第1章 婚約者との再会③
ギルベアトと婚約した時のことは全く覚えていない。なぜならミュリエルはまだ、小さな乳飲み子だったから。
王侯貴族の結婚などそんなものだし、王女ともなれば他国に嫁ぐこともままあること。
婚約が一体何なのかも分からない時からギルベアトが居たので、時々遊びに来てくれるお兄さんくらいの認識だった。
そのお兄さんが、自分の父と母のような関係になる人だとようやく理解した頃の事だった。
ギルベアトが成人しお祝いのパーティーを公爵邸でするというので、めいいっぱいのおめかしをしてプレゼントを渡しに行ったのだ。
その時のドレスはリボンとフリルがたっぷりと付いた、小さな女の子らしいパステルカラーの服装だったと思う。
その晩公爵邸に宿泊したミュリエルは、夜中にふと目が覚めて部屋から出た。たぶんいつもと違う場所だったからうまく熟睡出来なかったのだろう。
大人たちはまだパーティーを楽しんでいるらしく、廊下の窓から見えた別館の明かりが煌々と輝いていた。
ギル様を驚かせちゃおう。
こんな夜中にミュリエルが起きてきたら、ギルベアトは絶対に驚く。小さな子供の考える、よくあるイタズラだ。
使用人たちに見つからないよう隠れながら進み、やっとの思いで別館近くに着いた。
大広間にいるのか、それとも別の部屋に移動しているのか。ウロウロとしているとメイドのひとりに見つかってしまった。
「まあ、王女様! こんな所でどうされたのですか?」
「目が覚めちゃったの」
「左様でしたか。私が部屋までお送りしますので戻りましょう」
「それならギル様がいいわ」
「分かりました。それでは呼んで参りますので少々お待ち下さい」
ギルベアトを呼んでこようとするメイドに、ミュリエルは「待って」と声をかけた。
「どうせなら私が行ってギル様を驚かせたいわ。あなたはここで待っていて」
イタズラしたい盛りのミュリエルに、メイドは困ったように笑って頷いた。
「ギルベアト様はそこの角を曲がったところの部屋で、お友達と話していると思います」
「わかったわ。ちょっと行ってくる」
教えてもらった部屋の前まで行き、中の様子を伺うため小さくドアを開けた。
部屋の中ではギルベアトと同い年くらいの男性たちが、ワインを片手にチェスやカードゲームで遊んでいる。
あっ、いたわ!
ギルベアトはソファに座って、他の男性と談笑しているのが見えた。
なんて言いながら入ろうかな? 「ジャーン」なんてちょっとダサい? 「わっ!」じゃありきたりよね。「ギル様!」って名前を呼んじゃう?
登場の仕方を考えていると、ギルベアト達の会話が聞こえてきた。どうやらそれぞれの婚約者について話しているようだ。
ほかの男性が自分の婚約者について話終えると「で、お前はどうなんだよ」とギルベアトが話を振られている。
ギル様が私の話をしてくれる!
なんて言ってくれるのだろうとワクワクして聞き耳を立てていると、ミュリエルの期待はすぐに打ち消された。
「どうって言われてもなぁ……実際、女として見れるか分からない。何度か会っているが年の離れた妹みたいだし、おしめをしている時から見ている子を妻にと言われても、そういう気持ちになれるかどうか」
「だよなぁ。まだ5歳くらいだろ?」
「フリフリのお洋服をお召になって可愛かったじゃないか」
「俺に幼女趣味は無い」
「またまたそんなこと言って。自分好みにいくらでも育てられるじゃないか」
うりうり〜と肘でつつかれているギルベアトは「やめろよな」とじゃれ合っている。
何となく……何となくだけど、自分がお子様だと言われて拒絶されたのが分かった。
途端に今着ているピンク色のネグリジェも子供っぽく感じてきて、脱ぎたくなった。
「あら? 王女様、ギルベアト様は……」
結局そのまま静かにドアを閉めたミュリエルは、メイドの元へと戻った。
「ギル様は楽しそうにお話してらしたから、やっぱりあなたに送って貰うわ」
「そうでしたか。それでは参りましょう」
そのパーティー以来、ギルベアトとは会わなかった。その後すぐに遊学に行ってしまったというのもあったけれど、出発前に挨拶しに来たギルベアトと会いたくなくて仮病を使って部屋に引き篭ったのだ。
女として見れない。
その言葉の意味をあの時はきちんと理解できなかったけれど、今なら分かる。
ひと回り以上も歳下のミュリエルなど、ギルベアトから見たら子供なのだ。
どんなに頑張って努力しても、どれだけ多くのお金を積んでも、年の差は埋まらない。
ミュリエルもとっくに成人を迎え、いい大人になったというのに、やはりギルベアトを前にすると自分が幼くなったように感じてしまう。
ギルベアトの方がずっと、大人の男性になっていたから。
ミュリエルの周りにいる男子学生に比べると、落ち着きがあってはしゃいだところがない。
実際、ギルベアトは着任して数週間の間に、女学生たちを虜にしている。
「シュヴァイニッツ先生のあの色気、凄くない?」
「大人の男性って感じ」
「ちょっとミステリアスなところも素敵よね」
そうやって女学生たちからきゃあきゃあ言われているのに、本人は無関心な所がまたクールに見えると言われている。
ギルベアトの魔法学の授業を終えて、次の『裁縫』の授業が行われる実習室へと行くと、隣りに従姉妹のイヴォンヌが座ってきた。
瞳が翡翠色なのは同じだが、派手なオレンジ色の髪をしているミュリエルに対して、イヴォンヌは見事な金髪ストレート。凝ったヘアスタイルにしなくても、動く度にサラサラと髪が揺れて様になる。
席は早く来た者から順に好きな席に座っていいのだが、まだ空席が多く残る中でわざわざミュリエルの隣に座って来たということは、何か話したいことがあるようだ。
裁縫を教える教諭の指示に従い、各々が男性が使う外套に刺繍を施し始めた。銀糸を使ってチクチクと模様を縫っていると、女学生たちは会話に花を咲かせる。
授業中ではあるが、お喋りが許されるのが女学生向けの授業の特徴かもしれない。
実生活において女性たちは、お茶や刺繍をしながらお喋りをし親交を深めていくものなので、授業内でも同じように自由な会話が許されている。
他の学生との会話を楽しんでいたイヴォンヌはしばらくして、ミュリエルに小声で話しかけてきた。
「ねえ、聞いたわよ」
「何を?」
「シュヴァイニッツ先生ってミュリエルの婚約者なのでしょう? お母様から聞いたわ」
イヴォンヌの母は王の姉で、侯爵家に嫁いでいる。イヴォンヌと同い年ということもあって交流する機会は度々あったが、ミュリエルがギルベアトと会っていたのは小さい頃だけだったし、何よりミュリエル自身、あの話を盗み聞きして以降はギルベアトのことを口にしなくなったので、イヴォンヌはミュリエルが婚約していることを知らなかった。
特に隠す必要も無いので「そうよ」と答えると、イヴォンヌは大袈裟に首を傾げて覗き込んできた。
「何で?」
「何でって何が?」
「何でみんなに隠しているのよ」
「隠しているって訳じゃないわ。ただ私とシュヴァイニッツ様は、今は生徒と先生という関係だもの。婚約者だと知ると皆だって何かとやりにくくなるでしょう? だから敢えて言わないだけよ」
そうよ、隠しているわけじゃない。
女学生がギルベアトについて話していても、「私は彼と婚約しているのよ」と言わないのは、単に好奇の目に晒されたくないだけ。冷やかしてきたり、陰であれやこれやと詮索されるのは好きじゃない。
はじめは王女であるミュリエルと公爵家の嫡男ギルベアトが婚約している事を、当然みんな知っているものだと思っていた。
けれど意外なことに、従姉妹のイヴォンヌですら知らなかったのだ。
よくよく考えてみれば当然で、自分が生まれた頃にあった出来事について、大きな事件でなければ知っている方が珍しい。
教員たちに関しても同様で、20年前は新聞にも王女の婚約が報じられたものだが、なにせ産まれたばかりの赤ちゃんと、わずか13、4歳の少年との婚約など聞いたって面白くも何ともないし、掘り下げられようもなかっただろう。
特にギルベアトと仲睦まじく過ごしていたわけでもなかったので、月日が経つにつれて王女の婚約のことなどすっかり忘れ去られてしまっている。
わざわざ自分から言う必要は無い。婚約しているのか聞かられたら今みたいに「そうよ」って言えばいい。
「ふぅん。……ねえミュリエル、悪いことは言わないわ。あの方はやめておいた方がいいかも」
「どういう意味?」
他の生徒が聞いていないかチラッと周りを見回したイヴォンヌは、ミュリエルの耳元に顔を近づけた。
「わたくし、見ちゃったのよ。シュヴァイニッツ先生がアースティン先生と親密そうにしているところ」
「アースティン先生と?」
アースティン先生は魔法薬学を教えている女性教諭だ。
「そう。あんなに砕けた様子のシュヴァイニッツ先生を見たことがないもの。近いうちにそういう仲になるかもしれないわ、あれは」
「何言っているのよ。アースティン先生は魔法薬学を教えているから、魔法学を教えているシュヴァイニッツ先生とは話す機会が多いだけでしょ」
「うーん、そうかしら」
「そうよ」
しばらく考えていたイヴォンヌだったが、やがて「うふふ」と笑って謝った。
「ごめんねミュリエル。余計なことを言って心配させちゃったわね。わたくしちょっと心配になっちゃうのよ。だってミュリエル、普通だから」
悪びれもせずに『普通』と言ったイヴォンヌは、翡翠色の瞳を細めてミュリエルの反応を伺っている。
黙ったまま布に針を刺していると、わざとらしく「ごめーん」と謝った。
「もしかして気を悪くした?」
「……別に、本当のことを言われただけだもの」
「うふっ、そうよね! 自分のことをよく分かってるぅ」
そう言いながらイヴォンヌが刺繍を施している外套には、見事な左右対称の模様が出来上がってきている。
イヴォンヌはいつもそうだ。
勉強も実技もよく出来る。ミュリエルと違って。
ミュリエルも学院に通う前は、それなりに自分は出来る方だと思っていた。家庭教師の先生にはよく褒めて貰っていたし、特に刺繍とダンスには自信があった。
でも現実はそう甘くない。
王立学院に入学すると自分よりも出来る人がザラにいて、得意だと思っていた刺繍やダンスも本当に得意というだけ。人よりもちょっと上手い。その程度だった。
才能のある人達に囲まれればすぐに埋もれてしまう程度にしか、ミュリエルは持ち合わせていなかったのだ。
もちろん努力はしている。
王女のくせにその程度かと言われないように、寝る間も惜しんで勉強や練習をしているが、どんなに頑張ってみても一番にはなれない。一番どころか、上位勢になんとか追い付くかどうかくらい。
魔塔で目覚しい成果を上げているというギルベアトが、不出来なミュリエルを見たら何と言うか……。
せめて見た目くらいはと、どんなに忙しくても外見磨きを怠ったことはない。
魅力的な大人の女性になるべく手入れは欠かさないし、身だしなみにも気を配っているのに、どこまで行ってもミュリエルはミュリエルのまま。
胸の辺りをマッサージしながらオイルを塗ってもたいしてボリュームは出ないし、髪の毛もどぎついオレンジ色。
それに比べて従姉妹のイヴォンヌは、見た目も完璧だ。胸元の空いたドレスも良く似合う体型と清楚な顔立ち。どこをどう切り取っても、ミュリエルは勝てない。
王女という以外何もない。王女という身分以外は全部普通。
もしミュリエルがただの民だったなら、普通で何が悪いのかと思っていただろう。
でもミュリエルは王女だ。王女として生まれてきてしまった以上、民の期待に応えなければならない。
褒美として公爵家に嫁ぐ身の上であるのに、普通でいてはダメなのだ。
もしもギル様のところへ嫁ぐのが私ではなくイヴォンヌだったなら、きっと喜ばれるのでしょうね……。よく出来たお嫁さんだって。
喉の奥に苦いものが広がっていく。
どんどん卑屈になっていく自分が惨めだ。
「あらあら、ラインハルトさん」
「あ、はいっ」
刺繍の先生に呼ばれて顔を上げると、眉根を少し寄せていた。
「それはちょっと酷いわよ。もう少し丁寧に縫いなさい」
そう言われて見た自分の手元の布には、銀糸が乱れて縫い付けられている。考え込んでいて手元に意識が集中していなかった。
「ラインハルトさん、こんな刺繍の外套を旦那様に渡すつもりですか? 恥をかくのは旦那様なのですよ。もっと心を込めて縫いなさい。いいですね?」
「……はい」
隣でイヴォンヌが笑いを押し殺しているのを感じた。
これだと、普通どころか無能ね。
縫い付けた糸を解きながら、そんなことを思った。




