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第61話 白狼 〈ノア編 16年前〉

 吹雪がやんだ時を見計らって騎士たちとノアは氷夜城アイスブラックを引き払った。良質の毛皮を山のように重ねて乗せたソリには、補強のためのワンドが括り付けてある。




 引いて歩くには時間が掛かった。雪は深く、一歩踏み出すたびに膝が埋まった。出発して五分もたたないうちから、ノアは疲労困憊していた。赤ん坊を抱えていたせいでもある。




「はぁ……はぁ」




 騎士達はそんなノアに合わせ、歩きを遅らせた。誰も口を開かず、一歩一歩と黙々と歩き続けた。こんな場所で足でも挫こうものなら終わりだった。誰も他人を助ける余裕などない。


 


 みな内心では、自分というお荷物に腹を立てているのではないか。あのジョシュアがはっきりいったように。




「はぁ……はぁ」




 だが、自分は何としてでも生きて帰り、この子を守らなければならない。それは、自分しかいない。ノアはそう決心していた。


 


 はく息は白くキラキラと光を残し、霞む樺林の奥からは何かの遠吠えが聞こえた。ノアは手袋のなかに汗を感じた。




「い、犬かな」


 


 不安そうな顔を見てライナスが言った。「馬鹿だな、ホワイトウルフに決まってんだろ。まだ、だいぶ遠いさ。行こう」




 しばらくして、また遠吠えが聞こえる。前よりはっきりと、力強い咆哮だった。「ち、近づいてる。ぼくたちを狙ってる」




「連中だって飢えているんだ。来るぞ、剣を抜け」樺林から、猛スピードで白狼が飛び出してくるのが見えた。




 引き綱から解き放たれたような勢いで、一斉に襲い掛かって来る。ノアは慌てて、唯一武器になりそうな肉切りナイフを構えた。




 二十匹以上いるように見えた。白狼の黒い唇が捲れ上がると、ノコギリのような鋭い牙が剥きだしになり、赤い舌から糸を引いた唾液がしたたり落ちていた。




「グルルッ! ウガルルッ」




 ネイサンは迷わずソリを横倒しにして壁を作った。せっかく積んだ毛皮は雪崩のように散らばり括り付けてあったロープが、大きな輪っかになって広がった。




「……ノア、赤ん坊と一緒に毛皮をかぶっていろ。直ぐに終わる」


 


 真っ先に駆け込んできた白狼の頭は半分になって、飛んで行った。振りぬいた剣が雪に、深く抉り込む。




 騎士はお互いに叫びあって連携をとった。ライナスは雪に足を取られバランスを崩した。




「しゃがめ!」




 そのまま頭を下げると、すかさずネイサンがロングソードを横一文字に振り抜いた。白狼がたじろいだ隙に、雪に埋まったライナスを引きずりあげる。


 


 魔術師のローガンは、背後に防御用の呪文、魔術盾アローグラスを展開していた。




 ノアに向かって大きな口を開けた猛獣が飛びかかってくる。半透明の魔術盾に顔面を激突させた狼は、唾液を飛び散らせながらバタバタと前足の爪を掻いた。




「ひ、ひいいぃ!」




 馬ほどある巨大な餓えた野獣だとばかり思っていたが、目の前で冷静に見る白狼は、やせ細り骨だけのように見えた。




「くっそっ、まとめてかかってきやがれ!」




「ライナス、無駄に振り回すな。雪に体力を奪われるぞ」 




 ノアは赤ん坊と共にソリの影に隠れた。毛皮をひっぱり壁にしようとしたが、上質の毛皮はするすると足元に滑り落ちた。




 円を囲むように行き来する白狼に、なすすべもなくガタガタと震えていた。


 


 ローガンの魔術弓は牽制にしかならなかった。痙攣する足をかばい、狙いが定まらない魔術弓は雪を巻き上げるだけだった。




 白狼は群れでの攻撃方法を知っていた。距離をとり、少しずつ騎士たちの体力を削っていく方法を。




「攻撃に時間をおかれると、乾いた汗で凍っちまいそうだ。どうせ当たらないなら火球ファイアボールを使ってくれねぇか?」




「魔術弓だけで手いっぱいだ。せめてジョシュアがいてくれれば」




「ふん……すぐに会えるかもな」




 ほんの数分か、十五分程度の事だと思う。ノアは恐怖で一瞬気を失っていた。太陽が雲に隠れ、薄暗くなればなるほど猛獣は有利になってくる。日が暮れればなおのことだ。




 灰色の雪には真っ赤な血が飛び散っている。ライナスの足からは血が滴り落ちていた。ノアにはしくしくと泣くことしか出来なかった。




『新鮮な肉を餌にしろ』




 ジョシュアの声がしたような気がした。赤ん坊を切り裂き、ばら蒔けば白狼に隙が出来るかもしれない。




『やれよ。お前は命令が聞けないのか?』




 涙は凍って頬に貼り付いた。そんな命令はきくつもりはなかった。ノアは風見鶏を封印したのだ。もう惑わされる必要はないと、ナイフを鞘に戻した。




「グルルッ! ウガルルッ」




 恐怖心は消えなかったが、頭はすっきりしていた。また赤ん坊が、後ろ髪を引っ張っている。ノアは白狼たちの歩く道筋にロープが埋まっていることに気付かされる。




 自分より弱い命がノアに勇気を与えた。この小さな手を守れるなら、何も恐れる必要はないと感じられた。死ぬことさえも。




「……」




 はじめ、白狼たちは雪の上にあったロープを避けて通っていたが、時間と共に雪に埋まったロープは気にならなくなっていた。




 ほとんど無意識にノアはロープを掴んでいた。そして感じていた。




(――輪っかに入った白狼を封印術で、拘束できるかもしれない。これは、ただのロープじゃない……そうだ、鎖だ)




 そう念じてロープを握り締めていた。ノアは意識を集中して念じ続けた。効果は突如としてあらわれた。




「いまだ!」




「……クゥン……クゥン」




「!?」次々と白狼の群れが頭こうべを垂れて戦意を失っていくのが感じられた。




 ネイサンとライナスは、この期を逃すかと斬りつけていった。動きの鈍くなった白狼にはローガンの魔術弓も効果を見せた。




「キャイン……キャイン!」


 


 ネイサンは最後の白狼を斬り殺した。二十匹以上いると思ったオオカミは、実際に数えると十数匹しかいなかった。




 ハラワタが飛び出し舌を出してボロキレのように死んでいた。鋭い牙の周りには赤黒い色の泡が付着している。




「ふーっ……どういう訳か途中から、やつらの動きが鈍ったようだな」




「ああ、まるで恐怖心を植え付けられたようにビクついていやがった」




 ネイサンはモーガンに水筒をまわした。魔術師は口をすすぐように味わい、白い息を吐いていた。




 赤ん坊は白狼の餌にはならずに済んだ。厳しい言葉とは逆に、白騎士達は赤ん坊を庇ったのだ。身を挺して守りさえした。


 


「ちくしょう!」




 白狼に尻を噛まれたライナスだけはノアにむかって声を荒立てた。




 ソリの椅子に座ると赤黒い血のシミが広がっていく。冷たい気温のなか、ライナスは大汗をかいていた。ローガンがすぐに精霊魔法フェアリーエイドを唱えたが、痛みは引かない様子だった。




「だ、大丈夫、心配ないよ。傷はふさがってる」ノアが傷口が開かないように手で押さえながらいった。




「心配ないだと?」ライナスは、ノアの頭を叩いた。「怪我をしているのは、この俺だぞ。もっと心配しろ。このクソ野郎」




「ご、ごめんよ。でも血は止まったから、大丈夫っていおうと思って」




「ちっ。まったく……運が良かったな」




「え、運が悪かった。だろ?」




「俺たちじゃなく、その赤ん坊さ。怪我をしたのが俺で良かったろうが」




「あ、ああ。ありがとう」




「……ふっ、構うもんか。こちとら高山育ちよ」ライナスはノアの肩をポンと叩いていった。ひとつ危険が去って、騎士たちは平穏な顔を見せた。




 いままで張り詰めていた緊張がとけ、希望が見えてきた。雲がはれ、太陽がのぞくと空は真っ青に広がっていた。




「君たちは素晴らしい騎士だよ。本当に」ノアは、ぼろぼろと涙を流して呟いた。「本当に強くて、勇気があってカッコいいよ。ぼくなんか、ぼくなんかと違って」




「おいおい。だから、さっきから俺の尻を触っていやがるのか?」




「ぷっ……ぷはははっ。ぼくが面倒をみるよ。この子はぼくの手で育ててみせる」




「ああ、そういうと思っていた」ライナスの横から小隊長であるネイサンが言った。「賭けはノアのひとり勝ちだったな。その指輪も持っていくといい」




「い、いいんですか!?」




「ああ、お前が助けてくれたんだろ」小隊長は白狼の変化に気付いていた。




「俺には分かった。ロープに入ったホワイトウルフは、突然戦意を喪失した。その赤ん坊を守ろうとしたお前の気持ちが通じたかのように」




 魔術師モーガンも笑っていた。ライナスは誇らしげに赤ん坊を撫でるとこういった。




「ノアを頼んだぞ。お嬢ちゃん」





        ※ 





 あの女は天地の指輪と、赤子を使って何をしようとしていたのか――ノア・ジョードは赤子を港町に連れ帰り、解封師として育てた。




『だあ……だあぁ……』




 山羊のミルクを欲しがる赤ん坊を優しく抱き上げる。夜中に何べん起こされるか分かったものではない。子育てとはなかなか思い通りにならないものだ。




 自分が見てやれない時には、少ない給与をやり繰りして女中を雇った。




 名前はローズと決めた。この赤ん坊はとても、とてもいい匂いがしたからだ。バラの匂いに似ていた。いばらの将来を見越していたわけではない。




『パァパっ……パァパっ』




 少しずつ言葉も覚え始めた。この子を寝かしつけるのはなかなか難儀なようだ。女房の居ないノアのような男がいきなり娘を育てる事は簡単ではない。




 だが、ノアは自分が子育てに向いているのではないかと思っていた。少しも苦痛では無かったからだ。この娘と指輪を手にしてから以前のような疲労感はなくなっていた。




『パパぁ、おやすみの前にお話してぇ』




 愛を持って彼女を育てた。彼女は何時もノアの腕にしがみついて眠りついた。規則正しい生活をして、毎日風呂にも入れた。




 櫛や髪留めを買っては彼女に与え、部屋も清潔にするよう心掛けた。ノアにとってもそれはいい影響だった。ただ、どんな作業だろうが一時として指輪を外そうとは思わなかった。




『お父しゃま。わたちの勉強が終わったら遊んでくれるぅ?』




 厳しさを持って彼女を育てた。むしろノア自身が教わる事も多かった。充実した素晴らしい日々は、矢のように流れていった。




 五年がたち、何時の間にか仕事でも名をはせるようになったノアは威厳のある父親として娘と接した。




 数ある文献に目を通し、氷夜城アイスブラックで何が起きていたのか調べる余裕がでてきたのは、その頃だった。




 研ぎ澄まされた解封師の能力から、その資質スキルは生まれた。




 それを自覚した頃から、ノアの生活に変化が起きはじめる。文献によれば、この資質は相手を混乱させ、拘束する力があるという。




 そして黒魔術とも呼ばれる独自の〈封印術〉にたどり着くのだ。




 その拘束には鎖も錠前も必要なかった。簡単なロープや紙紐で造った輪っかを掛けただけで、相手は混乱して、どうか逃がしてほしいと懇願するのだ。




 天地の指輪から得られる無尽蔵の魔力により実験は繰り返された。




 横柄だった女中に麻紐を掛けると彼女は衣服を脱ぎ捨て、反抗する意志はないと訴えながらノアをベッドに誘った。




 雑用を押し付けるギルドの役人は借金を帳消しにして態度を改めると誓い、支払われるべき報酬の二倍以上の金を用意した。




 この資質さえあれば恐れるものは無かった。ロープを張り巡らせれば、街全体を混乱に陥れることさえできる。




 それが〈悪魔の資質カード〉の能力だった。






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