第3章・裏 近づく心②
森で偶然会った時以降、ミュリエルはやる気を取り戻したようで、授業にもこれまで通りの積極的な姿勢を見せるようになった。
これでひと安心。と思っていたら、廊下を走っていくミュリエルとすれ違った。
何をそんなに急いでいるんだ? それよりも今、泣きそうな顔をしていなかったか?
いてもたってもいれず、ギルベアトはミュリエルを追いかけた。
そうして追いかけて行った先でミュリエルは焼却炉の前に立ち、終いにはうずくまってしまった。
一体何を捨てようとしていたのか。
気になって、ミュリエルの脇に捨てるように置かれた紙の束を拾い上げたギルベアトは、中を見て理解した。
政策立案書を提出する課題か。
ギルベアトが通っていた頃にもあった課題なので、よく知っている。選考に通れば王城で行われる貴族会議に提出されるやつだ。
内容にざっと目を通すと、よく出来ている。
もちろんまだ詰めが甘い箇所も見受けられるが、一人で調べて考案し、作成したにしては十分な出来。
感心しながら内容を読むギルベアトに、ミュリエルはヨハンのような人に学べる機会を作ってあげたいと説明してくれた。
ただノートの書き写しを与えただけで終わらない、彼女の思慮深さには驚かされる。
「私の案は採用されませんでした」と肩を落とすミュリエルに、ギルベアトはついうっかり「そうなるだろうな」と即答してしまった。
なんでこうも言葉足らずになってしまうのだか。
コミュニケーション下手にも程がある。
ギルベアトの言葉に立案書を捨てようとしたミュリエルを阻止して、書類を高く上げると、本当に怒った猫のようになっている。
ここで可愛いなんて思っている場合ではない。誤解を解かねば。
ミュリエルの立案書は確かによく出来ている。
恐らく選ばれた立案書に見劣りしない、良い政策だろう。
ただ、あまりにも彼女は心が綺麗すぎる。
貴族会議というのは国の中でも特に、権力を手にした者たちが集う場所。一筋縄ではいかない。なんの根回しもなしに議題が通ることなど、まず無いと言っていい。
そんな場所だと教員たちもよく分かっているから、ミュリエルの政策案を選ばなかったのだろう。
こんな良案が他にもあるのかと思うと、心底惜しいと思う。
ただ、国レベルでやるのは難しくとも、領地レベルでやるのなら話は簡単。国の法を犯しさえしなければ、領主が良いと言えばそれで済む。そしてギルベアトは教員の仕事を終えたら、領地を任される立場にあるときた。
幸い父の治める領地の資金は潤沢そのもの。すぐにでも予算を組み立てて実行に移せるだろう。
私情を抜きにしてもミュリエルの案が欲しい。これがギルベアトの本音。
そして私情を挟むとするならば、政策案を実現する際には、ミュリエルに傍にいて欲しいということだけ。
「ラインハルトの意見も聞けると嬉しい」
そう言うのがやっとだった。
◇◆◇
「お前が恋愛に関してここまでポンコツだとは思わなかったぞ」
準備室でため息ばかり吐くギルベアトにキレたアースティンが問い詰めてきた。仕方なくミュリエルとのことを掻い摘んで話すと、呆れている。
「恋愛って言ったって、13の時に0歳の子と婚約したんだ。どうやって恋愛しろって言うんだよ」
「そりゃ確かにそうだけどさ。って言うか、ラインハルトとお前が婚約しているとかすげぇビックリだよ。全っ然そんな素振りなかったじゃないか」
「それはさっき説明したろ。始業式の日に、学院の中では教師と生徒。だから――」
「特別扱いは出来ない。だろ? 久しぶりに会った婚約者にそれだけ言って終わるとか、マジでないぞ」
こんな奴に貶されると悔しいことこの上ないが、ぐうの音も出ない。
珍しく反論できないギルベアトが面白いらしく、アースティンはケタケタと笑っている。
「とにかくオレが言いたいのはさ、ラインハルトは少なくともお前に興味があるってことさ」
「お前俺の話聞いてたか? 何でそうなるんだよ」
「ばっかねぇ。興味がなくてかつ他に気になる男がいたら、婚約者がどうしようと知ったこっちゃないでしょ。むしろ棚ぼたって感じぃ? でもラインハルトはそうじゃなかったんでしょ。怒るってことは、少なからずあなたに気持ちがあるから怒るのよ」
アースティンは女心を代弁するためか、急にオネェになった。
「それも演技だとしたらかなりの強者だけど、まあ、あたしが知る限り彼女はそういうの、多分無理よねぇ。入学した時から知ってるけど、彼女すごく真面目で努力家で優しい子だから」
アースティンがギルベアトの知らないミュリエルの学生生活を知っていて、なんだかムカつく。
「んで、あんたはどうなのよ?」
「どうって何が」
「ラインハルトが王女だから結婚したいの? それともミュリエル・ラインハルトだから結婚したいの? ぶっちゃけ、シュヴァイニッツ家なら他の傍系の王族と結婚でもいいでしょ」
そんなこと、考えたこともなかった。
父になんで王女との婚約を取り付けてきたのか聞いた時、返ってきた答えはこうだ。
『一度言ってみたかったんだよ。君主に姫をくださいって願い出るやつ』
理由がしょうもなさすぎて、コメントする気にもなれなかった。
世間では政略結婚云々だと言われていたが、父にそんな頭はない。火竜を倒してしまうくらい強いが、頭がアレだ。能天気。
だからギルベアトは母に常々言い聞かされてきた。
『いい、ギルベアト。シュヴァイニッツ家はあなたにかかっているの。お父様はアレだし、弟もお父様に似て呑気者に育ってしまったし、あなただけが頼りなのよ』
そうやって育てられてきた結果が、今のギルベアト。
父にミュリエルとの婚約が破談になったと言っても、そこまで口うるさくは言ってこないだろう。
「だーかーらー、そういうの頭で考えんじゃねぇよこの頭でっかちが!ここで感じんだよ、ここで!」
うーん、と考え込んでしまったギルベアトの胸を、アースティンがトンっと小突いてきた。
「って言っても無理よねぇ。まっ、シュヴァイニッツだしぃ」
「いちいち腹立たしいやつだな」
「あーぁ。そうやって悩んでる時点で、答えはもう出てるってなんで気付かないかな」
「もう出てる?」
アースティンは空になったティーカップに紅茶を注ぎ足すと、勝手に棚を漁ってクッキーを貪り始めた。説明してくれないということは、自分で考えろってことか。
これまでのギルベアトにとって、ミュリエルは婚約者というだけだった。それ以上でもそれ以下でもなく、決定事項だから。自分に害がなければどんな人でも構わない、くらいに思っていたのに。
学院へ来てから彼女を見ているうちに、それは徐々に変化していった。
初めはただ、大人になったミュリエルを見て驚いただけ。
ミュリエルがどんな学院生活を送っているのかを知る度に、彼女の魅力に気づいていった。
外見だけを取り繕って綺麗に見せているだけではないミュリエルの美しさに、いつの間にか目を離せなくなっていた。
「なるほどな。そういうことか」
怒らせても嫌われても、ギルベアトはどうしたってミュリエルから目が離せない。どうしても彼女を目で追ってしまう。つまるところ、アースティンの言うギルベアトが心で感じていることは、行動となって出てきていたってわけだ。
「やーっと分かったか、この鈍感男。レイナード王子でも見習って、もう少し女心を学びなさいな」
「レイナード王子、か……。彼女を好きになったことに気付いたからといって、今更なんだよな」
ミュリエルはセイデンを好きなわけで。そしてギルベアトは婚約解消されるわけで。
完全なる横恋慕。
「おいおい、お前こそオレの言ってたこと聞いてたか? ラインハルトは少なくとも、元からレイナード王子を好きだったわけじゃなくて、お前に多少は気があった。それからレイナード王子を見習えって、今言ったばっかりだろうが」
「回りくどいやつだな。ハッキリ言ってくれ」
「取り返せばいいだろ、そんなの。まだ婚約解消してないんだから。レイナード王子はラインハルトに婚約者がいることを知っていた可能性が高い。それでもなお突っ込んでくる根性を見習えっての」
「ハードル高いな」
「なら諦めろ」
「無理」
「おおっ、急にはっきりしたな」
自分でもビックリするくらい、反射的に即答していた。
そのくらいギルベアトの中で、ミュリエルの存在が大きくなってしまっていた。
「先生、教室の掃除が終わりました」
放課後、魔法学で使っている教室掃除をしていたヨハンが、準備室の方へと入ってきた。
「ならそこの書類をいつも通り整理しておいてくれ」
ギルベアトは教員の仕事の他にも、自分で得た領地の運営業務、それから魔塔時代から続けている研究も細々とではあるがまだ続けているしで、やらなければならないタスクが山ほどある。ヨハンの手を借りている今は、それも少し楽になった。
「それが終わったら、あたしの方もよろしくね」
ヨハンが使える人間だと知ったアースティンも、最近ではこうして頼み事をよくしている。
胸の谷間がよく見える角度でお願いをされたヨハンは、頬をピンク色に染めて「はい」と頷き返した。
可哀想な奴だ。
真実を教えない方がこの子の為か。世の中には知らないでいたままの方がいいこともある。
「俺はちょっと図書館に行ってくるから。頼んだぞ」
「分かりました。行ってらっしゃいませ」
ミュリエルは放課後、図書館に行っている可能性が高い。
いきなり婚約解消したくないと言うのもどうかと思うので、とりあえずプライベートな時間に会う約束を取り付けるところから。
どうとっかかりを探せばいいのか見当も付かないが、とにかくミュリエルに会おう。まずはそこから。
「頑張ってね〜ん」
ひらひらと手を振るアースティンに見送られ、ギルベアトは図書館へと向かった。




