第2章・裏 俺の知らない彼女②
ランニングから始まり、筋トレ、剣、弓、乗馬、それから魔法……。
毎日早朝からトレーニングを重ねてきた甲斐あって、身体がだいぶ締まってきた。若い男子学生には勝らずとも、劣りはしない程度にはなっているんじゃないだろうか。
今日も校内にある演習場へトレーニングしに来たギルベアトは、剣に魔法を付与しながら見えない相手と模擬戦をしている。
出来れば本物の人間に手合わせを願いたいところだが、あいにくアースティンは魔法薬専門。女装しても全く違和感がないほど筋肉がない。剣なんて恐らく、握ったこともないような男だ。
生徒をとっ捕まえてとも考えてみたが、自分が怪我をする分には良くても、怪我をさせてはまずいので本気は出せない。
公爵邸に戻ったら、騎士団員にでも頼むか。
そんなことを思いつつ剣を振っていると、視線を感じた。
使用人か?
朝早くから働いている下女か下男が見ているのだろうと振り向くと、そこにいたのはミュリエルだった。
「……ラインハルト?」
「お、おはようございます、シュヴァイニッツ先生」
挨拶をしたミュリエルは、近寄っていったギルベアトを見るなり視線を外した。
え……。今明らかに、目を逸らしたよな?
衝撃が体を駆け抜ける。
汗まみれのおじさんなど、見るに堪えないということなのか……!!!
いくら鍛えて身体を仕上げても、年齢まではどうにもならない。悲しい現実に心が折れそうだ。
いいや、心折れている場合ではない。このままではミュリエルが行ってしまう。何か話しの糸口を見つけなければ!
頭をフル回転させたギルベアトは、最近生徒たちが気合を入れて練習に取り組んでいる競技会のことを思い出した。
「チーム別対抗競技会はセイデンと同じチームになったのか?」
気がつけばセイデンの名を出してしまっていた。
ミュリエルにチークキスをするところを目撃してから、あの王子がずっと気になって仕方がなかった。何せギルベアトがミュリエルを見かけると、高確率であの男がいるのだ。
「ええ、そうです。レイナード様がチームを引っ張ってくれて、とても良い雰囲気で練習に取り組めておりますわ」
ミュリエルがサラリとセイデンを褒めた。
ギルベアトの中でセイデンに対する妬ましい気持ちが、一気に膨れ上がる。
「それでよく一緒にいるのか」
「え? あ、はい。そうですね」
対抗戦の練習が始まった時からじゃない。授業中でも一緒にいるところを何度も見かけている。
ギルベアトも学院に通っていたから知っているが、ダンスの授業は最初に決めたパートナーと1年間練習をしなければならない。
ダンスホールで手を取り合いながら踊る二人を見て、今年のミュリエルのパートナーはセイデンになったのだろうとは思っていたが、対抗戦のチームまで……!
「君は俺と婚約している訳だし、変な噂が流れたら君だって困るだろう?」
嫉妬心丸出しで情けないが、「君の婚約者は俺だ」と主張したかった。ただそれだけだったはずなのに、なぜかミュリエルはどんどん苛立っていく。終いには「私に何か落ち度がありますか?」と言われてしまっては、返す言葉も出ない。
努めて冷静に受け答えしたつもりなのに、完全に怒らせてしまった。でも彼女が何にそんなに腹を立てているのか、ギルベアトには理解できない。
「あー、だめだな、俺」
走り去っていくミュリエルを目で追うことしかできなかったギルベアトは、その場にしゃがみ込んで項垂れた。
一度宿舎に戻って汗を洗い流し着替えたギルベアトは、いつも通り業務に取り掛かる。
講義をし、魔法の使い方を教え、資料を作り、採点をする。
全ての授業を終えて準備室へ行くと、ギルベアト付きの下男が掃除をしていた。ここには貴重な物がいくつもある為、立ち入れる下男を限定することにしたのだ。
その下男というのはヨハンのこと。以前講義を盗み聞きしていたあの少年だ。教科書も何も無く、聞いていただけにしてはよく書き取れているし、何より意欲的なのがいい。
このまま辞めさせるのはもったいない。
出来れば公爵邸に帰る時に連れて行って、働いてもらいたい。有能な者はいくらいても困らない。
そう考えたギルベアトは学院長と掛け合って、ギルベアトの元で面倒を見ることとなった。
ギルベアトが見込んだとおり、ヨハンは物覚えがよく賢いので、ついでに助手代わりにしている。
「そこの棚から通信魔法の資料を取ってきてくれ」
「分かりました」
ヨハンが指示された通り棚から資料を引っ張り出して、ギルベアトの座るデスクへと持ってくる。その途中、床に置いてあった手提げ袋に蹴つまずいて、資料をバラバラと散らかしてしまった。青ざめた顔をして謝ってくる。
「す、すみませんっ!」
「いいから拾ってくれ。こんなところに荷物を置いたら邪魔になるだろ。もっと端に……」
この手提げ袋、どこかで見なかったか?
ギルベアトの持ち物ではない。
だとするとヨハンが持ってきた物だが、誰か別の人が持っていたような……。
手提げ袋に手をかけて中身を見ると、大量の紙の束が入っていた。
「ヨハン、お前まさか誰かのノートを盗んだのか」
ヨハンがギルベアトの鋭い声にビクっと飛び上がった。
「ぬ、ぬ、ぬ、盗んでません!」
「ならこのノートはなんだ? 講義の内容が書かれているじゃないか」
ヨハンには前科がある。仕事さえきっちりこなしてくれたら、ギルベアトの私物の本は好きに読んでいいと言ってあるのに……! 学びたい意欲が強いのは分かるが、盗みは頂けない。
「それは……今朝頂いたんです。この学校に通うお嬢様に」
「頂いた?」
「えっと……多分、そう受け取っていいと思うんですけど」
「はっきりしない奴だな。どうやって手に入れたんだ」
「僕のところにやって来て、このノートを処分しおいてと言って渡してきたんです」
「わざわざお前のところに?」
捨てておいて欲しいなら、屑籠に入れるか近くにいる使用人に渡せばいい。3階にある魔法学室まで来て渡すのはおかしい。
「はい。僕も変だなって思って。ノートの内容を覚えるために書き写したんだと説明してくれて、煮るなり焼くなり好きにしていいと仰っていたので、多分、僕にくれたんだと思います」
「そのお嬢さんの名前は?」
「さぁ、名乗らなかったので。僕みたいな人が聞くのも失礼ですし。でも、オレンジ色の髪の毛が印象的な方でした」
「――――!!」
ミュリエルか!
今朝会った時、確かにこんなような手提げを持っていた。
ノートの中を改めて見ると、ミュリエルの筆跡で間違いなさそうだ。
ヨハンの境遇を何とかしたいと、彼女なりに考えてしたことなのだろう。ただ嘲り笑って小馬鹿にするだけの人ではなかった。
全教科、5年間分。この量のノートを書き写すのは並大抵のことではなかったはず。ただでさえ対抗戦の練習で忙しいこの時期に、たった一人の少年の為にここまでするとは。
有能だから使おうと考えただけのギルベアトとは訳が違う。
「分かった。お前の言う通り、それはお前のために書き写して渡してきたんだろう。大切にするように」
「はい」
努力家な上に、思いやりもある。
また新たなミュリエルの一面を見た。
ミュリエルを――自分の婚約者をこうして誇らしいと思う日が来るとは、思ってもみなかった。
椅子に座り直したギルベアトの口元は、緩く弓なりに上がっていたのだった。




