第十四話 教会の闇
カイ目線に戻ります
次の日、俺たちは教会の広場の片隅でリゼットを待っていた。
白い石造りの尖塔が、朝の光を浴びて眩しく輝く。鐘が鳴り響くと、広場にいた鳥たちが羽音を立てて一斉に飛び立った。扉からは、礼拝を終えた人々がざわめきながら溢れ出してくる。
その光景を横目に、俺はちらりとヨアを盗み見る。――昨日、思い詰めた顔をしていたはずのヨアは、いつもの穏やかなヨアに戻っていた。戻ってくれたのは嬉しいが、つい気になってしまう。
こっそり視線を送っていると、ちょうどアッシュと話していたヨアと目があった。
「どうした?」
「い、いや……その、大丈夫かなっ……と」
なんて言っていいのか迷って、思わずどもってしまった。
ヨアは一瞬だけ目を丸くしたが、嬉しそうに笑う。
「大丈夫だ。ありがとな」
そう言って俺の頭をわしゃわしゃと撫でてくる。
反射的に嫌がる素振りを見せるけど――ここ数日どこかおかしかったヨアが、いつものヨアに戻って、すごく嬉しい。でも何があったのかは、きっと聞いても教えてもらえないだろう。俺の義兄は秘密が多い。それが寂しくもある。仕方ないから、せめて笑顔でいてほしいと思う。
広場の人々が散った頃、教会の方からリゼットが白衣の裾を揺らしながら歩いてきた。手を振る姿は明るいのに、その服装はどう見ても科学者で、この神聖な街並みの中では少し場違いのように映る。
リゼットは挨拶を手短に済ますと、急かすように来た道を振り返った。
「私の上司と司教様が待っているわ。行きましょう」
促されるまま、俺たちは彼女の背を追って大聖堂の扉をくぐった。
大きな扉を一歩踏み入れると、途端に空気が変わった。
大聖堂の中は圧倒的な美しさ。最初に視線を奪われたのは、正面にそびえる神・リュミエルの像だった。その背後には天を埋め尽くすほどのステンドグラスが広がり、日の光を受けて万色の輝きを降り注いでいる。高くそびえる天井には金細工と聖典の文様が張り巡らされ、どこまでも人の世界を超えた尊厳さを醸し出していた。
息をのむ――まるで、現実じゃない世界に迷い込んだようだ。
圧倒されながらも、俺たちはリゼットの後ろに続いて歩を進めた。
リュミエル像の前には、二人の男と、その後ろに控える騎士たちの姿がある。
一人は漆黒の司祭服。だが、町の教会で見られたものよりも、金糸の刺繍や宝飾で飾られ、一目で高位とわかる威容を放っている。
もう一人はリゼットと同じ白衣をまとった青年。乱れた髪を無造作に撫でつけ、眼鏡の奥で冷たい光を宿していた。教会と相反する姿はひときわ浮いている。
突然、隣を歩くエイラが、不安げに俺の袖をぎゅっと握りしめられた。横を見ると正面を見てエイラが驚いた表情をしていた。声をかけようとした矢先、リゼットの冷ややかな声が静寂を裂く。
「粗相のないようにしてね」
そのまま彼女は二人の前に進み出て、深々と頭を下げる。俺たちも遅れて、軽く礼を取った。
さっきのエイラが気になって見ると、下を向いて少し震えているようにも見える。だが、場は緊張感で満ちていて声をかけることができない。
リゼットが振り返り、恭しく紹介する。
「こちらが大司教、デュラン・メキオール様。そして教会直属、理術研究室主任のイオ・ラグランジュ様です」
紹介に応じ、大司教と呼ばれた男が声を発した。
「……彼らが、上級虚獣を討った冒険者か」
「はい、間違いありません。冒険者「ザリオ」のメンバーです」
大司教のデュランの低く重い声と冷たい眼差しが、こちらを射抜く。思わず身構えたが、その緊張した空気の中、横から軽い口調が飛んできた。
「いやあ、実にすごいことだね。デュラン様もそう思うでしょ?」
空気を読まない主任のイオのその快活さを、大司教は鬱陶しげに片手で払いのける。
「……そうだな。だが「雫」は奪われたと聞いているが?」
鋭い視線が突き刺さる。まるで俺らが奪われた物言いに、引っかかった。
リゼットは淡々と答える。
「はい。報告書にも書きましたが、漆黒の騎士とその仲間に奪われてしまいました」
「ふん、役に立たないな」
吐き捨てるように言葉を放ち、見下した視線を俺たちに向ける。苛立ちを我慢していると、俺の隣に立つエイラを見た瞬間、デュランの目がわずかに見開かれた。
「……その娘は?」
低い声が響くと、聖堂の空気が一気に重くなる。今まで冷静を保っていたリゼットが一瞬戸惑い、すぐに取り繕った。
「え、ええ……記憶を失っていた彼女を、彼らが森で保護したのです」
「……似ているな」
独り言のような押し殺した声が響く。顎に手を添え、冷たい瞳がエイラを値踏みするように舐め回した。
俺はその視線が耐えられず、一歩出て彼女をかばった。
大司教は一瞬苛立ちを見せたが、何か言いかける瞬間リゼットが間に入ってくれた。
「だ、大司教様、何をお考えで?」
またリゼットの問に答えず、彼は短く「いや、まさかな」と呟き口を閉じた。
沈黙を破ったのは、横で腕を組んで立っていたイオと言う怪しい男。にこやかな笑みを浮かべ、軽口を叩くように提案する。
「デュラン様、僕、いいこと思いつきました。彼らに、他の「雫」を探させましょう」
「……彼らにか?」
「はい、強さは保証済みですから、役に立ってくれるでしょう」
イオが当然のように断言し、俺らの意見を聞かず、二人で話が進んでいく。
「お前が言うなら……そうだな次は役に立つかもしれん。だがその娘はお前が預かれ」
大司教はエイラをチラッと見た。それにつられてイオも見る。
「彼女ですか?それは素晴らしい提案ですね。報告書を見て彼女の存在は、興味がありまして……少し実験しても?」
「ああ、好きにすればいい」
「ありがとうございます」
凍りつくような声と軽薄な笑み。二人の言葉が重なり、話している内容についていけない。何がおこっているのか、わからなかった。頭が真っ白になる感覚の襲われる。
「エイラ!」
ティアナが突然叫んだ。驚いて振り向くとティアナがエイラを支えていた。倒れかけたエイラの顔は蒼白で、腕を持ち震えている。
その光景に、頭の血管が一気に沸騰した。
「――ふざけるな!」
気がつけば叫んでいた。聖堂に響いた声に眉をひそめ、大司教は俺を見た。
「エイラは渡さないし、俺たちは行かない!」
大司教は鼻で笑い、上からゆっくりとこちらを見下し、冷たく言い放った。
「貴様らに、選択権などない」
聖堂の空気が一段と冷たくなる。言葉の余白に圧が宿っていた。
そこで、イオがぱんっと手を叩いてから口を開く。
「まあまあ、デュラン様。私に任せてくださいな。平民にはちゃんと言わないと、わからないことの方が多いのですよ」
軽やかな口調だが、言葉の端に棘がある。イオはこちらへ振り向き、笑顔で説明を始める。
「君たちに簡単に、今の状態を説明しよう。今、君たちには二つの選択肢がある。一つは命令に従い、教会の指示で行動すること。もう一つは――命令に背き、牢に入る道だ。さあ、どちらを選ぶ?」
「はぁ!?ふざけるな!!」
俺が怒鳴るようと、イオは少し苛立ちをだした。
「ふざけるな、ふざけるな、うるさいなあ……ああ、そうか。馬鹿は、まだわからないんだ。優しい僕が、わかりやすく教えてあげよう」
そう自分で納得すると、苛立ちは収まり、笑顔でまた話し始めた。
「君が今、目にしているのは「権力」ってものさ。魔術や理術は確かに我らの知の産物だが、最後に物を言うのは「権力」なのだよ。そこにいる魔法使い君は、わかっているみたいだけどね?」
何を言っているのか半分はわからなかったが、「権力」はわかる。
嫌な予感にヨアを見る。そこには顔面が青ざめ、言葉を失いかけているヨアがいた。
「ヨア、本当なの?」ティアナが震える声で訊く。
「ああ……最悪だ」とヨアは小さく呟き、イオを睨みつける。
「初めからこうするつもりだったのか」
ヨアの問いに、イオはにやっと笑う。
「買いかぶりもいいところだ。僕は君たちを見て気に入ったのだよ。とても“いい仕事”をしてくれるだろう、と」
その笑みはどこまでも薄ら寒い。ここからは逃げられないと、本能が告げる。それでも俺は拳を握りしめ、一番マシだと思う提案をあげた。
「――行くとしたら、エイラも一緒だ。置いていくつもりはない」
イオが鼻で笑う。次の瞬間、眼鏡の奥が冷たく光り容赦なく追い込んでくる。
「まだわからないかな?残念だが、君たちに決定権はない。……それとも君の判断で、大事な仲間たちを牢へ送るのなら別だが?」
イオの声音は柔らかいが、最後に潜む毒が喉を灼いた。胸の奥が煮え立つように熱くなり、呼吸が熱くなる。そんな選択肢ができるはずがない。
「くっ……!」
声にならない怒りが込み上げ、拳に力が入る。だが、突きつけられた選択肢は容赦なく俺を縛り付けた。どうにもできない自分は無力だ。ただ今の俺は、イオを睨むことしかできない。
そのとき――俺の前にヨアの背中が立ちはだかった。
「お前は勘違いをしている……カイの答えが、俺たち全員の答えだ」
杖を構え、力強い声が響く。その姿にアッシュもティアナも頷く。その姿に唖然としたが、すぐに胸の奥に熱いものが広がり、今度は悔しさではなく仲間の誇りで締め付けられた。
イオが目を細め、なぜか嬉しそうに口角を上げ笑う。
「それはなんとも、陳腐な美談だ……そうか。それは教会に刃向かういうことでいいのかな」
後ろで大司教が、嫌そうに溜息を吐いて、吐き捨てた。
「もうよい。――娘を連れてこい。他の者は牢に放り込め」
その声は冷え切っており、聖堂の空気が一気に凍りつく。すぐに背後の騎士たちが剣を鳴らし、一歩、また一歩と迫ってくる。
俺たちも武器を構えた――その刹那。
聖壇の奥にある扉が、軋むような音を立ててゆっくりと開いた。
差し込む光が、冷たい大理石の床を淡く照らし出す。
空気がぴんと張り詰め、誰もが動けなくなる。
その静寂の中で――
「……何の騒ぎじゃ」
その声は、張りつめた空気を切り裂き、聖堂の隅々にまで染み渡った。
横の扉から、澄んだが威を帯びた少女の声が響いた。
振り返ると、月光のような白銀髪を揺らす小柄な少女と、少し後ろに同じ白銀髪の男が立っていた。
昨日すれ違ったあの少女――だが、今の彼女は威圧感を纏っている。
俺が名を呼ぶより早く、大司教が血相を変えて口を開いた。
「……メルナ・セルフィナ……どうして……」
メルナは冷たい眼差しで彼を見つめ、唇の端をわずかに釣り上げた。
「なんじゃ、デュラン。久方ぶりに会ったというのに、呼び捨てか。随分と偉くなったものよ」
「――大魔法使いメルナ・セルフィナ様の前である!全員、武器を収めよ!」
従者ような男の声が鋭く響く。騎士たちは慌てて剣を引き、硬直した空気がわずかに緩んだ。ヨアが武器を下ろすのを見て、俺らも続いた。
大司教は、さっきまでの偉そうな態度と違い、苦々しい顔を隠すように一礼し、低く答えた。
「……失礼いたしました。しかし、なぜこのような場に!?」
その声は先ほど威圧していた男のものとは思えぬほど弱々しかった。
「わらわが聖堂を訪れては不都合が?」
「い、いえ……そういう意味では……違うといいますか……」
しどろもどろの大司教に、メルナは呆れたように鼻を鳴らした。
「ならばどういう意味じゃ……まあよい。たまたま通りかかったら、耳障りな声が響いておったのでな。何事かと問うておる」
大司教は僅かな間を置き、俺たちを一瞥してから答えた。
「……この者たちが、教会の秩序をみだしたのです」
「ほう……聖堂の中でか」
メルナの視線が鋭くこちらに向けられる。氷のような光を宿したその双眸に射抜かれ、背筋が凍る。昨日の少女とはまるで違う――まるで別の存在のようだった。
「ち、違う!」
思わず前に出かけた俺を、ヨアが押さえた。横を見ると、彼は落ち着いた瞳で、首を振っている。
その目はなぜか落ち着いていて、何かを知っているようだった。
「……少し様子を見よう」
ヨアはそう言ってメルナを見ていた。




