小さな死神の初恋
6/17 一部表現を訂正しました。
私はその青年のもとに降り立つと告げた。
「突然ですが、あなたには死んでもらうことになりました」
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その日の朝。俺はいつも通りに起き、いつも通りに台所に立って朝食の準備をしていた。
料理を作り終えて、シチューを人数分だけ皿に盛り付けている時だった。
背後で誰かの足音がした。大方、腹をすかせたやんちゃ坊主がフライングして朝食を食べにでも来たのだろう、と思い振り返ったが、そこにいたのは見知らぬ少女だった。
整った顔立ちと腰まで伸びた長い白髪。漆黒のワンピースを着ていて、それとは対称的に病的なほど白い肌、そしてスラリと伸びた細い手足。白黒映画の中の登場人物のように色のない少女は、唯一その瞳だけが、血のような紅色をしていた。
少女は俺を見上げると、口を開いた。
「突然ですが、あなたには死んでもらうことになりました」
「なに?」
刹那、これからこの少女が自分を襲ってくるのかと思って身構えたが、少女は武器の類を取り出すこともなく、静かにこちらを見つめて佇んでいるだけだった。
「勘違いするのは構いませんし、疑うのも尤もだと思いますが、説明してもいいですか」
「………」
「いいですか?」
「………あ、ああ。いいんじゃないか?」
少女の言ったことがあまりにも突飛すぎて、正直頭がついて行けてなかった。
「あなたは今から一日後、正確には二十三時間と五十八分後に死にます。死因は確定していませんが、おそらく心臓発作または事故死でしょう。そして私はこれからあなたが死ぬまでの間、監視をすることになった死神です」
さらに分からなくなった。
「あのさ、ちょっと質問いいか」
「なんですか」
「お前って、ちょっと頭がイタイ子か?」
少女はため息を吐いて冷めた瞳で俺を見つめた。
「私の話を信じる信じないはあなたの自由です。しかしあなたが一日後に死ぬ、これだけは誰にも覆せない事実です」
「ああ、そう。……分かった」
全然分かっていなかった。納得出来る訳がない。だが少女の声色も視線もこれ以上ないくらい真剣で、とても嘘や冗談で言っているようには思えなかった。
信じるのは馬鹿らしいと感じていても信じてしまう。そんな雰囲気が少女にはあった。
そしていつの間にか、自分が死ぬことを確定事項として冷静に受け止めている自分がいた。
「お前はこれから俺が死ぬまで、ずっと俺のそばにいるんだよな」
「うん」
事務的な口調が一変して子供っぽいものに変わっていたのでクスッと笑ってしまった。
「なによ?」
不機嫌そうな声。
「いや。なんでもないよ」
やはり少しだけ笑いながら返す。
「一緒にいるのが嫌なら遠くから見てるけど」
拗ねたように返された。
「いや、いい。俺が死ぬことに関してまだ聞きたいことがあるからな。後で聞かせてくれ」
「今聞けばいいじゃない」
「そろそろ朝飯の時間なんだ。あんまり遅いと子供達に起こられるからな。――お前も食うか?」
「いらない。死神は食べる必要がない」
「そうか。そういや死神だったんだな」
「うん。私はここで待ってるから」
「じゃあ、また後でな」
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青年はトレーに料理が入った皿を乗せると、台所から出て行った。
「不思議な人」
呟く。
不思議な青年だった。今まで幾度となく死神として死の宣告をしてきたが、ここまであっさりと受け入れられたのは初めてだ。馬鹿なだけなのか、勘がいいのか、それとも裏では私のことを頭がおかしい子と思って嘲笑っているのか。青年の本心は分からないが、説明に余計な手間が掛からないのは好都合だった。
やることもなく手持ち無沙汰なので、もう一度頭に入れてある青年の素性を思い返すことにした。
彼は生まれてすぐに捨てられた。本当ならすぐに死んでいるはずだった彼は、運よく拾われた。
拾ったのは当時牧師をしていた男だった。彼はその男のもとで暮らし、彼が六歳になった頃、牧師をしていた男は、私が今いる、この孤児院を設立した。
彼は孤児院で仕事の手伝いをしながら成長して行った。
そして十年以上が経ったある日、牧師の男が倒れ、死んだ。病死だった。
それから彼は一人でこの孤児院は支えてきた。
大変なこともたくさんあるが、それでも彼は育ての親への恩返しの代わりとして、懸命に孤児院を切り盛りしている。
それが彼だ。
本来、死神が監視対象者に関する情報を知る必要はない。死神は監視すること――監視対象者が期限より早く死んだり、自棄になって運命を変えてしまわないようにすること――のみを求められている。
だけど、と思う。
監視対象者にもそれなりの人生があったはずだ。ならば彼・彼女らには相応しい死の形があるのではないのか。私達はただ監視するだけでなく、それぞれに相応しい死を与えるべきなのではないのか。
もちろん、私達自身が直接、死を与えたり、最期の時間をどう過ごすのかアドバイスすることはお門違いもいいところだ。
それでも私は監視対象者の人生を知ろうとしてきた。たとえ努力が報われることがなかったとしても、だ。
人間の感情で言う自己満足というものを私は感じているのかも知れない。
『私は努力した、結果は伴わなかったけれど、私は頑張った。その頑張りは認められるものでしょう?』
そう言いたいのかも知れない。誰かに認められたいのかも知れない。
けれどそんな感情は持たない方がいい。人間の世界は知らないが、死神の世界では結果だけに意味がある。ならば過程を重視するような私の考え方は虚しいだけだ。
虚しいだけ。虚しいだけのはずなのに……私はやっぱり監視対象者の人生を知ろうとしてしまう。
そして青年が死ぬことに理不尽を感じてしまう。そんな感情、死神には用意されていないはずなのに。私は狂っているのだろうか。
頭を振って気持ちを切り替える。今は監視の仕事中だ。青年のことだけを考えていればいい。私は青年が死ぬまでの間、青年を監視していればいい。
耳を澄ますと、楽しそうな喧騒が聞こえてくる。
青年はどんな死を望んでいるのだろう。
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朝食を終え、空になった皿を持って台所に戻ってきた。
少女は脇に置いてあった椅子に座って目を閉じていた。寝ているのだろうか?
呼吸するたびに肩が上下するところを見ていると、少女が死神であることを忘れそうになり、新しく孤児院に入った子供のように見えてしまう。
こんなところで寝かせておくよりも自分の部屋まで運んでベッドで眠らせた方がいいだろうと思い、手を伸ばしたところで、パッと少女が目蓋を上げて、その紅色の瞳が俺を射抜く。
「何するつもり?」
「い、いや、なんでもない」
「そう。……それで、聞きたいことあったんじゃないの?」
「ああ。ある、あるけどちょっと待っててくれ」
そう言って、少女のそばを離れて洗い物を始める。
「洗いながらでも話すればいいんじゃないの?」
「え? 何て言った?」
水の音に少女の声が掻き消されて聞こえなかった。
「だから!」
少女は立ち上がり、とてとてと俺に寄って来た。
「だから。洗いながらでも話をすればいいんじゃないの!」
少女が怒って不機嫌そうにしている顔が、やっぱり死神ではなくて普通の子供のように見えてしまって、頬が緩む。
「なに、にやにやしてるのよ」
「ん? お前が可愛いなって思っただけだけど」
「へ? ……な、な何言ってんのよ、あんた」
真っ白だった少女の頬が上気して赤くなっていく。
「いや。そうやって恥ずかしがる所も可愛いなって」
「か、可愛くなんかない! 私は死神なのよ!」
怒って俺を見上げるが、死神としての威厳なんてゼロだ。それが可笑しくて、つい笑ってしまった。
「なんで笑うのよ。あんたなんて……あんたなんてさっさと死んじゃえ!」
少女は走って先程まで使っていた椅子に戻り、座りなおして、俺を睨んでくる。
微笑ましい視線を背中に受けながら、俺は洗い物を続けた。
「俺が死ぬ、なんて話を子供達に聞かれる訳にはいかないだろ?」
小さく呟いた。声は水の音に掻き消されて誰にも届くことはない。
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なんなのよ、なんなのよ、なんなのよ!
心の中で叫ぶ。
私は死神なのに、なのになのに、なのにどうして私に可愛いなんて……
思い出してまた顔がカァッと熱くなるのを感じる。
動揺しすぎだと自分でも思う。でも死神である以上、好意を向けられることなんて滅多にない。当たり前だ。死を告げにくる存在に向けるのは悪意って決まってる。
可愛いなんて言われたのは初めてだった。
今まで、私を信じた人が向けてきたのは死神に対する悪意や畏怖、信じなかった人は鬱陶しそうに私を見て、最期には結局悪意を向けるだけ。
死神である以上仕方のないことだと割り切ってやってきた。悪意を向けられるのが当然だった。
可愛いと言われて、嬉しくないといえば嘘になる。だけど困惑もあった。
どうして青年は私のことを可愛いと言ったのだろうか。青年の真意が分からない。何か裏があるのだろうか? 私をおだてれば助かると思っている? それとも私のことを信じていなくて、ただの子供だと思っている?
分からない、分からない。人間の真意を知りたいと思ったのは今回が初めてだった。今まではこんなことなかった。人間が何を考えていようとどうでもいいことだからだ。だけど今回は違う。何故?
青年の考えていることが分からなくて不安になっている。どうして私は不安なの? 分からない。分からないけれど不安で。もし青年が言っていることが嘘だったら、裏があったら………私は、私は……?
私はどうするんだろう? 何もしない? そうだ、何もする必要はない、はずなのに……
私はどうして不安になっているのだろう?
もし、青年が嘘であんなことを言ったのであれば、私は………
「どうした?」
青年に話しかけられた。
「な、なに?」
声が裏返ってしまった。
「いや、どうしたのかって聞いてるだけだけど」
「……別に、なんでもない」
「そうか? だってお前、怒って俺を睨んでると思ったら、いつの間にか青白い顔で何か考えてるし、かと思えば俺に話しかけられて挙動不審になってるし」
「なんでもない!」
「そう、ならいいんだけどさ」
青年は困った顔で苦笑していた。それがなんとなく悔しくて、話題転換をする。
「話……あるんじゃないの?」
「ああ、ある。が、ちょっと場所を変えさせてくれ」
そう言うと青年は台所を出て行った。
しばらく待っていると、青年が走って戻ってきた。
「お前も来るの!」
私の手を取り、歩き出す。
手を握られたのもこれが初めてだった。
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少女を連れて自室に入り、扉の鍵を閉める。
「あのさ……そろそろ手、放してくれない?」
「………」
少女の返事はない。顔を俯かせてしまっているので表情は伺えないが、白い髪の奥に垣間見える耳は真っ赤に染まっていた。
こちらは手に力を入れていないが、少女は俺の手をギュッと握っている。
放してくれそうにないので少女を連れたまま、座らせるための椅子を持ち出してきてベッドの前に置く。
「座ったら?」
「うん」
少女は小さく頷くと、用意した椅子に座った。ただし手は握ったままで。前かがみの姿勢になってしまって辛いので、俺もベッドに座って少女と向き合う。
「手、放し――」
「いや」
俯いたまま小さく言った。
思わずため息を吐いてしまう。それに反応するように、繋いだ手からビクッと震えが伝わってきた。何故こんなことになっているのだろう?
「ねえ。……質問に答えてくれるなら放しても、いい」
「分かった。答えるよ」
「私に可愛いって言ったの、どうして?」
少女は俺を紅色の瞳で見つめる。
「どうしてって言われてもなあ。単純に可愛いと思ったから言っただけなんだけど」
「……答えになってない。真剣に答えて」
もしかして可愛いと思った理由を説明してほしいのだろうか。
正直に言えば少女は怒るかも知れない。それでも少女の瞳は真剣で、だから俺は、
「孤児院にいる子供達と同じように見えたんだ」
「え?」
「お前がさ、普通の子供に見えて、死神に見えなくて。孤児院の子供がまた一人増えたみたいな、そんな気持ちだった」
「……そう」
少女は約束どおりに手を放した。
「あんた、変」
「何が?」
「だって、あと一日したら死ぬのに、自分のことじゃなくて孤児院のこと考えてる」
「そう、だな。……ここは俺の全てなんだ。命よりも大切な場所、なんだ」
「それでも、あなたはもう死ぬ」
「……なあ、本当に俺は死ぬのか?」
「信じるも信じないも自由。だけど誰にも変えられない事実」
「そうか……どうにかして――」
「無理」
どうにかして死なずにすむ方法はないか。そう聞こうとした。
「――あなたは絶対に死ぬ」
けれど先回りされて、否定された。
「みんな聞くの。『どうやったら生きられる。死なない方法はないか』って。私は監視するだけで、あなた達に手を下すわけじゃない。だから私に言っても無駄なの」
答えはなんとなく予想がついていた。だから思ったよりショックは少なかった。
少女は自嘲的な笑みを浮かべて天井を仰いだ。
「結局ね、私達は見てるだけなのよ。死神なんて大層な名前で呼ばれてるけど、死を司っている訳じゃないし、まして神のような力もない。死神は誰も救えないのよ」
少女は悲しそうに微笑んだ。涙は流れていなかったが、俺には泣いているように見えた。
「あなたを救うことは誰にも出来ない。だからあなたは考えなきゃいけない。残された時間で何をすべきなのか、何をしたいのか」
「後悔しないように過ごせって?」
「………違う」
聞き逃してしまいそうなくらい小さな呟きだった。
「そんなこと、後悔しないように過ごすことなんて出来ない……私は何百人、何千人の『最後の一日』を見てきた。だけど誰一人、後悔しないで死んだ人なんていなかった。あなたも絶対に後悔することになる」
少女は俯いてしまった。
俺も俯いて、自分の両手を眺める。
俺には何が出来る? あと一日。限られた時間で、この身体で、俺は………子供達に何をしてやれる?
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顔を上げると青年は俯いて、じっと自分の両手を眺めていた。
考えているのだろう、それは必要なことだ。だけどその間も刻一刻と、死は青年に迫っている。私は悩ませるために青年に死を告げたんじゃない。行動しなければ、後悔だけが募った終わりになってしまう。そんなのは嫌だ。
青年には、青年に相応しい死の形がある。青年らしい『終わり方』をしてほしい。
――だから私は青年の道標になりたい。
「後悔せずに死んでいった人はいないけど、自分の『最後の一日』に納得して死んでいった人なら、いる」
「え?」
青年が顔を上げて、不思議そうな目で私を見る。
「人間は後悔する生き物だけど、納得する生き物でもあるの。あなたが死ぬとき、あなた自身が納得できる『最後の一日』にしてほしい。私に誇ることが出来るような『最後の一日』にしてほしい。もう『最後の一日』は始まってるの。だから考えてばかりじゃ、ダメ」
青年は私の言葉を受け取ると、少しの間、目を閉じて思案した。
「よし」
そう言って立ち上がると、部屋の端に置かれていた小さな机に向かい、手紙を書き始めた。おそらく孤児院の子供達に向けた手紙だろう。
私はその後姿を黙って見つめていた。
やがて手紙を書き終わると、青年は立ち上がり、私のところに歩いてきた。
「なに?」
そっけなく聞くと、青年はおもむろに手を伸ばして私の頭の上に置く。撫でられた。
「な、なな、なにすんのよ!」
睨み上げる。
自分の顔が熱くなるのが分かる。多分、真っ赤な顔をしているだろう。
そんな私を見て、青年は笑顔になって言った。
「子供達と遊んでくる」
クシャクシャと私の髪を撫でると、青年は部屋を出て行った。
――また、初めてだ。
初めて頭を撫でられた。
それは不思議な感覚だった。撫でられるということが恥ずかしくて、顔が熱くなって、嫌なはずなのに、不快な気持ちにはならなかった。髪をクシャクシャにされるのは嫌だけど、もっと撫でてほしかった。ずっと撫でていてほしかった。その手は温かくて、それは死神には存在しない温もりで、感じているだけで安心できた。
青年は孤児院の子供達と過ごすことを選択したのに、私は青年にそばにいてほしかった。それが青年に相応しい『終わり方』を阻害するものであるかも知れないのに、私は望んでしまった。
どうしてだろう? どうして私は青年に依存しそうになっているのだろう?
少し考えて、結論は簡単に出た。
今まで接してきた人間の中で、青年は唯一、私が死神であることを認めた上で好意を向けた人間だからだ。私をただの少女だと考え、呆れた視線を向けた人間はたくさんいた。私が死神だと分かった途端、怯えた視線を向けた人間もたくさんいた。だけど、私が死神だと理解して、それでも普通の少女にするように接してくれたことが嬉しかった。
椅子から立ち上がり、窓まで歩く。外を見ると、庭には子供達とサッカーをする青年の姿があった。
これが私の望んでいたことだ。青年の居場所は私の隣じゃない。子供たちに囲まれているのがあるべき姿。これで良かったんだ。
楽しそうに笑う青年と子供達を見て――胸がチクリと痛んだ。
窓の外の光景から目を背ける。すると、青年の書いていた手紙が視界に入った。その手紙は封筒に入れられる訳でもなく文章がむき出しになったまま、机の上に置かれていた。
褒められたことではないのは分かっているが、つい手紙の内容を見てしまう。
『旅に出ます』
一行目にそう書いてあった。
それは、子供達に囲まれて死ぬことを拒絶するという意味だ。青年は人生の最期を子供達に見られないこと、そして死んだことを知られないことを望んでいる。
『いつ帰ることになるかは分からないけど、俺がいない間はみんなで支えあって暮らしてくれ』
『くれぐれも俺が帰ってきたときに孤児院がなくなってたなんてことがないように』
そこから後は孤児院の子供一人ひとりに対して別れの言葉が述べられていた。
青年の選択が正しいものかどうかなんて私には分からない。
子供達にとって、目の前で青年が死ぬことと、いつ帰ってくるか分からない青年に淡い期待を抱き続けるのと、どちらが幸せなのだろうか。
だがどちらにしても私がその選択に口を挟むことは出来ない。私は選択の結果を見届けるだけだ。
青年は誰も悲しませないために、誰にも知られずに死んでいくことを望んだ。孤独な最期を遂げるだろう。それはきっと、とても悲しいことだ。
私達が監視した人間は例外なく死ぬ。私が監視してきた人間も皆死んだ。皆、後悔しながら死んでいった。苦しみながら死んでいった者もいる。悲しみながら死んでいった者もいる。その中で一番見ていて辛いのが孤独に死を迎える者だ。
彼・彼女らは迫りくる死に怯え、恐怖するが、周りにすがる者はいない。震える自分を見つめる死神の私だけがそばにいる。そんな状況で涙しながら死ぬ。そして、確かに自分は生きてきて、その場所で終わりを迎えた、そんな事実さえ誰の目にも映ることはなくなる。
青年だって同じだ。きっと悲しい最期になる。それでも青年が孤独を望むのなら、私は少しでもその孤独が無くなるように、そばにいよう。
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一日というのは長いようで短い。
それは人生最後の一日でもあまり変わらないようだ。気付けば夜になっていて、夕食も食べ終わり、子供達も遊び疲れて眠ってしまった。
もう二度と子供達と会うことは叶わない。そのことを考えると少しだけ目頭が熱くなった。
自分の部屋の前に立つ。長い間使ってきたこの部屋ともこれでお別れだ。
ノックをしてから扉を開けて入る。
月明かりに照らされる少女がいた。暗い窓の外を見つめる死神の少女は、窓から入ってくる微かな月明かりで光っているように見えて、その幻想的な光景に一瞬、これは夢なのではないかと疑ってしまう。
少女が振り返る。影に隠れて表情は良く見えないが、闇に浮かぶ紅色の瞳は優しい視線を向けていた。
「なあ、俺の『最後の一日』はお前に誇れるものだったか?」
少女は俺に向けていた視線を逸らした。
「子供達は幸せそうだった……けど……」
視線は遠慮がちにもう一度俺に向けられる。
「後悔、してるでしょ」
「ああ。やっぱダメだった」
雰囲気が暗くならないように努める。
「後悔しないように過ごしたつもりだったんだがなあ………今もすごく後悔してる」
「……そう」
「それでな、俺、旅に出ることにした」
「え?」
「たった半日にも満たない旅になるけど、人生の最後に、海から昇る朝日ってやつを見たいと思ってさ」
「止めないけど、間に合う?」
「今から出れば、多分空が白んでくる頃には着けると思う」
「分かった。ついて行く」
「じゃあ行くか」
「うん!」
少女は笑顔を浮かべた。それを見ていると俺も頬が緩んでしまう。
この少女と最期の時間を過ごすのも悪くはない、と思った。
子供達を起こさないように、静かに孤児院の裏口から抜け出して、停めてあった荷台付きの自転車にまたがる。
「後ろ、乗れよ」
少女に声をかける。
「………」
「言っとくが自転車を二台も持ち出す気はないぞ」
「……分かった」
少女は荷台に乗って、俺の腰に手を回す。
「こうしていると恋人みたいだな、俺ら」
「バ、バカ。恋人ってなによ。私は死神なのよ!」
予想通りに反応を返す少女が微笑ましくて、ついつい意地悪をしてしまう。
「俺は死神と恋人でも構わないけどな」
笑いながら言う。
「ううぅ〜〜。バカッ。あんたなんてさっさと死んじゃえ!」
少女が両手でポカポカと背中を叩く。
「無駄口ばっかりしてると、朝日見れなくなちゃうから、さっさと出るの!」
「へーい」
少女が腰に手を回し直したのを確認すると、俺はゆっくりと自転車をこぎだした。
走り出してしばらくして、無言の時間にも飽きてきたので口を開いた。
「なあ」
「なに?」
「俺ってさ、もうすぐ死ぬんだよな」
「うん」
「なんで俺が死ぬのか、お前は知ってるの?」
「知ってる……あなたが死ぬことに理由なんてないってことを知ってる」
「……そうか」
「選ばれた人間が偶々あなただった。ただそれだけの理由」
「………」
「ごめんね」
「なんでお前が謝るんだよ」
「あなたが死ぬのは私のせいじゃないけど、あなたに謝れるのは私しかいないから」
「よく分かんねぇな」
「………」
「………」
また無言の時間が続く。
「なあ」
「なに?」
「俺って死んだらどうなるんだろ? 天国に行けるのか、地獄に堕ちるのか」
「天国とか地獄とか信じてるの?」
「うーん。微妙かな」
「……そう」
「で、本当のところはどうなの?」
「天国や地獄なんて存在しないよ。死んだらそこで終わり。魂なんてないの。だから死ねば全部終わり。あなたという人間は永遠に消える」
「そう、か。なかなか重い事実だな」
天国や地獄を信じていた訳ではないが、実際に聞かされるとそれなりにショックがある。死んだとしてもそれが完全な終わりではないと、心のどこかで信じたかったからだろうか。
「………」
「………」
「なあ。お前ってさ、どうしてこんなことしてるの?」
「こんなことって?」
「俺を監視するだけなら、俺に死ぬって事実を伝える必要はないし、俺の質問に答える必要もないはずだろ? それとも、そういう規則なのか?」
「それは………」
少女はそう言ったきり、言葉を紡ぐことはなかった。
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規則なんかじゃない。
青年が言った通り、私は質問に答える義務はないし、青年に死を納得させる必要もない。死ぬことを伝える必要もあるにはあるが、説明する必要はない。ただ仄めかすだけで十分なのだ。
言うなれば、私達は手紙のようなものだ。一方的に死を伝えればいい。その後は一日だけ、予想外の事態が起きないように監視する"保険"になる。
けれど私は、監視対象者にそれぞれに相応しい死を迎えてほしい。信じてもらえなければそれまでだが、信じてくれれば納得できる『最後の一日』を過ごす努力をしてくれる。
だから私は今回も死ぬことを説明して、青年はそんな私のことを信じてくれた。
青年は自身が納得できる『最後の一日』を過ごしている。それはすごく嬉しい。
そして青年は自分に相応しい『終わり方』を決めて、そこへ向かっている。――孤独死を遂げようとしている。それは本当に青年に相応しい『終わり方』なのだろうか? 青年は子供達に囲まれて死を迎えるべきではないのか。
私が事実を伝えてしまったせいで、青年に相応しい死を阻害しているのではないのか?
不安が身体を駆け巡る。
思わず、青年の腰に回した手に入れる力を強めた。青年の大きな背中に身体を押し付ける。……温かい。その熱は私の中で暴れまわる不安を消し去ってくれていくようで、安心できた。
ずっとこのままでいたかった。ずっと、私は青年と一緒に………
――けれど。
「着いたぞ」
そんな都合のいい幻想を抱いてはいけない。
青年の声は私を引き戻す。私は死神で、青年はもう死ぬ。だからこんな気持ちに気付いちゃいけない。理解してしまったら辛くなるだけ。
「うん」
青年から手を放して、自転車を降りる。そこは砂浜だった。
「なあ。あとどのくらいで日が昇るのか分かるか?」
「分かんない」
「だよなぁ」
空はまだ白み始めたばかりで、辺りは暗いままだった。
「仕方ない、待つか」
そう言うと青年は砂浜に腰を下ろしてあぐらをかいた。
「お前も座らないのか?」
「いい。服が汚れるから」
「そうか、それなら――」
青年は隣で立っていた私の手を掴むと、引っ張って、組んだ脚の上に座らせた。
「な、なな、な!」
「そんな驚くことでもないだろ? それにこれなら服が汚れることもないし」
「それはそうだけど……」
「なら問題ないな」
そう言って笑った。青年の息が髪を揺らして、くすぐったかった。
青年の右手は私の手を握りっぱなしで、私を抱きしめるように身体に回されていて。それが温かくて、安心できて、失いたくなくて―――悲しい。
だって、分かってしまう。死が、青年の死が本当にすぐそこまで来ていることが私には分かる。
だからかもしれない。私の口は意思に反して言葉を紡いでいた。
「ねぇ。撫でて」
「撫でる?」
「……私の頭、撫でて」
「………」
青年は無言で左手を私の頭に乗せると、撫でて、髪を梳いた。
「……俺は、お前に感謝してる」
不意に青年が言った。
「お前が来てくれて、教えてくれて、良かったと思う。ありがとな………」
青年は私をギュッと抱きしめる。身体は震えていた。
耳元で青年の嗚咽が漏れて聞こえる。
支えてあげたいと思う。でも、私じゃダメだ。死神の私には、ただ黙って抱かれていることしか出来ない。
青年の涙が流れ、私の肩に落ちる。死ぬ間際でも、それはやっぱり温かくて。どうしようもなく愛おしくて。
泣いているのに、震えているのに、それでも青年は優しく私の頭を撫でていてくれた。
どれほどの時間が経ったのだろうか。
青年の嗚咽は止み、私を撫でていた手も止まっていた。身体に温もりは残っていない。
それでも私は抱かれたままで。いつまでも抱かれたままで。
涙が溢れてくる。今までいくらでも人の死を見てきたはずなのに、私は青年の死に涙していた。
泣いたのは初めてだった。
霞む視界で空を仰ぐ。
朝日はまだ昇らない。
―――今日は、曇りだ。
ここまで読んで下さった方、本当にありがとうございます。
初投稿で至らない点もあったと思いますが、この作品を読んで、心に響くものがあれば幸いです。