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第38話 愚か者の女神〈モリスン編〉

 あの旅籠は、すぐ裏にセレース川があった。




 川にせり出すように建てられていた旅籠だ。あの辺までは、まだ心配ごともなく食欲もあった。我が女神ソフィア様と共に旅が出来ることに喜びしかなかった。




 それから四日か五日も馬を走らせると、あたりはすっかり寂れた景色に変わり、薄焼きのパンも、パスタと米を炊き込んだピラウとかいう料理も、自家挽きのラム肉をたっぷりのトマトと野菜で煮込んだこの辺りの家庭料理も、すっかり喉を通らなくなっちまった。




 とても全部は食べられない。普段なら四人前は食べられるはずの俺が、一人前と半分程度で、もう限界だった。




 食欲がすっかり減退していた。なにか深刻な病気かもしれないと思った。睡眠状態も悪かった。九時間か十時間は寝ようと意気込んでいても、実際に寝たのは七時間か、そこいらだった。




 寝るまでに二十分は掛かった。森の娼館での治療が完全ではなかったと自分を納得させた。




 深酒に興味が失せたのは病み上がりばかりが原因と思えなかった。どれもこれも〈節制のカード〉の影響なのだろうか。俺みたいなその日暮らしの剣士にとっては、悪い影響だと言わざるを得ない。




 そう、何年も心配ごとなど抱えた記憶がなかった。この〈術師殺しのモリスン〉と呼ばれるほどの俺が、ロザロの神父や、可愛い娼婦どもにしっかりと仕事をするようにと固く約束させられていることが悩みの原因だった。




 ソフィア様をお守りし、彼女の兄上様を見つけ出すという使命――。




 怠け者で、だらしのない荒くれ者の俺が、禿げ上がった神父から頼まれた任務を遂行するというのが気に入らない。




 あの旅籠を出てからというもの、飯はどんどんと粗末になり、街道はとても一般人が旅をできないほど物騒になってくると、おのずと気も滅入ってくる。




 遠くレイモン城を囲むように建っている家屋かおくは、どれも四半世紀を過ぎ、外装は剥がれ、屋根には何重にも板が立て掛けてあった。治安は悪く、住人の心は荒んでいた。




 六日目の騎行を終えて馬を降りた俺は屋台に並んでいる焼き菓子をじっとみている子供に目を向けた。女の声がする。




「買わないなら、さっさとあっちにおいき。しっしっ!」




「……」指を咥くわえながら離れようとしないガキがいた。甘い香りに捕らわれ離れたくても離れられないのだ。服はボロボロになり、土のこびり付いた細い足に靴は無かった。




「よだれを付けるんじゃないよ。汚いガキだねっ!」




 後ろにはボロ布を纏った老人がいた。靴はよれで、パカパカと音をたてていた。




「すいません」爺さんが言った。「ジャガイモか麦があったら分けてもらえないかね」




「金は持ってるんだろうね?」




「ああ、少しじゃけど」老人が手を差し出すと、古びた銅貨が二枚あった。




「足りないよっ」軒先から顔を出した女は痩せていて意地の悪そうな女主人だった。「これじゃ、芋一つしか買えないよ」




「す、すまんが一つで結構じゃから」




「ほらよ!」女主人は一番小さなジャガイモを老人に投げつけた。




 老人はゆっくりジャガイモを拾い、少年の頭を撫でた。「すまんの。菓子はまた今度じゃ」




 我が女神様は颯爽と馬を降り、老人と子供のあいだに分け入った。すると店主の前で手に持った銀貨を見せて言った。




「これなら、お芋は何個かえるのかしら?」




 裏から背の高い男が顔をだした。睨み付けるように老人を見る、その手には芋を五個持っている。右手に二つ、左手に三つだった。




「銀貨一枚なら、これだけ買える。菓子はサービスだ。ひとつ持っていきな」




「良かったわね、坊や。ほら」




「ありがとう」といってガキはソフィア様の手から、焼き菓子を掴んで老人のズボンの後ろにしがみつくように顔を隠した。




「そっちの袋にも銀貨がたんまり入ってるのかい?」のっぽの男は険しい顔を向けてソフィアに言った。「全部置いていきな」




「……」


 


 店の女主人はハンカチを持って泣いていた。自分がどれほど醜い行為をしているか、知っていたのだろう。誰も余裕なんてものは無いようだ。




 ソフィア様はカウンターに銀貨の入った袋を置いた。なめし革のズボンとベストを着た旅人風のいでたちだが、中身はやはり女神なのだ。




「全部を渡すことは出来ないわ。でもあと、銀貨五枚を置いていきましょう。これで、マンサ谷の難民が来たら食べさせてもらえるかしら。三日位は誰もひもじい思いはしなくてすむわ」




「……」男はますます険しい顔になって、ソフィア様を睨みつけた。「全部、置いていけって言ってんだろ!」




 店の裏手から現れたのは五人のごろつきだった。太ったのに痩せた者、小さい身長に大きい者、痩せてのっぽの者と、特徴はさまざまだったが、見た目はみなそっくりだった。




「素直に聞いたほうがいいわよ」痩せた女主人は泣きながら俺にいった。「ごろつきは余所者よそものは身ぐるみ剥いで吊るすんだ」




「余所者じゃなければ?」アホな質問だとは思った。「あんたは幾ら払ってるんだ」




 虫のいい女だと思った。そんな女にも優しさを持っているソフィア様が誇らしく思えて、まあ、何をどうすればいいのか迷っていた。




「私たちは売上の二割さ。みかじめ料を払って、黒騎士や野盗から守ってもらってる。城の衛兵なんか、あてにならないからね」




「へぇ、意外と良心的じゃないか」またまた間抜けな質問だ。「誰かがみかじめ料を取って、この辺を牛耳らなきゃ、女主人の力が増して、この辺を牛耳るからか?」




「……あんた皮肉が過ぎるのか、底抜けの馬鹿か分からないことを言うわね」




 まあ、正直にいうなら分からないんだ。女主人とごろつき五人をどうすればいいのか。俺は肩を吊り上げてソフィア様を見た。




「モリスン」彼女は爺さんと子供の手を引いて俺の後ろへと連れる。「貴方は私の護衛なんだから、やることは分かっているわね」




 こうきたか。分かっていたら悩みも病気もぶっ飛ぶんだが、もう少しヒントをくれよ。




 魔女のアネスは味方を裏切ったから、分かりやすかったが、こいつらは殺すまでの悪人なのだろうか。ガキにサービスもしてくれたし、みかじめ料をとることが悪いともいいきれない。




「えーと、殴ればいいのかな。殴られればいいのかな……」と俺がいうと、大きな男は俺を殴ろうとした。俺はそいつを躱したが、一方の男は俺の肩を掴んで羽交い締めにした。




 腹を殴られ膝をつくと、誰かが俺の背中を蹴った。またすぐに、別の男は俺を立たせて、同じことを繰り返そうとした。あまり優しい連中ではなかった。




 戦場でもない、こういう場所じゃ殴ったらハイ解決、とはならない。白騎士だ、黒騎士だとはっきりしちゃいないんだ。




 物事を単純化して、善だと悪だと決めつけるのは簡単だ。そっちのほうが楽だし、俺だってそうしたいさ。だが単純化は危ない、取り返しがつかない。




 ごろつきにだって理由はあるかもしれないし、ガキだからって善人とは限らない。本当にマンサ谷の難民の為に金が必要なのかもしれない。まあ、こんなふうに考えるようになったのも、ソフィア様と旅をするようになってからなんだが。




 災いの元は全て黒騎士だというやつは山程いるし、衛兵や貴族のせいだというやつもいれば、野盗や城主のせいだというやつもいる。




 うまい具合にいかないのが、この世界であって、それは不思議でもなんでもないってことが分からない連中が、数え切れないほどいて……とにかく数えるのが馬鹿馬鹿しくなるのがオチなんだ。




「のっぽのオッサンよ」俺は耳打ちするようにそいつに聞いた。「あんたはこの問題はいったい何だと思う?」




「問題はお前だ!」




 男は言うやいなや、懐から手斧を抜き出し俺の喉仏に向かって横凪に振り抜いた。上着が裂け、鮮血が流れた――のは、隣に立っていた太った男だった。俺がやったのは、のっぽの男の膝裏を蹴り上げて、手斧の軌道を変えてやっただけだ。




 所謂、正当防衛だった。だが大きな男の影に隠れた痩せた男と小さい男は、ほとんど同時に魔術弓を繰り出そうと動いた。




 一瞬だった。そうなったら見境なく始末するしかなかった。大きな男の手首を斬り落とし、持っていた手斧を、痩せた男のこめかみに投げつけ、俺の剣は小さい男の目を貫いていた。




 凄まじい量の血が飛沫しぶき、道に血溜まりができていた。あっというまのことで、何がどうなったのか思い出せないほどだった。




 地べたで這いつくばったのっぽの男は、魔法盾を出していたが〈愚者のカード〉の前でそんな魔術は何の効果もない。




 ゆっくりと、血のしたたる剣先がアロー・グラスをすり抜けるのを、男は真っ青な顔で見つめるだけだ。




「そこまでよ」ソフィア様の声だった。「相手に戦う意志がないなら、剣は収めなさい」




 云われるままに、俺は剣を鞘に収めた。ソフィア様が、これまでのことをどう思っているのかは分からない。




「ひひいい、あ、あんた何者だ!」




「俺は……お前の知らない男だ」




 他に言いようがないだろ。何をいっても皮肉に聞こえると云われることが多々あるが、俺はいたって真面目だ。




 名前に意味があるとも思えないし、素性とか、産まれとかが聞きたいなら、聞きたいのはこっちのほうだ。俺には、親も兄弟もいない。




「おじさん強いんだね」とガキが言った。「格好いいよ、お前の知らない男だっ!!」


 


「ああ、やめてくれ。自分が間抜けに思える。しかし、たったひとりを護衛するだけが、これほど危険な仕事だとは思っても見なかった」




 格好いいか。悪い気はしないが、付き合った女にはよく言われる。台詞だけ聞いていると格好いいかもしれないが、頭の中身が分かると幻滅するってな。




「坊主、マンサ谷のほうに〈運び屋のリウト〉って騎士はいなかったか?」




「えと、リウト兄ちゃんだったら、昨日まで一緒にいたよ。兄ちゃんのこと知ってるの?」




「おっ、おお。どっちに行った」




「あのね……みんなが、ジャガーばっかりに馬車を引かすから、リウト兄ちゃんが怒ったの。僕たちはちゃんと言いつけ通りに進んだんだけど、はぐれた人たちが一杯いて――」




「うんうん。だから、どっち行ったかって聞いてるんだろ」怒ってるつもりじゃないんだが、ガキはすぐに泣きそうな顔をする。




「さっさと教えないと、菓子はないぞ」




「や、山のほうだよ」




 モリスンは立ち上がり、腰に掛かった二本の剣のスリングを直した。




「あってるみたいですぜ。ソフィア様」




 女神様は、ポンと俺の肩を叩いて眩しい笑顔を見せ言った。「ありがとう。モリスン」




 たったそれだけの言葉で満足だった。女神がご機嫌だとしたら、世界が平和な証拠だ。




 俺は常に〈節制の女神〉を俺の前に置く。女神が俺の右にいれば、俺は動かされることはない。やれやれといった風に俺は肩をすくめた。




     

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