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第2章 私の知らない彼②


 ギルベアトがおすすめの本を教えてくれた甲斐あって、今受けた公共政策学の授業も理解しやすかった。

 あの本はそのまま貸し出ししてもらいじっくりと読んだので、今日は返却しようと思っている。

 次の授業は魔法学だし、少し早めに行ってギルベアトに一言お礼を言おうと教室へと向かうと、すでに先客がいた。本を手にしたイヴォンヌがギルベアトに話しかけている。


「先生、この本ありがとうございました。とっても分かりやすかったです」

「そうか、なら良かった」


 そう言ってギルベアトはイヴォンヌから本を受け取った。状況から察するに、イヴォンヌはギルベアトの本を借りていたらしい。


 私にだけじゃなかったのね。


 ギルベアトは教師なのだから、当たり前と言えば当たり前。

 ミュリエルのことを特別気にかけてくれるわけがない。

 お礼を言おうと思っていたのに喉の奥から苦いものが込み上げてきて、結局そのまま席に着いてしまった。

 ギルベアトに本を返し終わったイヴォンヌが、ミュリエルの席の後ろに座って小声で話しかけてくる。


「ねえミュリエル、シュヴァイニッツ様って優しいわよね」

「そう」

「分からないところがあるからって聞きに行ったら、わたくしにだけ特別にって私物の本を貸してくださったの。図書館にも置いていない貴重な本をよ?他にも魔法の練習に付き合ってくれたりしてね、才能があるって褒めてくださるの」

「そう、良かったわね」

「いち生徒に過ぎないわたくしにすらあんなにお優しいのだから、婚約者のミュリエルにはさぞかし甘いのでしょうね。羨ましいわ」

「…………」


 その婚約者には図書館の本を選んで、持ってきてくれただけですけどね。私物ではなく。


 分かってる。イヴォンヌはミュリエルより優位なのだとアピールして、悔しがるのを見たいだけだと。いつものことだから気にする必要はないと思うのに、モヤモヤが広がっていく。

 言い返したいのに、「そう」としか受け答えしようがない。だって、ギルベアトのことを何も知らないから。


「シュヴァイニッツ先生って甘いものは苦手だけどルツ・ショコラーデのチョコはお好きらしいのよ。甘さが控えめで美味しいんですって!今度買ってこようかしら。とすると、合わせるお茶は何が良いと思う?先生はなんの茶葉がお好きなのかしら?」

「…………」


 黙っているミュリエルを見て、イヴォンヌはニヤァと口元を歪めた。


「ああそうだったわ!先生は確か、ブライユ地方の茶葉が好きだと仰っていたんだった!ね、ミュリエル。そうでしょう?」

「さあ、知らないわ」

「あら、食の好みくらい知っていた方がいいわよ」

「そうね」


 イヴォンヌが勝手にベラベラと喋っているうちに鐘が鳴った。授業が始まり、イヴォンヌがやっと話しかけてくるのをやめてくれる。

 ギルベアトが昼食の時間、女性に囲まれているのは知っている。何度も見かけたことがあったから。

 でもミュリエルの知らないところで、ギルベアトがイヴォンヌに色んな話をしているのだと思うとイライラが収まらない。

 アースティン教諭、それからイヴォンヌ……。

 どちらもタイプは違うけど、どっちにしたってミュリエルはギルベアトのタイプじゃないということだ。ぎゅっと拳を握ると、制服のスカートに皺が寄った。

 なんとか心を落ち着かせ、ギルベアトの講義の内容をノートに書き取り授業を終えた。昼食の時間、ギルベアトの隣に真っ先に座りたいのか、鐘が鳴るなり後ろに座っていたイヴォンヌがすぐに立って教室のドアを開けた。するとドアのすぐ近くにいたのか、少年が開いた扉にぶつかって尻餅をついている。着ている服からして、学院で雇われている下男だ。掃除をするための用具も近くに置いてある。


「ちょっとあなた邪魔よ。扉の前でぼーっと立ってたら……ってそれ何?」

 

 イヴォンヌは少年の手からしわくちゃになった紙を奪い取って見ている。


「ねえ、これさっきの講義の内容じゃない。もしかしてドアに耳でもくっ付けて盗み聞きして、メモを取っていたってわけ?」

「も、申し訳ありません」

「申し訳ないじゃないわよ。自分のやるべき仕事をサボって学生の真似ごととか、笑っちゃうわ。そういうのは授業料を払ってやりなさいよ」

「申し訳ございません」

「最も、あなたのお給料じゃ1講義分も払えないでしょうけどね」


 くすくすと笑い声が室内に広がった。

 顔を真っ赤にしている少年に追い討ちをかけるように、イヴォンヌは教室にいる生徒たちに手を高く上げて紙を見せた。


「見てよこれ、誰かの書き損じした裏紙じゃない。いくら紙を買うお金がないからって、ゴミ箱から漁って使ってるなんて信じられないわ」

「嫌だわ、これじゃあゴミ箱にゴミも捨てられないわよ」

「ゴミ箱を漁るとか、野良犬かよ」


 忍笑いが今や、大きな笑い声に変わってしまった。

 イヴォンヌの言う通り、仕事をほっぽり出して講義を盗み聞きしていたのは頂けない。でも……。


「何を騒いでいるんだ」

「シュヴァイニッツ先生、聞いて下さい。この下男が仕事をサボって先生の講義を盗み聞きしていたんです。こうしてメモまでとっていたんですよ」


 ギルベアトはイヴォンヌから紙を受け取ると少年を見据えた。


「君、字を書けるのか」

「は、はい」

「ゴミを漁った上に、仕事をしているふりをしながら授業料も払わないで講義を聞くなんて。こんな人、即解雇するべきですわ。ねえ先生」

「それを決めるのはエスタリ、君じゃない」

「――っ!」

「私から学院長に報告しておくから、君たちはもう行きなさい。休憩時間が終わってしまうよ」

「……分かりましたわ。行きましょ」


 イヴォンヌは取り巻きに声をかけると昼食を食べに教室から出て行った。

 少年は怯えた子犬のように体を震わせている。

 

「名前は?」

「ヨハンです」

「ヨハン、さっきも言ったように君の処分は学院長と話し合って決めるから。とりあえず今は仕事に戻りなさい」

「……はい。申し訳ありませんでした」


 雑巾の入ったバケツを手に持つと、力なく歩いていく。その後ろ姿を見て、ミュリエルは奥歯を噛んだ。


「さっきの下男が気になるのかい?」


 いつまでも少年が去っていった方向を見ていたミュリエルに、レイナードが話しかけてきた。


「私って、なんて無力なのかしらと思って。颯爽と駆け寄って、かっこよくあの少年を助けられたら良かったのだけど」

「今回はあの少年に明らかに非があったのだから、ミュリエルが気に病むことは無いよ」

「そうなんだけど……」

「さっ、ご飯食べに行こうよ。満席になっちゃうよ」


 いつも一緒に昼食を食べにいっている友達たちも待っている。


「ええ、そうね」


 なんとも後味の悪い終わりに、ミュリエルの足取りは重かった。


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