第五話 虚獣
「きゃああああ、怪物よー!」「早く逃げるんだー!」
通りから叫び声が響く。ヨアと目を合わせ、同時に駆け出した。
通りに出ると人々は我先にと逃げ惑っていた。辺りには黒い霧が薄く漂っている。足元から這い上がるようなそれは、見る間に視界を曇らせ、息苦しさまで感じた。
「カイ、気をつけろ。ヴェア・クロウがいる!」
「はあ?なんであいつらが……?」
ヨアは杖を構えて、鋭く声を放つ。その名を聞いて驚きを隠せない。
霧の奥で、無数の赤い目がぞっと光った。狼じみた影が四足で這い回り、深く唸り声を響かせる。――虚獣。群れで動き、恐怖を嗅ぎ分けて追い詰める、下級の虚無の怪物。
だが、こいつらは、虚無に支配された遺跡の周りにしか、生息しないはず……。
(なぜ、こんな町中に?)
「カイー!ヨアー!どこにいるのー?」
宿屋の方からティアナの叫ぶ声が聞こえる。それに答えるかのようにヨアが魔法を詠唱し始めた。
「風よ、我が声に応え、障壁を薙ぎ払え――《エア・ブラスト》!」
次の瞬間、鋭い風が吹き抜け、辺りの霧が一気に切り裂かれて視界が開け、ヴェアと戦っているティアナたちが見えた。二人は護身用の短剣で応戦していたが、エイラを庇いながらなのか、少し苦戦している。ヨアの存在に気づいたティアナがこちらを向いて叫んだ。
「ヨア!私達に武器をちょうだい!」
ヨアは素早く彼女たちの方に手を伸ばし、「ルフェル」と小さく呟いた瞬間――ティアナの手に馴染んだ大斧が現れ、アッシュの手にも弓が現れた。
自分の武器を手にしたティアナは、エイラに向かって飛びかかってくるヴェアに、大斧をあげて振り抜いた。一撃で叩き切って、ヴェアは黒霧と共に消えていく。
続けざまアッシュの矢がその隙をつくように、別の方向から向かってくるヴェアの目を正確に撃ち抜く。見事な連携だった。
エイラも怯えながらも、必死に足を踏ん張って、ティアナたちの邪魔にならないように立っている。ヨアはすぐに二人の元へ加わった。
(エイラはあいつらにまかせて、俺は数を減らす)
俺は剣を持ち直し、少し離れたところにいるヴェアに狙いを定めて、一匹ずつ確実に倒していく。数匹倒し終わると、宿屋の方から騒がしい音がしだした。
――ガッシャーン!
突然、宿屋からガラスが割れる音がして、目を向けると俺たちの上を、大きな影が飛び出してきた。その影から聞き覚えのある女性の怒鳴る声が響く。
「ちょっと離しなさいよー!」
「……リゼットさん!?」
影は地面に着地をして、赤い瞳がこちらを睨みつけた。ひときわ大きなヴェアが目の前に現れる。
その口には、リゼットの腰にぶら下がっていたウエストポーチ――それを咥えていた。だが、リゼットもポーチを離すつもりがないらしい。手で必死に持ちながら足をバタバタさせて、言葉の通じないヴェアに向かって怒っている。
その様子に困惑する中、ヨアが瞬時に叫んだ。
「アッシュ!」
「あいよ」
名前を呼ばれただけでアッシュは、魔力を込めて矢を放つ。その矢は、見事に大きなヴェアの額に刺さり大きく横に倒れた。その衝撃でリゼットも地面に叩きつけられる。
「いったーい!!もう!どこ狙ってるのよ!」
リゼットは腰を押さえているがこちらに向かって叫んでいる。あれだけ声をだせるのなら、大きな怪我はなさそうだ。
「リゼット!大丈夫か!」
叫びながらダリオとセルジオが宿屋から出てくると、彼女のそばに駆け寄っていった。
「遅い!すぐに助けにきなさいよ!!」
「すまん……だが、お前もそれを外しておけばよかったのではないか?」
そう言ってダリオは、ポーチを差した。
「うるさい!心配だったんだもの!」
なぜか普通のことを言って怒られているダリオの横で、セルジオは黙ってリゼットを支えて起こした。
俺はセルジオの姿を見て、酒場での一件を思い出した。胸がどんよりとして、一瞬意識があの時に飛んでしまうのを、首を振り深呼吸をし剣を構え直した。
(駄目だ……まだヴェアはいる。今に、集中するんだ)
落ち着きを取り戻し周囲を見渡すと、ダリオたちの方に向かって飛びかかるヴェアが見えた。俺はその鋭い爪を瞬時に受け止め、切り倒す。
「ダリオさん、ヴェアの襲撃です!まだいます。気をつけてください!」
リゼットを庇いながら、ダリオからお礼を言われる。
「カイ!ありがとう」
「いえ、リゼットさんをヨアのところへ避難させてください」
まだ周りを取り囲むヴェアに違和感を持ちながら、ヨアたちと合流する。
(おかしい……俺たちを狙っているのか?)
本来ヴェアは、動いているものなら手当たりしだいに襲いかかる。だが、今のヴェアたちは、まるで、意図的にこちらを狙って動いているように見える。
今、俺たちは宿屋を背にして、エイラとリゼットの周りをティアナとヨアが守っている。俺とダリオとセルジオが前線で応戦し、その隙間を抜けてきたヴェアを、アッシュが背後から次々と射抜いていく形を取っている。
まだ守りの布陣は崩れていないが、町中のヴェアが、こっちに向かって襲ってくる。感じていた違和感が、だんだんと確実になる。次々と襲いかかるヴェアは、俺たちの包囲網を破って、ティアナにやられているヴェアもでてきていた。
戦えないエイラとリゼットは、ティアナとアッシュに任せてあるが、ヴェアが近づくと気になってしまう。最後の一匹を斬り伏せ、俺は剣をしまってヨアのもとへと歩いていく。
「ヨア……こいつら何を狙っているんだ?」
ヨアはリゼットの方を見ていて、反応がなかった。もう一度呼んでみる。
「ヨア?」
「……ああ、カイもわかったのか。多分狙いは――リゼットさんのウエストポーチだよ」
「ん?なんで、そんなものを……?」
困惑してリゼットを見ると、エイラの後ろに気まずそうに隠れていた。エイラはヨアに直視されているみたいで困っている。
そういえば、リゼットと一緒に飛んで出てきたヴェアは、ウエストポーチを咥えていたのを思い出した。
「……リゼットさん」
ヨアの声は抑えた声なのに、責める色が滲んでいた。エイラの背後で、呼ばれたリゼットは、肩がぴくりと揺れウエストポーチを隠すように手を置いた。その間にいるエイラの手を、ティアナがそっと引き寄せる。隠れていたリゼットの姿が露わになり、ヨアを睨んでいた。
「……さっきのダリオさんとの会話。まるで、始めから狙われることを知っていたようでしたよね?」
ヨアの断言に、リゼットの顔は強ばせながら腕を組んだ。
「その中身は”何が”入っているんですか?」
静かに問いかけると、少し沈黙をしてから、リゼットは短く答えた。
「……君たちには関係ないわ」
リゼットはそう言うと、視線をそらす。その声は冷たかったが、どこか苦しげにも聞こえた。
アッシュは苛立ちを隠さずに、一歩踏み出す。
「この状況を見て関係ないだと?ふざけるな!」
ヨアが腕を伸ばしてアッシュを制したが、真っ直ぐリゼットを見る彼の表情は、普段の穏やかさを欠いていた。
「教えてください。あなた達のほんとの目的は何ですか?」
低く押さえた声が、苛立ちを隠さない。こんなに感情を露わにするのは、珍しい。
硬直する空気に耐えられなくなった俺は、ヨアの腕をそっと掴んだ。
「ヨア。もういいだろ……みんな無事だったんだ」
俺の言葉に、アッシュが鋭い視線を向けてくる。
「おい、カイはどっちの味方なんだ?」
さらに空気が張り詰める。アッシュの気持ちはわかるが、俺はヨアが怒っているのを、これ以上見ていたくなかった。今のヨアを見ていると、すごく胸が痛む。
その時緊張を断ち切るように、ダリオが静かに口を開いた。
「……すまない、ヨアくん」
ダリオが一歩前に出て、リゼットを庇うように立った。
「これは教会の極秘任務だ。話せば、確実に君たちを巻き込むことになる」
「そんな依頼を、俺たち冒険者に持ち込んだのですか?」
「……本当にすまない。俺たちも、こんな事態になるとは思わなかったんだ」
冷たく非難をされ、深く頭を下げるダリオ。
申し訳なさは本物に見える。けれど、そこに立っているのは酒場で笑っていた男ではなく、聖堂騎士団のダリオだった。冷えた眼差しと引き締まった声は、完全に戦場の顔だ。
「……違いますよね。あなたたちはこうなることを予想していたはず」
「いや、信じてもらえないかも知れないが……狙われるとすれば、君たちと別れて、教会に帰る時だと思ってた」
「……それが今起きたと」
「ああ、まさか町の中で仕掛けてくるとは思わなかったよ」
ヨアの肩がわずかに強張った。怒っている――それは当然だ。危険と知りながら、それを伏せられていたのだから。ダリオの声に、先ほどまでの酒場で感じなかった重みが乗ってる。
沈黙の後、ヨアが目を細め、ゆっくりとダリオに問う。
「……敵は、わかっているんですね」
ダリオは真っ直ぐこちらを見て、迷いもなく答えた。
「ああ、敵は――虚無の教団だ」




