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第3章 離れる心④

 ギルベルトと森で話をして以降、ミュリエルのスイッチが完全に入った。これまでの遅れを取り戻すため、授業時間以外は全て政策案を作るために時間を割き、やっとの思いで課題を仕上げた。

 そして提出してから一ヶ月。

 いよいよ誰の政策が王城へ持っていかれるのか、発表されようとしている。政治学系の授業を担当している教諭が、講堂に集まった生徒に向かって労いの言葉をかける。


「どれも皆よい政策案で、選考はとても難航したよ。教員複数人と副学院長、それから学院長と協議した結果、次の2名の制作案を貴族会議へ提出することとする。まず一人目、ルドルフ・メッツガー」

「はい!」

「それからもう一人……」


 自然と手に力が入る。

 お願い……。

 

「ゼバスティアン・ハルデンベルク」

「はい!」

「以上の2名だ。残念ながら今回の選考で選ばれなかった者たちの案も非常に良かったぞ。落胆する必要は無い。この経験を活かして――」


 選ばれ……なかった。

 頑張ったからといって、必ずしも報われるわけじゃない。それに他の生徒だって、この課題に心血を注いで取り組んだはずなのだから、ミュリエルと一緒。特別ではない。

 それでも選考に選ばれなかったという事実はショックだ。すぐに気持ちを立て直せない。


 授業の終わり際に返却された立案書をカバンの中へ閉まっていると、人の気配を感じた。見上げるとレイナードがすぐ近くにいる。


「ミュリエル、結局その課題を提出していたんだ」

「ええ……」

「君ならわかってくれていると思っていたのに」


 レイナードの顔に表情は無く、声もどこか冷たい。

 立案書を作成している時は極力、寮の自室を使っていたので、レイナードはミュリエルがまだ諦めていなかったことを知らなかった。政策案を返却されているところを見て、流石に知られてしまった。


「出すのは私の自由でしょ。まぁ……落ちてしまったけれど」


 レイナードに何を言われたっていい! そう思って制作を再開したけれど、今は気落ちしていて言葉に力がこもらない。

 そんなミュリエルの様子に、レイナードの態度が軟化した。そっと頬に手を寄せて、抱き寄せてくる。幸いなことに、授業が終わった講堂には他に誰もいない。


「ほら、僕の言った通りやめておいた方がよかったんだよ。君がこうして傷付くのは僕も悲しいからね」

「…………」


 頭を撫でながら、レイナードが慰めの言葉をかけてくれる。

  

「ミュリエルは僕の側にいてくれさえしたら、それでいいんだよ。だって君はそれだけで価値があるんだから。わざわざこんなことをする必要はない」


 ドクン、と心臓が跳ね上がる。

 それだけで……価値がある?

 レイナードの胸の中からゆっくりと見上げると、先程までの固い表情は消えて、優しく微笑み返された。

 

「だってそうでしょ? 余計なことを考えなくても、ミュリエルは僕のそばに居るだけで両国の架け橋になれるんだから。ね?」


 違う……。

 この人は、私を必要としてくれているんじゃなかったんだわ。

 見上げた先にある瞳に映る女性は、ミュリエルじゃない。ただの王女。

 レイナードはミュリエルの王女としての価値しか見ていない。

 胸が苦しくなってくる。

 自分を愛してくれる人と結婚しよう。その方が幸せになれるなどと、甘ったれた考えをした自分が憎い。結局そこにしか、ミュリエルの価値はなかったのに。


「ごめんなさい。今は一人になりたくて……。また明日会いましょう」

「……分かった。それじゃあまた明日」


 カバンを掴んだミュリエルは真っ直ぐ学院の裏へと向かう。広い庭のもっと先を進んでいくと焼却炉が設置されている。その場所にたどり着いたミュリエルは手に持っていたカバンから返却された政策立案書を取り出し、炉の中へ投げ入れようと手を振り上げた。


 ――いい夢だね。

 ――目標が何か、どこにあるかは絶対に見失うな。


 唐突にギルベアトの声が頭に蘇ってきた。

 私はどこへ向かっているんだろう?

 レイナードといると目的地を見失ってしまう。

 結局立案書を捨てられなかったミュリエルは、その場にうずくまった。焼却炉からはパチパチと火が爆ぜる音が聞こえる。


「公営施設としての学校の設立と運営……へぇ、なかなか面白い案だ」


 聞こえてきた声にはっとして顔を上げると、ギルベアトが立案書を手にし、パラパラと捲って目を通している。


「シュヴァイニッツ先生……」

「…………」


 よほど集中しているのか、ギルベアトは立案書に目を落としたままでミュリエルの呼びかけに気づいていない。

 

「あの……シュヴァイニッツ先生?」

「んっ?! あぁ、悪い。これは政策案を出す課題か?」

「はい。既存の公営学校は貴族しか入れませんので、一般民向けにもと思って立案してみたのですが……」


 貴族は通常10代前半まで家庭教師の元で学び、10代半ばごろになると公営の学校に通う。国内にそういう学校が何カ所あるが、中でもここの王立学院が一番格式が高く難易度も高いとされている。

 一方で平民は学ぶ機会が著しく乏しい。

 両親から教わる他は、一般民が自主的に開いている手習所に通うしかない。その手習所も通うには費用がかかるので、行けない子も多いと聞くし、個人で開いているため場所によって質のバラつきが激しい。

 極力徴収する費用を抑え、かつ学習内容の質もある程度取れた学校を、公営施設として作るべきではないかと思い立案した。


「魔法学の授業を盗み聞きしていた下男を覚えてらっしゃいますか?」

「ああ、覚えてるよ」

「彼のような子にも学べる機会を作ってあげたくてと、考えたんですけど」


 ヨハンにはノートの書き写しを与えたけれど、それではなんの解決にもならない。その場凌ぎで彼の学習意欲をほんの少し、満たしてあげたに過ぎないのだから。

 彼のような人は、世の中にはもっといる。


「私の案は採用されませんでした」

「まあ、そうなるだろうな」


 当たり前だとばかりにあっさりと返されて、流石のミュリエルでも怒りが込み上げてくる。

 どうせ私の作った立案書なんて……!!

 ギルベアトの手から立案書を奪い返したミュリエルは、焼却炉の中へと投げ込もうとした。


「わーっ!! 違う、違うんだラインハルト!」

「もういいんです! こんな恥さらしなもの捨ててしまえば……! あっ! 返して下さい!!」


 手から立案書をもぎ取られ、ギルベアトはミュリエルに取られないよう高くに手を持ち上げている。涙目になりながらフーッと息を吐くミュリエルに向かって、ギルベアトは「落ち着いて」と宥めてくる。


「俺の言い方が悪かった。君のこの立案書は凄くいいよ」

「やめて下さい。余計に惨めになるだけですから」

「そうじゃなくて、貴族会議へ持っていく案としては採用されないだろうなって言いたかっただけだよ」

「……」

「なぜなら特権階級にいる者の多くは、こういう案を最も嫌うからね。学問を修めるというのは正に、一部の人間にだけ許される特権だから」

「どうしてですか? 多くの人に学ぶ機会を与えた方が、国力の底上げとなるはずです」

「俺もラインハルトの意見に賛同するよ。でもな、君のように大局的に物事を考えられる人間はそう多くない。手にした権利や利益は、自分だけのもとしたくなるんだよ」

 

 ギルベアトの言いたいことは理解できる。だからと言って諦めろというのだろうか。目標を見失うなと言ったその口で。


「だからまあ、ここからが腕の見せ所というのかな。相手を納得されるだけのものを提示してやればいい」

「説得するということでしょうか」

「うーん、おそらくラインハルトが考えているのとは違うだろうな。君の場合は情に訴えかけそうだから。情に厚い人間なら、そもそも反対などしないだろうし」

「ではどうすればいいのですか」

「俺にこの案をくれ」


 自身ありげな顔で言われたが、意味が分からない。


「父には家へ戻ったら、俺に領地運営を任せると言われている。つまり俺の好きにしていいということだ。あの公爵領ほど規模の大きい場所で成功例を作れば、他の奴らも当然、真似してみたくなる」

「公爵領で実践するということですか?」

「そういうことだ。民に学ぶ機会を作ればより領地が豊かになる。豊かになれば税収も当然増える。そういう実例を作って見せつけてやるんだよ。貪欲なものほど食いつくはずだ」


 悪巧みをするかのように、ギルベアトがニィっと笑った。


「本気で……言っているのですか? 私を励まそうとしているだけなら……」

「領民の生活がかかっているのに、そんなふざけた真似はしない」


 ピシャリと言われてしまった。

 言葉はきついけれど、でも、ギルベアトが本気でミュリエルの案を欲しがっていることはきちんと伝わってくる。

 嬉しくて仕方がなくて、涙が次々とこぼれ落ちる。


「ご、ごめん。ラインハルトを励ましたい気持ちがないわけじゃなくてだな」

「ふふっ、大丈夫です先生。ちゃんと分かっていますから」

 

 オロオロしているのがやっぱり可愛い。「嬉しくて泣いているんです」と付け加えると、少しほっとした様子でハンカチを差し出してくれた。


「あー、こんなことなら俺も審査に混ぜて貰えばよかったな。そうしたら他の良さそうな案も引っ張ってこれたんだが。惜しいことをした」


 悔しそうにため息をついている。

 公爵領の民はきっと幸せね。有能な後継者に恵まれているんですもの。

 もしかしたら一番、ミュリエルが見たい未来に一番近い場所となるかもしれない。その場所にミュリエルはいれないけれど。

 ぎゅっとハンカチを握りしめて、「先生」と呼びかける。


「それではその立案書は先生にお預けします」

「ああ、いくつか見直す所もあるだろうし、その時はラインハルトの意見も聞けると嬉しい」

「はい、ぜひ。ハンカチは洗ってお返ししますので。それでは失礼いたします」


 意見を採用してもらえることになって嬉しいはずなのに、なんでこんなに胸が苦しくなるのか。


 ――自分で選んだ道じゃない。


 ミュリエルは奥歯を食いしばり、自分の中に湧き上がってくる愚かな感情を押し殺した。


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