六 御役目
どしゃ降りの中を帰ったソーダ之助は褌一丁で道場に入り、砂の入った俵を振る。刀に見立てて。
俵は当然重い。……しっかりとした手応えを感じる。
「なぜだ」
なぜ、あのならず者を斬れなかった。
「わからん。……わからん」
あの日の、弱い自分から……何ひとつ成長していないのか。
なのにハバネロ郎は、巧みな話術でならず者どもを母娘から守った。かつて相対した時よりも明らかに成長しているッッッッッ!
この時代で……頭のレベルはかなり高い方のソーダ之助は、褌一丁で道場の外に出て雨に濡れた。
「弱虫め……クリーム山ソーダ之助ッッッッッ!」
肌を伝うのは雨ばかりでは無い。
体を拭かずにソーダ之助は俵を手に取り、ひたすら振る。
ドンドンと道場の扉が叩かれた。
開けると、そこには人影は無く一通の封書のみ。
「よもや」
道場の雨戸を全て閉め、蝋燭の側で封書を開く。
『元スコヴィル藩の藩士が、チェキラ藩江戸屋敷襲撃を計画している…………』
ソーダ之助は封書を燃やし、その灰を台所の竈に入れた。
「いつか来るとは思っていたが……」
江戸の脅威を、大衆の一員として討つ。
それがクリーム山家の使命。命じられたのでは無い。初代ーークリーム山シチュー二郎三郎がそう願い出た。ソーダ之助はそれを引き継いでいる。見返りなど求めぬ。
「俺の、最初の御役目……」
自主的に江戸の夜回りをしてはいた。奉行所からは善意の協力者として扱われている。
「最初のクリーム山の家の者としての御役目……上様が家X家ーーあのクソ雑魚ナメクジハムスター野郎でなければ清々しいのだが……」
雨戸を開ける。まだ雨は止まぬ。
「それに……」
よりにもよってスコヴィル藩だ。どうせなら、ばらまき小僧の方が気が楽だった。
あの日の少年。強くなったな。
「出てくるのだろうか?」
デスソース島ハバネロ郎。
「鬼武蔵……か。京ことばでの称賛なのは気になるが……」
鬼武蔵ーー森武蔵守長可の別名である。剣の強さの例えにはあまり上がらない人物だ。都道府県位置の何億倍も強いのは間違い無いが。
とにかくハバネロ郎は強敵だ。武者修行で様々な剣豪と立ち会ったが、彼ほどの強者には出会えなかった。
「いまだ及ばず。が……」
弱さは負ける理由に、守れぬ理由にならぬ。
チェキラ藩は雄藩。スコヴィル藩は取り潰されたが、かつては雄藩。本気でぶつかり合えば対消滅どころでは無い。周囲を巻き込み秩序は乱れ、戦国時代に逆戻りだ。
今の幕府に止める力は無い。現代の学校でイジメで押し付けられた生徒会長の方がまだ……権威として強いだろう。
諸藩は、取り潰されたスコヴィル藩の持っていた辛味関係の利権争いで忙しい。
「暴挙は俺が止める」
ソーダ之助は雨戸を閉めた。
『赤穂事件の模倣』
それが元スコヴィル藩士の目的だと封書にある。
赤穂事件は暴挙だ。
吉良家に落ち度があったかは、結局はっきりした証拠は無かった。あったとしても、吉良家側の失った物は大きい。
元赤穂藩やそこに生きた人々だって、多くを失ったはずだ。
しかし事件を起こした赤穂浪士四十七士は切腹して終わり。むしろ名声を得た。
ソーダ之助にそれ以上の知識と感想は赤穂事件には無い。
そこまでだ。当事者でもその時代を生きたわけでも無いのだからそこまで。
模倣、引用、凶行の言い訳など、もっての他。
「ハバネロ郎殿……止められなんだか。それとも止められる立場では無かったのか?」
ハバネロ郎はソーダ之助にとって恩人だ。あの無様な敗北でソーダ之助は真っ当になれたのだから。
「もしも、あなたが出て来ても……」
ハバネロ郎が荷担しているのなら……信じたくは無いが、斬らねばならぬ。足元にも及ばぬソーダ之助が、雲の上の強者を。
木刀を手に取り、目を閉じる。
「必ず俺が止める」
彼の者の業を想う。
夏の花弁の口付けにて、
お相手いたそう。
記憶の中のハバネロ郎を視た。
この段階では、ソーダ之助はハバネロ郎が一切関わり無いと信じている。しかし……忠義をダシに引きずり出される可能性は非常に高いと考えていた。
備えるに越した事は無いのだ。ハバネロ郎に対応できるなら、宮本武蔵が墓の下から出てこない限りはどうにかできるだろう。
佇まい。歩み。柔(身体操作の事)。在り方。
記憶の中のハバネロ郎は、時を経てさらに躍動した。見えぬ。追えぬ。気が付けば、額に花弁。避けられぬ。
それでも。
過去のハバネロ郎を追い越さねば、現在のハバネロ郎を討てぬ。討つ力が無ければ止められぬだろう。
しつこいが、ハバネロ郎は圧倒的強者。
実力に差がついているのは、さっき思い知った。
だとしても。ありったけの実力を寄せ集めて、ありのままの己だけで勝たねばならぬ。修行する間など無い。
ハバネロ郎は兎も角、彼の上に立つ首領は過去の事件を言い訳に闇討ちする軟弱者だ。なのに幕府も諸藩もそれを止められぬ。
ほぼ確実に今夜、雨の中の行軍は無い。封書にはそう書かれていたし、数少ない情報からもそのように推測できた。
しかし明日もそうである保証は無い。
きっとハバネロ郎の他に強者はいるはずだろう。元スコヴィル藩の強者はハバネロ郎以外は無名だが、情報が無くても立ちはだかるなら挑まねばならぬ。
ソーダ之助にお鉢が回って来たのは、彼以上の強者を幕府諸藩も用意できないからだ。
ソーダ之助を上回る強者が受けないのは、この社会に命をかける魅力を感じていないからだ。
目を開ける。
蝋燭が眩しい。
木刀を額にあて、目を閉じる。
記憶のハバネロ郎と、美化されたハバネロ郎と何度も何度も立ち会う。
そのうち、心の中でパンちゃんが折れた。
「そうか……折れても良いのか。折れてからが始まり。それが日向パンちゃん流の極意。……見えた」
ソーダ之助が得た天啓が、まやかしかどうかは……まだわからない。