第十五話 思惑
大司教デュラン視点です。
大司教デュラン・メキオールは背筋に冷たい汗が伝う。
横合いから現れた少女。その名を口にしていた瞬間、胸の鼓動が跳ね上がった。
――メルナ・セルフィナ。
この国を覆う結界を編み、建国の頃から姿を変えぬ大魔法使い。幼い姿のまま生き続けている、この聖都の守りの主――謎に包まれた存在。
(幹部会議にしか現れぬ奴が、なぜ今ここに!?)
聖堂の空気が凍る。さっきまで響いていた鎧の擦れる音さえ、ぴたりと止んだ。
澄んだ眼差しが焦りを隠せぬデュランを射抜く。幼い顔立ちなのに、目に宿る力は人を圧倒する。その気配だけで、周囲の騎士たちが息を呑み、無意識に背筋を伸ばしている。
「そやつらは違うと言うておるが?」
冒険者たちに目線だけで向けると、すぐこちらを向いた。その瞳には怒りが宿っているようにも見える。
(こいつらと知り合いなのか?……いや、まさかな。こやつが外の世界を知っているはずがない)
疑問に思うが、メルナは屋敷からでないことで有名だったので、すぐその疑いはなくなった。
すぐに愛想笑いを浮かべ、メルナに進言をする。
「メルナ様ほどの御方が、そんな下世話な者の言葉に耳を貸されないでください」
「ほう、わらわを諭すのか……しかも守るべき民を「下世話な者」とな。知らぬ間に偉くなったものじゃの」
「そ、そういうわけではありません。……聖堂の中で武器を構える連中ですぞ!そんな連中に対して言っているのです!」
嫌味を言われ、焦りから声が大きくなってしまう。なんとか言葉を返しているが、心の中は気が気じゃない。さっきみたいに言葉を誤ると足をとられる。デュランがこの少女を苦手とする理由だった。
「そうか。だが、さっきの会話からしたら、仕方がないのと違うのか?何でも「選択権」がないのだとか?」
(ど、どこから聞いていたのだ……?)
冷や汗が流れ始める。ハンカチを出して額を拭く。この状況を打破できる気がしない。
目の前の少女はにっこり笑って、提案を差し出してきた。
「デュランよ。この者たちは、わらわが預かろう」
「な、なに……!?」
メルナの跳ねるような声とは、反対にデュランは思わず声が裏返る。
ここで全てを持って行かれては困る――せめて、あの娘だけでも。
必死に言葉をひねり出す。
「し、しかし……メルナ様を煩わせるなど、恐れ多いこと。処分は我らで――」
「わらわが手を貸すというのに、不要と申すか。それとも何か?「権力」を使った方がいいのかのう?」
笑顔はなくなり淡々とした声に、背筋が凍る。はっきりと脅されていることがわかる。
メルナと瞳が合った瞬間、デュランの肩がびくりと震えた。
「そ、それは……」
心の奥底で「小娘の癖に」と毒づきながらも、口は動かない。それを言えば自分の身は、破滅するのはわかっている。
「で、では、メルナ様にお任せいたします……」
「そうか――クラド、こやつらを連れて先に屋敷に戻っておれ」
「はっ、かしこまりました」
従者の男が恭しく頭を下げると、冒険者たちをつれて扉の方に歩いていく。
デュランは、去っていく娘の横顔を見つめ、喉の奥で息をのむ。
その姿は一瞬、昔焦がれていた女の姿と重なった。
(……エレシアに似ておる……)
――ばんっ。
乾いた音が聖堂に響く。びっくりして振り返ると扇子を広げ、真っ直ぐデュランを見据えている。その目は軽蔑の瞳の色。肩がびくりと震える。
「ところでデュランよ」
静かな声が聖堂に響く。
「……わらわの耳に届いてきてな。おぬしが――”雫”を集めている、とな?」
ぞわり、と背筋をなぞる冷気。デュランの肩がまたびくりと揺れた。内密に進めているはずなのに、この女はどこまで知っているのか。全て見透かされそうな瞳に恐怖を覚える。
神々の雫。神の記憶が保存されている伝説の器。それだけじゃなく、集めると強大な力が手に入る聖遺物。
あの方が必要とする物――。
返答に窮したその時、空気に合わない流暢な声が聖堂に響く。
「その件は、私からご説明させていただければと」
「……おぬしは、誰じゃ?」
メルナの扇子の隙間から、鋭い視線が向けられるがお構いなく、声の主、イオは一歩進み出て、恭しく頭を下げた。まるで舞台に上がるように、音もなく進み出た。
「理術研究部の主任を務めております。イオ・ラグランジュと申します。
このような場でお目にかかれるとは、光栄の至り。メルナ・セルフィナ様」
その口元には礼儀正しい微笑が浮かんでいるが、どこか底の読めぬ影があった。
「理術研究部……そう言えば最近できたと聞いたような」
「はい。三年前に聖遺物の研究、術の向上を「教会に捧げる為」をモットーにしてできました。以後お見しお気くださると、うれしいです」
その揚々とした言い方に、眉をしかめながらメルナは冷たい眼差しを向ける。
「……よい。申してみよ」
許されたイオは、眼鏡の奥を細めて笑みをつくった。
「ありがとうございます。神の雫は神の記憶の器と知られていますが……近年の研究では、それだけではなく、この国の百年分のエネルギーを賄える力があると判明しました」
「ほう……そんな力が」
「はい。ですから、その力を我が国のものとするため、他国に狙われる前に確保する必要があるのです」
イオは一拍置き、声を落とした。
「そこでお願いがございます」
「何だ。申してみよ」
「先ほどの冒険者に、雫を取りに行ってもらいたいのです」
メルナの瞳が細くなる。
「なぜ、あやつらなのじゃ」
「彼らは上位虚獣を退けたほどの力を持つ。それに――彼らじゃないと駄目なのです」
イオの含みのある言い方に、メルナは返す言葉を飲み込んだ。だがすぐに扇を口元に寄せる。
(奴は、なぜあそこまであの冒険者たちにこだわる?)
イオの言い方にデュランも気になった。
だが、メルナはそこには触れずに話を続ける。
「もしわらわが首を縦に振らぬとしたら?」
「その場合……」
イオは眼鏡を押し上げて微笑んだ。
「彼らは聖堂で武器を抜いた罪により、教会を出た瞬間に牢屋行きとなるでしょう」
メルナの表情が険しく歪む。イオは気にもせずデュランの方を見た。
嫌な予感がする。
(わしを巻き込まないでくれ!)
願いも虚しく、イオは同意を求めてくる。
「そうですよね。デュラン様」
「そうなのか。デュラン?」
急に話を振られて、メルナ睨まれ、低い声で聞かれたデュランは慌てて口を開いた。
「……そ、そうです……武器を抜くのは重大な罪ですので」
「だが、わらわに任せると言ったではないか?」
メルナの視線を受け、デュランは背中に嫌な汗を感じた。間に挟まれ、助けを求めるようにイオを見ると、「しかたないですね」と呟き、メルナのそばまで歩いていき、顔を近づけ一段と低い声で話始めた。
「セルフィナ様は外の事に干渉してはならないとか。だとすれば……教会の内部でしか彼らを守れない――そうでしょう?」
イオは涼しい笑みを浮かべた。
その言葉に、メルナの眉がわずかに動き、嫌そうに扇子でイオを遠ざけた。
「……わらわと交渉と申すか」
メルナの扇子がわずかに上がり、その視線は氷の刃のように鋭い。
「ええ。私は彼らに雫を取りに行ってもらいたい。あなたは彼らを牢から救いたい。利害は一致しているはずです」
「……だが、あの娘はどうするつもりじゃ?」
イオの笑みが一瞬だけ止まった。
だがすぐに眼鏡の奥で光を細め、あっさりと肩をすくめる。
「……そこは、メルナ様にお譲りいたしましょう。無理をしてまで争うことではありませんから」
「ふむ、えらい物わかりがよいではないか。何か企んでいるのだろう」
「ええ。ただし、雫の探索については譲れません。彼らは教会に刃を向けた身。牢か任務か――どちらかを選んでもらいます。私としたらどちらでもいいのですけども」
ここで刃向かうのは危険な賭けだと思い、慌てて声をあげる。
「イオ、それは……!」
「ご安心を、デュラン様。これは罰であると同時に助けでもあるのです。最小限の罰で生かす方法を考える。それが彼らのため。セルフィナ様もわかってくれるでしょう」
イオの声は冷たく澄み渡り、逃げ道をふさぐようだった。
目を細めイオを一段と鋭く睨みつけるメルナを見て、自分じゃなくてよかったと一歩下がる。その視線に何事もなく、立っている男が信じられない。
しばらく沈黙が続き、緊張感が高まったが、それを壊したのはメルナだった。
「そうか……探索に向かうのなら、牢には入らなくてもいいのじゃな?」
「はい、そうです」
「わかった」
メルナは意外にもその提案を受け入れる。もっとややこしくなると思っていた。
「……牢には入れさせぬ」
メルナは小声で呟き、イオを睨みつけるがそれを気にしていない男は、胡散臭い笑顔でお礼を言っている。
「メルナ様、ありがとうございます」
イオは深々とお辞儀をする。そこで笑顔になれるのが信じられない。
「食えぬ男じゃ……」
そう言い捨てると、メルナは扇子を閉じて帰っていった。
メルナの姿が見えなくなり、教会は静けさを取り戻したかと思うと、イオは、静寂を破るように笑い出した。
「あはははははははー。これは面白いことになりましたよ。あの方もお喜びになるでしょう」
突然の笑い声に、驚いて睨んでしまう。勝手に交渉を進められて後から怒りがわいてきた。
「面白いものか!勝手に交渉しおって、娘をとられたぞ!……諦めるしかないのか」
「大丈夫ですよ。最後はすべて手に入るとお約束します。あの方の為にも」
さっきメルナが去った方向を見てにやりと笑う。あの大魔法使いにも恐れないなんて、いかれている。こっちの身が持たない。
このいかれた男をデュランは好きではなかった。だが非常に役にたち、あの方からも目をかけられているので邪険にもできない。
(それにしても今日は散々な目にあった)
短時間で寿命が縮んだ気がする。喜んでいるイオに呆れて言葉をかけた。
「……イオ。報告は任せたぞ」
「おや、おかえりですか?」
「ああ、帰って寝るとする」
「そうですか。リゼット、先に研究室に戻ってなさい」
先にデュランと騎士、リゼットは聖堂を出る。その時、後ろからイオの高揚した呟きを聞いたような気がした。
「……もうすぐ。もうすぐ叶うのです」
立ち止まり、振り向くとそこにはリュミエルの像を眺めているイオがいた。
その瞳には、祈りではなく――狂気が宿っていた。




