第七話 力
上級虚獣――ネザレア・デヴァウル。
人より大きい影の中に無数の目が瞬いて、こちらを直視しているだけで、まだ動こうとはしない。下級の虚獣とは違い、少し知能が高いとも言われている。状況を把握しているのかもしれない。その間に倒す方法を考える。
昔、父から上級虚獣は精神を壊せると、聞いたことがある。一度囚われれば、「記憶」を食われ、人格を奪われ、虚ろな従者として彷徨うことになる。物理だけの刃は効かない。倒すには、実体を現す事ができる高位魔法が使える魔法使いがいる。
「……魔法使いはヨアしかいない」
「俺一人の魔力じゃ5分が限界だ……それに準備に時間がほしい」
「わかった……それまで時間を作る」
(5分か……厳しいがやるしかない)
セルジオは俺たちの会話に息を呑み、驚いた様子で聞いてきた。
「は?それって高位魔法じゃないのか!?」
「今は驚いている場合じゃない」ダリオが低く制す。「彼らは強い。認めろ」
思わず胸が熱くなる。騎士団の人間から、そんな言葉を聞く日がくるとは思わなかった。その言葉に背を押された気がした。
「ヨア、悪いが俺の痺れを頼めるか?」
「大丈夫。影響はないよ」
俺の腕に手をあてると、淡い光が走り、漆黒の騎士に受けた痛みが消えていく。息を整えみんなを見渡し、討伐作戦の説明を始めた。
「ダリオさん、すいませんが、俺の指示に従ってもらいます」
「ああ、わかった。何をすればいい?」
「今から説明します。ティアナは彼女たちの護衛。アッシュは後方から援護。セルジオさんはヨアを守ってください。ダリオさんは俺と一緒にネザレアを引き付けます。ヨアが魔法を発動したら攻撃をお願いします」
全員が頷き、即座に配置につく。ちらりとエイラを見る。さっきの錯乱した状態とは違い、今は、震えながらも、まっすぐ立っている。その姿に少し安堵した。
(もしかしたら何か思い出したのかもしれない。……でもその前にこいつを倒さないと)
目の前の動かないネザレアを見ていると、ダリオに呼ばれた。
「カイ!」
笑みを浮かべたダリオが、隣に立つ。俺はなんだろうと思い耳を貸す。
「セルジオを守ってくれて、ありがとう」
「いいですよ……」
「いや、部下を死なせるところだったんだ。お礼ぐらいはちゃんとしないと」
ダリオの笑顔に、戦いの前の緊張がほぐれていくような気持ちになる。俺は自然と笑みを浮かべていた。
「……じゃあ、終わったらお願いします」
「はは、そうだな」
ダリオが言い終えるや否や、二人は剣を構えはじめた。
「はい……それじゃあ、行きます!」
次の瞬間一瞬にして、二人の笑みが消えて、同時に踏み込み、佇んでいる影に斬りかかる。
(できるだけヨアから注意を逸らす!)
こちらの攻撃に気づいて、ネザレアも動き出した。影から6本の影の手が伸びてきて、鎖のようにうねり襲いかかってくる。一撃ごとに空気が重く震え、剣で受けるたびに痺れるような衝撃が腕を襲った。
(漆黒の騎士よりはまだ軽い!)
――その背後で。
ヨアが杖を地に突き立て、瞳を閉じ、集中する。足元に光の陣が広がり、衣が風に舞う。
静かな詠唱が、霧に沈む町へ浸透していった。
「……星海に漂う、眠れる光よ
虚ろの帳に閉ざされし魂よ
我が声を聞け、忘却の闇より呼び戻さん」
第一の詠唱。陣が重なり、光が増す。
ネザレアがヨアに気づき、二本の手を伸ばし始める。守っているセルジオが受け止めて弾き返すが、さらに二本がヨアを狙った。
「危ない!!」
「カイ、行け!ヨアを守れ!」
ダリオは俺の前に立ち、俺に向かってきていた手を受け止めた。俺は頷き、ヨアに向かう手に走り込み、なんとか切り落とすがすぐに再生する。こいつはただ斬るだけでは倒せない。だが今は、ひたすら斬ることしかできなかった。倒すのはヨアの魔法がいる。
(それまで、守りとおす!)
ヨアの声に鋭さが増すと、それを止めようとするネザレアの攻撃も激しくなる。
「影は幻、実は虚ろ
光は真実、命の証
我が魔は鎖、我が心は道標
汝を縛り、姿を定めよ」
第二の詠唱が終わり、光陣がさらに輝きヨアの身体が浮き上がる。瞳を開き、ヨアの手がネザレアの方に向けた瞬間――四本の手が同時にヨアに襲いかかる。セルジオが三本弾いたが、最後の一本だけは防ぎきれず、吹き飛ばされた。弾かれた三本を俺が斬る。だが、セルジオを弾いた一本がヨアを貫かんと迫るのが見え、大声で叫んだ。
「ヨア!!」
「――偽りの闇を祓い
真なる形を此処に顕現せよ──」
声が轟き、最後の詠唱が響き渡る。
「醒めよ、《アストラル・リヴェール》!」
その刹那。ヨアの迫った影の手には、魔力を帯びた一本の矢が突き刺さり地面に落ちる。その影の手は、矢だけ残して消えていく。後ろを振り返ると、アッシュが弓を構えたまま力強く頷いた。直前で起動をそらしてくれたみたいだ。ヨアの無事に安堵するがすぐに、緊張感がやってくる。
ネザレアはヨアの陣から湧き出る光に包み込まれると、苦しげに咆哮をあげた。
「ギャアアアアア!」
虚ろだった影は、実体を得て姿を現した。これで倒すことができる。
「……ここからが本番だ!」
俺とダリオは剣を握り直し、薄い黒霧に包まれたネザレアの実体へと駆け出す。
ダリオの刃が食い込むが、肉は裂けてもすぐに閉じる。やはり核を断たなければ倒せない。
俺は跳躍し、頭上から一気に叩き斬らんと刃を振り下ろす。迫りくる腕を、アッシュが素早く軌道を逸らしてくれる。だが、あと一歩というところで、別の腕が横から割り込んできて、それを避けたら進路がずれて、浅い傷しか負わせることができなかった。
一方、魔法を維持するヨアへ伸びる腕を、セルジオが必死に押さえ込んでいる。だがネザレアの攻撃は続き、削られていくのはこちらの体力と時間ばかり。早く決着をつけなければ、ヨアの魔法が途切れてしまう。焦燥が胸を焼き、思考すら追いつかなくなる。
(落ち着け……奴はヨアを狙っている。そこを逆手にとれば……)
「ダリオさん!セルジオさん!少しだけ時間を稼いでください!」
二人が声を揃えて応じてくれて、黒い手を受け止めてくれているうちに、深く息を吐き、剣を鞘に納めて意識を研ぎ澄ました。俺の体から湧き出るオーラが、握る手へと流れ込む。柄が熱を帯び、剣が呼応するように震えた。
オーラに反応したのかネザレアは、咆哮し、黒霧の色が濃くなり渦を巻く。腕が絡み合い、螺旋を描いて三本の巨大な「ドリルの腕」と化した。
それが一斉にヨアにめがけて襲いかかった。セルジオとダリオは必死に食い止めるが、衝撃で弾き飛ばされ壁にぶつかる。アッシュの矢も霧に呑まれて消えていった。
俺は、オーラをまとった剣を振り上げた。
「――光よ、真よ示せ!《ルクス・ベリタ》!」
鞘走りの閃きと共に、白光の刃が一直線に奔った。雷鳴のごとき轟きが響き、ネザレアの二本の腕を焼き裂く。断末魔の悲鳴が空気を震わせる中、立ち上がったセルジオが思わず呻いた。
「……おいおい、オーラまで使えるのか!」
しかし次の瞬間、なお残る一本の腕が容赦なく俺に向かってくる。
(避ければヨアにあたる……でも、このままでは――!)
死を覚悟した――。
「止まってええ!!」
エイラの叫びが空気を裂いた。
次の瞬間、迫る黒の腕が――エイラの声に反応したように止まった。刃先が鼻先に触れる寸前で、ぴたりと。
「……止まった?」
戸惑っていると、ネザレアの無数の目すべてがエイラへと向けられた。再生した四本の手がざわめき、エイラへとうねるように伸びていく。
ティアナが迫ってくる手を、三本切り倒したおしたが、最後は反撃を受けて弾き飛ばされ、石畳の上に転がった。すぐ起き上がろうとするが、衝撃で立てないでいる。その隙に漆黒の手がエイラの細い身体を絡めとった。
「離しなさいよ!!」
意外にもリゼットが必死にエイラを抱き留めるが、凄絶な力は止まらない。虚獣はただ、エイラだけを引き寄せようとしていた。
(動け……動いてくれ!)
さっきの攻撃の反動で、俺の身体は痛みで重く、剣を握る手すらも震えている。
矢を放とうとするアッシュの方にリゼットが吹き飛ばされ、上手く受け止めていた。ダリオとセルジオは前に出るが、別の腕に阻まれ足を止められている。誰も助けにいくことができない。そして、後ろで膝のつく音が聞こえると、ヨアの魔法がぷつりと途切れた。
絶望が場を支配し、空気が凍りついた。
「嘘だろ……」
必死で抵抗するエイラの身体が、闇にずるずると引き寄せられていく。
「いやっ……離してっ!!」
伸ばしたエイラの指先は、こちらに届かない。
(……俺は、ただ見ているだけなのか? 面倒を見ると決めたのに。結局、何もできないまま……それでいいのか?)
胸が焼けるように痛む。
(嫌だ……嫌だ! あの時の笑顔を……)
『ありがとうございます』
震えながらも見せた、あの小さな笑みが脳裏に灯る。
(――あの笑みを守るんだ!)
刹那、世界が静まり返った。
俺の剣が星の欠片を宿したように眩く光を放つ。それは湖の時よりも強く光っていた。
「ヴァレン……」
父の形見、代々伝わる剣の名を呼ぶ。不思議と身体を縛っていた痛みが霧散していくのを感じると、無意識に両手で光る剣を握り、踏み込む姿勢をとっていた。
エイラがネザレアに取り込まれる寸前、俺は叫んだ。
「――星よ、闇を縫い裂け!《アストラ・カリグラ》!」
瞬間、無数の光線が剣先から解き放たれる。
それは星々の糸のように空間を縫い、ネザレアの巨体を縫い裂き、砕き、断ち切っていった。 虚獣の咆哮が響き、光に呑まれながら幾重もの塊となって崩れ落ちる。
闇が霧散する中で、俺は剣を納め――意識を手放した。




