第十六話 これから
カイ視点です。
メルナに助けられ、クラドと呼ばれた従者に連れられて来たのは、教会の奥にある彼女の屋敷だった。宮殿と呼んでも差し支えないほどの壮麗さに、思わず足がすくむ。
さらに中へ進むと、周りを四季の花々が一斉に咲き誇っている庭に通された。色とりどりの香りが風に乗って漂ってくる。まるで絵本の中に迷い込んだような光景に息を呑む。
「こちらは、メルナ様のお気に入りの庭の一つです。こちらでお待ちください」
クラドが指した先には、花々に囲まれた真ん中に白布を掛けた長いテーブルがあり、淹れられたお茶と宝石のような菓子が並んでいた。甘い香りが漂い、さっきまでの殺伐とした空気が嘘のように和らいでいく。
その豪華な光景に、仲間たちが思わず小さく歓声を上げるのが聞こえた。俺はというと、上品すぎる椅子に腰を落ち着けるだけで精一杯で、どうにも居心地が悪い。周りを見れば、皆も同じようにおろおろと視線をさまよわせている。そんな様子を見かねて、クラドが穏やかに微笑み、菓子を勧めてきた。
「どうぞ、遠慮なく召し上がってください」
そのとき、ヨアだけが冷静に返した。
「いえ……メルナ様を待たせていただきます」
(さすがだヨアだな。堂々としている)
きっぱりとした返答に、クラドは満足そうに頷いた。
「私はメルナ様を迎えに行ってまいります。どうぞ、ごゆっくりお寛ぎください」
そう言い残し、クラドは庭を去っていった。静けさが落ち、俺たちだけが取り残される。
やっとさっきまでの緊張感が溶けていく。みんなもなんとなく力が抜けている気がする。その中で最初に口を開いたのは、アッシュだった。
「なあ……俺たち、本当に町に帰れるんだよな?」
弱気な声に、胸の奥がざわつく。驚いたようにティアナが振り返った。
「ちょっと!縁起でもないこと言わないでよ……大丈夫だよね。ヨア」
縋るような瞳がヨアを見つめる。だがヨアは目を伏せ、小さく首を振った。
「……わからない」
その一言が、みんなの顔を曇らせ、重い空気広がった。 少し沈黙が続いたが、エイラが突然立ちだした。
「……わ、私……教会に残る!だから……みんなは町に帰れるように頼んで見るよ」
「馬鹿なこと言うな!」
気づけば喉の奥から声が出ていた。みんな驚いた顔でエイラを見ている。
「そんなことになったら、また武器を取る。エイラが犠牲になるぐらいなら、俺は――」
「でもっ……!」
言いかけたエイラを、隣のティアナが慌てて肩を押さえ、首を振った。
「駄目よ、エイラ。私たちはもう仲間なんだから……一緒に戦うの」
その言葉に、エイラは戸惑って息を呑む。そんな彼女にヨアが優しく呼びかけた。
「エイラ。俺たちのために君が犠牲になることはないんだよ。これからどうするかは、みんなで考えるよう。それが仲間だろ?」
その声に全員がうなずいた。エイラの瞳に涙がにじむ。
――そのとき。
「ほう、良いことを言うではないか、ヨア」
可愛らしい声が聞こえて、思わず振り返った先には、庭の入口にメルナが立っていた。閉じた扇子を片手に、嬉しそうな笑みを浮かべている。慌てて全員が椅子から立ち上がろうとするが、メルナは扇子を軽く振った。
「いいから座れ。……クラド。お茶が冷めておる。新しいのを持ってこい」
「承知いたしました」
クラドは先にメルナを席に座らせると、お茶を持ちに屋敷の方へ歩いて行った。
俺たちは戸惑いながらも再び腰を下ろす。全員座ったのを見届けると、メルナは話し始めた。
「さて――」
メルナは椅子に腰掛けると、扇子を机に置き、じろりと俺たちを見渡す。
「お主らのこれからを話してやろう」
喉の奥がひりつく。待ちきれず、俺は声を絞り出した。
「……俺たちは、どうなるんですか?」
メルナは一瞬だけ目を細め、やがて静かに告げた。
「結論から言えば――雫を求め、遺跡へ向かってもらうことになった」
その言葉に、空気が重く沈む。 アッシュが眉をしかめ、ティアナが小さく息を呑み、エイラは肩を縮こまらせた。
「……だが、朗報もある。その娘は――お主らと共に行ってよいことになった」
張り詰めていた空気が一気に弾けた。 ティアナが「ほんと!?」と声を上げ、アッシュも安堵の息をつく。 俺はエイラの方を振り返り、思わず叫んだ。
「良かったな! エイラ」
「う、うん……よかったぁ」
エイラはやっと安堵したように微笑む。その笑みに、俺も胸の奥が温かくなる。
帰ってきたクラドが、無言で温かいお茶に変えていく。メルナは湯気の立つそれをひと口含み、さらに言葉を続けた。
「だが――わらわができるのは、ここまでじゃ」
メルナが茶器を静かに置いた瞬間、低い声が庭を冷やす。 喜びの余韻は、たちまち薄氷の上に立つような緊張に変わった。 一人黙っていたヨアが、真っ直ぐに問いかける。
「……他に、気にかかることがあるのですか?」
「ああ。大司教が――エイラに固執しておる」
胸がざわつく。会ったばかりのエイラに、固執する理由がわからない。思わず前のめりになって口を開く。
「なぜですか?」
「似ておるからじゃ」
メルナは、改めてエイラをじっと見つめ感心したように呟いた。
「本当に……似ておるのう」
大司教も同じことを言っていた。ならば――もしかして、エイラの記憶に繋がるのでは。期待を込めて問いかけた。
「誰に、ですか?」
懐かしむように、優しい声で名を口にした。
「――わらわの友。エレシアと言う女にな」
「……エレシア」
エイラが小さくその名をなぞった。
「覚えがあるのか?」
聞かれたエイラはすぐに伏し目がちに首を振る。メルナはそれ以上追及せず、ティーカップを静かに机に置いた。
「奴は友に執着して追った。だから、エイラがほしいんじゃろ。奴こそ下世話な奴だ。……まあよい。あやつはわらわにまかしておけ。今は別の話じゃ」
さっきまでのメルナと違い。冷たい眼差しが俺たちを射抜いた。氷の刃のような視線に、心臓がどくりと跳ねる。 見透かされているような気がする。隠し事も、迷いも――すべて。しばらく沈黙したのち、メルナは長く息を吐いた。
「……お主ら、わらわに何か隠してはおらぬか? 隠し事は禍を呼ぶぞ。吐け」
その言葉に緊張が走る。メルナが言っているのはエイラの力のことだ。 でも打ち明ければ、彼女を連れて行かれない保証はない。助けてもらった恩義と、守りたい気持ちが胸でせめぎ合う。俺が迷っていると、ヨアの瞳が俺をとらえた。
ヨアは迷いのない瞳で、深く頷いた。
「……俺は、話していいと思う」
その一言に、息が詰まる。教会を嫌っていたはずのヨアが賛同するとは、思わなかった。
「ヨア……いいのか?」
疑問に思い思わず問い返すと、ヨアの真剣な瞳とぶつかる。
「ああ、俺たちには――力がない」
はっきりと言い放った。短い言葉なのに、胸の奥を殴られたような衝撃が走る。否応なく現実を突きつけられ、誰もが息を呑んだまま黙り込む。沈黙をやわらげたのは、意外にもメルナの声だった。
「そんな顔をするでない。わらわが苛めておるようではないか」
ふっと笑うその表情は、さっきまでの鋭さとは違う。年若い姿なのに、包み込むような温かさがあった。張りつめていた空気が少しずつ和らいでいく。
俺は緊張を解こうと目を閉じ、深く息を吸った。「力がない」ヨアの言葉が、まだ胸を打ち続けている。覚悟を決め目を開き、メルナをまっすぐ見据える。
「メルナ様……話します。全部」
俺は腹を括り、これまでの出来事を語った。
エイラとの出会い、ミレナ・アクアでの戦い、虚獣に狙われたこと――そして俺たちの身に起きたすべてを。最後まで黙って聞いていたメルナは、深く息を吐き、腕を組んだ。
「ミレナ・アクアからの出現……虚獣に狙われる……まさかアケラスが絡んでおるとは……」
低く呟き、目を伏せたまま何度か頷く。声の調子が少し硬くなる。
「アケラスを知っているのですか?ダリルさんは教会もわからないと言っていました」
メルナは一瞬しまった顔をしたが、諦めたように息を吐いた。
「……ああ、古い知り合いじゃ。奴はお主らが気にせんでよい。しょせんかなわぬからな……」
敵わないと言われたことが、心に突き刺さるが、奴は別次元すぎる。メルナの知り合いと聞き、妙に納得する。
メルナは可愛らしくひとさし指を顔の前に出すと、「教会には内緒にしてくれ」と話を終わらせる。もっと聞きたかったが、俺たちは頷くしかなかった。
「お前たちは、「神の雫」についてどれほど知っておる?」
「なにも知らされていないです。わかるのは教会からの依頼が関係していたとしか……」
ここしばらくの騒ぎはすべて“雫”が絡んでいる――それなのに、俺たちはその正体を何ひとつ知らない。
「そうか。お主らが奪われたのは《リアン》と呼ばれる神の雫の一つじゃ。雫は九つある。……手に入れば、強大な力が手に入ると言われている聖遺物じゃ」
軽く言ってのけたメルナとは対照的に、ティアナが椅子をきしませて身を乗り出した。
「えっ!? そんなすごいものが全部で九つあるなんて!? 本当になの?」
目を輝かせるティアナの声につられ、重苦しい空気がわずかにやわらぐ。メルナも目を細めて、気分を害することなくその様子を見守っていた。
「ただし……取るのは容易じゃないぞ」
「えーっ、それじゃダメじゃん」
あっけらかんと肩を落とすティアナに、アッシュが額を押さえた。
「……おい、もうちょっと緊張感持て」
「だって仕方ないでしょ。行くのは決まってるなら、楽しまなきゃ損だし!」
「お前ってやつは……」
「何よ!」
ふたりの言い合いをヨアが軽く手を上げて止めた。
「やめろ。話の途中だ。失礼しました」
それを気にしていないメルナはくくっと喉を鳴らし、目を細めた。
「いや、よい。仲が良いことは良いことじゃ」
アッシュとティアナは気まずそうに肩をすくめ、同時に小さく謝った。
「続きを話そうか。――これには、もう一つ逸話があってな。雫には、神の記憶が宿っておる。その記憶に触れた者は大いなる力を得られるのじゃ」
神の記憶。初めて聞く言葉に、俺は息を呑んだ。伝説めいた聖遺物が、現実にあるなんて――。
「本当に……そんなことが起こるのですか?」
ヨアが問いかけると、メルナはゆっくりと頷く。
「うむ。だが見れるのは記憶に選ばれた者だけ。選ばれずとも雫そのものに力はある……それが厄介でな」
メルナの表情が一瞬、陰を帯びると、聞こえないぐらい小声で呟いた。
「……誰がその情報を漏らしたか、じゃな」
「えっ? なんて?」
ヨアが聞き返すと、メルナははっとして口元を綻ばせた。
「いや、たいしたことではない」
ごまかすように咳払いし、話題を切り替える。
「細かいことが決まるまで、お主らはここに泊まるがよい。――クラド、客室を用意せよ」
「はい、かしこまりました」
クラドは恭しく頭を下げて奥へと消えていった。
やっと一息つけることに、安堵の表情を浮かべる俺やアッシュ、ティアナ、エイラとは対照的に――ヨアだけは、神妙な面持ちのまま黙っていた。
「ヨア、どうかしたか?」
「……いや」
俺の声に、彼は静かに首を振る。だがその顔を見て、放っておけるわけがなかった。
「何か、心配事でもあるのか?」
少し困ったように俺を見返したヨアは、やがて視線をメルナへ向ける。
「……なぜ、メルナ様はこんなにも俺たちによくしてくださるのですか?」
緊張を含んだ声が、静かな庭に落ちた。メルナは目を細め、困ったような、それでいてどこか慈しむような笑みを浮かべる。
「お主らが気に入ったからじゃよ。――ただ、それだけのことじゃ」
そう答える声音は柔らかかったが、どこか含みを残していた。ヨアの肩が少し動いた気がした。




