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第3章 離れる心③

「こんなところでどうしたんだ?」

「いい天気だったので散歩をしていたんです。シュヴァイニッツ先生は?」

「俺も同じく。いい天気だったから、コイツでひとっ走りしてたんだ」


 コイツと呼ばれた馬は水を飲み終えて、のんびり道草を食べている。


「……」

「……」


 なんでギルベアトとだと、こうして沈黙が流れてしまうんだろう。


「水を……飲みたくて。何も持たないまま、ふらっと出てきてしまったので」

「ああ! 水か。どうぞ」


 ギルベアトが腰からさげていた皮袋を差し出してきた。

 川の水を飲みにきたと言う意味で言ったのに、これだとまるでギルベアトにおねだりしたみたいだ。

 すぐに受け取らないミュリエルを見て、ギルベアトがしまったという顔をした。


「俺が口つけたやつじゃ嫌だよな。今洗ってくるから少し待っててくれ」

「い、いえ! そういう事ではなくて! 頂きます!!」


 ギルベアトの手から皮袋を奪うと、ゴクゴクと水を飲み下す。


「ありがとうございました」

「あ、あぁ」


 ミュリエルの飲みっぷりが良かったのか、ギルベアトは呆気に取られたまま皮袋を受け取った。

 恥ずかしい。冷静になるのよ。


「食事は? 水も持ってきていないんじゃ、食べ物もないんだろう?」


 言われてみれば、確かにお腹が空いている。太陽がちょうど真上にあるから、きっともうお昼だ。


「もう帰りますので。帰って食べます」

「帰ってからって、ここがどこかわかっているのか? ここから寮まで早歩きしても2時間近くかかるぞ」


 そんなに? 黙々と歩いていたら、いつの間にか森の奥まで進んできてしまっていたらしい。


「だいたい、そんな軽装で森を歩くなんて無謀すぎる。学院のすぐ近くの森と言ってもそれなりに獣はいるし、道だって険しいところはあるし、怪我でもして動けなくなったら……って、悪い。説教したかったわけじゃないんだ」

「あ……分かっています。心配してくれているんですよね」


 ギルベアトはこほんっと咳払いをすると、「そういうことだ」と小さな声で言った。少しだけ緊張が和らいで、微笑んでしまう。


「少しなら食料を持ってきたんだ。一緒に食べていくといい」


 ギルベルトが横倒しになった木にハンカチを敷いてくれた。ミュリエルが座ると、今度は袋からベーグルを取り出し、半分に千切って渡してくる。


「ありがとうございます」


 レーズンの入ったベーグルの間には、クリームチーズが塗られている。

 お行儀よく少しずつ千切って食べていて気がついた。ギルベアトが座っていない。


「あの……先生、どうぞ隣へ座ってください」


 さっき皮袋の飲み口を気にしていたくらいだから、ミュリエルの隣に座るのを遠慮してくれているのだろう。立ったまま食べている。


「先生が座っていないのに、私だけ座るのは心苦しいですので」

「あー、そうか……そうだよな。なら少し失礼するよ」


 微妙な距離感で座られた。近くもなく、遠くもなく。腕を伸ばせば届くくらい。

 追加でクラッカーも貰って齧っていると、ギルベアトが突然、「どうかしたのか」と聞いてきた。


「何がですか?」

「最近、ぼーっとして元気がないように見えるんだが」


 私のこと、見ていてくれたの?

 変化に気がつくとは、そういうことだ。


「いや、気のせいならいいんだ」


 交わした言葉は少なくても、ギルベアトはちゃんとミュリエルを見ていてくれた。だったら、彼が自分をどう思っていたのか知りたい。どうせもうすぐギルベアトとの関係も終わるのだし。


「……先生は学院に来て、驚かれたんじゃないですか?」

「何を?」

「私の出来の悪さにです」

「出来が悪い? 君が?」

「何をしても、どんなに頑張っても一番になれないんです。ほんと、鈍臭いですよね。魔法の授業だって……ふふっ、使える魔法は昔と大して変わっていないでしょう? ちょっとしたものを浮かせたり、スープを温められる程度。そこの落ち葉に火もつけられないんですから」


 ものを温めるくらいが限界。火を付けられるほど、炎属性の魔法は使えない。大火は起こせなくても、せめて焚き火に必要な種火くらい出せたらいいのに。


「えーと、重たいものは男に運ばせればいいし、火が欲しいなら火内金と火打ち石を使えばいいんじゃないか? そもそも君ほどの身分なら、全て使用人にやらせればいいわけだし。もっと言えば、魔法は本人が生まれながらに持つ素質に大きく左右されるから、努力だけではどうにもならない部分がほとんどだ」


 ギルベアトが困惑顔で答えた。

 確かにそうなんだけど……。ミュリエルが言いたいことが、上手く伝わっていない。


「シュヴァイニッツ先生はすごいですよね。学院も首席で卒業されたのでしょう? 遊学先では結果を出して、その上魔塔からもスカウトが来て。その後の活躍もお聞きしています。いくつもの新しい魔法式を公表して、多くの人の生活を支えて。ご自身の功績で爵位も得たのだとか」


 惨めだ。すごく。

 ただ王の娘として生まれただけのミュリエルと違って、ギルベアトは自分の手で多くのものを手に入れている。

 だから少しでも相応しい女性となるよう、努力してきたのに。結局それも、意味を無くしてしまった。

 

 ギルベルトは黙ったまま、川の流れを見ている。

 卑屈になっている私の話など、聞きたくもなかったわよね。鬱々として重たい話題なんて選ぶんじゃなかった。

 もう帰ってしまおうかなと思い始めた時、ギルベルトが唐突に、意図のよく分からない質問を投げかけてきた。

 

「君はどんな未来を思い描いている?」

「え?」

「卒業したらどうしたい」

「どうしたいってそれは……」


 言うまでもなく、ミュリエルの卒業後の未来など決まっている。結婚するしかない。学院へ通うほぼ全ての女性が、卒業後そうするように。


「あー、君は多分結婚することになるだろうな。相手が誰かは置いといて」

「ええ、まあ。そうですね」

「俺が聞きたいのは通過点ではなく、ラインハルトの将来の夢だよ」

「将来の夢……?」

「結婚するのが夢です、なんてことはないだろう?」

「そう……ですね。夢……」


 目を瞑って考えてみる。

 ミュリエルは王女として生まれてきた。だから食堂を営んでみたいとか、踊り子になって世界中を飛び回りたいとか、そういった夢は有り得ない。

 社交界の中心で覇権を握る?

 これまでの人生で、そんなことを夢見た瞬間はなかった。

 私の夢……私の夢……。私の望む、私が見たい未来……。

 街角で遊ぶ子供。商売人の豪快な笑い声。種蒔をしながら歌う農民。お祝いの日にはちょっとしたご馳走様を食べて、自分の未来に想いを馳せる、希望に満ちた顔。

  

「民がつつがなく暮らせるようにしたい、でしょうか。飢えることも寒さに震えることもなく、誰もが充実した日々を送り、豊かな暮らしを営んで欲しいと思っています」 

「うん、いい夢だね。ならその未来を実現するために、ラインハルトが裁縫を誰よりも上手く出来る必要があるのかい?」

「え……? い、いいえ」

「ピアノは? 君が上手く弾けると民の暮らしは良くなるのか?」

「いいえ」

「算学や地学もそうだ。ラインハルトが望む未来を実現するために君の頭が足りないと言うなら、その道に長けた人を呼んで教えを乞うか雇えばいい」

「あ……」


 ギルベアトがふっと笑った。


「もう分かったね。手段と目的を混合してはいけないよ。手段はいくらでも変えられるし変えていい。でも目標が何か、どこにあるかは絶対に見失うな」


 私の目標……! 完全に見失っていたわ。

 自分が出来ないことばかりを数え、男に生まれていたらと嘆いた挙句に、仕方がないことだからと自分を納得させようとしていた。

 確かにミュリエルにとって結婚は大事だけれど、レイナードの顔色を伺って目標を見誤ってはいけない。ミュリエルはレイナードのご機嫌取りのために、生きているのではないのだから。

 たとえ彼と仲違いしてしまったとしても、私は私の思い描く未来を諦めたくは無い。

 男たちが決めていくのを、傍から黙って見ているなんてしたくない。

 

 心にかかっていた靄がすっと消えて、自分のやるべきことがクリアになってきた。

 胸がドキドキしてきて、早くなにかに取り掛かりたくて気持ちが逸る。

  

「……はい! 先生、ありがとうございました。お陰で私、自分が――」

「あっ!!」


 突然ギルベルトが大きな声を出して立ち上がった。そのまま小走りで何かへ向かって行ったかと思えば、今度は地面に這いつくばっている。


「先生、何をして……」

「見ろ! アオユキタケだ!」


 興奮した様子のギルベルトの目線の先を見ると、青白い小さなキノコが生えていた。

 

「冬に数日だけ生える珍しいキノコなんだ。このキノコを使った魔法薬が何か知ってるか?」

「ええと、確かホットポーションではなかったでしょうか」


 飲むと一日、どんなに寒い場所でも暖かくいられるポーションだったはず。


「正解っ! まさかこのキノコが学院の森に生えているとは思わなかったなぁ。おおっ!? よく見たら向こうにも生えてるじゃないか!! この袋に採取して――」

「ふっ……ふふっ!」


 ついさっきまで真面目な話をしていたのに、このテンションの変わりよう。少年のように目を輝かせて夢中になっている姿に、思わず笑いが込み上げてきてしまった。

 ミュリエルがクスクスと笑っていると、ギルベルトはきまり悪そうに耳の先を染めている。それがまた可愛くて余計に笑ってしまう。


「ほ、ほら。北方の国境警備をしている奴らにホットポーションをあげると喜ぶんだよ。凍傷も防げるし」

「は、はい。ふふっ、そうですね。私もお手伝いします」


 プチプチと小さなキノコを引き抜いて、先程までクラッカーの入っていた袋に入れていく。


「えーと、それでもう、君は大丈夫ってことで良いんだな?」

「はい、おかげさまで」

「なら良かった」


 ギル様って不器用な人なんだわ、きっと。


 もしかしたらミュリエルが勝手に、ギルベルトのイメージを作り上げてしまっていたのかもしれない。ミュリエルが思っていた通り大人だなって思うのだけれど、多分それだけではない。完璧そうでいて、少し抜けてる。


 もっと知りたいだなんて、今更よね。

 それに、知ったところでどうにもならない。彼の心にミュリエルはいないのだから。

 アースティン先生とイヴォンヌ、どちらを取るのだろう?

 可能性が高いのはやはりイヴォンヌだろう。アースティン先生は確か、貴族の家の出ではなかったはずだから。


「よしっ、全部取り終わったな」


 ギルベルトの声でハッと我に返る。


「それでは先生、私はそろそろ失礼させていただきます」


 もうここを出発しないと暗くなってしまう。

 なんの装備も持たず手ぶらで歩いて来てしまったので、日が傾く前に帰らないと。

  

「失礼させていただくって、一人で帰るつもりか?」

「はい」

「さっきも言ったが、女性が一人で森の中をほっつき歩くなんて危険すぎる。馬に乗って」

「いえ、でも」

「いいから!」


 半ば強引に馬に乗せられてしまった。それだけでも申し訳ないのに、ギルベルトは馬に乗っているミュリエルに、上着を脱いで渡してきた。


「寒いから上から羽織るといい」

「いえ、先生が寒いじゃないですか」

「俺は歩けば暑くなるから、心配いらない」


 ここで意固地になって断るのは良くない。ありがたくお言葉に甘えて借りた上着を羽織ると、ギルベルトの匂いがふわりと香った。

 大人っぽくて深みのある、アンバーの香り。


 ミュリエルの準備が整うのを見計らうと、ギルベルトが曳馬をしながら前を歩いていく。


「……」

「……」


 相変わらずの沈黙。

 なにか話題を、と考えたがやめた。

 不思議と今は、気まずくは感じなかったから。

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