第4章・裏 重なる気持ち②
お互いの気持ちを確認し合えてからしばらく。放課後にミュリエルが、魔法学準備室を訪れてきた。
「シュヴァイニッツ先生、少しお時間宜しいですか?」
「いいよ、どうしたんだい」
もじもじとした様子のミュリエルは、資料整理をしていたヨハンの方を見た。
「ヨハン、それは後でいいから、このリストにある本を図書館で借りてきてくれ」
「かしこまりました」
適当な理由をつけてヨハンを部屋から出すと、ミュリエルは後ろ手にして持っていたハンカチを差し出してきた。
受け取ってよく見ると、ハンカチにはキノコ柄の刺繍が施されている。
「これは?」
「裁縫の授業で刺繍をしたハンカチです。ギル様に渡したくて」
「俺に……くれるのか」
裁縫の授業の終わり近くで、ハンカチに刺繍をすることは知っている。ギルベアトが学院に通っていた時、何人もの女学生から渡されそうになったから。もちろん婚約者がいると言って、全て断ったが。
今こうして、一番欲しいと思っていた人から、そのハンカチを贈られている。
「この前はギル様に頼ってしまったので、今度こそきちんと私から言わせてください」
女性から贈られるハンカチの意味なら、この国に住む誰もが知っている。
「私をギル様の傍に置いてくださいませんか。この先、ずっと」
「もちろん。一生離すつもりはないよ」
ギルベアトの胸の中に収まったミュリエルからは、凛と咲くスノードロップを思わせる香水の香りがしてくる。
本当はもっと触れ合っていたいが、学校の中ではそうもいかない。自制心を最大まで働かせてミュリエルを離したギルベアトは、改めてハンカチを見た。
「このキノコはもしかして、アオユキタケかい?」
「……はい。ギル様のお好きなものと言ったら、これくらいしか思い付かなかったんです」
偶然ミュリエルと、学院所有の森で会った時の事を言っているのか。
嬉しいやら恥ずかしいやら。
でも、自分のことをそうやって考えながら縫ってくれたのだと思うと、胸にくるものがある。
「ちょっと変な柄ですよね。他にリクエストがあれば新しく縫いますので」
「いや、これがいいよ。唯一無二って感じがして、特別感がある」
「そうですか?」
「ああ、気に入った。本当だよ? 額縁に入れて部屋に飾ろうかな」
「や、やめてください! そんなことしたら怒りますよ!」
ギルベアトとしては冗談抜きに、飾って眺めておきたいのだが。
「肌身離さず持っていてくれた方が嬉しいです」
むぅっとふくれっ面をして言ったミュリエルが、愛おしくてたまらない。
「そうだね、ミュリエルの言う通りにするよ」
もう一度抱き締めてしまうと、今度は本当に離せなくなってしまいそうだ。
「そうして下さい」と言ったミュリエルは、チラリとドアの方を見た。
「そろそろ私はおいとまさせていただきます」
「ヨハンなら気にしなくてもいいぞ?」
「いいえ、私がいると気の利くヨハンは入るタイミングを失ってしまいますから。それでは」
礼儀正しく礼をしたミュリエルが部屋から出て行った。せめてお茶の一杯くらい飲んでいけばいいのにと言いたいところだったが、学年末が近付いているせいで、ギルベアトの忙しさにも拍車がかかっている。
さっさと片付けてしまおうと、再びデスクに戻って仕事をしていると、ノック音がドアの方から聞こえてきた。
「入ってくれ」
ヨハンが図書館から戻って来たのだろうと思って応えると、入ってきたのは別の人物だった。
「シュヴァイニッツ先生、ごきげんよう」
「エスタリか」
イヴォンヌだと分かっていれば、部屋には入れずに用を済ませたのに。ヨハンだと思って通してしまった。
入ってと言った手前、追い出す訳にもいかず、ギルベアトは仕方なくイヴォンヌに用件を聞いた。
「何か用かい?」
香水の店で会ったあの日以降イヴォンヌは、ギルベアトを慰めようとしているのか、前よりも積極的に近付いてくるようになった。
その行動の意図するところが分からないわけではない。恐らくイヴォンヌは、ギルベアトを落とそうとしている。
ミュリエルという婚約者が居るのだから止めるように言っても、全く聞く耳持たず。
あんな浮気女はやめておいた方がいいと、本当かどうかも怪しいミュリエルの情報を吹き込んでくるのだ。
一応生徒だしと大目にみてきたが、そろそろ我慢の限界を迎えそうになっている。
「実は先生に渡したい物がありますの」
そう言って差し出してきたのは、ついさっきミュリエルから受け取ったばかりのハンカチと同じもの。
ただし、刺繍されている柄は全く違うが。
「裁縫の時間に、先生のことを思いながら刺繍をしました。どうぞ受け取って下さい」
「いいや、これは受け取れないよ。男にハンカチをプレゼントする意味を習わなかったのかい?」
「もちろん存じ上げておりますわ。わたくし、先生のことをお慕いしておりますのよ? まだ伝わっておりませんでしたか?」
どうしたらこうも自信満々でいられるのか。婚約者がいる男に告白するなんて。
「前にも言ったが、俺はミュリエルという婚約者がいるんだ。君の気持ちは受け取れないよ」
「シュヴァイニッツ先生はミュリエルに騙されているんです。あの子は先生とヨリを戻すフリをして、裏ではまだセイデン様と会っているんですよ?!」
「同級生なんだから会うことだってあるだろう。なんの不思議もない」
「違います、そうではなくて ……あ! そのハンカチ、ミュリエルから渡されたのですか?」
イヴォンヌがデスクの上に置かれたハンカチに気が付いた。ひとまず眺めたかったギルベアトはすぐに懐へは入れずにデスクに置いて、時々眺めながら仕事をしていた。
「そうだよ」
「あの子、2枚のハンカチに刺繍していたのね!」
「何を言ってるんだ」
「だってわたくし、ミュリエルがセイデン様にハンカチを渡しているところを見たんです。ネミラスに生息している、美しい鳥の柄が刺繍されていましたわ。それなのにミュリエルは先生に、気味の悪いキノコ柄のハンカチを渡すなんて。嫌がらせのつもりでしょう。先生にはとても申し上げにくいのですが、これは女性側からのメッセージですわ。早く私を手放して、という」
相手の喜ぶ柄ではなく、縁起の悪い柄を適当に縫って求婚を断る、という方法も確かにあるが、このハンカチにそんな意図は全くないことをギルベアトは知っている。
ミュリエルが何故アオユキタケの柄を縫ってくれたのかも知らずに、よくもまぁこんな嘘を付けるものだ。
「いい加減にしてくれないか。これ以上俺の婚約者を貶めるような発言をするようなら、いくら王の姪と言えども容赦はしない」
「先生、話を聞いてください」
「いいや、君の話はもう聞く必要はない。ミュリエルは俺の婚約者で、卒業したら俺と結婚する。以上だ」
「なんで……何でなんです? わたくしの方がよっぽど、ミュリエルより優れているのに……。先生は何であの女を選ぶのですか? 今ならまだ間に合います。不貞を働く女なんてやめて、わたくしと結婚した方がきっと、公爵様も喜ばれるでしょう」
「不貞を働く? いつミュリエルが不貞を働いたっていうんだ? いい加減な嘘をつくな!」
パリンッとテーブルに置いてあったティーカップが、ギルベアトから放たれた魔力で割れた。
確かにミュリエルはセイデンの気を引こうとしていたのかもしれないが、不貞を働くとまでは言い過ぎだ。彼女が婚姻前に、ましてや正式に婚約解消の手筈を踏んでいない状態で、他の誰かと肉体関係を持つはずがない。
「嘘なんかじゃありませんわ! セイデン様とミュリエルは既にそういう――きゃあっ!」
パキパキと室内が凍りつく音がする。
冷気が立ち込め、吐く息は白い。
そんな部屋の状況とは真逆に、ギルベアトの気持ちは煮えたぎり、全身が暑く燃えるような怒りに襲われている。
「これが最後の忠告だ。彼女をこれ以上侮辱するというなら、俺が許さない」
「……先生は必ず、わたくしに謝ることになると思いますわ」
「そんな日は永遠にこない」
「その時には今度こそ、このハンカチを受け取って下さいませ」
不敵に笑ったイヴォンヌは持ってきたハンカチを片手に、やっと部屋から出て行ったのだった。




