第十八話 旅立ち
カイ視点です。
『冒険者集団“ザリオ”宛
任務:アウロラ・パクト遺跡(別称:暁誓の塔)への強制調査
当教会は、同遺跡に封蔵されし神遺物「セリオ」の回収を最優先事項と定める。
貴殿らは異論なく、これを遂行せよ。
出立は二日後とする。
現地ロアム村にて教会派遣員と合流し、即時、遺跡へ向かうこと。
遅延・拒否その他の不履行は、すべて契約違反として処罰の対象とする。』
依頼書――いや、ほとんど通達に近いその一枚は、メルナの屋敷に滞在して二日目の午後に届けられた。
封を切った瞬間、真っ先に不満をあらわにしたのはメルナだった。
「なんじゃ、この依頼書は!ふざけておるのか!」
本来なら一泊だけ泊まるはずが、帰ろうとするたびに彼女は寂しげに目を伏せ、「もう一日泊まっていけ」と引き止めてきた。見た目が少女なだけに、断るのも妙に気まずい。もちろん悪い気はしなかったが、いつまでも豪奢な屋敷に居座るのは落ち着かず、やがてこちらの方が申し訳なくなっていたので、その点ではほっとしている。
思えば――あの初日、俺たちがどれほど疲れていたのか。今になってようやく実感する。
別れを惜しむメルナと別れ、彼女が手配してくれた馬車で、アウロラ遺跡に向かうことになった。馬車は軋む音を立てながら石畳を抜け、窓の外では聖都の白い尖塔が少しずつ遠ざかっていく。
朝の光を浴びた街並みが、絵画のように美しい光景が広がっていた。けれど俺の胸には、あの場所で過ごした日々の重さが、影のように残っている。
(俺たちは……帰れるよな)
村に帰りたい思いが強くなっていくたびに、不安が大きくなっている。
ため息をひとつつき、視線を馬車の中へ戻す。向かいのヨアは、まだ聖都の方を見ていた。だが、行きのときのような険しい顔ではなく、むしろ穏やかだ。メルナの屋敷で過ごしてから、彼の表情は村にいたときより、どこか柔らかくなった気がする。ここに来てよかったと思える唯一のことだった。
ヨアの首のところに、メルナに貰ったと言っていた首飾りが光る。それはヨアを守っているような優しい光だった。彼は気づいているのだろうか。ときよりその石を触っていることを。父さんがいなくなって以来、ずっと張り詰めていた空気が、少しずつ解けてきたのかもしれない。
その隣ではアッシュが腕を組み、馬車の揺れに合わせて小さくうなだれていた。早朝の出発に、さすがの彼も眠気には勝てなかったらしい。俺の横では、エイラとティアナがサンドイッチを分け合い、楽しげに笑い合っている。あれもメルナが持たせてくれたものだ。
(ほんと、最後の最後まで世話になりっぱなしだったな……)
笑い声とパンの香りが、馬車の中をやわらかく満たしていた。
胸の奥に、安堵がじわりと広がっていく。
(よかった。みんな無事で……これもメルナ様のおかげだな)
安堵と感謝で目を閉じると、肩の力がようやく抜けていくのがわかる。俺は窓に寄りかかり、また遠くになる聖都を見て瞼を閉じる。
しばしの平穏を、心から噛みしめながら――。
◆
その平穏は、二日後にあっけなく破られた。遺跡に向かう馬車が突然ガタンと、車輪が大きく跳ね、馬が甲高く鳴いた。馬が暴れる中、御者が叫んだ。
「と、止まれぇぇっ!」
御者の悲鳴と同時に、馬車が急停止する。全員が身を立て直し、慌てて外へ飛び出した。
「どうしたんだすか!?」
次の瞬間――数個の黒い影が頭上に陰る、その一つが俺の上に来た時、身体が反射的に避けた。
「うわっ!なんだこれ?」
落ちた先には、黒い塊が地面にうずくまっている。それをよく見ると、人ぐらいのおおきさの蜘蛛だと気がついた。ぴくりとも動かないそれは、すでに絶命していた。
「死んでる……? 一体、誰が……」
上からの塊に気をとられたので、気づくのが遅れた答えが視界に飛び込んできた。
街道を塞ぐように鎮座する家ぐらいの巨大な蜘蛛の前に、マントを羽織った短髪の男が立っていた。男は、剣を下ろしたまま巨大な蜘蛛と睨み合いをしている。
男が動くより先に、蜘蛛が咆哮し爪が鋭い前足を振り上げた。
「あぶないっ!」
思わず叫んだが、男は微動だにしない。次の瞬間――鋭い金属音が響いた。
軽やかな一閃で爪を弾き返すと、続く一撃で蜘蛛の巨体を真っ二つに斬り裂く。その華麗な流れに目が釘付けになる。
「……つえぇ」
思わず声が漏れた。無駄のない、研ぎ澄まされた剣技。そこに漂ったのは、俺には到底扱えないほど繊細に制御されたオーラだった。ただの力じゃない。鍛錬と精神の結晶――その証を、目の前で見せつけられた気がした。
俺が呆けている間に、ティアナが一歩前へ出てお礼を大声で叫んだ。
「お兄さん、助けてくれてありがとうございます!」
男は振り返り、気さくに手を振って笑った。こちらに向かってその男を改めて見つめる。歩きながらフードを外したその下には、陽に焼けた精悍な顔立ちがあった。焦げ茶色の髪に、鋭さと優しさを併せ持つ灰色の瞳。見た目は冒険者そのものだが、立ち姿には隙がなく、不思議と気品すら漂っていた。
「いやいや、大丈夫でよかったよ。君たち、どこへ行くんだい?」
剣を鞘に収めながら歩み寄るが、不意に足を止めた。視線がエイラの方へ向いた瞬間、ゼルの灰色の瞳が大きく開かれた。……でも、一瞬のことで、次には柔らかな笑みに戻った。
(……気のせいか?)
「アウロラ・パクト遺跡です」
俺は軽く頭を下げて答えると、ティアナが会話に割り込んだ。
「お兄さんはどこへいくんですか?」
「チャッカ村だよ」
「えっ、遺跡の手前じゃないですか! お礼に一緒に乗っていきません?」
「いいのかい?」
男が笑うと、アッシュが慌てて止めに入った。
「おい、何言ってるんだ!」
「同じ方向だし、いいじゃん。助けてもらった恩もあるし」
「でもよ……知らない奴と一緒なんて」
アッシュの視線がちらりと男をかすめる。ティアナがにやっと笑った。
「あーわかった。お兄さんが男前だからでしょ? 男の嫉妬は見苦しいなぁ」
「そ、そんなわけ……もう、勝手にしろ!」
アッシュは顔を赤くし、怒ったように馬車に戻ってしまう。ティアナも悪いと思ったのか、「あちゃー、謝ってくる」と慌てて追いかけていった。その後ろをエイラはついていく。
一瞬、気まずい沈黙。ヨアが口を開く。
「すみません。連れが失礼しました」
「いや、こちらこそ名乗ってなかったな。私の名は、ゼル・アルセイド。ゼルと呼んでくれ」
年上のはずなのに、気さくな感じが好感をよび、俺はお礼を言った。
「ゼルさん、助けていただきありがとうございます」
「いや、君たちなら助けなんていらなかったかな。実力者揃いだ」
謙虚な言葉だが、彼のすごさは同じ剣士としてわかる。
「いえ、ゼルさんの剣技、すごかったです!さっきの、どうやったんですか?」
「君は、剣をやっているのか。あれは難しいことはないよ。コツを掴めば誰でもできる」
「ほんとですか!?」
「ああ」
その言葉に胸の奥が熱くなる。今のままじゃ駄目だ――その思いが、ずっと心の中で叫んでいる。自分の限界を思い知った俺には、希望が見えた瞬間だった。
「俺に、剣を教えてください! お願いします!」
突然の言葉に、ゼルは少し驚いた顔をした。
「俺は構わないけど……だが」
困ったように視線をヨアへ向けると、少し困った顔をしていた。
「カイ、俺たちは先を急がないといけないんだぞ」
「わかってる。でも、このままじゃ――俺はもっと強くならなきゃいけないんだ。頼むよヨア」
ヨアは言葉に詰まり、ちらりと馬車の方を気にした。振り返るとアッシュが立っていた。普段は揚々としているのに、めったに見ない険しい顔をしてこちらを見ている。
「いいんじゃねえか。……気に食わねえおっさんだが、俺は構わねえ」
拗ねたように口を尖らせているが、俺の言ったことを後押ししてくれていた。その後ろから、ティアナとエイラがでてくる。
「こら、そうじゃないでしょ!」
ティアナが降りた途端に、ばんっと背中を叩かれたアッシュは前によろける。振り返ってティアナを睨みつけたが、すぐに観念したようにため息を吐きこちらを向き、そして不器用に、けれどしっかりと頭を下げる。
「……助けてくれて、ありがとうございます。さっきは悪かった。よかったらカイに剣を教えてやってください。お願いします」
思いがけない謝罪に驚いて言葉を失う。ティアナは満足げに頷いていた。「まったく……」
と、呟いたヨアが苦笑し、肩をすくめてゼルの方を見る。
「ゼルさん。もしよければ、一緒に馬車に乗って行ってください。その間に、カイに剣を教えていただけたら……ありがたいです」
促すような言葉に、ゼルはわずかに目を細める。灰色の瞳がやわらかく光り、俺たちを順に見渡した。
「――いいパーティーだな」
低く落ち着いた声に、自分の仲間が褒められて誇らしい気持ちになって、胸が熱くなる。
「こちらこそ、よろしく頼む」
全開の笑顔でゼルが手を出して握手を求めてきた。その手を握り「お願いします!」と返した。馬車の周りにほんの少し温かな空気が生まれた気がした。
こうして俺たちはゼルを馬車に迎え入れ、揺れる座席の上で、俺の胸は期待と緊張でいっぱいだった。ゼルは護衛を理由に御者台を譲らなかった。「大人に任せるものだよ」と軽く諭され、俺たちは観念して席に戻るしかなかった。そのときの笑みは子供扱いされているようで、俺たちはそろって目を逸らし、照れ隠しのように馬車に乗り込んだ。
先を急ぐのは変わらないから、剣術指南は休憩のときに少しずつ――そう約束された。
◆
最初の指南は、小休憩に立ち寄った湖だった。目の前に立つゼルは、立っているだけで強そうな威厳をもっている。ゼルは剣を抜き、俺に向き合う。
「では、とりあえず剣を合わせようか。カイの実力を見せてもらう」
「はい、お願いします!」
互いに向かい合い、剣を構える。
ゼルの剣は俺と同じロングソードだが、対峙した瞬間に悟った――同じ武器でも、纏う気配がまるで違う。隙が一つも見えない。全身が無言の圧力に縛られ、息が詰まりそうになる。
(……でも、このまま立ってるだけじゃ駄目だ!)
俺は渾身の気合で踏み込み、剣を突き出した。
ガキィン! 一撃で弾かれる。
腕が痺れ、体勢を崩しかけながらも食らいつき、振り下ろす。
「ほう」
ゼルがわずかに目を細めた。だが、それだけだ。
次の瞬間――視界から彼の剣が消えた。
気づいたときには、俺は地につき、剣は空を舞い、首筋には冷たい刃が突きつけられていた。
「……参りました」
俺は肩で息をしながら、絞り出すように言った。圧倒的な差――それでも、不思議と胸の奥が熱くなる。
「カイの剣は力だけに頼り過ぎている。いろんなオーラの使い方を学んだら強くなるよ」
(まだ……俺は強くなれるんだ!)
ゼルの言葉に希望を見出す。俺はこの人に教えを乞うてよかった気持ちが、込み上げてきた。
「ありがとうございます!」
大きな声が湖に響き渡る。その響きは、俺の希望の大きさだった。




