1、日本の管理者
最終話まで毎日17時に更新します。全18話。
「守谷! お前ふざけんな!」
休憩中、一人で水筒の水を飲んでいる俺に、山本さんがものすごい剣幕で詰め寄ってきた。
そのとき、別の視線を感じてそちらを見ると、同僚の今田がニヤついた顔でこちらを見ている。
大柄の山本さんはすごい剣幕で俺の胸ぐらをつかむと、いつものように怒鳴り散らした。
「てめぇ! また値札ミスりやがって! 発注元からクレーム来てんぞ!」
だが、その値札をつけたのは俺ではなく、今田だった。
俺はまたか、と思いながらも、必死で説明をしようとした。
「そ、それは私ではなく……」
「うるせぇ! 50近いおっさんが言い訳ばっかしてんじゃねぇ!」
山本さんは30歳そこそこの正社員で、入社して3年になるという。
俺は派遣社員として職場を転々としながら、昨年この職場に派遣された。
ちょうど同時期にアルバイトとして入った今田は、20代の男性だ。
同じ場所に配置されたこの今田は、まったく働かないどころか、山本さんと非常に親しくなり、二人でよく遊びに行っているようだった。
そして半年ほど前から、今田のミスはすべて俺になすりつけられるようになり、こうして何かあるたび、殴られはしないものの怒鳴られ、詰められる。
山本さんはいつもこちらの話は一切聞かず、一方的に怒鳴り続け、それを少し離れたところから今田がニヤニヤと見ている。
派遣とはいえ、ようやく見つかった職だ。こんなところで辞めたくはなかった。だから俺は、ずっと耐え続けている。
「守谷さぁん。なんでその年で全然使えないんすか。今まで何やってきたんすか?」
少し離れたところから、今田のバカにしたような声が聞こえてくる。
俺は胸ぐらを掴まれながらも、今田の方を向いた。
「そ、それはお前が……」
言葉の途中で、山本さんが俺の喉を締め上げた。息が詰まり、声が出なくなる。
「あぁ? なんだ? おっさん」
今田は怒気を含んだ声でそう言うと、つかつかと歩いてきた――次の瞬間、
ドカッ!
腹部に鈍い痛みが走った。
今田のつま先が、俺の腹部にめり込んでいる。
「ガッ!」
声にならない声を漏らし、俺は崩れ落ちそうになる。
「きたねぇな! おっさん! ツバが飛んできただろうが!」
山本さんはそう怒鳴り、胸ぐらを掴み直すと、腹を押さえる俺の両手の上から膝蹴りを叩き込んできた。
胸ぐらを掴んだ手が離れ、俺は腹部を抱えたまま床に膝をつき悶絶した。
呼吸ができない……頭も真っ白になっていく。
「おっさんだから、これぐらいで弱ってんのかな?」
ヘラヘラ笑う今田の声が、どんどん遠くになっていく。
パン!
頭を平手で叩かれた感触があった。誰の手かは分からない。
「ハハハハ! ヒー!」
裏返るほど楽しそうな今田の笑い声がしたとき、山本さんのゴツい手が再び胸ぐらにかかる。
「今田、ちょっとそこのイス持ってきて」
山本さんが優しい声でそう言うと、
「いいっすよ! イスだけに」
今田のテンションは最高潮なのだろう、自分で言って自分で笑い、そばにあったイスを持ってきた。
すると山本さんは、うずくまる俺の胸ぐらを掴んで引き上げ、そのイスに座らせた。
山本さんは俺に囁く。
含みのある優しい声で。
「守谷さん。これからはミスのないように、お願いしますね。僕も上から言われて、大変なんですよ」
「そうっすよ。迷惑かけないでくださいね」
今田も山本さんに続き、ニヤニヤとそう言った。
俺は滲み出る脂汗と、今にも止まりそうな呼吸の中で、意識を保つのが精一杯だ。
返事を返す余裕などなく、無言でいるしかなかった。
すると、
「なんだこいつ! ノリわる!」
今田は吐き捨てるように言い、イスに座った俺の胸を、足の裏で押すように蹴る。
俺はイスごと後ろに倒れたが、幸運なことに、後頭部は打たなかった。
だが、起き上がることも、意識を失うこともできず、ただ床に触れるほほが冷たかった。
山本さんは倒れた俺を見下ろすと、明るい声で、
「お疲れ様です。いつまでも寝てないで、休憩終わったら仕事戻ってくださいね」
そう言って、今田とともにこの場を離れていった。
俺は2人の遠ざかっていく足音を聞きながら、いい年をして涙が出そうになるのを必死にこらえた。
「ありがとうございました」
店員さんの優しい声が聞こえる。
俺は家の近くのドラッグストアで、最低限の食品だけを買い、帰途についていた。
日は落ち、辺りは暗くなっている。
いつもの帰宅時間だが、腹部と心に残る重みのせいか、歩みは少し遅くなっていた。
この辺りも外国人が増え、無灯火の自転車が、歩行者を避けることなく歩道を突っ走っている。
3人が横並びで歩ける幅のこの歩道を、外国人の2人組が大きく横に広がり、正面から来る俺に一歩も譲ることなく、堂々と歩いてくる。
俺は避けるため、車道に出なければならなくなった。
「なんでこんな奴らが、我が物顔で歩いているんだ」
そう思いながら、車道に少し踏み出した、その瞬間――
キキーッ!
背後から派手なブレーキ音が響いた。
次の瞬間、俺は宙を舞っていた。
世界がスローモーションになる。
迫ってくるアスファルトに頭を強く打ちつけ、そこで意識が途切れた。
「ん……?」
気づけば俺は、暗闇の中に立っていた。
「あれ? 俺は……? あれ?」
手に持っていた買い物袋が、ない。
どれぐらい時間が経ったのかもわからず、奇妙な感覚だった。
ブレーキ音とともに宙を舞った記憶はある。
だが、それがついさっきの出来事なのか、それとも数百年も前のことなのか、まったくわからなかった。
ただ、俺は現状の把握よりも、買い物袋のことが気になった。
「袋がない……どこだ……?」
周りを見渡しても、真っ暗な空間がどこまでも広がるだけで、何も見えない。
足の裏に床や地面の感触はなく、俺はただ宙に浮かんでいるようだった。
そのとき、突然、目の前に人のシルエットのような淡い光が浮かび上がる。
俺は不思議と、それに恐怖を感じることはなかった。
「……か、神様……?」
思わず、そんな言葉が口をついて出た。
だが、そのシルエットは静かに首を横に振った。
やがて、輪郭がはっきりと浮かび上がる。
着物のような服をまとい、顔は光に包まれて見えない。ただ全身の輪郭から、男性であるということだけがわかった。
「私は、管理者です」
唐突な言葉だった。
それは響くような声で、耳で聞くというより、直接、頭の中心に届いてくる感覚だった。
「……管理者?」
俺は、今日の出来事を思い出し、”管理者”という言葉に微かな嫌悪を覚えた。
シルエットは、俺の思ったことがわかるかのように、ふっと微笑む。
もちろんその表情は見えなかったが、なぜかその感情の動きが、俺にはわかった。
「そうです。あなたが思っているような、そんな小規模の管理者ではなく……」
俺にはなぜか、次に来る言葉がわかった。
「私は日本国の管理者です」
そして、その管理者と名乗った存在は、小さく呟いた。
「神様は、やはりわかっていらっしゃる」
俺は、その呟きを聞き逃さなかった。
「……神様?」
「そうです。私はちょうど、管理者の交代を考えていたところでした。そして、ここにあなたが現れた」
俺は混乱していた。何が起こっていて、この人……人なのかはわからないが、何を言っているのかを一生懸命理解しようとした。
しかし、全く理解できないということだけが、はっきりした。
管理者は、優しく微笑むような気配を見せ、穏やかな声で言った。
「守谷庄司。あなたには、2つの選択肢があります」
名前を知られている……? それが俺の素直な感想だった。
「1つは、このまま次のログインの機会を待つこと。もう1つは、この日本国を管理するために、再度、管理者権限でログインすること」
突然俺の足元に、日本の全体像が浮かび上がる。
それはまるでモニターに映し出された衛星画像のように、北海道から沖縄まで映っていた。
俺はますますわけがわからなくなった。
「……ログイン? 日本を管理? ゲームの話か……? ……ああ……夢か……これが明晰夢というやつね」
思考を放棄し、俺なりに納得しようとした時、管理者は、俺の頭に手をかざした。
少し陰湿に書きすぎたかもしれないです。




