第2章 私の知らない彼⑥
「シュヴァイニッツ先生、ごきげんよう」
「――!?」
驚いてこちらを見るギルベアトに、ミュリエルは努めて冷静に挨拶をした。
「奇遇ですわね。以前は同僚の方とデートしているかと思ったら、今日は生徒とデートですか?」
「デート? いや、違う! イヴォンヌとは今会ったばかりで……」
「そんなに慌てて弁明して頂かなくても大丈夫ですわ。そういう私は今日、レイナード様と来ておりますので」
「セイデンと……?」
ミュリエルの様子を見に来たレイナードが、スっと隣に寄り添う。
「ちょうど良いではありませんか。私もシュヴァイニッツ先生も別の相手がいるんですもの」
終わらせてしまおう、こんな不毛な関係は。
「先生がどこで誰と何をしていようと構いません。だから先生も私のことは気になさらないで下さい」
「本気で……言っているのか?」
「レイナード様まで巻き込んだ冗談なんて言いません」
レイナード様、ごめんなさい。
斜め後ろに立つレイナードの表情は見えないが、ミュリエルの肩を抱く手に力が入った。
「教師と生徒という関係はまだ切れませんから、今すぐ両親に相談をするとお互いやりにくくなってしまいますよね。ですから私の卒業までは申し訳ありませんが、シュヴァイニッツ先生も我慢して下さい」
「我慢って……ラインハルト、君は何か勘違いをしていないか? 俺はこん……」
「そういう訳ですので、これで失礼致します」
話を遮ってミュリエルは駆け出した。ギルベアトの話を聞きたくなかったのもそうだけど、隣でせせら笑うイヴォンヌに耐えきれなかった。
何でよりによってイヴォンヌなのか。
アースティン先生ならまだ良かったのに。
そんな風に思ってしまうあたり、自分はかなり性格が悪い。
「ミュリエル、待って」
レイナードに腕を掴まれて、はっと我に返る。
「あ……レイナード様」
「走りにくそうな靴履いてるのに、結構速いね」
イヴォンヌから何か言われる前に離れたい一心で駆けてしまった。無我夢中で走って、今更ながら物凄い息切れをしている。
思えば前も、ギルベアトから走って逃げたっけ。
「馬車に乗って帰ろう。ね?」
「はい……」
辻馬車に乗り座ったミュリエルは、レイナードに改めて謝った。
「レイナード様ごめんなさい。巻き込んでしまって」
「いや、僕はむしろ嬉しかったけどね。ミュリエルが僕とのこと、考えてくれていたって知れたし」
レイナードはいつもこうして、ミュリエルに笑顔を向けてくれる。安心させてくれる。
私にはもったいない人。
自分を卑下するのは良くないのはわかっていつつも、レイナード様がなんで私なんかを?と思わずにはいられない。
「……ご存知かと思いますが、私、出来が悪いんです」
「そんなことはないよ」
「ふふっ、いいんです。自分でもちゃんと分かっていますから」
ミュリエルはどこを取っても「並」。頑張ってもせいぜい「優」で終わる。なんの才能にも恵まれなかった自分が、ただ王女という理由だけで婚約者に選ばれてしまった。それがずっとコンプレックスで克服しようと頑張ってきたけど、結局乗り越えられずにいる。
「どうして私なんかが王の子として生まれてきてしまったんだろうって。イヴォンヌみたいになんでもよく出来て美人な子だったら、なんて。嫉妬まみれで聞き苦しいですわね、こんな話し」
「ミュリエルのその気持ち、僕にはよく分かるよ」
「レイナード様が?」
こんなによく出来て人当たりもいいのに。
話を合わせてくれようとしているのかとレイナードを見ると、その顔からふっと笑みが消えた。
「ネミラス王国は出生順で王位継承権が決まるわけじゃないのはミュリエルも知っているよね?」
「ええ、存じ上げております。王が誰を王太子に据えるか、まだ決めかねていると聞きましたわ」
ここユガールでは出生順に王位や爵位の継承権の順位が決まるが、ネミラスでは位を保持している人から指名を受けて継承権を獲得する。だから、第3王子のレイナードでも王太子になる可能性は十分にあるということだ。
「弱肉強食の世界、とでも言うのかな。生まれた時から常に兄弟との競争を強いられてきた。何をしても常に比べられて、秤にかけられる。どうしたら加点されるのかを考え、そして絶対に減点されないよう注意を払いながら。僕はそうやって生きてきたから、ミュリエルのその気持ちを痛いほど理解できるよ」
陽気な笑顔の裏に、こんな苦労を重ねてきたなんて……。ミュリエルより余程、シビアな世界で生きてきたに違いない。
「つまるところさ、僕たち王族の苦しみは僕たちにしか分からないってことだよ。君なら僕を理解してくれると、そう思ったんだ」
「……私でどこまでレイナード様のお力になれるかは分かりませんが、でも、お役に立ちたいとは思っております」
「そう言ってくれて嬉しいよ」
自分の気持ちを理解してくれる人がいる。それだけでこんなにも心が軽くなる。
どんよりとした暗がりの中で、手を取ってくれる人。
ちょうど今、ミュリエルの手にレイナードの手を重ねられたように――。
翌日。どんなに顔を合わせたくなくてもイヴォンヌは同級生。寮から学校へと行く途中で捕まってしまった。
「ミュリエルったら、マジメ一辺倒かと思ったら意外と隅におけないわね」
隣に並んで歩いてきたイヴォンヌが、肘でつついてきた。
「いつからセイデン様とそんな関係になっていたのよ」
「……」
「でもちょうど良かったわ。わたくし実はね、シュヴァイニッツ先生から聞いていたから心配していたのよ。結婚する相手は才女がいいって」
無視を決め込むつもりだったが、ついイヴォンヌの方を見てしまった。
「ミュリエルじゃほら、力不足じゃない? 荷が重すぎるっていうか。あのシュヴァイニッツ家に嫁ぐんだもの。それなりの力量がないと」
シュヴァイニッツ家はこの国のみならず、他国でも英雄として讃えられ尊敬を集めている家門だ。
富も名声も、小国よりよほどある。一国として成り立てるほど力のある貴族、それがシュヴァイニッツ家。
昨日はショックを受けたような顔をしていたど、あれはきっと婚約者に裏切られていた事実に驚いただけ。ミュリエルが表情を読み間違えていただけで、もしかしたら怒っていたのかもしれない。
今頃彼もほっとしているわ、きっと。
「そうね、本当にそう思うわ」
ミュリエルがそっけなく返すと、いじりがいがないと思ったのかイヴォンヌはつまらなそうな顔をした。
「その点わたくしなら、血筋だけでなく力量も兼ね備えているしピッタリよね。だからミュリエルは安心してネミラスへ嫁ぐといいわ」
「イヴォンヌ、軽々しくそういう事を口にするものじゃないわ。最終的にお決めになるのは陛下と公爵様なんですから」
「あんたってほんと、ムカつく」
ちっと舌打ちをして、イヴォンヌはミュリエルを追い抜いて行った。
「これでいいのよ。これで……」
ミュリエルが空を見上げると、今にも振り出しそうに雲が空を覆っている。
せめて晴れていてくれたら良かったのに。
小さく息を吐いたミュリエルは、イヴォンヌが歩いて行った道を辿るように登校した。




