第十三話 ヨアの秘密
続けてヨア視点です。
リゼットが手配してくれた宿に着くと、各自に部屋をとってくれていた。ありがたい。こんなにも一人になりたいと思ったのは、久しぶりだった。
夕食を終え部屋へ戻ろうとした時、カイに声をかけられる。
「ヨア、なんか悩んでるみたいだけど……」
「……何でもないよ。大丈夫だ」
「そうか。ならいいんだ……」
「ああ、ありがとう」
いつものように返したつもりだった。でもカイは、その返答が気に入らないのか少し顔を歪めたと思ったら、真剣な顔を向けてきた。
「ヨア、何があっても俺がいるからな。心配すんな」
その屈託のない笑顔に、胸が痛む。カイの真っ直ぐな気持ちが、今の俺にはダメージを受ける。
絞り出すように「ああ」と答えると、彼は安心したように笑い、背を向けた。
(……やっぱり気付いてたのか)
昔からカイは不思議と、顔に出さなくても俺の気持ちがわかってしまっていた。
義父に“真実”を告げられたあの晩も、理由も聞かずに「俺が隣で寝てやるからな」と言って一緒に眠ってくれた――その優しさが、どれほど俺を軽くしてくれたか。
それでも今は、胸の奥の重さだけが、静かに息を詰まらせる。
部屋に戻り、シャワーを浴びる。頭に落ちる水音を聞きながら、眉間に皺がより、胸のあたりが締め付けられる。
やり場のない感情を、拳で壁にぶつけた。
(……なんでだ……俺がなにをしたんだ。俺がいるだけで皆に危険が迫るかもしれない……でも、言えない……カイに、嫌われたくない……どうしたらいいんだ)
ぐるぐると答えがでない思考が回る。シャワーの音が俺の呻きを消していく。
風呂から上がり服を着て、濡れた髪を乱暴に拭きながらベッドに腰を下ろす。
窓の外では、青白い月が冷たく輝いていた。
「夜にまた会おう」
頭に響いた、冷たい子供の声を思い出す。
――確実に目を付けられた。
彼女が来る理由は一つだけ。もう大魔法使いからは逃れられないだろう。
(もし俺が狙われているなら、あいつらまで危険に巻き込むかも知れない……それだけはなんとしても避けなければ)
知らずに拳を握る手に力が入るが、すぐに全身の力がなくなるのを感じる。
ずっと恐れていたことが、ついに現実になるかもしれない。そう思うと怖くて仕方がない。
(俺だけですめば……)
仲間まで巻き込んでしまったら、もし、傷つけてしまったら。
(……みんな、許してくれるかな)
月の光に照らされた部屋で、繰り返される思考に、胸の奥の痛みだけが重く沈んでいた。
どれほど時間が経ったのか。
月が天頂へと昇りつめた頃、窓の外にぞわりと異質な気配が走った。
審判のときが来た。重い腰を上げ、おそるおそる窓をあける。
そこには――大魔法使いメルナ・セルフィナの姿があった。
彼女は、大きな白銀の狼の背に、横座りで静かに身を預けていた。
月光を受けた毛並みは淡く青白く輝き、まるで夜空の絵画の一部のように美しい。けれど、そのあまりにも整った幻想は、どこか人の世界に属さない冷ややかさを帯び、見ているだけで現実が遠のいていく感じがした。
「なにをほうけておる。ヨア・アルディス」
澄んだ少女の声に、息が詰まった。
「……どうして、俺の名前を……?」
言った覚えのない俺の名。喉がひりつく。
「ふふ、わらわは何でも知っておる」
楽しげな笑みと共に返されたその一言に、抗う気力が萎える。彼女の前では、そんな理屈などどうでもよくなるほどの力の差を思い知らされる。
「じゃあ……俺のことも」
自分で問う声が震えていた。
「ああ――お主が妖精の血を半分引く「異端者」ということもな」
その瞬間、心臓が跳ね上がる。
(やっぱり……)
秘密が破られた。嘘をつこうにも、彼女の瞳がそれを許せない。
ただ、月明かりの下で言葉を失い、沈黙だけが続いていた。
やがてメルナは俺の緊張を楽しむかのように、ふふっと小さく笑った。
狼の背から音もなく降り立つと、そのまま空中で佇む。場違いなほどの軽やかな仕草に、逆に背筋が粟立った。
「わらわに取って食われそうな顔をしておるな――心配するでない。そんなことはせぬ」
ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。足は地についてないのに、逃げ場を塞がれていくような圧迫感。体は金縛りにあったように動かない。
「……じゃあ、何が目的なのですか」
喉がひりつく。妖精族を滅ぼした国の幹部――その真意が掴めない。
目の前まで来たメルナは、ためらいもなく俺の顎を掴み、顔を持ち上げた。
氷のような透き通った瞳が射抜くように絡みつく。
「ヨア・アルディスよ――わらわの弟子となれ」
世界から音が消えた。
一瞬、何を言われてたのか理解できなかった。
メルナは反応のない俺から手を離し、首を傾ける。
その姿は先ほどの威圧感を忘れさせるほど、ただの少女に見えた。
「聞こえておろう?……何か返せ」
その声音に急かされ、喉が震える。
「……な、なぜですか!?俺は――妖精族なんですよ?あなたもさっき言ったじゃないですか。「異端」だと」
メルナはきょとんとした顔をした。
「それが、なんじゃ?異端者と言った方がわかりやすいじゃろ」
「この国は……その異端者を殺したじゃないですか!俺みたいなハーフでさえ」
一瞬ぴりっと空気がしたような気がする。
だがすぐにその空気は、小さく、「ああ」と息を漏らすメルナの声に消された。
「そういえば、少し前にそんなこともあったな――だから、どうした?」
あまりにも軽い言葉に、血が沸き立つ。
「……ふざけるな。俺の両親も……たくさんの命が奪われたんだぞ!」
胸に押し込めていた憤りが、声になって溢れ出した。それに自分でも驚いた。
赤ん坊の頃に拾われたから、両親のことを知らないのに。妖精族に思い入れもないのに。
なのに心の奥から怒りが湧き出てくる。
「血の縛りか」
ぼそっと呟いたメルナの声が、夜気を震わせた。
彼女はゆるやかに扇を広げ、月光を映した瞳で俺を射抜く。
「……わらわには興味がない」
冷酷な宣言。心臓を鷲掴みされた圧に、息が詰まる。
それでも言わずにいられなかった。制御できない怒りがまだ収まらない。
「興味がないだと!?それがお前の言葉か!」
怒鳴った瞬間、空気が避けるような声が背後から響いた。
「控えろ、小僧!誰に向かって口をきいておる!」
メルナの背後に控えていた白銀の狼が牙を剥き、眼光を光らせていた。
「メルナ様は人の世に干渉できぬ。お前ごときに何がわかる!」
「黙れ、クラド!」
鋭い叱咤に、クラドと呼ばれた狼は情けなく、「クゥゥン」と鼻を鳴らし、影のように沈黙する。
その二人の勢いに、怒りも小さくなっていくのを感じた。
「ぱしんっ!」
場を切り替えるように扇子を畳む音が響く。
「……クラドが失礼したな」
ほんの少し困った顔を見せるメルナに、何も言えず首を左右に振るしかなかった。胸の奥で芽生えた知らない怒りは、すでに消えていた。
彼女は狼の方に歩み寄り、慰めるように頭を撫でてから振り向く。
「急いで答えを決めなくてよい……わらわは、いつまでも待っておる」
その笑みはどこか寂しげで、胸の奥に罪悪感が芽生える。
やがて彼女は来たときと同じくように狼の背に横座りし、去ろうとした。
「あの!一つだけ――聞いていいですか!」
思わず声をあげ引き止めると、メルナは不思議そうに振り向いた。
「なんじゃ?」
「な……なぜ俺なんですか?あなたの弟子になりたい人は他にも大勢いるでしょう。なのに
……どうして俺なんかを!?」
大魔法使いメルナ・セルフィナには弟子がいない。それは魔法使いの中で有名だ。その、大魔法使いからのお誘いに選ばれたのは、俺が妖精族だからなのか知りたくなった。
「わからぬのか。――案外馬鹿じゃの」
彼女はふっと目を細めた。
「わらわが気に入ったのは、お主だったからじゃ」
その言葉を残してメルナは夜の闇に溶けて消えていった。
思っていなかった言葉を残された俺は、しばらく空を見上げていた。
胸の奥は熱く、心は妙に温かい。……その余韻を覚ますように、夜風が頬を撫でていった。




