第2章・裏 君の知らない僕
――あれがギルベアト・シュヴァイニッツか。
始業式後ミュリエルに学院案内をしてもらったレイナードは、寮の自室に戻って来ると、改めて自分のライバルについて考えた。
ミュリエル王女とギルベアトのことは入学する前に調べておいた。
わずか1歳にも満たない歳のころに婚約したこと。その婚約者が大陸でも名高いシュヴァイニッツ家の嫡男であること。国民から婚約の事実を忘れられてしまうほど、二人が疎遠だったこと等々。
ユガールの王には息子が四人いるが、娘は一人だけ。ミュリエルは五人兄弟の未子で、彼女が生まれた時の王妃の年齢からして、これが最後の子になると誰もが予測できた。
故に、王女の取り合いは必至。
特に息子しかいない国が、ユガールの王女を欲しがるのは目に見えていた。
大陸の中でも一際大きいユガールの周りには、いくつもの小国が隣接している。ユガールがそういった小さな国々に戦を仕掛けないのは、小国同士が手を結び、ユガールに対抗しているから。
それでも攻め落としに来ないという保証はない。だから王女が欲しい。
時を見計らい、ミュリエル王女との婚約を取り付けようとしていた国々はあの日、驚愕したという。
火竜を倒した英雄ヘンドリク・シュヴァイニッツが、息子とミュリエル王女との婚約を早々に取りつけてしまったから。
当然ユガール内の貴族と結婚となる可能性だってあった訳だが、何の駆け引きもなくこんな早くに、とんでもないところから掻っ攫っていったのだ。
とはいえヘンドリクは大陸の英雄だ。本来なら甚大な被害が出たであろう火竜の被害を抑え、さらには被害にあった他所の国にも多額の寄付をしたことで尊敬を集めた男。誰も文句は言えない。
シュヴァイニッツ家に嫁ぐなら仕方ないかと誰もが納得し、引き下がった。
魔法に長けた騎士団で知られたシュヴァイニッツ家だったが、火竜の事件以降現当主のヘンドリクは、なかなか食えない男として認識されるようになった。――というのは表向きに語られている話。
レイナードはギルベアトについて探りを入れている中で、面白い話を聞いた。
火竜が現れた時、父親に討伐へ行くよう勧めたのはギルベアトだと。
当初ヘンドリクは自分の領土とは真反対の場所を襲う火竜にはさほど興味はなかったのだが、ギルベアトが火竜は父が得意とする氷魔法に弱いことや、倒した後に得られる戦利品について話して聞かせ、決断させたのだという。
それだけではない。倒した火竜から得られる素材は一部を国王に納めた他は、当然戦利品としてヘンドリクが持ち帰ったのだが、これにもギルベアトは助言した。
『その戦利品から得た利益で被害にあった地域へ寄付をすれば、それ以上の見返りを望めます』
名声、尊敬、信頼……息子の言う通りにしたヘンドリクは、金で買うことのできない多くのものを手に入れた。それに付随して、勝手にシュヴァイニッツ家に金が流れ込み、戦利品以上の巨万の富を築いていった。
わずか10代前半だったギルベアトが、シュヴァイニッツ家繁栄の影の立役者だったのだ。
手強い相手だと覚悟はしてきた。
女性受けするレイナードでも苦戦を強いられるだろう。
でも……と、先程の二人の様子を思い出す。
ミュリエルと別れて寮に入ったレイナードは、陰から二人の様子を伺っていた。
レイナードが調べた限りでは、ギルベアトは遊学に出てからミュリエルと接触していない。十何年かぶりに会ったにもかかわらず、二人はいくつか会話を交わしただけですぐに離れてしまった。
「可能性はゼロではなさそうだね」
レイナードの顔に、自然と笑みが浮かんだ。
ユガールの王立学院へ留学してしばらく。ミュリエルを取り巻く大体の人間関係は把握した。
中でも彼女の従姉妹イヴォンヌ・エスタリは、笑ってしまうほど嫌な女だ。嫌な女ではあるが、多少使えそうではある。
ちょうど今のように。
「それで、手を組むって言うのは何の話をしているんだい?」
イヴォンヌに放課後、教室に呼び出されて行くと、手を組まないかと言われた。
「わかってますわ。セイデン様がミュリエルを狙ってることは」
「だから何?」
あからさまにミュリエルへアプローチしているのだから、今更だ。
「セイデン様がミュリエルと上手くいくように、わたくしが手を貸すと言っているのです」
「何故?」
「ウッフフ! 簡単です。わたくしはギアベルト様が欲しい、あなたはミュリエルが欲しい。他に何か質問は?」
自信満々に言い放つと、イヴォンヌはミュリエルとよく似た翡翠色の瞳を細めた。ただしイヴォンヌの瞳の奥には、ミュリエルにはない濁りが見えるけれど。
「まぁ、シュヴァイニッツ家へ嫁ぎたいと思うのは理解できるよ。富も名声も手に入れた家門だし、ギルベアト先生は容姿も優れているしね」
ギルベアトは同性のレナードから見ても、男の色気がある容姿と雰囲気を持ち合わせていると思う。レイナードは相当モテるという自覚はあるが、彼にはまた自分には持っていない魅力がある。
「でも君はミュリエルとは従姉妹だろう? 信用できないな」
「はっ! 従姉妹だからよ」
心底嫌っているのが分かった。イヴォンヌの顔が醜く歪む。
「王女だからという理由だけで、あの出来損ないはギルベアト様と婚約できたのよ。誰がどう見ても、シュヴァイニッツ家の嫁に相応しい資質を持っているのは、わたくしの方だわ。足を引っ張るだけよ」
「くくっ、随分と自信があるじゃないか」
「当然よ。あの女に負けるものなんてないもの。あなただって知っているでしょう? わたくしの方が成績がいいのは」
確かに本人が言うだけあって、イヴォンヌは才色兼備な女性だ。
勉強や芸事もよくできるし、見た目も愛らしい。話題も豊富に持ち合わせていて流行にも敏感。
ミュリエルの方が成績がいい政治学系の科目も、おそらくイヴォンヌが本気を出して勉強すれば抜かしてしまうだろう。
ただ、唯一にして最大の欠点を本人が気づいていないのがまた痛々しいが。
「それにシュヴァイニッツ家としても、わたくしならそんなに悪い話じゃないと思うのよね。王家の血筋を入れたいのなら、わたくしでも申し分ないはず。ミュリエルは国外へでも嫁いだ方が、王女としての身分を存分に生かせるというものでしょう?」
「ミュリエルはとんでもなく腹黒い従姉妹を持ったものだね」
「腹黒いのはあなたも同じでしょう?」
「まあね」
認めたくはないが、自分とイヴォンヌは似ている。まぁ僕の方が表向きの顔を作るのが上手いと思うけど。
「信用できないというなら、今度の競技会のチーム分けはわたくしに任せてくださいな」
「あの10チームに分かれて競い合うやつか」
レイナードはダンスの授業でくじ引きによるペア決めがあると聞いた時、すぐに動いた。一年間もペアを組めるなんていうチャンスを逃すわけにはいかないと。
ダンスの授業で助手を務めている若い女性教員にちょっと迫ったレイナードは、その服のポケットに入っていた教室の鍵を盗み出した。そうして準備室の鍵を開けてくじに魔法をかけたレイナードは、必ず自分がミュリエルの札を引くようにしたのだ。
競技会でもクジでチーム分けをするとは聞いていたが、流石に2回も危険を犯すのは止めておこうと考えていた。
「学院内に我が家の息のかかった者がおりますので」
「ふぅん、それ大丈夫なの?」
「たとえその者がヘマしたとしても、セイデン様にはご迷惑お掛けしませんわ」
イヴォンヌは人を使い捨てにすることを全く厭わない。清々しいほどに。
後日、自信満々にイヴォンヌが言っていた通り、レイナードはミュリエルと同じチームの札を引いた。
「これでわたくしを信用する気になったでしょう?」
「少しね」
「釣れないお方ね」
チーム分けの後にエスタリとそんな会話をしたレイナードは、着々とミュリエルとの距離を詰めていく。幸いギルベアトとの仲はあまり良くないらしく、ミュリエルはレイナードに警戒することなく面白いように事が運んでいった。
もう少しで僕の手に落ちる。
そのもう少しをどうしようか考えていると、イヴォンヌが薄気味悪い笑みを浮かべてレイナードの元へやってきた。
「今度の休日、ミュリエルを誘ってオルシュタットへ行くといいですわ」
「オルシュタット?」
「ここから少し離れたところにある街よ。離れていると言っても、馬車で3、40分くらいかしら」
「そこで何をしろと」
「何も」
顔を顰めたレイナードにイヴォンヌはニィッと口角を上げた。
「ただ午後3時ごろヴィーラという香水店に二人で行けばいいだけです。そうすればあとは二人が勝手にやってくれるでしょう」
「二人? 二人というのはミュリエルとシュヴァイニッツ先生のことか?」
「ええそうですわ。シュヴァイニッツ先生がヴィーラの調香サロンの予約を取るってたまたま耳にしたものだから、いつなのか聞き出したのよ」
「店がそんなことを教えてくれるのかい?」
「いいえ。ヴィーラに出資している家の子が学院に通っているから尋ねただけよ」
うふふ、と笑っているが、尋ねたのではなくどうせ威圧して脅したのだろう。
「先生が店から出てくるところをわたくしが偶然を装って接触するから、セイデン様はちょうど良いタイミングを見計らってうまいことやってくださいませ」
「なるほどね。それは面白そうだ」
早速適当な理由をつけてミュリエルを街へ誘いだしたレイナードは、頭の中で時間の計算をしていく。
妹へのプレゼント選びは、時間をかけ過ぎてもかけな過ぎてもいけない。ちょうどよいタイミングで香水店に連れて行かなくては。
いくらサロンで予約しているといっても、いつギルベアトが店から出てくるか正確な時間は読めない。
店に入って香水選びをしながらその時を待っていると、イヴォンヌが通りから出てきた。おそらく、ギルベアトが階段から降りてくるのが見えたのだろう。
演技ならお手のもの。
外を見ながら驚いたふりをして、ミュリエルの視線をギルベアトとイヴォンヌの方へと向けさせた。
「レイナード様はここで待っていてください」
意を決したように言ったミュリエル。
仕組んだこちらの方が怖くなってしまうほど、望ましい方向へ話を進めていく二人。
張り合いがないなぁ。
そんな感想が浮かんでくるほどに、ギルベアトはレイナードの敵ではなかった。
頭は切れるのに、相当な恋愛音痴。
地位も容姿も実力も、あれだけのものを揃えておいて何故女性の扱いが下手なのか不思議なくらいだ。嫌というほど女性から言い寄られただろうに、一体どんな人生を歩んできたらそうなるのか。逆に不憫になってくる。
とはいえレイナードにとっては都合がいい。
ギルベアトならミュリエルではなくてもいいはずだ。他の有力な貴族と結婚すればいい。いくらでも替えがきく。
しかしレイナードはそうもいかない。ユガールの王女でなければならないのだ。
「この勝負、もらったよ。シュヴァイニッツ先生」
ミュリエルを寮まで送ったレイナードは、静かにほくそ笑んだ。




