第二十一話 兄弟
カイ目線です
二人が立っているのを見て、俺は驚いて目を丸くする。
「えっ……いつからそこに?」
小声で尋ねると、ゼルはおどけたように肩をすくめた。
「結構前からだ。カイは普段から周りの気配に注意を向けた方がいい。そういうことだから、……俺はエイラと先に戻ることにする。こういうことは、早いに越したことはないからな」
そう言ってゼルは軽く手を振り、エイラを伴って、森の奥へと消えていく。
その背を見送っていると、エイラがふいに振り返りガッツポーズをして、口を大きく動かした。聞こえないはずなのに、彼女の声が聞こえてくる気がする。
『がんばって!』
その一瞬、胸の奥が軽くなる。重かった身体が、少しだけ前に出ようとしていた。
(……そうだよな。逃げるのは、俺らしくない)
覚悟を決めてヨアの方を見ると、翡翠色の瞳とぶつかった。まっすぐこちらを見る瞳の奥に宿っているのは、怒りでも恐怖でもない――不安、だ。そうわかった瞬間、ヨアを近くに感じる。
(ヨアも怖かったんだろうか)
「すまない。聞く気はなかったんだ。エイラとの訓練の帰りに様子を見に来たら、聞こえてきて……ごめんな。今までわかってあげられなくて」
悲壮な表情のヨアは、俺に謝ってきたのを急いで止めた。
「い、いや。大丈夫だよ。俺が悪いんだし……」
最後の方は少し声が小さくなってしまった。その後沈黙が気まずくて、とりあえず話しかける。
「……ゼルさんに、今までのこと……話したんだ」
「ああ、聞いていた」
短い返事。けれどその声は、さっきとは違いどこか硬い。また沈黙が落ちる。風の音がやけに耳についた。不安になり核心を聞く。
「あ、あのな……もしかして、怒ってるのか?」
恐る恐る問いかけると、ヨアは少しだけ眉をひそめた。
「そうだね。そう考えてるカイに、怒ってはいる」
「ごめん」
「……なんで俺が怒ってると思うんだよ」
低い声だったけれど、刺すような怒気ではなかった。自分を責めるような独り言にも聞こえる。
「え?さっき怒ってるって?」
「“怒ってる”って思われることに、怒ってるんだよ」
「ん?それって……どっちなんだ?」
何か小難しいことを言ってる気がして、頭の中がぐるぐるしてくる。俺が言葉を探していると、不意に――ヨアが小さく吹き出した。
「ほんと、カイはそういうとこ変わんないな」
その笑い声に、ようやく空気がやわらぐ。ヨアに許された気がして、胸の奥に小さな光が戻ってきた。
笑いを止めたヨアは少し息を整えると、真っ直ぐこちらを見た。
「俺はな……自分勝手なんだよ」
「え?」
意外な言葉に思わず眉を上げる。ヨアから似合わない言葉が出てきて、少し驚いた。
(ヨアはいつもみんなのことを考えてくれているのに……何を言っているんだ?)
「はは、そんな顔するな。……俺はカイに隠し事をしてるくせに、カイのことは全部知りたいんだよ」
一瞬、頭の中が真っ白になる。誰もが惚れる整った顔で真剣に言うものだから、勘違いをしてしまう。
(――これ、告白っぽく聞こえるんだけど……まさかな。いや、でも……)
「……ヨア、ごめん。俺、女の子が好きだ」
正直に返事をすると、ヨアが目を見開き、次の瞬間――腹を抱えて笑い出した。
「ぷっ……カイ、心配するな。そういう意味じゃない!あー、腹いてぇ!」
大笑いしているヨアは、いつもの穏やかな感じとは違い、年相応の青年に見えた。だが、あんな真顔で言われたら、誰だって間違える。もっと自分の顔の良さを自覚してほしい。
勘違いした自分に腹を立てながら、目の前で涙をにじませながら笑うヨアを見るのは、初めてだと気づく。どうしてだろう。笑っているのに、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「え、じゃあ……どういう意味だよ?」
ヨアは目尻の涙を拭いやわらかく笑った後、話をそらすかのように、別の質問をふってくる。
「俺の隠しごとには、引っかからないのか?」
「気になってるよ。でも、それって聞いてほしいことなのか?」
俺の質問に、ヨアは目を見開く。俺は聞いて欲しかった。でもヨアは聞いてほしいとは限らない。
「聞いてほしいか……そうだな。聞いてはほしくないかな」
すごく悲しそうな顔をするから、俺は「大丈夫か?」と聞こうとすると、ヨアは続けた。
「俺の隠し事は、カイを危険に晒すかもしれないからね……聞かすのは嫌なんだ」
そのヨア独白は、ゼルとの会話を思い出した。
『もしヨアが黙って何かをしていたとする。それもカイを思ってのことだ。その時、ヨアに何かあったら……どう思う?』
『嫌です。なんで話してくれなかったんだって思います』
『そうだろ。だが、守りたいと思う気持ちはどっちも同じだ。けど、守られてる側はわからないから……何もできない自分が悔しくなる。……難しいよな。どちらもお互いを思ってるのに』
『はい……』
(本当に俺のためだったのか)
その思いに胸が苦しくなる。俺のせいでヨアは苦しんでいたのかもしれない。ヨアが時折なにかに悩んでいる様子を見せ始めたのはいつからだ?わからない。俺は自分のことで、精一杯だったから。
「お、俺は、そのせいで危険になってもかまわない。それよりもヨアのことを知らないほうが嫌だ!」
「……カイ……」
「だって、そうだろ?ヨアが逆の立場だったら、同じことをいうだろ?俺もヨアのことは全部知りたい!」
「……そうか」
その一言はとても重く、けれど嬉しそうだった。だが、表情は晴れてはいない。それが気になった。
「なんか、変なことを言ったか?」
「いや、嬉しかったよ。でも、やっぱりカイを危険にあわせたくないんだ……でも、嫌われたくないとも思ってしまう……情けない兄だよな」
いつもになく力弱く話すヨアを、こっちが心配になってきた。それと同時にやるせない気持ちになる。なんかだんだん腹が立ってきた。
(でも、なんだよ。決めつけるなよ!)
「俺がヨアを嫌いになることは、この先一生ない!」
気がついたら叫んでいた。一瞬、ヨアは息を呑んだ。俺はそのまま続ける。
「ヨアは俺にとってかっこいい兄なんだ。男前だし、何でもできるし、俺の面倒をいつもみてくれる頼れる兄で、尊敬する唯一の家族なんだ。何があっても嫌いになることはない!」
静かな森にこだまする俺の声。聞いているヨアが口に手を当て、うつむいている。それを見て自分でも急に恥ずかしくなってきた。
「は、恥ずかしいことを言ったのは認めるけど、何も笑うことないだろ……俺の大好きな兄を、情けないなんて言うから。それはヨアだって許せないんだよ」
頬に熱が集まるのを感じるが、ごまかすように吐き捨てる。ヨアは顔を上げると、満面の笑みをしていた。ヨアの瞳が潤んでいて、顔が少し赤くなっている気がする。幼い頃に見た嬉しい時のヨアを思い出した。
「ごめん、笑ってはないよ。あまりにも嬉しいことを言ってくれるから……ありがとう。こんな俺を褒めてくれて」
「だから、ヨアは「こんな俺」じゃないの。もうそんなこと言うの禁止な」
照れているのを隠すために、俺はそっぽを向いた。そのときくすくす笑うヨアの声が聞こえてくる。それが嬉しかった。俺は誤魔化すように、咳払いをしてからヨアを見据える。
「こほん……俺は、もうヨアの隠していることは聞かないことにする。とにかくだな。どんなヨアだって、俺がヨアの味方なのは変わりないんだ。だから言えるようになったら、言ってくれればいいよ。俺は、ヨアを信じてる」
ヨアはしばらく黙っていた。風が木々を揺らし、その音に紛れて小さな息が漏れる。
「……ありがとう、カイ」
その笑顔は、どこか寂しげで――けれど、温かかった。
ほんの一瞬、その瞳の奥に、淡い光が揺らめいた気がした。
俺はゼルが座っていた木のそばに腰を下ろす。ヨアもゆっくり隣に座り、しばらく夜風に身を任せていた。ヨアはぽつりと話し始めた。
「カイが倒れたとき、怖かったんだ。俺には、もうお前しか家族がいない。教会のことも、戦いのことも、全部が脅威に見えて……どうしようもなく不安だった。俺には力がないから……お前を守らなきゃいけないのに、逆に危険にさらしてしまうかも知れない自分が嫌だった」
かすれた声が、夜気の中で震える。ヨアの拳が膝の上でぎゅっと握られていた。
(――ヨアも同じだったんだ)
俺はずっと、勝手に自分だけが劣っていると思い込んでいた。羨ましいと思っていた存在は、同じように怖さを抱えていたんだ。俺は空を見上げ、一呼吸してから心の奥に隠していたことを話し始めた。
「俺もずっと隠していたけど、どうしようもなく怖い。みんなを守りたい気持ちは強くあるのに怖いんだ。一人じゃ何もできないから。……でも、わかったんだ。一人で守るのは違うんだって、倒れた後、ヨアが教えてくれただろ」
「ああ、そうだな」
俺を見るヨアの瞳は強い光を宿していた。俺は立ち上がり、その前に立つ。
「だから、ヨア。みんなで、みんなを守ろう!誰一人欠けることなく――みんなで一緒に村へ帰んだ!」
ヨアは目を細め、ゆっくりと笑う。そして、俺は拳を前に突き出した。ヨアは嬉しそうに俺の拳に自分の拳をぶつける。
「ああ。みんなで、帰ろう」
ぶつかった拳が、まるで約束のように温かかった。
――やっと、心が通じ合えた気がした。
◆おまけ
ティアナとアッシュは、みんなが訓練に行ってしまい、時間を持て余していた。
焚き火のはぜる音だけが静かに響く。ティアナはコーヒーを冷ましながら、ぽつりと呟く。
「……暇だね」
「そうだな」
隣で星空を見ていたアッシュが、そっけなく返す。再び静寂が訪れる。
「ねえ、随分ゼルさんに懐いてるのね。最初は嫌ってたのに」
突然のその質問に、アッシュはなぜか焦ってしまい、慌てて身体を起こして答えてしまった。
「ち、違う。初めて会った人だったし……嫌いだったわけじゃ……ないはず」
そう言った後、ティアナのにやにやした顔を見て、アッシュはしまったと思った。眉をしかめてティアナを睨みつける。
「……なんだよ。その顔は?」
「ごめん。あんたにしては妙に素直だったから」
アッシュはそっぽを向いて、「ほっとけ」と呟き、頭をかく。
あのとき追いかけてくれなければ、ゼルと一緒に行動していなかっただろうと思うと、ティアナにはそれなりに感謝している。そう思ったら、口から自然とこぼれた。
「……あのさ、あのときは、ありがとな」
ティアナは目を見開き、納得したように頷いた後、とぼけた声でわざと返した。
「あのときって、どのときよ。候補が多すぎてわからないんだけど」
「は?ふざけんな……」
思わず返そうとしたが、ティアナの満面の笑顔ときらきらした瞳を見て、言葉が詰まった。ティアナが続きを聞いてくる。
「ん?なに?」
「……何でもねえよ」
一言返すとアッシュは再び寝転び、星空を見上げる。
ティアナは小さく笑って、星空を見ながらまた呟いた。
「暇だね」
今度は嬉しそうに聞こえた。気のせいだろうか。
「……そうだな」
ぶっきらぼうに答えたアッシュは、みんなが早く帰ってくることをそっと星に願った。




