第十二話 少女
ヨア視点です。
隣に座る初老の御者のトーマスが、丘の上から見える街を指さして告げた。
「ヨアさん、あの高くそびえる教会があるのが聖都ですよ」
朝の優しい光の中、白亜の尖塔が空を突き、眼下には城壁に抱かれた広い街並みが広がっている。さらにその奥には城と湖――霧の中に浮かぶ壮麗な景色に、思わず息を呑んだ。
村から滅多に出ない自分には、あまりにもまぶしい光景だった。
(……ここに来るなんて、思わなかった)
胸の奥に俺を育ててくれた養父の声が蘇る。
「ヨア、聖都にだけは近づくな!」
いつも穏やかで笑っていた養父が、十二の頃、初めて見せた厳しい顔。両肩を掴まれ、真剣に言われたあの言葉。その後に打ち明けられた秘密は、決して誰にも知られてはならないと。無意識に拳を握りしめた。
「聖都は結界に守られているんです。聖王に仕える〈ヘリオス・シンク〉の一人、セルフィナ様のお力で」
「あの大魔法使い、セルフィナ様ですか?」
魔法使いなら誰もが耳にする名前だった。
「そうです!この世界で最強の大魔法使い、メリル・セルフィナ様。でもここだけの話、彼女は可愛らしい少女なのです」
「……可愛らしい少女?」
初めて聞く言葉。セルフィナの容姿まで知らない俺は、疑問に思ったことを口にだすと、トーマスは少し困ったように笑った。
「知らない者も多いですが、あの方はずっと少女の姿のまま……その代わりなのか大きな力を持っているのかもしれないですね。だから虚無の者が入れたのは、ただ一度きりですんでいるんです」
「……一度はあるんですか?」
思わず問い返すと、トーマスは目を伏せ、声を落とした。
「十六年前。聖王様の双子の姉妹のうち、姉が殺され、その後、妹も姿を消した……悲しい事件があってね」
「その時、結界は機能しなかったのですか?」
「ああ。丁度セルフィナ様は聖都を留守にされていたんだ……」
トーマスは悲しそうに聖都を見つめる。車輪の軋みと風の音が、なぜか哀しい調べのように聞こえて、聖都が近づくほどに、俺の胸の重みも増していった。
やがて城壁が目前に迫り、その壮麗さに圧倒される。彫刻が刻まれた門、石畳に続く大通り。街に足を踏み入れれば、視界いっぱいに広がる整然とした建物、行き交う人波、香ばしい焼き菓子の匂いと鐘の音――。
あまりの活気に、思わず足が止まりそうになる。
「こんな大きな街、見たことないよな。なあ、ヨア!」
「ああ……そうだな」
カイの興奮した声に呼び戻される。だが賑わいの眩しさとは裏腹に、胸の奥のざわめきは消えなかった。
教会につくとリゼットが上司を呼びに行くが不在らしく、「明日また来て」と言って泊まる宿を紹介してくれた。
カイやティアナは、思いがけない自由時間に浮足立っているが、俺は素直に喜べなかった。
この数日の出来事が頭をよぎり、やはり教会からの依頼なんて受けるべきではなかったかもしれない、と何度も後悔している。
それにカイの隣を歩くエイラを見る。遺跡から連れてきた得体のしれない少女。
彼女の存在が、カイを危険に巻き込むのじゃないか……そんな不安が胸を刺す。けれど、あの時カイの命を救ってくれたのもエイラだった。
あの時、俺は何もできず、ただ守られることしかできなかった。その瞬間が、今も脳裏に焼き付いている。俺を守って死にかけたカイ。あの重さが、胸の奥にずっとのしかかっている。
だからエイラを仲間にすることを選んだ。面倒を見ると一度言ったカイが、彼女のことを諦めないのはわかっている。なら近くに置いておいた方がいいと判断した。
「なあなあ、ヨア、どこ行く?何か食べに行くのもいいけど、武器屋も見てみたいよな。んー迷うよなあ」
地図を見ながら無邪気なカイの声に引き戻される。カイは何も知らないとばかりに、目を輝かせていた。
その姿に思わず息をつく。俺にとって、この義弟は唯一の家族。絶対に俺が守らなければならない存在。守るために俺は何でもする。これは俺が唯一養父にできる恩返しでもある。
俺はいつもの笑顔をつくって返す。
「どこでもいいよ」
それを合図に、みんなは各々の行きたい場所を口々に言い始めた。その賑やかさに、ほんの少しだけ心が軽くなる自分がいた。
結局、いつものようにティアナが押し切り、露店が並ぶ広場に向かうことになる。
この街はどこもかしこも美しく、大聖堂の前に広がる街並は、白壁の家々と赤い瓦屋根が連なっている。広場に近づくほど、果物や菓子の香りが風に乗って漂ってきた。子どもたちが笑いながら駆け抜け、商人の呼び声が活気を添えている。
露店の串焼きを頬張り、トロピカルな果汁を口に含みながら、ティアナとカイは、珍しい食べ物に次々と目を輝かせている。広場の一角、少し高台になった場所に高い、パラソル付きのテーブルを見つけ、皆で腰を下ろした。
「何これ、すっごくふわふわだし、チーズがすごく伸びる!」
「ほんとだな。こんなパン、村にはないぞ」
口いっぱいに食べ物を詰めて、田舎者丸出しの感想を漏らすティアナとカイ。その様子にアッシュが呆れ顔で突っ込みながらも、結局は同じ物を頬張っている。
そのやり取りを横目に、俺は隣へと視線を移した。エイラも夢中になってパンを頬張り、頬をふくらませている。
そして、その横に――白い長髪の、小さな女の子が座っていた。
(……誰だ?)
年の頃は七つほどに見える。だが平民には到底見えなかった。仕立ての良い衣服をまとい、姿形はまるで貴族の肖像画から抜け出してきたかのように整っている。
それなのに、仲間の誰も気づかない。まるで初めからそこに居たかのように自然に溶け込んでいるのだ。
「……エイラ、その横の子は誰だい?」
声をかけた俺の言葉に、少女が一瞬俺を見た。
氷のように澄んだ水色の瞳――その奥には幼子に似つかわしくない光が潜んでいた。雪のように白い肌、小柄な体つき。それでも、その場の空気を支配するような存在感を放っていた。
思わず息を詰める俺をよそに、エイラが「えっ?」と隣を振り返って目を見開く。ようやく他のみんなも少女の存在に気づき、最初に声を上げたのはティアナだった。
「え、ちょっと……何この子!かわいい~!お人形みたい……って、あ、勝手に食べてるじゃない!」
ティアナの指摘もどこ吹く風と、少女は黙々とパンや果実を口に運び続ける。小さな子供を本気で叱るわけにもいかず、テーブルの食べ物が次々と消えていくのを、俺たちはただ見ているしかなかった。
「……それにしても、よく食べるな」
「ほんとだな。それも俺たちが買ってきたものを……」
アッシュのぼやきにカイは頷いたが、二人とも本気で止める気はなさそうだ。
「ちょっと!あんたたち、止めなさいよー!」
ティアナが声を上げる中、俺だけは違う感覚に囚われていた。
目の前に座る少女を認識した瞬間から、胸の奥に得体の知れない寒気が張り付いて離れない。
(彼女は……まさか……)
少女は食べ終わると、ナプキンで口を拭うとにこりと笑った。その姿はあどけない幼子のようだが――俺の目には、笑顔の奥に潜む別の何かが透けて見えた。
「おいしかったぞ。ごちそうになった。わらわはメリル・セルフィナじゃ」
澄んだ可愛らしい声に似合わぬ、古風で尊大な言い回し。エイラをティアナが「ちっちゃいのに生意気なのが可愛い!」と目を輝かせているが、俺にはどうしても笑えなかった。
その瞳は氷のように澄んでいて、俺を見透かしているように思えたからだ。嫌な予感が頭をよぎる。
エイラが少女に話しかけた。
「あなたはどこからきたの?親御さんは?」
「親はいぬ。わらわは一人じゃ」
「え、どうしよう……迷子なのかしら?」
「迷子ではない。わらわはこの国の偉い人なのじゃ」
その言葉に嘘だと、子供の可愛い戯言だと笑っている皆をよそに、俺は確信する。
(ああ、やっぱりあの方だ)
聞き間違いであって欲しかった。最悪だ。顔には出さずこれからの対策を立てようとするがまとまらない。彼女がここにいる目的が全然わからない。今のうちに逃げた方がいいのでは。
「……なあ、ヨア。ヨア?おい、大丈夫か?!」
呼ばれて我に返ると、心配そうにしているカイの顔があった。
「ああ、大丈夫だ。ただ、考え事をしていただけだ。何の話をしていた?」
答えがわかりながら、わからないふりをする。最後に無駄だと知りながらあがいてみる。
呆れた顔をしたカイが俺のあがきをぶち壊す。
「……話聞いてなかったんかよ。この子、自分のことをすごく偉い人だと言うんだ」
……偉いどころじゃない。俺には彼女から漏れる途方もない魔力の気配が分かる。巧妙に隠しているから、殆どは気付かないはずだ。トーマスの言葉が頭の中で再生される。「大魔法使いは少女の姿をしている」と。
カイたちが気軽に話しかけるのを見て、不安が胸を刺す。あの無邪気さは時に危うい。
俺は意を決心してゆっくりと聞き出す。
「すいません……あなたはあの〈ヘリオス・シンク〉の一人セルフィナ様ですか?」
俺が口にした瞬間、ティアナが「それって、この聖都を結界で囲んでる人!?」と叫んだ。
セルフィナは小さく「ふふ」と笑い、お茶を含む。
「そうじゃ、わらわが結界を張る者よ。この聖都に、少しばかり面白い気配を見つけてな……こうして姿を現したのじゃ」
にこやかな笑みと共に告げられた言葉は穏やかだったが、笑っている瞳の奥が鋭く、俺の背筋はさらに冷たくなった。
――まるで俺たちが、彼女の”獲物”であるかのように。
「えっ!?」
カイが素直に反応してしまう。しまったと、顔に出してから目が泳いでいる。
その視線が、初めて俺から外れ、カイへと移った。
「なんじゃ、お主、心当たりでもあるのか?」
「い、いや……ないです……」
反応からしてカイはエイラのことだと思ったに違いない。だが、誰が見てもカイの様子は嘘だとわかる。分かりやすすぎて、横のアッシュも笑うのをこらえているぐらいだ。カイは想定外のことにはことごとく弱い。
しかしメルナはその様子を気にすることもなく、くすりと笑うと扇子をぱたりと開いた。一度瞬きをしてから扇子の上から、また俺を射抜いた。
「いや、もうよい。……それに関してはもうわかったからな」
その眼差しに胸の奥を掴まれる。その焦りから、つい質問をしてしまった。
「……何を、わかったのですか?」
「それは内緒じゃ……言ってしまっては面白くないであろう」
「面白いことなんですか」
「わらわにとってじゃがな……そうじゃの、機嫌がいいから、一つだけ質問に答えてやろう」
「それは、俺たちにとって不利になることですか?」
俺の質問に仲間の間にも緊張が走る。もうそれは俺たちに関することだと言っているので間違いがないからだ。だが、隠し事ができない今、大魔法使いから逃げるなんてできないに決まっている。この質問は俺の賭けだった。
真剣な俺とは逆に、セルフィナは目を見開いてから、笑い出した。
「あははは、やはり面白い。安心せい。お主らに不利はない。……ではわらわは帰るとしよう。また会おうぞ」
セルフィナの答えに安堵して、帰ると言う言葉にほっとする。
可愛らしい笑みを浮かべた彼女は、扇子を畳むと椅子から立ち上がった。皆が別れを告げる中、その視線は俺だけを見ていた。まるで、すでに俺の”内側”まで見透かされているかのように。視線をそらしたいのを我慢をして、お別れの挨拶をする。
「……それではまたセルフィナ様」
「メルナと呼べ」
「……メルナ様」
「そう、それでいい」
満足げに頷いたメルナは、淑女のように礼をして顔を上げる。
声を出さずに唇だけを動かした瞬間――その姿は掻き消すように姿を消した。
いなくなったはずなのに、胸の奥を締めつけるような寒気だけは残ったままだ。
もう会いたくはないが、そうはいかないだろう。
その後、俺たちは聖都を歩いて回った。賑わう街並みも、壮麗な塔の上から見下ろす夕景も、みんなの笑顔に囲まれているのに……俺の心だけは重い。
一人でいたら、きっと押し潰されていただろう。今は仲間が笑っているのが、ただ救いだった。
さっき会った水色の瞳が俺を捕らえて離さない。
黄金に染まる街並みを仲間と眺める。優しい風が頬を撫でた。
みんなの笑い声が遠く聞こえ。
――みんなを欺いているという事実が、俺を孤独に縛っている。
メルナが消える瞬間、俺の頭の中にだけ落ちた声が、まだ響いていた。
『……夜にまた会おう』




