第2章・裏 俺の知らない彼女⑤
競技会が終わってしばらく。アデーラから紹介してもらった香水店の予約の日がやってきた。
店を訪れると言っていた通り、確かに店の中は人で賑わっていて、ひっきりなしに人が出入りしている。人気だというのは嘘ではなさそうだ。
2階のサロンへと続く階段は、1階の既製品売り場を通ることなく外に設けられていて、人混みを避けてサロンへ行くことができた。受付の女性がにこやかに出迎えてくれる。
「いらっしゃいませ」
「予約していたギルベアト・シュヴァイニッツです」
「お待ちしておりました、シュヴァイニッツ様。マスターが中でお待ちです」
部屋に入ると上品な装いの女性が待っていた。見た感じ、四十代くらいだろうか。
揃えられている家具やファブリック、調度品なども品よくまとめられていて、流石は貴族の夫人方にも人気の店だと感心してしまう。
「店主のルテと申します。どうぞお座り下さい」
ソファに座ると、先程の受付の女性がお茶を用意し始めた。部屋の中に茶葉のいい香りが充満する。
「半年先まで予約がいっぱいだとお聞きしました。無理を聞いてくださり感謝いたします」
「おほほ、とんでもございません。まさか私の店にシュヴァイニッツ家の方がいらっしゃるとは夢にも思いませんでしたわ」
「あなたの仕事次第では、母にも紹介いたしましょう」
「まぁ! それはとんでもない見返りですね。いつも以上に気合を入れないと」
上機嫌でお茶をひと口飲んだルテは、「さて」と話を切り出す。
「早速質問をいくつかさせて頂きます。まずシュヴァイニッツ様はどのような香りが好みですか? もしくはベースにして欲しい香りはございますでしょうか」
「いや、頼みたいのは俺がつける香水じゃないんだ。女性へのプレゼント用に調香して欲しい」
ギルベアトのリクエストを聞くなり、ルテは「なるほど」と目を細めた。
「いくつくらいの女性ですか」
「今年で20歳になる人です」
「ではシュヴァイニッツ様が持つその方のイメージをお教えください」
「そうですね。髪の色はオレンジ色でロングヘア、瞳は明るめの翡翠色をしています。背は――」
「いえいえ、見た目ではありませんわ」
ミュリエルの姿を思い浮かべながら答えたギルベアトだったが、すぐにストップがかかった。
「夏の太陽のように明るいとか、花の妖精のように可憐だとか、イメージです」
「イ、イメージ……?」
そういう抽象的な質問は大の苦手。
難しい顔をして悩むギルベアトにルテは1つ頷くと、笑って言った。
「男性はこういう質問を苦手とする方が多いのですよ」
「そうですか……」
「質問の仕方を変えましょう。その女性と会うと、シュヴァイニッツ様はどんな気持ちになりますか。楽しくなるとか癒されるとか、難しく考えず簡単で結構ですよ」
「どんな気持ちかぁ」
久しぶりに会った時は衝撃だった。あまりにもキラキラとして眩しい女性になっていたから。
そのあとは近づこうにも近づけず、近づいたなら不機嫌にさせてしまうしで、いつも自分は困惑している気がする。
「かわいいから撫でてかまってやりたいのに、近づくと毛を逆立てた猫のように怒るから、いつもどうしようか考えてしまう……かな」
「あらあら、相当手を焼いていらっしゃるみたいですね。シュヴァイニッツ様相手にそんな態度に出られる女性がいるとは驚きですわ」
ルテはコロコロと笑っているが、ギルベアト的には笑い事では無い。
「それで、その不機嫌な猫ちゃんがお好きなものを何か1つでもご存知ですか?」
「好きなもの。何かあったか……」
「何でも構いません。好きな食べ物、好きな色、好きなお花、好きな場所」
ミュリエルが好きな物ってなんだ?そこまで知っていたらこんなに苦労はしないと思うのだが。
「よく思い出してみてください」
「ずっと昔のことでも?」
「ええ、もちろんです。好みというのはそうそう変わるものではありませんから」
雪がまだ残る寒い日。ミュリエルがギルベアトの成人のお祝いに初めて公爵邸に来てくれた時のことだ。馬に乗って散歩がしたいと言うので、邸宅内の森を歩いた事が一度だけある。
その時たまたまスノードロップの咲く一角を発見したミュリエルは、馬から降りて「かわいい」「きれい」と夢中になって見ていた。
「彼女が子供の頃、馬に乗って散歩をしていたら、スノードロップを見つけて気に入っていた記憶がある」
「スノードロップ……。うん、いいですね」
更に幾つか質問をしてフムフムと頷いたルテは、小さな瓶が沢山入った入れ物を持ってきた。それをテーブルの上に置いてギルベアトの方へ寄せる。
「最後に、この中からシュヴァイニッツ様がお好きな香りを選んで下さい。いくつでも構いません」
「俺の?」
付けるのは自分ではないのになぜ? という疑問が顔に出ていたらしい。ルテが追加で説明してくれる。
「シュヴァイニッツ様の好みも重要ですよ? だって好いた方から嫌われる香りなんて、付けたくありませんもの」
「あー、好かれているかどうかは分からないな。どちらかというと嫌われているかもしれない。は、は……」
乾いた笑いが口から漏れた。我ながら悲しい。
「どうでしょう。女の勘、とでも言いましょうか。これまでの質問から察するに、シュヴァイニッツ様が考えているよりもずっと、その方から想われていると思いますよ」
「ありがとう」
客商売だから慰めてくれているのだろうが、余計に惨めな気持ちになった。
小瓶の香りを一つづつ嗅いでいくつかピックアップすると、ルテは「これでヒアリングはお終いです」と手を叩いた。
「2週間ほどお時間を下さい。必ずその方を満足させる香水を作ってみせますわ」
「頼んだ」
支払いは商品を受け取ってから。部屋を出て階段を降りるなり、見覚えのある人物がギルベアトの目の前に現れた。
「シュヴァイニッツ先生!」
「……エスタリ?」
「偶然ですわね! 階段から降りてくるところが見えてもしかしたらと思ったら、やっぱり先生でしたわ」
競技会の練習でイヴォンヌが頻繁にギルベアトのところへやって来なくなったとホッとしていたら、こんな所で会うとは。
「香水をオーダーしてきたのですか?」
「ああ……まぁそうだ」
「やっぱり! ここのお店、予約を取るのが大変だって聞いてますわ。羨ましいですぅ。あっ、そうだ! 一緒にお茶でもしませんか? 美味しいお店を知っているんです」
「いや、せっかくだが遠慮しておくよ」
休日生徒と一緒にお茶をしているところなど見られたら、変な噂がたつに決まっている。
キッパリと断ったつもりだが、イヴォンヌは腕に絡みついてしつこく誘ってくる。
「シュヴァイニッツ先生、ごきげんよう」
「――!?」
冷たい声。冷めた視線。
ミュリエルがそこにいた。
「奇遇ですわね。以前は同僚の方とデートしているかと思ったら、今日は生徒とデートですか?」
「デート? いや、違う! エスタリとは今会ったばかりで……」
最悪のタイミングだ。
だいたい、なんでこの子はこんなに引っ付いてくる!!
「そんなに慌てて弁明して頂かなくても大丈夫ですわ。そういう私は今日、レイナード様と来ておりますので」
「セイデンと……?」
香水店から出てきたのか、セイデンがミュリエルの側にスっと寄り添うように近付いてきた。それも、彼女の肩を抱いて。
「ちょうど良いではありませんか。私もシュヴァイニッツ先生も別の相手がいるんですもの」
一体、何を言っているんだ?
別の相手?
「先生がどこで誰と何をしていようと構いません。だから先生も私のことは気になさらないで下さい」
「本気で……言っているのか?」
驚愕して、上手く頭が回らない。
ただミュリエルの表情からして、冗談では無さそうだということだけは分かった。彼女の口から、次々と婚約解消までの手筈が語られる。
「――ですから私の卒業までは申し訳ありませんが、シュヴァイニッツ先生も我慢して下さい」
ミュリエルはまるで、ギルベアトが婚約を解消したいと思っているかのように話していないか?
「我慢って……ラインハルト、君は何か勘違いをしていないか? 俺はこん……」
婚約を解消したいなどとは微塵も思っていないと伝えたかったのに、最後まで聞いては貰えなかった。いつかのように、逃げられてしまったから。
「ミュリエル!」
あとを追いかけるセイデン。一瞬だけこちらを振り向くと、その顔はいつかのように不敵に笑っていた。始業式の日に見せたあの顔で。
「ミュリエルったらセイデン様が留学しに来た日からずーっといい仲なんですよ。ほんと、ふしだらでわたくしもびっくりしちゃいました」
イヴォンヌがギルベアトの脇でまだ喋っている。
「でも大丈夫ですわ。先生にはわたくしがいますから」
もう一度腕に絡み付いてきたイヴォンヌを振り払うと、ギルベアトは睨み付けた。
「悪いが1人にしてくれ」
「傷付いている先生を1人になんて出来ません!」
すっかり悦に入ってしまっているイヴォンヌは、ギルベアトの様子にも気付かずに抱きつく。
「うるさい。あまり俺を怒らせないでくれ」
「――っ!」
ギルベアトの足元に氷が張り、辺りに冷たい空気が流れた。
これには流石のイヴォンヌも「ヒィッ」とたじろいでいる。
「あ……そ、そうですわね。ひとりになる時間も必要ですもの。ただ、わたくしがいつも先生のことを思っていることは、覚えていてくださいませ」
最後までヒロインぶることを忘れないイヴォンヌ。
悲痛な面持ちで礼をすると、やっとギルベアトの元から去っていった。
「女の勘っていうのは、あてにならないな……」
最後にひとり残ったギルベアトはぽつりと独りごちた。




