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第4章 重なる気持ち④


 帰りの馬車の中。ギルベアトは開口一番に「すまない」と謝ってきた。


「店員に聞いたよ」

「何をですか?」

「黒いドレスを着た時の俺の反応を、君が気にしていたって」

「気になさらなくても大丈夫ですよ。人によって、似合う似合わないはありますから」


 店員にはミュリエルが、相当落ち込んでいるように見えたのだろう。わざわざギルベアトに言ってくれるなんて。有難いやら、場合によってはお節介すぎるやら。

 ミュリエルが笑ってみせると、ギルベアトは「違う」と首を振った。

 

「そうじゃないんだ。よく似合い過ぎて怖くなったと言うか……。ほら、卒業パーティーでエスコート役を務めるのは、ダンスの授業でペアを組んでいる人だろう? 俺がエスコート役を務められたら誰も近付けさせなくできるが、教師だからそうもいかないし」


 まさか本当にあの店員の言う通りのことを、ギルベアトが考えていたと言うの?

 途端に顔が熱くなってくる。馬車の中が薄暗くてよかった。


「俺の言葉が足らないせいで、いつもミュリエルを勘違いさせてばかりなのに、本当に進歩がないなと反省しているよ」

「いいえ。私もきちんと聞けばいいのに、すぐ自分で決めつけてしまうのがいけないんです。ギル様に直接拒絶されるのが怖くて、逃げてばかりで」


 ミュリエルがギルベアトと正面から向き合えないのはきっと、傷付けられるのが怖いから。ギルベアトに拒絶され傷付けられるなら、自分から傷付いてしまった方が楽。

 だから人のせいにして逃げ道を作って、レイナードにも迷惑をかけてしまった。


「俺が君を拒絶するなんて、そんなことあるわけないよ」


 真面目な顔をしたギルベアトが力強く言った。でもミュリエルには、その言葉をそのまま受け入れられない。

  

「……私、まだ引きずっているんです」

「何を?」


 言ってしまおう、心の中のわだかまりを。

 思っていても伝わらないから。ちゃんと言葉にしないと、また同じ過ちを繰り返してしまうから。


「ギル様の成人祝いで公爵邸に泊まった時、夜中に目が覚めて。ギル様を驚かせようとこっそりベッドを抜け出した私は、ギル様のいる部屋を覗き見したんです。その時丁度、お友達と婚約者の話をしているところでした。それで……」


 幼少期の他の記憶はぼんやりとして曖昧なものも多いのに、何故かあの時の記憶は鮮明だ。

 部屋から微かにしてきた酒の匂いすらも、思い出せるほどに。

 

「お友達に私のことを聞かれたギル様は、『女として見れるか分からない』と答えていて。歳の離れた妹とか、そういう気持ちになれるかどうかとか、そんな事を仰っていたと思います。今も私はギル様と一緒にいると、小さな子供になったような気持ちになってしまうんです。女性として見てくれているのか不安に――?」


 ミュリエルが告白したその次の瞬間、バチンッ! という激しい音が車内に響いた。


「ギル様?!」


 ギルベアトの唇の端から血が滲み、薄暗くても分かるくらい頬が赤くなっている。

 自分で自分の頬を引っぱたいたのだ。


「何をなさっているのですか?!」


 ハンカチを取り出して血を拭おうとするミュリエルの手を、ギルベアトが止めた。


「とんだ大馬鹿者だよ、俺は。あの頃はまだ若かったからなんて、そんな言い訳しか出来ないほど俺は愚かだ」

「そんな風に仰らないでください。大人になった今なら理解できるんです。年頃の男性が小さな子と婚約をしていたら、きっと周りから揶揄われたのだろうなって。将来伴侶として見ることが出来るか分からないと思うのは、当然のことです」


 ミュリエルだって今、小さな男の子と婚約していたとしたら、きっと上手く想像出来なかったと思う。大きくなったところを想像して、さらに夫婦としてだなんて、余程想像豊かな人でなければ無理だ。

 

「ずっと君を、こんな風に傷付け続けていたなんて。気が済むまで殴ってくれ」

「もう気なら済んでおります。私より酷い顔をしていますよ」


 今にも泣き出しそうなギルベアトの顔。後悔していることは伝わってくるし、何よりギルベアトは、当時思ったことをただ口にしただけなのだから。ミュリエルが勝手に気にしていたというだけの話。

 もう一度、唇についた血をハンカチで拭き取ろうとギルベアトの顔のそばに寄ると、ガタンっと馬車が揺れた。


「きゃあっ!」

「おっと」


 ぽすんッと丁度よくギルベアトの胸の中に着地したミュリエルを、そのまま2本の腕が包み込む。


「ギ、ギル様、あの……」

「聞こえる? 俺の心臓の音」


 耳元にあるギルベアトの胸板。そこから聞こえてくるのは、ドッドッと激しく脈打つ鼓動の音。


「君を大人の女性として見ていなかったら、こんな風に早鐘は打たないよ」


 なんて言葉を返したらいいのか思いつかない。ギルベアトの鼓動の音が聞こえなくなってしまうくらい、自分の心臓の音がうるさく鳴っている。


 ギル様と、ずっと一緒にいたい。


「ギル様、私――」

「到着しましたよ」


 ドアの向こう側から御者の声が聞こえてきた。いつの間にか寮の前に到着していたらしい。慌てて身体を起こし離れると、ギルベアトが先に出て下車するのをエスコートしてくれた。


「さっき何か、言いかけていたみたいだけど?」

「いいえ、いいんです」

「気になるよ」


 そのまま勢いに乗って告白出来ていればよかったのに。一拍置いてしまうと怖気付いてしまう。


「誕生日プレゼントに付いていたメッセージカード。あれ、怒って捨ててしまったんです。それをすごく後悔していて」

 

 メッセージカードを捨てたことを激しく後悔しているのは本当。

 代わりに思い付いたことを言うと、ギルベアトは「そんなことか」と笑った。

 

「また次の誕生日に、メッセージカードを贈るよ」

「また次……?」


 次があると期待していいの?


「次の誕生日もお祝いしてくれるのですか?」

「もちろんだよ。……あー、ミュリエルが誰といるのか分からないけど、君さえ迷惑じゃなかったら」


 そう言い終えたギルベアトは、額を抑えながら首を振った。

 

「いや、こういうのが良くないんだな、俺は。はっきり言うよ。ミュリエル、俺は君との婚約を解消したくない。卒業したら一緒に父の領地に来て欲しい。結婚してくれないか」

「――!」


 あれだけ迷惑をかけてしまったのにもかかわらず、ギルベアトはまだ自分との結婚を考えてくれていた。

 もしギルベアトとの縁が無くなってしまったらと思うと怖くて仕方がなかったけれど、それが自分のしでかしたことへの罰だと思って、受け入れる気でいたのに。

 言葉を返す代わりに、涙が溢れ出てくる。


「ご、ごめん。泣かせるつもりじゃなかったんた。嫌ならはっきり断ってくれて構わないから」


 ギルベアトは女心を察するのがやはり苦手だ。嬉し涙だとは思っていない。

 オロオロしながら差し出してきたハンカチを受け取って、笑いかけた。

 

「断るわけありません。泣いているのは嬉しいのと、それから悔しくて」

「悔しい?」

「だって、先を越されてしまったんですもの」


 本来ならミュリエルがケジメをつけるべきだった。意気地無しなばかりに、1番大事なところで逃げてズルい真似をした。

 

「さっき本当は私も、ギル様と同じことを言おうとしていたんです。怖気付いてはぐらかしてしまいました」


 驚いたように一瞬目を見開いたギルベアトは、すぐに思い直してミュリエルの顔を覗き込んできた。

 

「非常に聞きにくいんだが、セイデンはいいのか?」

「実は少し前に、レイナード様にも同じことを言われたんです。一緒にネミラスへ来て欲しいって」

「――!」

「でもはっきりとお断りしました。私はレイナード様の気持ちを利用しようとしていたんです。ネミラスの王子となら、ギル様との婚約を破棄出来るかもしれないって。私を好きでいてくれる人と結婚した方が、幸せになれるって逃げ道にして。本当に、最低ですよね」


 身勝手な考えで、レイナードを振り回してしまった。

 ギルベアトのことを好きになっていなくても、どのみちレイナードとの仲は上手くいかなかっただろうが、それでもミュリエルのした行いは褒められたものでない。


「ギル様がこんな卑怯な女と結婚するのは、御免だって思うのは当然です。さっきの言葉を今から取り消されたとしても、絶対に文句を言ったりしませんから。だから……」


 ギルベアトが気兼ねなく断れるように、ちゃんと言いたいのに。言葉が詰まって出てこない。

 ギュッと握りしめたミュリエルの拳を、ギルベアトがそっと引いた。

 さっきと同じように、耳にギルベアトの胸が当たる。

 

「女性にとって結婚は、男以上に大きく人生を左右すると言えるかもしれない。特に相手が嫡男ともなれば、女性は生家を出、故郷を離れ、家族の一員として認められるよう努力をしなければならないからね」


 規則正しく頭を撫でる手が心地良い。

 目を瞑りながらギルベアトの声を聞いていると、少しずつ心がほぐれていく。

 

「確かに褒められた行為ではなかったかもしれないが、そんなに気に病むことでは無いよ。男だって女性を、家の繁栄のために利用するんだから。どちらも自分の利益のために相手を選んでいるのだから、お互い様だろう? セイデンがどんなつもりだったのかは分からないが、少なくとも、婚約者のいる女性に近付いた時点でそれなりの覚悟はできていたはずだ」

 

 ちょっと理屈っぽいところが、ただ慰められるよりもミュリエルには合っているのかもしれない。妙に納得してしまって、罪悪感でどうしようもなく苦しかった心がすくい上げられるような気がする。

「だから」と続けたギルベアトの手に、力がこもった。


「そんな理由で、振られようとしないでくれ」


 ギルベアトの声があまりにも切実で、でも言っている内容が可笑しくて、すぐに言葉に出来なかったミュリエルは腕の中で頷き返した。

 暖かくてつい、もうしばらくこのままでいたいなんて考えてしまったが、視界に入ってきた人影で我に返った。

 そういえばここは、寮のすぐ近くだった。使用人達がチラチラとこちらを見ている。

 

「ギル様、あの……周りの目があると言いますか……」


 ギルベアトに目配せすると、自分たちが見られていることに気がついたようだ。チラリと寮の方へと向けたギルベアトの目線はすぐにミュリエルの方へと戻ると、腕の中から出ようとするミュリエルの耳元で囁いた。

 

「何を困ることがある? 俺と君との婚約は、20年も前に決まっていたことじゃないか」


 そうだった。隠す必要なんて何もない。

 ただみんなが知らなかったというだけで。

 教師と生徒の関係になるよりも遥かに前から、ミュリエルとギルベアトは婚約関係にあるのだから。

 

「ふふっ、それもそうですね」

 

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