第3章・裏 近づく心①
香水店ヴィーラから連絡があって、ギルベルトがオーダーした香水を受け取ったのは、つい先程のこと。
馬車の中でその香水が入った箱を見ながら、ギルベルトは深いため息をついた。
『シュヴァイニッツ様からお聞きした情報を元に、調香させて頂きました』
そう言って店主のルテが見せてきたのは、繊細なカッティングが煌めくボトルに入った、透明な香水。馬蹄型のチャームも付けられていて、ギルベルトの記憶を元にパッケージまでこだわってくれたことがよく分かる。
ルテはテスター用の香水を小さな紙にシュッと吹き掛けると、ギルベルトに渡してきた。
『こちらが中に入っている香水の香りです』
清らかで透明感のある香り。その少し後から、華やかさと温かみも感じられる。
まさにミュリエルのイメージにピッタリの香りだった。
あの質問の受け答えだけで、ここまで仕上げてくるとは。期待以上の仕事をしてくれた。
ミュリエルとギルベアトの仲がどうなったのかは、ルテには関係ない。母にも紹介すると伝えると、連絡をお待ちしておりますと嬉しそうにしていた。
「さて、この香水をどうするか」
婚約解消予定の男から、こんな重たいプレゼントをもらっても嬉しくないだろう。
かと言って、捨ててしまうのも惜しい気がする。自分がかけた手間や値段の問題ではない。単純に、ミュリエルにこの香りを嗅いでみて欲しい。
帰りの道中で延々と悩み、とうとう馬車が寮の前へ到着してしまった。
下車したギルベアトは寮にいる使用人に声をかけて、これをミュリエル・ラインハルトに渡して欲しいと伝えプレゼントを預けた。
貰って迷惑だと思えば処分して貰えばいい。
結局ギルベアトは、ミュリエルに判断を委ねることにした。
5年生の卒業まであと半年ほどとなり、一気に総仕上げのムードが漂い始めた。
ミュリエルも恐らく勉強で忙しいのだろう。図書館へと通う様子を何度も目にしている。
いけないと思いつつもミュリエルをつい目で追ってしまうとは、我ながら未練がましい。すでに彼女には好いた男がいるというのに。
そうやって過ごしていると、ギルベアトはミュリエルの変化に気が付いた。ある日を境に図書館へ通うことをやめ、元気がない。さらに授業にも身が入らないようで、よくぼうっとしている。初めは体調でも悪いのかと思ったが、どちらかというと気鬱のようだ。覇気がない。
セイデンと上手くいっていないのか?
もしかしたらギルベアトの願望が入ってしまっているのかもしれないが、それを差し引いてもミュリエルのセイデンへの態度が少し硬くなっている気がする。
邪魔者はいなくなったことだし、二人はより親密になるものだと考えていたのに。
じゃれあう二人を見るのは辛いだろうと覚悟していたが、なぜかギルベアトの予想とは違う方向に進んでいる。男女の仲とは分からないものだ。
気になりつつもミュリエルに直接理由を聞けるはずもなく。ギルベアトは日課となっているトレーニングを終えると、厩舎で馬を借りて外に出かけることにした。
冬の森の中を馬で駆けると空気が冷たく、徐々に頭が冴えてくる。
太陽が真上に登った頃、馬を休憩させるのにちょうど良さそうな川を見つけた。下馬して水を飲ませてやっていると、馬が何かの気配に気づいたのか、急に頭を持ち上げた。
獣でもいるのか?
ギルベアトが緊張したのに対して、当の馬の方は怯えている様子はない。
ただの鹿か何かだろうと目をこらすと、木々の間から出てきたのはミュリエルだった。
「ラインハルト……」
「ギル様……?」
久しぶりにその呼ばれ方をして、びくんと心臓が跳ねる。
本人は気づいていないのか、すぐに「シュヴァイニッツ先生」呼びに戻ってしまったが。
いい天気だから散歩をしていると答えたミュリエルは、およそ森の中を歩く人の格好ではない。ワンピースにさっと羽織っただけの上着だけ。それも街中で着るようなものだ。しかも荷物は見当たらないときている。
しっかり者のミュリエルがこんな不用意なところをみると、余程、心ここに在らずの状態なのだろう。
黙々とクラッカーを食べるミュリエルに、ギルベアトは意を決して聞いてみることにした。
「どうかしたのか」
「何がですか?」
「最近、ぼーっとして元気がないように見えるんだが」
目を見開いて驚いた顔をしている。
見当違いの発言をしてしまったのか? 気のせいならいいと慌てて付け加えると、ミュリエルは視線を足元に落としてつぶやくように言った。
「……先生は学院に来て、驚かれたんじゃないですか?」
「何を?」
「私の出来の悪さにです」
「出来が悪い? 君が?」
ギルベアトから見たミュリエルは、正に完璧な婚約者だ。美人で賢い上に、優しく思いやりがあって周りに気配りができる。特に競技会の時にそれを実感したし、実際、他の教員や生徒から聞くミュリエルの評価は並ではない。王女という立場に甘んじることなく自分を律することのできる、努力家の人。出来が悪いなんて話、聞いたこともないし思ったこともない。
心底不思議に思って聞き返すとミュリエルは、どんなに頑張っても一番になれない、鈍臭い人だと自分を評した。さらにギルベアトのことをすごいですねと褒め称えてくる。
なるほど、彼女は迷子になっているのか。
てっきりミュリエルはセイデンとの色恋事で悩んでいるのかと思っていたが、もっと深いレベルの話だ、これは。
同学年にイヴォンヌという従姉妹がいるだけに、余計に自分と比べて悩んでしまうのかもしれない。
イヴォンヌは何をやらせてもそつなくこなせてしまうタイプの人だが、それは勉強や芸事においてだけの話。決してミュリエルが彼女に劣るなんてことはないのだが、本人にそんなことを説いて聞かせたところで納得しないし、余計に卑屈になるだけだろう。
ならばギルベアトのしてやるべきことは、ゴールがどこにあるのか示すだけ。
ミュリエルならばきっと、自分なりの明確なビジョンを持っているはずだ。
そう思って聞くと、やはりしっかりとした理想を持っていた。優しい彼女らしい、壮大な夢だ。
その夢を実現するために周りと比べる必要など、全くない。
ギルベアトが少し道を示したあげただけで、ミュリエルはすぐに気付いてくれた。
やはり彼女は賢い人だ。
そして自分はというと……。
なんて阿呆なんだ。
珍しいキノコが目に入ったからって、ミュリエルとの大事な話をほっぽり出して、アオユキタケに夢中になってしまうとは。
そんなギルベアトを見て、ミュリエルがクスクスと笑っている。
初めて俺に笑いかけてくれた。
いや、笑われてるのか? そんなのはどっちでもいい。
勝手に心拍数が上がって、顔に血が上るのが分かった。今まで感じたこともない感情に戸惑うギルベアトを、ミュリエルは照れているだけと思っているようだ。
バレなくてよかった。
ミュリエルはギルベアトとの婚約を解消したいと思っているのに、こんな感情を抱かれても気持ち悪がられるだけ。
一人で帰ろうとするミュリエルを半ば強制的に馬に乗せて、曳馬をする。
本当は聞いてしまいたい。
一体いつから婚約を解消したいと思っていたのか。
セイデンとはいつから恋仲になったのか。
その答えを聞いたところで、何にもならないのが分かっているから聞けない。
どんな魔法を使っても、時間は元には戻せないのだから。




