第十一話 虚無の教団
次の日の朝、俺たちは馬車に揺られて聖都に向かっていた。片道三日。馬車での旅はほとんど経験がないから、正直胸が高鳴っている。
ティアナなんかは、最初からはしゃぎっぱなしで、窓から顔を出してはアッシュに「子供かよ」と笑われていた。それを見ているエイラが、くすっと嬉しそうに笑っている。
その中で、ひとりだけ違う空気をまとっているのがヨアだった。
窓側に座っている彼は、ずっと外を眺めている。そして時折指先で膝を小さく叩く。それはヨアが考え事をしている時の仕草だった。家にいた時も窓の外を見て、眺めている時の癖。その時の彼は、そこにいるのに、いつもどこか遠くにいるような気がした。
この依頼を受けたときに、ヨアが言った言葉が頭をよぎった。
『……あんまり教会とは関わりたくないんだ』
ヨアが、あんな風に言うなんて思ってもみなかった。騎士団の試験を受けた時も応援してくれていたのに……なぜか聞いてはいけない気がした。
俺はヨアのことをわかっているつもりだった。でも――違った。知らない顔がいくつもある。そう思うと少しだけ寂しい。
けれど、それでも。ヨアは俺にとってかけがえのない存在なのは変わらない。
「ヨア」
呼びかけると、ゆっくりと俺を見る。目だけでなんだと問いかけられた。
俺は真っ直ぐヨアを見据える。
「俺が守ってやるから心配しなくていいからな」
一瞬目を見開いたあと――ヨアはふっと優しい笑みをこぼした。
「ほんとお前は……」
そう言うと、ヨアは俺の頭を撫でるから、その手を払い除けると彼と目が合った。
ヨアは笑みを作って言った。
「ああ、任せたよ」
その笑みは、嬉しそうでもあり、悲しそうにも見えた。
翌日。
旅は二日目に入り、聖都まであと一日。馬車の車輪はごとごと石畳を叩き、木の板は揺れて軋む。
最初こそ景色を楽しんでいたティアナも、もうすっかり飽きてしまったようだ。エイラの肩にもたれて、不満を漏らしている。それをアッシュが相手をしてくれている。
「ねえ〜まだ着かないの?もう馬車やだー」
「あと一日だろ。少しは我慢しろよ」
「嫌だよー。身体がなまっちゃうもん」
「仕方がないだろ。歩いて行けば一週間はかかるんだから。三日で済むだけマシだ」
「う・ご・き・たいのー!なんか魔物とか出てこないかな?」
「おい、不吉なこと言うんじゃねえ!」
馬車も今日も賑やかだった。
一方でヨアは、御者台の横に座り、周囲に目を配っている。昨日泊まった宿で、ダリオから忠告を受けた。
「聖都に近づくほど、虚無の教団が教会の馬車を狙う可能性がある。交代で御者の護衛を頼む」
索敵能力の高いヨアは番を引き受けた。
そのとき、ふと頭をよぎるのは、昨夜ダリオに聞いた言葉だ。
遺跡の町で襲われたのは、虚無の教団ではなかったのだと。
「あの漆黒の騎士は、最近になって現れた。教会の者も被害にあっているが、教団の奴らも切
り捨てられるのを目撃されている。……つまりどちら側にも属していないんだ。だが、一人で隊を潰すほどの力を持ち、正体は誰もわかっていない」
「でも虚獣を操っていたじゃないですか?」
「教団は下級の虚獣しか操れない。だから初めは教団だと思っていた。しかしあの二人は違う。教団よりも厄介だ……」
悔しそうに拳を机にぶつけるダリオを見て、あの時のことを思い出した。
俺たちはあの「アケラス」と名乗った男に手も足もでなかった。ただ奴の気まぐれで見逃されたに過ぎない。ヨアが言うように、もっと強くならなければ……本当に、誰も守れない。
ダリオは諦めたように、ため息をついて俺たちに言う。
「そういうことだから。虚無の教団は、初めの予想どおり帰り道に現れるかもしれない。気をつけてくれ」
思い出していると、突然馬車が急停止した。
御者台に緊張が走り、俺は反射的に剣の柄へ手を伸ばす。
三人を馬車の中に残し、俺は外に飛び出した。すでにヨアも地面に降りており、その先にダリオたちが剣を構え、背後からリゼットの声が響いた。
「ないものはないって言ってるでしょう!」
行く手を塞ぐのは、黒を基調とした衣装に身を包んだ集団。
ただし、その中心に立つ二人だけは異彩を放っていた。
一人は、小柄で無邪気そうな少女。柔らかい栗色の髪を肩まで伸ばし、鮮やかな空色の瞳を輝かせている。指先で短剣をくるくる回しながら、リゼットに詰め寄っていた。
もう一人は、俺たちと同じ歳ぐらいの男。漆黒に近い濃紺の髪は乱れ、額にかかる前髪の隙間から、冷たい銀灰色の瞳が覗く。その瞳は何の感情も映さず、ただ静かに立っているだけなのに、背筋が冷える。
――二人とも、ただ者じゃない。
「ねえ、お姉さん。雫持ってるんでしょ。わかってるんだから、それちょーだい」
子供のような口調。だが、手にある短剣が飛んでくるようで怖い。
俺はダリオのもとに駆け寄り、近くまで来た時、少女の視線がこちらを向いた。
少女は珍しい者を見るみたいに、首を小さく傾けた後。にこりと笑う。その仕草は可愛らしい少女に見える。しかし緊張は解けない。
「おにーさんは誰?教会の人じゃないよね?」
手の汗がにじむ。剣を構え掛けた俺を、ヨアが手で制して前に出た。
「冒険者だよ。君たちは……何の集団なの?」
「虚無の教団だよー。知らないの?」
「ああ、田舎から来たからね。ところでここで何を?」
ヨアはまるで子供に接するように穏やかに返す。少女はその扱いを嬉しそうにして、顎に指を添えて答えた。
「雫を持った教会の人が通るから、持ってこいって言われてたの」
「誰に言われたの?」
「お嬢様!私のお嬢様は――」
言いかけた瞬間、隣の男が低く制した。
「ノエル……喋りすぎだ」
場の空気が一気に引き締まる。けれど、ノエルと呼ばれた少女だけは「やっばーい」と口元を押さえて、ケラケラ笑った。
「あっぶな〜い!レオ、もっと早く止めてよ〜。おにーさん、めっちゃ喋りやすいから、もうちょっとでお嬢様自慢しちゃうとこだったんだから!」
そう言いながら片手でナイフをくるくる回すが、手を滑らせて落としかけ、慌ててキャッチする。隣のレオが呆れたように無言でため息をついている。
「ふふーん……まあいっか!そんなことより、雫ちょーだい!出さないと……えっと……すっごく痛い目に遭っちゃうんだからね!」
ナイフを誇らしげに掲げつつ、もう片方の手を差し出して待つ。けれど、いくら待っても雫は出てこない。ここにはないのだから、出せるものはない。あっても出さないが。
ヨアはにっこり微笑んで答えた。
「ごめんね。雫は、もう取られちゃったんだ」
「えっ!?うそ!?誰に?」
「アケラスと漆黒の騎士に」
「えーどうしよう……どうしよう!つーかアケラスって誰よ!?漆黒の騎士はわかるけど……え、これ、私、めっちゃ怒られない?」
両手で頭を抱えて、ぐるぐる回る勢いでうろたえるノエル。リゼットのときは絶対に信じなかったのに、ヨアの言葉だと一発で信じてしまったらしい。
そんな彼女は急に立ち止まって、雫がないことを知っても、落ち着いている隣の男に気がついた。
「レオ!もしかして知ってたの!?」
「……ああ」
レオと呼ばれた彼は、当たり前のように無表情のまま答える。
……知ってたんだ……。この瞬間、その場にいた全員が心の中でツッコんだに違いない。
「ええーっ!?今、“ああ”って言った!?なんでそんな大事なこと、黙ってたのよー!」
「聞かれなかった」
「も〜〜〜!ほんっと、あんたってやつは!」
ノエルはぷくっと頬を膨らませて怒ったかと思うと、すぐしゅんとしぼみ、ため息をついて頬を戻した。なんだか放っておけない。外見よりも子供っぽく見えるのに、どこか妙に憎めない。
「はあーないものは仕方がないか……」
呟いて少しの沈黙の後、ノエルはぱんっと手を叩いて、後ろの集団に声を掛けた。
「じゃあここには用がないね!撤収〜!はい、かいさーん!」
後ろの集団が一斉に消えると、ノエルは武器をしまってこちらを振り返る。
その表情はもう雫のことなんてどうでもよく、にこにことした笑顔だった。
俺とヨアを見て目を輝かせている。
「おにーさんたち、強いよね。今日は帰るけど、また遊ぼうね〜。レオ、帰るよー!ほら、残念そうな顔やめなって」
残念そうどころか、変わらぬ無表情のレオは、俺の方をちらりと見て「ちっ」と舌打ちし、姿を消した。
周囲の気配が一気に薄れ、残された俺たちはようやく武器を収める。まるで嵐が通り過ぎた後のようだった。
「……なんだったんだ?ヨアよく普通に喋ろうと思ったな?」
「ああ、なんとなく……どうにかなって良かったよ」
その返答に呆れつつ、集団が去って行った方を見た。戦いになっていたらどうなっていたか。
「なんであれ、助かった……ありがとう。ヨアくん」
「いえ、戦闘にならなくて良かったです……でも、“お嬢様”って誰なんでしょう?」
その疑問に、リゼットが口を開いた。
「お嬢様は……虚無の教団の総督の娘、リシェルのことよ。助かったわ。あの子、私が言っても絶対信じないんだから、失礼しちゃう」
怒っているリゼットをよそに、ヨアはまた森を見つめ小さく呟いた。
「総督の娘……リシェルですか」




