出し、ポケットにずっと入れていた。
そして若干の違和感はあるが、どうにか動けるようになり、俺の退院が決まった。
結局、加害者は一度も病院を訪れることはなく、入院費の支払いも拒否された。
それどころか不起訴になり帰国した、という話を看護師から聞く。
退院の日、窓口で、俺からしてみれば莫大な請求書を受け取り、分割するということで話はまとまった。
俺は、その重い足を引きずり自分の家へと歩いて向かった。
今着ている服は、同じ病室だった山川さんという人が、俺のことを不憫に思って一式くれたものだ。
人の温もりを感じて、俺は少しだけ胸の奥が暖かくなった。
「今度お礼も兼ねて、挨拶に行かないとな」
そう思いながら角を曲がると、見慣れた建物があった。
古びた2階建てのアパートの外見は、2ヶ月前とさほど変わらず、表に止めている自転車もそのままだ。
階段を登ると息が切れた。そして、自分の部屋のドアが目に入った時、嫌な予感がした。
ドアポストには大量のチラシや封筒がささっている。
俺はそれらを抜き取り、鍵をあけた。
急いでドアを開くと、ドアポストの内蓋が全開になっていて、入り切らなかった封筒やチラシが狭い玄関に散乱していた。
部屋の中は、すえた臭いが充満しており、俺は迷わず1つしかない窓を全開にする。
唯一の趣味だった、室内の観葉植物は全て茶色く枯れ、元の形を成していなかった。
外からの空気の流れを感じるが、臭いはそう簡単にはなくならない。
予想通り電気とガスは止まっていたが、水道だけはかろうじて使えた。
床に座ると、少しだけ落ち着いた。
そして俺は、ポストから溢れていた書類に目を通す。
――解雇通知だった。
無断欠勤のため解雇なのだという。
そして、家賃の督促。
目の前が真っ暗になった。
何か味のあるものが飲みたいと思い、冷蔵庫を開ける。
だが電気が止まっているため、古びた冷蔵庫の中のものは腐り、開けると悪臭がした。
俺は、二度と開けたいとは思わなかった。
窓の外はどんどんと暗くなっていったが、何もする気が起きずフローリングの床に寝転んだままだった。
俺は明かりのつかない部屋で、枯れた植物たちをぼーっと眺めていた。
だが、不思議と涙は出なかった。
真っ暗な部屋の中で、俺はふいに立ち上がると、押し入れから洗濯用のロープを取り出す。
長さは2メートルほどで、太いワイヤーをビニール素材が覆っているものだ。
もう10年以上使っていて、雨の日の部屋干しに重宝した思い出が頭をよぎる。
それから俺は、ロープと折り畳めるイスを少し大きめのバッグに詰め、鍵をかけず部屋から出た。
自転車をまたぐと、幸いにもタイヤの空気は抜けていなかった。
俺はラッキーだと思いながら、自転車をこぐ。
どんどんと道を進むにつれ、家の窓からこぼれる明かりの数が少なくなっていった。
さらに進んでいくと、目の前に長い坂道が見えてきた。
俺は迷わず坂道を上る。
電動アシスト自転車ではないのと、退院したばかりということもあり、かなりきつかった。
だが、俺は、何かこう、希望に向かって進んでいっているような気がして、心だけは軽かった。
しばらく坂道を上ると、民家から少し離れた空き地に出る。
ここは前から、「良さそうな所だな」と思っていた場所だった。
工事中なのか、土管が置いてあって、大きな木が一本、空き地のすみに立っている。
俺はその木の下に、折り畳みのイスを出す。そしてそのイスを踏み台にして、太い枝に洗濯ロープをかけた。
――そして俺の物語は終わった。
それから俺はまたあの真っ暗な空間で目を覚ました。
最後の一文を入れるかどうかを、かなり迷いました。




