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第4章 重なる気持ち①


「ハンカチ、返さなくちゃ」


 学校が終わって寮の自室へと戻ってくると、ギルベアトから借りたハンカチが洗濯された状態で置かれていた。といっても何日も前の話。

 あの日から、ギルベアトとよく目が合う気がする。

 ギルベアトがミュリエルを見ているからなのか、それともミュリエルがギルベアトを見てしまうことが多くなったからなのか。

 きっと、後者だ。

 持ってはいけない感情を、ギルベアトに抱いてしまっている。

 それが分かっているから、授業外で彼に会う勇気が出ない。


 ハンカチを見ていた目を、ふと鏡台の方へ向けると、ギルベルトから貰った香水が目に入った。


「誕生日プレゼントの御礼も言わなきゃいけないわね……ちゃんと」


 改めて香水瓶を手に取りよく見ると、やはりミュリエル好みのデザインと香りだ。

 そういえばどこで購入したものなのかしら?

 店名がないかとスノードロップの描かれたラベル下を確認したミュリエルは、息を飲んだ。


「ヴィーラの……?」


 レイナードと立ち寄ったあの香水店。

 そして、ギルベルトがイヴォンヌと一緒にいるところを目撃した場所。


『二階は個室になっていて、店主が顧客の希望する香りを調香してくれるらしいよ』


 こんな瓶に入った香水は売っていなかった。この香りだって、記憶にある限り嗅いでいない。きっと嗅いでいたなら、迷わず購入したはずだから。

 

『エスタリとは今会ったばかりで……』


 彼はあの日、そう言っていなかった?


「まさか、本当に……? 私が勘違いしていたの?」


 ミュリエルの誕生日プレゼントを用意するためにヴィーラへ行って、そして本当にたまたま、イヴォンヌと会っただけだったとしたら……。

 ドッ、ドッ、と心臓が早鐘を打つ。

 

 ハンカチを手にしたミュリエルは、部屋を出て走り出した。


 謝らなきゃ……! 勝手に決めつけて、酷いことを言ってしまった。


 今日は図書館へは寄らずに真っ直ぐ寮へと帰ったから、ギルベルトはもしかしたらまだ学校にいるかもしれない。


「シュヴァイニッツ先生!!」


 気持ちが急いで、ノックすることも忘れて魔法学準備室の扉を開けると、驚いた顔をして座る少年がこちらを見ていた。


「ヨハン?」

「あ……あの時のお嬢様……。ええと、先生なら今、図書館へ行っています」

「そうなの……。それで、何であなたがここに?」


 ヨハンが座る小さなテーブルの上には、筆記具の他に書類や本が山積みにされていて、まるで仕事をしているように見える。下男のこの子が何故こんなことを。


「一体ここで何をしているの?」

「さ、サボってるんじゃありません! シュヴァイニッツ先生が僕を専属として使ってくれていて。それで仕事のお手伝いを……」

「手伝い……?」

「働き次第では先生がご自宅へ戻られる時、僕も一緒に連れていってくれると約束して下さったんです。本当です!」


 ギル様も、ヨハンのことを考えてくれていたのね……。

 あまりにも私は、ギル様のことを知らなすぎる。

 そして知らない原因は、自分にある。

 いつもギルベルトの話をろくに聞かす、勝手に怒ってばかりで。

 後悔の念が押し寄せてくる。


「ラインハルト?」

「あ、先生」


 図書館から戻ってきたギルベルトが入ってきた。ミュリエルが泣いているのを見てヨハンを睨み付けている。


「ヨハン! お前、ラインハルトに何をしたんだ!?」

「いいいいえ! 僕は何も……!! ひぃぃっ」

「先生、違うんです! 彼は何も悪くなくて……。自分の馬鹿さ加減に腹が立っているだけで……ふっ、うぅ……」


 人の話を聞かないで、勝手に勘違いして、勝手に怒って、最後には泣いて。本当に子供みたい。


「ハンカチを……返しに来たのか?」


 アイロンまであてられてたのに、握りしめていたせいでシワになってしまった。

 泣いているせいで上手く喋れない。コクコクと頷き返すと、ミュリエルの手からハンカチをとったギルベアトが涙を拭ってくれる。


「せっかく返しにきたのに、また貸すことになってしまったな」

「ごめんなさい」


 涙で滲んだ向こうに見えるギルベルトの顔は、微笑んでいた。

 レイナードとは違う、どこか安心感を覚える笑み。

 

「えぇーと、僕、アースティン先生の方を手伝ってきますね」

「そうしてくれ」


 ヨハンが空気を読んで、準備室から出ていった。

 ソファに座るように促され、座りながら気持ちを落ち着かせていると、ギルベアトがミルクティーを入れてきてくれた。飲むとお砂糖がたっぷりと入っていて甘い。

 ギルベアトは何も言わないまま、座ってストレートティーを飲んでいる。きっとミュリエルから話さなければ、彼はいつまででもこうして待っていてくれる気だ。そういう人だと、だんだん分かってきた。

 

「……私、シュヴァイニッツ先生に御礼と、それから謝りにきたんです」

「俺に?」

「はい。お誕生日の日、香水をプレゼントしていただきありがとうございました。使うのがもったいないくらいいい香りで、すごく気に入っています」

「迷惑かとも思ったんだが……そうか、なら良かった。使い終わったらヴィーラに行くといい。俺がオーダーした香水だといえば、何度でも同じレシピで調香して作ってくれると言っていたから」


 やっぱり。ギルベアトはオーダーメイドの香水を注文してくれていた。


「私とオルシュタットで会ったあの日ですよね、先生がこの香水をオーダーしに行ったのは」

「あ……あぁ。そうだ」

「あの時のことを謝りたくて。先生とイヴォンヌが二人でいるところを見たら、デートしているのだと勘違いしてしまって。腕も組んでいたようでしたし」

「あれは彼女が勝手に、腕にまとわりついてきたんだよ」


 ギルベアトが迷惑そうに顔を歪めた。


「そうでしたか。それなのに私は先生の言ったことを信じないで……本当にごめんなさい」

「そのことならもういいから」


 怒ってはくれないのね。

 だから言っただろって怒ってくれたら、ミュリエルの罪悪感も少しは和らぎそうなのに。ギルベアトはミュリエルがどんなに不機嫌になっても、いつもこうして静かに受け止めてくれる。


「実は私、シュヴァイニッツ先生が赴任してきて間もない頃、先生とアースティン先生とが学院近くの街で買い物をしているところを見てしまったことがあって。今回もまた別の女性と、だなんて早とちりを」


 さっきイヴォンヌを迷惑そうにしていたということは、本命はアースティン先生の方なのかしら?

 そう思って言ってみると、ギルベアトが先ほどよりもさらに顔を歪めた。さらに「あのクソ野郎」と言って悪態までついている。


「ラインハルト、俺は女性と二人きりで一緒に出かけたことはない」

「でも確かに見ました。紳士服の店でアースティン先生がシュヴァイニッツ先生に洋服をあてて選んでいましたから」

「君の言う通り、確かに俺はあいつと服を買いに行ったことがある。でもあいつは女じゃない。男だ」


 ……。

 真剣な顔で何を言っているのだろう。

 これはギルベアト流の冗談?

 うまい切り返しを思い付かない。


「えぇと、男……ですか」

「そう、男だ。そうだろ、アースティン」


 パチンっとギルベアトが指を鳴らすと、勝手に扉が開いた。するとアースティンが部屋へと倒れ込んできた。いつかのヨハンのように、ドアに耳を張り付けて盗み聞きしていたらしい。


「あっはは、どうもー。ばれちゃってた?」

「バレバレだ。気配の消し方ひとつ知らないくせに、盗み聞きとはいい度胸してるな」

「いやん、そんなに怒らないでぇ」


 胸ぐらを掴みそうな勢いでアースティンに迫るギルベアト。

 そのアースティンの胸にはやはり、見事な膨らみがある。しかも胸元が空いた服を着ていて谷間まで見えることから、パットを入れて女装した男性ではないことは明らかだ。


「シュヴァイニッツ先生、アースティン先生が男性だって言うのはその……」


 自然とアースティンの胸元に目がいってしまうミュリエルに、アースティンが「ジャーン!」と言いながら目の前に瓶を差し出してきた。


「これ、ラインハルトは見たことあるぅ?」


 焦茶色のボトルには、花柄のラベルに『咲き誇れ、女性たちよ。フュレドリンク』と書かれている。


「それ……はい。知っています。女性たちの間で密かに人気の、あれですよね」


 実物を見るのは初めてだが、ミュリエルも話には聞いたことがある。巷で人気の豊胸魔法薬。実を言えば昔、自分の胸元があまりにも寂しいので、飲んでみようかと考えたこともある。


「そうそう、あれよ、あれ。やっぱりライハルトも知ってたのね、あたしの開発した豊胸魔法薬!」

「アースティン先生が、開発した……?」

「男のあたしが飲んでもこんな見事なフォルムのおっぱいになっちゃうとか、すごくなーい? やばくなーい?」

「え……そんな……」


 頭が全く追いつかない。

 口をぽかんとさせて見つめるミュリエルに、ギルベアトが苦々しげに説明を付け加えた。


「こいつは魔塔にいた頃から自分の体で魔法薬の実験してるんだ。男のくせして豊胸用の魔法薬を開発して試しているとか、ややこしいだろ? だから女ってことで生活している」

「そういう事。あたしってば華奢だし、地声も割と高めだし、喉仏もほとんど目立たないから。疑うならここで脱いであげよっか? 下はちゃんとついてるのよ」


 アースティンが自分のスカートの裾をめくろうとした。途端にその手脚に氷がはって動けなくなっている。


「てめぇ、ふざけるのも大概にしないとその下も切り落とすぞ」

「じょ、冗談だって! オレの大事な息子を取らないでくれぇぇ!」

「じゃあ……何から何まで私の勘違いだったの……」


 それならミュリエルの怒りは、ギルベルトにとってはどれも理不尽だったはず。とんでもない間違いを犯してしまった。


「あー、ラインハルト、ごめんな。オレのせいで何かめんどくさい事になっちゃった感じ? お詫びにこのフュレドリンクあげるからさ、許し……」

「お前はもうすっこんでろ!!」


 こんなに暴力的な浮遊魔法の使い方を初めて見た。アースティンがドアの向こうへポーンっと投げ飛ばされて、バタンっとドアが閉まった。さらにギルベルトは何か呪文を唱えると、「よし」と頷いている。


「これで声が外に聞こえなくなった。ラインハルト、悪いのは全部あいつのせいだから。気にしなくていい」

「いいえ……。元はといえば私がいけなかったんです。私みたいなガキ、先生は相手にしてくれないんだって拗ねてしまったのが」


 ミュリエルがアースティンとのことをきちんと問いただしていれば、ギルベルトだって説明してくれたであろうに。自分に自信がないばっかりに、逃げて、こんなことになってしまった。


「ガキって……。俺は君と久しぶりに会って驚いたんだ。自分の婚約者がこんなキラッキラの女性になっていたものだから、それに相応しい男でいられるようにと、アースティンに服選びを手伝って貰ったんだよ。俺はお洒落とか無頓着だったし、他に知り合いはいないしで」

「そう……だったんですか?」


 まさかギルベルトが、そんな風にミュリエルを見ていてくれただなんて。


「それなら私を誘ってくれたら良かったのに、なんて言いたくなってしまうんですけど」

「いや、ほら。いい歳して自分の服もろくに選べないとか、恥ずかしくてだな」


 手のひらに顔を埋めたギルベルトの耳の先が、また赤くなっている。

 こんな人だったなんて。知れば知るほど愛おしくなって、想いが募っていく。


「良かったら……」

「はい?」

「ラインハルトさえ良ければ、今度俺に服を見立ててくれないか」


 気恥しそうに言われて、こちらまで顔が熱くなってきた。

 レイナードに誘われた時には、こんなにドキドキしなかったのに。身体は正直だ。

 

「はい、喜んで」

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